【拉致問題】拉致家族、訪米訪韓の報告集会[05/18]

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11黄 色 い リ ボ ン
>1スレ立て乙! 行って来たので報告します。

横田 滋さん
韓国に行って金英男さんの家族にあってきました。
北朝鮮の人間でなくて良かった再会できる事を祈っていますと伝え、お土産を渡しました。
あちらも私達に茶器セットをお土産にくらました。
「普段これを使ってください。そして使う度に私たちのことを思い出してください」
とのことでした。
ハンナラ党の政治家にも会いました。
日本では何故今のように世論が盛り上がり世論が動いたのか聞きたいとのことでした。
いずれまた行くことになると思います。
韓国では過熱とも思える報道だった。これが一過性で終わらなければいいと思っている。
韓国拉致被害者家族のチェ・ウヨンさんからも今朝電話があり、
「韓国に来てくれたお蔭で海外のメディアからも取材の申し込みがあり、
 予約でスケジュールがいっぱいだ」と話していました。
12黄 色 い リ ボ ン:2006/05/19(金) 13:41:20 ID:VtgBjY1+
救う会 西田さん
今の韓国は河野外相が米支援をした時の日本と似ている。家族だけが苦しんで、
抗議行動はしていたが、集会が出来ないので支える人たちが集まらない。
これが去年の後半から変わり始めた。一部の若者達が動きだした。
チェさんが板門店で黄色いハンカチを掛けたのが報道されたのが国民の胸を打ち、
キリスト教会やハンナラ党も黄色いリボン運動に参加し始めた。
アメリカで行われたアメリカと韓国のNGOの集会でも
集会のシンボルカラーを黄色にしていた。
韓国の若者達は3,4年前は全く知らなかったという。
今の韓国はかつての日本のように北を刺激しないで取り持とうとしている。
去年の3月ごろ、中朝国境の金剛山で北と南が離散家族の再会を行ったが、
その中に拉致被害者がいた。韓国のマスコミが拉致と言う言葉を使い出すと、
北の関係者が韓国のマスコミの電源を切ってしまい、
韓国のマスコミは全員引き上げたということがある。
ハンナラ党の朴代表も、真相究明をする、今までの無策を許さないとは言うが、
制裁とは言わなかった。我々の方からは日本の議員と交流してくださいと言って来ました。
今回の民団と総連の、私に言わせれば「野合」も韓国の指導で北を孤立させないように動いたということ。
今度保守派のジャーナリスト趙甲済(チョー・カプチェ)さんも日本に来てもらうので
話したが、趙さんは「何人かと引き換えに北に大規模援助をするのではないか?
それを封ずるために今から考えよう」と言っていた。
朝鮮戦争で韓国人は8万9千人拉致されているが全く知られていない。
野党の党首にも私が説明したくらいです。
かつて韓国政府は名簿を作り返還を要求したが、北は応じなかった。
その後北は日本人を拉致し、やがて世界中の人を拉致した。
どこかで止めないと必ずまた罪を犯すだろう。
13黄 色 い リ ボ ン:2006/05/19(金) 13:43:46 ID:VtgBjY1+
横田早紀江さん
アメリカに行ってまず国防総省を訪問した時、
イングランド副長官が一緒に写真を撮ってくれました。
めぐみが寂しそうにしているあの写真をもって撮りました。
翌朝、公聴会の前に私達被害者の家族一人ひとりに、それぞれ違うメッセージを
書き込んで渡してくれました。
(そう言って実物を見せてくれました。プリントアウトされたデジカメ写真
A3位のサイズでパウチされたもの。欄外に直筆のメッセージが書いてありました。)
この細かい配慮に私達は本当に感激し、公聴会を前にしてほっとしました。
公聴会で私の次官は10分、通訳を入れて5分になるので、
前の晩は通訳のスーザンさんも何度も見直してくださって、何度も練習しました。
公聴会当日は私の隣にスーザンさんが来てくれると思っていたのですが、
私が一番端で、隣が韓国の方、そして島田さん、反対側がスーザンさんになってしまい、
不安になりましたが無事終えられました。
議員の方にもブルーバッジを着けていただけるよう事前にお願いしました。
ブッシュ大統領にも私がつけて差し上げますといったら
「これは自分でつけるのが一番いいから。別にあなたに刺されると思っているわけじゃ
 ありませんよ」と冗談を仰ってました。
とても明るい方で、ドーランでお化粧しているのかと思うほど血色が良かった。
私に「緊張しないでください」と気を使ってくれましたし、ハンミちゃんを抱き上げて
「良かったね」とも言ってくれました。
韓国のキムヨンナムさんの家族からも長い手紙が来ました。
「私達は共に家族と再会できたらどんなにいいでしょうね?」と「?」をつけていました。
「こちらでは誰も私達の話を聞いてくれない」ともありました。
北朝鮮はキムヨンナムさんに命令して「めぐみは死んだ」と言わせるだろうと思います。
援助すればまた軍備にお金を使うから、みんなで踏ん張ってメッセージを送っていくしかない。
今回は素晴らしい方とお会いできました。
