【歴史】”西郷隆盛は「遣韓論」を提唱” 鹿児島県知事、教科書出版社に併記を要請へ〔06/28〕
35 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2006/06/28(水) 22:50:55 ID:PDe8qBnQ
西郷は所詮時代遅れのロマンチスト。大久保は先進的リアリスト。なぜ薩摩人が前者を評価するのか理解に苦しむね。
36 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2006/06/28(水) 22:51:46 ID:9qmc3H29
37 :
極東不敗α@在日52世 ◆CAZai52np2 :2006/06/28(水) 22:52:07 ID:JfTSCFua
まぁ、甲案、乙案ってのは交渉の基本だわな。
38 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2006/06/28(水) 22:52:27 ID:krXJ7Uj8
>>35 西南戦争
でも私利私欲のなかった二人は両方とも偉大だったと思う。
40 :
東夷 ◆43eKv.KwIo :2006/06/28(水) 22:55:02 ID:lzNOq7Tz
>>38 上野の銅像は最初は軍服姿の予定でしたが、
陛下に弓を引いた逆賊ということで今の姿に変更されたのですよね。
41 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2006/06/28(水) 22:55:20 ID:frDb4c00
>>35 廃藩置県で島津が大久保にブチ切れたとかいう事情も関係あるかもしれん
42 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2006/06/28(水) 22:58:39 ID:uTxVn2Ll
二人とも偉大じゃっどー。
鹿児島人は二人を偉大に思うどー。
逆賊といえば、昭和政府の「A級戦犯」とされた人々は
賊軍出身が多かったな。
45 :
暴支膺懲 ◆CeoD2zuluY :2006/06/28(水) 23:01:10 ID:AvDzWd6t
10月14日からの閣議でも西郷は一貫して「死間」による段階的征韓論を説いている。
さらにその持論を書き連ねた「出使始末書」を三条に突きつけている。
そして太政大臣・三条は心労のあまり失神。翌日辞表を出している。
西郷は話し合いによる解決など目指してはいない。
46 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2006/06/28(水) 23:02:31 ID:XAwCyZGD
>>41 いや、久光は西郷さんにも
ぶちきれているよ。
廃藩置県は二人がしたこと。
47 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2006/06/28(水) 23:02:59 ID:vY9q2zRV
>>1 西郷は征韓的なことも言ったり
反対の事も言ったりしてたからな
むしろ西郷は
伐清派。清と戦争を為ようとしてた
そのために台湾出兵とかをしたり。
結局、西郷が亡くなった後
西郷の清討伐論とは
関係なく日清清掃は起こったけど
48 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2006/06/28(水) 23:03:28 ID:X3rhW1ok
49 :
暴支膺懲 ◆CeoD2zuluY :2006/06/28(水) 23:07:04 ID:AvDzWd6t
>>43 でも海軍部内で開戦を主張した者達の大多数は官軍出身。
反対派、並びに終戦に尽力したのは賊軍出身が多い。
50 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2006/06/28(水) 23:07:09 ID:frDb4c00
私は生まれ育ち鹿児島だけど西郷大っ嫌い。
規制するたびに空港で銅像が見えるのに虫唾が走る。
大久保公の業績を讃える碑をもっと建てて欲しいと思う。
母校のそばのライオンズ公園の銅像一体だけなんて寂しすぎる。
真の興国の士大久保公を大河ドラマでやらないかな。
原作は昔鹿児島県育英財団が出版した小学生向け副教材の伝記でおk。
西郷は呆韓論者
西郷どんは征韓論押さえようとしたんだけどなぁ。ローゼンのご先祖様が西郷どん失脚の画策に利用したんだよなぁ。
西郷がリアルの朝鮮人見たらどうせ瞬間的に殺韓に変わったろう。
>>49 だから、新潟の田中真紀子や岩手の小沢一郎が
同郷の祖を罵倒するのがわかんねぇ。
先達を蔑ろにしていいのかと。
56 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2006/06/28(水) 23:20:21 ID:l8hQLQCn
