【韓国】裸になった高麗太祖王健像…男根の仏教的表現「色欲を遠ざける意味で長さ2センチに縮小」[06/08]
168 :
東夷 ◆43eKv.KwIo :2006/06/14(水) 22:19:31 ID:N0+HyLuQ
>>164 しかしこの像は本当によく判りません。
あやしい意見でも資料でも見てみたいのですよね。
169 :
東夷 ◆43eKv.KwIo :2006/06/14(水) 23:55:34 ID:N0+HyLuQ
どうも高麗朝には銅像が少ないようですね。
高麗の仏像は石像が多く、鉄像がこれに次ぐようです。
中国にも石仏は多いのですが、日本では良質の石材が確保できなかった以上に、
平安以降は木彫が中心となっていた事実とは対象的です
(これには神木を信仰対象とする古代文化の影響という説もあります)。
金銅像は半島でも8世紀頃までは多く作られていたのですが、高麗ではほとんど作られなかったようです。
銅の確保が難しく、あっても鐘に廻していたのが原因なのではないかと推測するところですが、
廃仏の際に鋳直されたものがあったかもしれません。
こう見ると東大寺の大仏が如何に驚くべき企てであったのかを痛感しますね。
170 :
東夷 ◆43eKv.KwIo :2006/06/15(木) 00:00:17 ID:+3ZMV7C3
>>169 訂正:三行目
>日本では良質の石材が確保できなかった以上に、
を
日本では良質の石材が確保できなかったこともあり、
へ。
171 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2006/06/15(木) 00:36:28 ID:3jWCDp25
まさに裸の王様
172 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2006/06/15(木) 00:46:51 ID:iPFxBSsV
男根と色欲を結び付けてる時点で卑猥
173 :
東夷 ◆43eKv.KwIo :2006/06/15(木) 21:32:14 ID:+3ZMV7C3
174 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2006/06/15(木) 21:36:45 ID:ZyU59iqP
仏教って男根否定してないよな?
何か違和感ある。
175 :
東夷 ◆43eKv.KwIo :2006/06/15(木) 22:37:57 ID:+3ZMV7C3
今日すこし調べたのですが、高麗の俗人を描いた絵画資料は皆無に近いのですよね。
もしや高麗王の衣の資料が無かったために裸になったのでは…
う〜ん、いやまさか…
176 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2006/06/15(木) 23:22:56 ID:TwFIytMS
>>175 前レスにありましたが、エジプトの王の坐像がモデルだという指摘は、正鵠を
得ているかもしれませんね。あのポーズは、どう見ても裸体を基本として作られ
いる感があり、服を着せるには無理があります。
>麗の俗人を描いた絵画資料は皆無に近い
かの国って、過去の史料がほんとに少ないですね。
王朝の交代による過去の否定とかいう話じゃなくて、庶民階級の絵とか文章とか
道具とかが、異様に少ない。
なんか、筆舌に尽くしがたい過酷な生活、もしくは庶民的な教育機関の徹底的な欠如、
さらには圧政が想起されます。
それにしても、でっちあげるのなら、もっと「それっぽいもの」にすればいいのに、
と首を傾げています。
177 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2006/06/15(木) 23:25:40 ID:UKYMulVu
↓ところで俺の(中略)こいつをどう思う?
>>173 有司請ふ、高麗太祖影幀三、行兵幀二、六功臣幀六、鋳造一、請ふらくは太祖陵の側に埋められん
ことを。
上曰く、功臣が幀はこれを一處に埋めよ、是れ上下の分無きなり。各々これを埋めて可なり。
この「鋳造一」がこの王健像と同一のものかどうか、疑問ですね。
179 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2006/06/15(木) 23:37:25 ID:d+BjmWwp
2センチww
180 :
東夷 ◆43eKv.KwIo :2006/06/16(金) 00:03:27 ID:Js3Sv0e4
>>178 訂正:鋳造→鋳像
でした。
真ん中の史料に「文義縣太祖真及鋳像」とあるので、
この文義縣(清州)にあったものとなるわけですが、
韓国の学者は奉恩寺(ソウル)の塑像が鋳像に変えられて、
これが埋められたのだと説明しているのですよね。
あの国の学者は本当に漢文が読めなかったのかorz
しかしこの像の造形は疑問点で一杯です。
まとめると
・943年に死んだ王建の像とするには、顔の表現が古めかしい(百済か新羅の像に近い)。
・死者が胸の前で手を組む図様は東アジアでは見かけない(エジプトですよね)。
・膝の間隔が狭い(古代アジアの坐像は絵画・彫刻共にもっと膝を広げて座る、やはりエジプトに近い像がある)。
・衣服を着せていたというが、手を組んでいるので袖が通せない(もしや高麗王の着る衣の資料が無かったためか)。
・なにより王建の像ならば24梁の通天冠をかぶせないだろう(北の学者が考証を間違えたとか)。
>>176氏も言及していますが、捏造だと見る方がしっくりきますね。
181 :
オレオレ!オレだよ、名無しだよ!!:2006/06/16(金) 00:14:13 ID:hLYX6uou
なんでこのスレ、9センチカキコで埋まってないん?
