>>4 >(3)自分の著作物と引用する著作物との主従関係が明確である(自分の著作物が主体)
>(3)引用部分は記者のコピペレス(通常
>>1だけ)のみであるのに対して、論評部分は以降の住人のレスの全てである。
>ゆえに一つの論議(レス)という単位で見れば、引用レスはわずか数レスだけであり
>ねらーの創作によるレス(
>>2以降のレス)が大半であるから、分量も問題ない。
えーっと、この主従関係に関して、量的な面だけではなく、質的な面でも著作物が主である必要がありますが…
あと、主観なんつったら、記事タイトルをコピペするのでない限りスレタイにも出てきますしね…
まあ、自分は「訴えられたら、負けかなと思っている」状態でスレたててるんで、どーでもいーことなんですが。少なくとも白とは思ってません。
こういうこと書くと、訴えられたときに致命的に不利になるからあんま書きたくないんですけど。
>>13 >えーっと、この主従関係に関して、量的な面だけではなく、質的な面でも著作物が主である必要がありますが…
あえて説明の必要もないと思ったのですが、理解できない方もいるようなので。
質的主従関係とはつまり、まず自らの創作性をもった著作物があることが前提条件であり、
そこに補強材料として原典を引用してきている、というような関係をいいます。
たとえば嫌韓スレなどでは、ホロン部とピラニアの言い争いといった「議論」がスレの中心的内容であり
「記事の紹介」が主ではありません。
質的にも全く問題はありません。
著作権法上も、論評のための引用は明文で認められています。
これは、論評が質的にも、量的にも、引用の要件を満たすためであると考えられています。