西郷は征韓論者ではないだろう。韓国に軍隊を派遣する前に自分を外交交渉者として
派遣してくれと主張していただけだろう。その過程で自分が殺されるのならば、
そこで軍隊を派遣すればいいと主張していただけではないか。
西郷にはそれなりの交渉成立への目途があったのではないか。
毛利敏彦「明治六年政変」の受け売りだが、それなりに説得力のある意見だと思う。
p108〜p146が参考になると思う。
57 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2006/06/28(水) 23:20:54 ID:4ukuENPc
俺の記憶が正しければ、確かあの時代は朝鮮も鎖国をしていて
国交があったのは数カ国で、日本は徳川幕府だった。
しかし、明治維新によって徳川が政権の座を降り、新しく明治政府が
日本の中枢となった。
朝鮮は日本での出来事を、徳川政権が革命派により転覆されたとし、
反逆的革命派との国交を拒んだ。
また、旧徳川幕府時代に作られた朝鮮半島の日本人居留区に住む日本人に対し、
半島住人達は暴行や略奪行為を行った。
当時の日本国ではこれらの行為に対して「けしからん!」と言う感情が湧いてきた。
その「けしからん」が征韓論だ。
しかし、西郷は武力による征伐と開国を日本側から一方的に行うのはよろしくないと思い
朝鮮への使節団の派遣、即ち「遣韓論」を持ち出したのだ。
西郷自身が半島へ赴き、そこでの交渉(開国・日本人居留地への謝罪と賠償・その他)を求めようとしたのだ。
しかし、交渉決裂の再は西郷自身が切り殺される覚悟であって、
その時(西郷が殺された時)には、日本国内にいる新政府に対して不平・不満のある旧武士達が
大義名分とともに、朝鮮半島制圧部隊として乗り込む計算が西郷にはあったのだ。
新国家を完成させるために。
だから、「征韓論」の前に「遣韓論」なのだ!
58 :
暴支膺懲 ◆CeoD2zuluY :2006/06/28(水) 23:22:20 ID:AvDzWd6t
ちなみに西郷派遣反対の中心となったのは右大臣・岩倉。反対派の人数確保の
ため大久保を参議に引き込んだのも岩倉だし。
西郷派遣反対者の主張は「今戰争をするのは拙い」この一点。
下手をしたら同類ゾーンかもな。
江戸時代は、あまり天皇を表には出さず、将軍が対応してやってたわけだけど、
今は「将軍様」は偉いのかも知れんがw、昔は名称が単なる武人の長として、
新井白石などが通信使を事実上、日本への朝貢(将軍はほぼ同格。天皇はその上)と看做すように扱っても
朝鮮人の心の中では面子が立ってたんだろ。w 対馬藩の働きもあって。
で、明治に入って、日本政府から文書に「皇」の字やら、「明治」という年号やらが入ってる事にイチャモン付けたわけだが、
下交渉などの記録文書によると実際の所は、日本は野蛮な西洋カブレになったと判断して、
日本と近代的な国交を持つ事は、朝鮮の小中華としての国体を損なうと考えたのが根底だったようだな。
丁度、フランス・米国の船がチョット砲撃受けただけで引き下がった事に味をしめて、
今と同じで「毛唐など恐るるに足らずニダ!ウェ〜ハッハッハ」と調子に乗ってたから。それで、開国に応じた日本はショボいし、
心の中では、「垢野郎…ゲフン。宗主国様もショボ〜いニダ!これからはウリこそ真の中華ニダ!」となっていたようだ。
実際は、(朝鮮の国防思想による事もあるそうだが)朝鮮が余りにもショボい上に、
港などが整備されておらず、座礁が怖くて近づけなかったそうで、これは後の朝鮮側の暴挙、江華島事件に繋がる。
で、西郷は、朝鮮が曲りなりとも儒教的思想のもとにあるならば、自分が行って殺されましょうって事になった。
もし万が一、「話せば分かる」ならば開国という目的を果たせるし(上記の状況で、増長してる朝鮮だから無理w)、
「話しても分からず」で殺されれば日本は武力によって解決しても大義名分が立つ。
支那と一体でも支那はボロボロで、結局そのうち半島はロシアの日本侵略の前線基地になると思われたのだから、
日本としては朝鮮が開国して、出来れば自力で大陸からの圧力を防ぐ力をつけてくれんと(大陸側はユルユルだったw)、
日本も同じ運命になると思ってたわけで、西郷の案は、どっちに転んでも朝鮮開国という目標を達成できるという策。
ある意味「征韓論」と言うのも正しい面あるわけで、当然、違う面もある。「遣韓論」は単なる形しか表してない。
もっと良い名前があれば変えて良いと思うけど、表面だけで言うと、西郷が単なる胆力のみの人物と勘違いされそう。。
61 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2006/06/28(水) 23:30:54 ID:V1r/QqWa
____
,: 三ニ三ミミ;、-、
xX'' `YY"゙ミ、
彡" ..______. ミ. そうは遣韓ざき!
