>>1 ※続き
次は中国の番である。そこには金融システムもなければ、手形の不渡りに対する法的
ペナルティーも存在しない。現金決済が当たり前で、その上借りたものを返すという習慣
もない。したがって不良債権がたまろうとバブルははじけないとも言われる。
要するにまっとうな市場経済ではないので、経済学者たちも予想しかねているのである。
恐ろしいと思うのだが、日本企業はまたも次々と進出している。そして、あの素朴な世界観
が登場し、その中で議論が白熱化していくのだ。
ところが、東アジアの人々の方からみれば、日本人は話し合ってもわからない相手である。
そこで現実とずれることになってまた苦しむ。
こんなことばかり繰り返しているうちに、失望の歳月は積み重なっていった。つまり、自分
の方の見方ばかりどんどん細かくかつ詳しくなっていくのに対して、相手方からの視点が
ほとんど顧慮されてないのだ。したがって、現実的になりようがない。
<<善人と正義派こそ国過つ>>
30年間、東アジアの研究に携わってきた筆者からみれば、中国人も韓国人も北朝鮮人も
日本人が圧倒的に嫌いである。これは否定すべくもない事実で直しようがない。個人的
には日本人が好きでも、同族が集まって見解を述べる際には必ず反日になる。
なぜなら日本人は中華の礼(道義)からもっとも遠いところにいる蛮族なのであり、その
蛮族が自分たちを見下し侵略し、なすすべもなく茫然自失しているうちに、勝手に敗戦
して戦後また繁栄しているから、と見える。
日韓基本条約のときも日中友好条約のときも、そのような日本から援助が欲しかった
だけで、その当時は嫉妬も押し隠して笑顔を向けた。しかしその微笑みが、本物でない
ことはやがて露わになっていったではないか。
そして戦後ずっと、「東アジアの人々は良い人ばかりで話し合えばわかる」といい続けた
のは共産主義者であり、社会主義者であり、進歩的文化人であった。伝統的なことに
かけては、右も左もない。日本では「伝統的な善人」や「国際的な正義派」がいつも国を
過つのである。
東アジアの人々の心を全然知らない人たち、彼らが今、血税を蕩尽し、「東アジア共同体」
という巨大なプロジェクトを動かしている。
ソース:産経新聞(東京版)6月9日12版9面(オピニオン面)
Web上では見ることが出来ないため、記者が確認してテキスト化しました。