これからもみんなの努力を結集していきたいと思います。
14黄 色 い リ ボ ン:2006/05/19(金) 13:47:21 ID:VtgBjY1+
被害者家族 飯塚さん
今回は議連の古屋事務局長、民主党の渡辺議員も同行しました。
アメリカに行くとほっとする。人権と言うことになると何処でも話を聞いてもらえる。
わが国と比べて色々なことを思いました。アメリカに行くたびに高官が出てくるが、
今回は最高の人が出てきた。これは安倍官房長官含め、各方面のお願いがあってのこと。
特にシーファー大使ですね。大統領とは「おい、お前」の仲のようなので、
言ってくれたんだと思っています。
大統領に会えるということを、ペンタゴンでイングランドさんが教えてくれた時、
みんな驚き、悲鳴を上げたが、イングランドさんが
「ちょっと待ってくれ、まだ決まったわけじゃない」と言っていたが、自信はありそうだった。
今回のことを引き継ぎ、具体的な動きが無いといけない。
在米日本企業商工会と言うところのも言って話しましたが100人くらい来ていた。
「何か役に立つことをやりたい」と言ってもらえた。
アメリカ議会前ではスザンナ・ショルティさんのNGOと私と島田さんで集会をやりました。
韓国系の人が多かった。通訳の山本君と言う人が私の言ったことを
感情的にプラスアルファして英語で訴えてくれていた。
早紀江さんについた通訳のスーザンさんも、非常にきれいな英語で、感情をこめていた。
韓国の人は時間も守らずだらだら喋る、通訳もただ通訳するだけでした。
斉木全権公使ともお会いして、自宅で朝食に招かれた。
納豆と味噌汁とご飯を出してくれた。公邸は広くて緑も多い。
斉木さんは「広くて一人では怖い」と言っていました。そして
「日本にいるとき以上にこの問題を忘れずに頑張りたい。
出来ることがあったら何でもいってくれ」と言ってくれたので心強かった。
15<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2006/05/19(金) 14:00:58 ID:r8AjHcuA
>>11
乙です!!
16<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2006/05/19(金) 14:16:23 ID:KB4o1Ctg
報告あげ♪ヘ(^−^ヘ)(/^−^)/あげ♪
17黄 色 い リ ボ ン:2006/05/19(金) 15:21:29 ID:VtgBjY1+
横田拓也さん
アメリカではマスコミの取材も多く、議員も大勢来てくれた。
ペンタゴンとNSCに行ったのですが、ペンタゴンに入る時、
セキュリティは今とても厳しくしていると思いますが、
ローレンスさんが一緒にチェック無しで入らせてくれました。
ローレンスさん、ヒルさんまでしか会えない予定でしたが、イングランド副長官まで会えました。
イングランド副長官はとても柔和な方で、母が言うには父に似ているとか。
私も国防総省なのでもっと固い人ばっかりかなと思っていましたので、
この人本当に国防副長官かな、と思うくらい柔らかい感じの方でした。
大統領に会うときは、ワイルダーさん、その下のビクター・チャーさんまでの予定が
レフコウィッツさんも一緒に会ってくれました。
「今アメリカは北の核を重視し、6者協議をしているが、人権問題はそれとは別。
 6者協議の流れに関係なく人権問題で北を追求する」と言ってくれました。
私は母と一週間向こうで一緒でしたが、母は前日からずっと緊張しっぱなしで、
「公聴会どうしよう、どうしよう」と部屋の中をうろうろしていました。
しかしこの中では一番本番に強いので、皆さん見ての通りよく出来たと思います。
18黄 色 い リ ボ ン:2006/05/19(金) 15:23:45 ID:VtgBjY1+
  拓也さん つづき
大統領と会えることに関しては、ついてきた記者団からも「会えるんでしょ」と
聞かれましたが直前まで分からないと答えていました。
前日に大使館から「決まりました」と電話をいただいたのですが、
公聴会の終わった母にまた第2の緊張がやってきて
「どうしよう、どうしよう」と部屋をうろうろしていました。
私も日本人としては母と私だけ、と言う形で会わせて頂きましたが、
緊張はしませんでした。
他のこの場に来られない方の気持ちをも代表している、と言う自負心があったからです。
実は私達と会う前に、ブッシュ大統領はアゼルバイジャンの大統領と会っていました。
エネルギー省長官も出入りしているところを「もう少し待ってくださいね」と
言われて、待っていた後だったので、母が大統領にまず
「お忙しいところありがとうございます」といったところ、あの言葉ですよ。
「私は人権問題を後回しにするほど忙しくありません」と言って下さいました。
私にとってこの数年最も人間的な気持ちを感じた瞬間でした。
誰が悪いわけでもないんですが、昔のビラを受け取ってもらえなかった無関心な頃と比べて、
大統領と握手している時瞬間との違いに感激しました。
シーファー大使や安倍長官の 本っ当 に 心強い助けがあったおかげです。