::::: ::;
,=ミ______=三ミ ji,=三ミi
i 、'ーーー|,-・ー |=|,ー・- | ,-v-、
i; ':: ::: ーー" ゙i ,ーー'j / _ノ_ノ:^)
ーi:: ::i: /`^ー゙`、_ ..i / _ノ_ノ_ノ /)
|:::. ゙"i _,,.-==-、;゙゙i / ノ ノノ//
〉::.:.. 丶 " ゙̄ .'.ノ ____ / ______ ノ
/ i, `ー-、.,____,___ノ\____(" `ー" 、 ノ
ー'/ 'i. ヽ、 ,二ニ/ \ ``ー-、 ゙ ノ
/ 'i、 /\ / > ( `ー''"ー'"
\ 'i," (__) / / \ /ノ
62 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2006/06/28(水) 23:31:18 ID:wyhvNiG4
朝鮮問題にかかわろうとしたから、
西郷隆盛には彼の国の法則が働いたんだよ。
その他にも、
朝鮮統監伊藤博文→暗殺
朝鮮統監寺内正毅→米騒動
朝鮮総督宇垣一成→内閣流産
朝鮮総督斎藤実→2.26で殺害
朝鮮総督小磯国昭→巣鴨プリズンで獄死
朝鮮と関わるとろくなことが無い。
63 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2006/06/28(水) 23:35:02 ID:l8hQLQCn
西郷が「話せば分かる」などというお人よしなら明治維新は成功しなかっただろう。
西郷はそれなりに日韓交渉の成功の目途を持っていたと思うよ。
64 :
暴支膺懲 ◆CeoD2zuluY :2006/06/28(水) 23:35:33 ID:AvDzWd6t
当時の日本はロシアとのゴタゴタも抱えていた。それゆえ10月14日の閣議では岩倉が
まずロシアとの問題を処理すべきで、朝鮮と戦うにしてもまずロシアとの
関係が重要であると説いている。
それに対し西郷はロシアとの戰争を考える場合、朝鮮半島で戦う必要がある。
ロシアとの関係を考えるならなおのこと朝鮮問題を先決すべしと主張。
さらに朝鮮満州をも勢力下におさめるという大陸経綸の抱負まで述べている。
65 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2006/06/28(水) 23:38:47 ID:PFB3iqhD
66 :
暴支膺懲 ◆CeoD2zuluY :2006/06/28(水) 23:40:15 ID:AvDzWd6t
>>62 ついでに加えてくれ。
朝鮮通信使接待役 浅野 → 切腹
↑ の指南役 吉良 → 惨殺
67 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2006/06/28(水) 23:40:15 ID:PFB3iqhD
>>65を修正
>西郷の側近だった桐野利秋に語っている ←×
西郷の側近だった桐野利秋も同じように語っている ←○
つうか隣の国が自分たちの国を攻めるべきだいややめるべきだと侃々諤々で内戦まで発展したのに、
何ら対抗策を講ぜず無為無策だったというのが凄い
69 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2006/06/28(水) 23:46:10 ID:TX07mdGm
寺尾の旅行番組のせいで鹿児島行きたくなった
明治6年政変が、征韓論が本当の争点だったのかは、よくわかってない。
これで、西郷や、実力者である江藤、大隈らが下野して、大久保、伊藤の天下になるので、
「征韓論」をネタにした権力闘争のようにも見える。
71 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2006/06/28(水) 23:58:40 ID:1LtlbcWa
遣韓論─×→征韓論
×ってなに?