やっぱり乳首を長さ2センチに縮小した女神像じゃないのが悪かったか。
182 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2006/06/16(金) 00:27:48 ID:Av987p2m
実物大
184 :
東夷 ◆43eKv.KwIo :2006/06/16(金) 00:44:08 ID:Js3Sv0e4
185 :
東夷 ◆43eKv.KwIo :2006/06/16(金) 00:47:43 ID:Js3Sv0e4
>>184 あれ、間違えて薬師寺でも東院堂の聖観音像を貼りましたか?
(まあどちらでも良いのですけど)
186 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2006/06/16(金) 00:50:47 ID:TcHwr9Ih
>>184 これ以上は無いってなくらいの自画自賛だな。
1/1スケールちんこ
188 :
東夷 ◆43eKv.KwIo :2006/06/16(金) 00:54:27 ID:Js3Sv0e4
189 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2006/06/16(金) 00:58:10 ID:CLjs08vF
実際その位なんだろうな
190 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2006/06/16(金) 01:19:30 ID:Py9xIwfY
なぜ裸かって?
服を着せたら時代考証がめちゃくちゃなのバレちゃうじゃんw
191 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2006/06/16(金) 01:21:37 ID:rcJhbkUa
ムーに投稿
192 :
東夷 ◆43eKv.KwIo :2006/06/16(金) 01:24:31 ID:Js3Sv0e4
>>191 北の文化財の写真を日本の書籍に掲載するには、
将軍様に許可を取る必要があるのかなあ?
193 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2006/06/16(金) 01:24:39 ID:YOJLXWAv
>1其れでも良いじゃあナイか、ソンナコトを気にするなんて…
194 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2006/06/16(金) 01:26:32 ID:wwHjMlms
おいおい
これちゃんと証拠としてのこさないと、
知らない間に20cmに捏造されてしまうw
195 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2006/06/16(金) 01:30:00 ID:jldzCadr
>>188 半島仏は、どう見ても唐仏の劣化コピーですね。ちゃちくて下手。
日本の仏像は精緻なだけではなく、深い精神性が感じられるけど。
かの国の人は、何でも日本に教えたと言い張ってるけど、どうも違うのが見て取れます。
あの稚拙な技術では、奈良の大仏に収斂されていく日本の技術教師として成り立たないですよ。
飛鳥、奈良時代の日本のテクノロジーを、文化の進んだ半島から来た帰化人の貢献として説く、
日本の歴史教育はダウトですね。
>>188>>195 関係ないけど、以前にNHKで放送されていた新日曜美術館の
百済観音堂落慶の特集では、仏像の木材は朝鮮では使われていない
楠木で作られているとか、当時に録画したVTRが今もあるので
間違い無いですね。
197 :
東夷 ◆43eKv.KwIo :2006/06/16(金) 01:40:09 ID:Js3Sv0e4
>>195 飛鳥文化に百済の影響が強いのは認める必用はあると思うのですけどね(個人的には百済は半島の中でも別物と見ています)、
まあ奈良はもう唐文化を受けて、一部ながらもそれを消化していますよね。
それにしても薬師寺金銅の薬師三尊は美しいなあ。
198 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2006/06/16(金) 01:44:37 ID:/RpPUdhL
>>195 遣唐使、字の通りの意味。朝鮮に行った訳ではないですね。
四国新聞では古来の文物の紹介は「朝鮮半島から伝わった○○」と必ず書く。
朝鮮人社員がいるからか。
DNA的には日本人はツングースやモンゴルに近く
現朝鮮人には近くないとか。
消えちまった百済あたりは近い種族だったのかもしれない、と想像してる。
200 :
東夷 ◆43eKv.KwIo :2006/06/16(金) 01:49:59 ID:Js3Sv0e4
>>196 中国や半島では、基本的に大型の仏像は石で作るのですよね。
しかし日本では良質の石材が無かったためか、木材でこれを代用したわけですよ。
あと中国だと壇像と言って、紫壇や白檀といった香木を彫った、精緻な小型の仏像があったのですけど、
日本の奈良末や平安初期の木像はこれを大型化させたようなものがありますね。
ついでに補足すると、一応高麗でも木像は皆無というわけではないですね、
とりあえず京畿道の鳳林寺の阿弥陀如来像(1362年以前)が挙げられます。
>>200 龍門石窟はその良い例ですね、確かあれは岩山に
直接削っている磨崖仏と聞き及んでいますけど・・
朝鮮では仏教が事有る度に排斥されている事からも
木材の仏像は早い段階で破壊・焼失したのかも。
日本の場合は時代が下るにつれて、更に大きく
そして造型とか描写が精密になっていますからね。
最も制作された当初から美しさ等は、既に洗練されていたのは
今更言うまでも無い事ですけど。
202 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2006/06/16(金) 10:20:42 ID:1NMnKvq6
人差し指と親指で2cmを作ってみた
…なくてもいいんじゃない?ww
>>180 句読は「文義縣太祖真及鋳像、功臣影子」ですか。
史料ではこの鋳像は文義縣から「各陵之傍」に埋められた、とあり、
これと奉恩寺太祖塑像とは全くの別物ですね。
さて
>>1の解説に金メッキの跡とありますが、鎏金仏なのでしょうか?