    ※ 報告者注 力強く「本っ当に」と言っていました。
19黄 色 い リ ボ ン:2006/05/19(金) 15:26:33 ID:VtgBjY1+
      拓也さん つづき
26日、日本大使館の加藤大使の夕食、その前のレセプションの招かれたのですが、
色々な偉い人や見たことのある人が来ていることに気づきました。
マクラレンさん、ハドレーさん、クラウチさん、レフコウィッツさん、ヒル代表、
副大統領スタッフのラビーチさんなど大勢です。
驚いて、ヒル代表とも少しお話をしたのですが、
例のキムゲガン(北の外務次官)が東京に来た時の事を聞いたのですが、
「あいつは私と写真を撮ることだけに関心があっただけなのは分かっていた。
 私はそれは嫌だから会うのを断った」ということでした。
このようなアメリカの姿勢は非常に心強いと思います。

今回母には頑張ってもらいましたが、実は母は肩が少し痛むんです。
母は弱音をはかない人間なのですが、
アメリカのホテルで、寝返りを打つ時に寝言で「痛い、痛い」と言っていました。
それを見て私は「どうしてこんなところまで母を連れてきて・・・」
と思っていました。
今回のことも、浮かれてばかりもいられません。
一人の拉致被害者が帰ってきたわけでもありませんから。
そして具体的な動きが必要です。
これからも皆さんの継続したご支援をお願いします。
20黄 色 い リ ボ ン:2006/05/19(金) 15:36:34 ID:VtgBjY1+
申し訳ない、>12の西田さんは救う会の

 西岡 力 さん

の間違いでした。続きは夜書きます。録音していないので転記ミスはすべて私の責任です。

こちらで後日正確なテキスト化されたものが読めるでしょうけど、
http://piron326.seesaa.net/
一週間以上先でしょう。