×って?
オヤシロサマの祟りです
73 :
暴支膺懲 ◆CeoD2zuluY :2006/06/29(木) 00:45:05 ID:qd98tbv6
それにしても・・・・・毛利敏彦の「台湾出兵」と児島襄の「大山巌」の両書における
10月14日から19日の西郷派遣をめぐる閣議の描き様の違いには失笑を禁じ得ず。
毛利氏は思いこみフィルターがあまりにも強すぎ。児島は児島で淡々としすぎの感があり、
読み手が途中で投げ出しかねないが・・・・。w
>>51 ふーん、鹿児島出身としては変わった香具師だな。
大久保は、翔ぶが如くで出てくるよ。
76 :
:2006/06/29(木) 01:08:44 ID:pr0kwgme
説得で韓国が動くかどうか大いに疑問。韓国は西洋人の侵攻を力で撃退して
しまっている。説得できなかったときはどうするのかを
考えると・・。やはりペリーと同じことをするのだろう。力で
脅さねばならない。これを単なる遣韓論といえるだろうか?
征韓論は韓国を征伐する論という意味だろうが、
これは違うような気がするね。曖昧な概念を使っても
意味がない。韓国を当時、開国させねば、西洋人にいずれ
制圧されることになる。持ちこたえられない。このことは
日本にはよくわかっていた。明治維新の輸出を考えていた
ということで維新韓国=維韓論とでもいったほうがいいだろう。韓国と連携して
共に歩もうということだろう。西郷の意図はそうだろうな。
征韓論までの経緯は「翔ぶが如く」に詳しいね。
余談だが寝る前に田原坂決戦の項を読んだら歯が抜ける夢をみた。
>51
お前さんの母校も中央か?
まあ確かに大久保利通公の扱いは不遇だと思う。
そのライオンズ公園って木々が鬱蒼と生い茂った暗くて狭いとこだろ?
あそこで写真撮ってる観光客なんて見た事無いからな。
大久保利通の人気度における敗因?を自分なりに考察してみた。
@薩摩隼人な県民気質に符合したのが人情派で肝が据わった“ぼっけもん”西郷隆盛、外れてしまったのがクールで官僚肌な大久保利通だった。
A活躍した時期。
西郷は新撰組、尊皇攘夷派坂本龍馬らが名を馳せた幕末の動乱期から活躍していた。薩摩藩との交渉事は西郷が取り仕切っている描写が多かった。
大久保が手腕を振るったのは新政府樹立後。動乱期に比べると地味に見られがち。印象としてはポスト小泉レースにおける谷垣か?
B大久保は西郷の弟分という印象が根強い。それ由に征韓論に於ける政変では『兄貴分を辞任に追い込んだ裏切り者』と思われる事も少なくない。
細かく挙げればきりがないが、直接の敗因はこんなところか?
まあまあ。大久保としみちも有名人だよ。
余所の県には銅像の扱いの差なんて判らないから、どっちも同じような英雄って印象があるだけ。
80 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2006/06/29(木) 04:49:27 ID:G0hcO4NK
伊藤祐一郎知事
鹿児島県出水市出身
ラ・サール高校卒業後、東京大学法学部から1972(昭和47)年旧自治省入り。
埼玉県企画財政部長、自治省行政課長、地方分権改革推進会議事務局長など歴任
81 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2006/06/29(木) 05:05:13 ID:xXvJRqVp
>>77 歯が抜ける
圧倒的に多くの人がみる夢です。歯が抜けるのは変化の暗示です。歯は夢主の生活基盤や基礎になっている人間関係を象徴します。
主に夢主の生活や健康状態を暗示しているのですが、時に家族や知り合いの病気や不幸を暗示している場合があるので注意してください。(「ゆめの質問箱」・拙著「夢占い」参考)
82 :
真改:2006/06/29(木) 05:14:36 ID:t4HOIJ7e
大久保の過少評価はいわゆる薩摩閥の反感からではないかとウリは思う
勝の本などを読むと政治家としては日本でも10本指に入る人と思う
タメになるスレだのお
やはり2ちゃんは面白い
84 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:
笑韓論
いや、生暖かくw