204 :
東夷 ◆43eKv.KwIo :2006/06/16(金) 20:21:22 ID:Js3Sv0e4
>>203 頭部に金メッキとありますが、問題は冠の部分だけか、肉身にも及んだのかですね。
仏像が金鍍金を施されるのは身体から放つ光を表現するためであり、俗人の表現にはありえないですよね。
で今日
>>147の方とは別の仏教美術の大物を捉まえておうかがいしたら、
こちらはとても同時期の高麗とは見えない、というか西洋的すぎるとのご意見でした。
205 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2006/06/16(金) 20:29:21 ID:DwhLhfW6
粗チン晒すぐらいなら無しでいいじゃんw
無いの別に珍しくもないし。
206 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2006/06/16(金) 20:34:46 ID:DwhLhfW6
あ、ホントは実寸大のところを
後付けで自主規制と捏造したのかw
207 :
東夷 ◆43eKv.KwIo :2006/06/16(金) 20:45:00 ID:Js3Sv0e4
高麗か。歴代王妃はモンゴル人で、最後のほうの国王は、ほぼモンゴル人だったね。
209 :
東夷 ◆43eKv.KwIo :2006/06/16(金) 21:10:17 ID:Js3Sv0e4
しかしこの一年で見ても面白くも無い半島美術を随分勉強するはめになったのですが、
本当に何も無いんですね(百済が例外で、石窟庵と梵鐘が及第点くらいですかね)。
美術好きとしては、インドネシアやカンボジアの方がずっと見応えがありますね。
まあこれは主観的な意見にすぎないわけですが、
半島人が本当に自国の美術を
>>184のような目で見ているのかどうかが気になるところです(友人の韓国人にはとても聴けない)。
>>209 東博の新羅仏、見ました。美文が痛いです。
稚拙美は感じますが。
212 :
東夷 ◆43eKv.KwIo :2006/06/16(金) 21:50:02 ID:Js3Sv0e4
>>210 黄金像で実在の人物を作る、実に斜め上の発想ですね(誰も疑問を抱かなかったのか)。
213 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2006/06/16(金) 21:53:51 ID:jldzCadr
>>210 >体にも鍍金が施されていたことを暗示
中国さまのお叱りがなければ、あの巨大な金日成の銅像にもキンキラの全身鍍金を
施していたような人たちですからね。
仏ではない「俗人」の王の像に鍍金がしてあっても、べつに気にしないのでしょう。
ただ、その現代朝鮮の感覚が、古代にも通用すると勘違いしているところが痛い。
>>212 >黄金像で実在の人物を作る
鮮卑族の王を模したとされる雲岡曇曜五窟も石仏ですしねw
215 :
東夷 ◆43eKv.KwIo :2006/06/16(金) 22:05:18 ID:Js3Sv0e4
216 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2006/06/17(土) 00:00:58 ID:iY7Wlevs
なんか東亜ニューの割にやけにためになるスレだ
217 :
東夷 ◆43eKv.KwIo :
○まとめ
>>173の史料で確認したように、
高麗時代に王建(以下歴代の高麗王)の肖像彫刻と絵画が制作され、
それが李朝になって王墓の周囲に埋められたのは歴史的事実でしょう。
しかし同様にこれらの史料から、
この像が韓国の学者が主張するような『高麗史』に登場する奉恩寺の王建塑像である可能性は否定されました。
そしてこの像には以下の疑問点を指摘できます。
・943年に死んだ王建の像とするには、顔の表現が古めかしい(百済か新羅の像に近い)。
・死者が胸の前で手を組む図様は東アジアでは見かけない(エジプトですよね)。
・膝の間隔が狭い(古代アジアの坐像は絵画・彫刻共にもっと膝を広げて座る、やはりエジプトに近い像がある)。
・衣服を着せていたというが、手を組んでいるので袖が通せない(もしや高麗王の着る衣の資料が無かったためか)。
・なにより王建の像ならば24梁の通天冠をかぶせないだろう(北の学者が考証を間違えたとか)。
本来ならば同時代の肖像彫刻・肖像画から図像を検証し、
同時代の金銅像と銅の質を比較するべきなのですが、
残念ながら比較材料が存在しないために検証できません。
あとはこの像の鋳造技術を確認して、同時代の高麗作品と比較してもらいたいところですが、
まあ韓国の学者はやって下さらないでしょうね。