【中韓】 韓中ホットライン設置・軍事協力について協議 [04/18]

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145<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2006/04/18(火) 23:17:34 ID:xRUuHSRx
百済の建国
扶余の東明王の後裔である扶余王 尉仇台が
高句麗に国を滅ぼされ、百の家族を伴って済海し(海を渡り)
帯方郡の地に国を建てた。それが「百済(伯済)」の語源と
なった。元の国は高句麗内に有ったというが、かつての
扶余のことだろう。後漢 の遼東太守であり、帯方郡 を設置した
公孫度 (?〜205)が娘を仇台に嫁がせ、東夷の強国となった
と書かれている。晋時(280年−316年)高句麗が遼東を占領し
百済もまた遼西、晋平の二郡を治めたという。
しかし当時高句麗は遼東・玄菟を侵攻するばかりで
服属させてはいない。 百済も馬韓を平定していない。
晋より以後、馬韓の地を併合し、国を立てた。(346年)
百済建国については諸説があり、三国史記 によれば 前18年
高句麗 の王族が現在のソウル特別市 付近に建国したとする。
百済は支配層と民衆の言語が違うとも記している。
百済王族は扶余姓を名乗り、後に中国
            白村江 劉仁軌 蘇定方 唐 新羅
白村江の戦いの翌年、
 664年(天智三年)二月。唐の高宗の命により、
新羅文武王と百済の扶余隆は、熊津(ゆうしん)において
白馬を伴って会盟を行ない、両国の平和を誓った。劉仁願が
これに立ち会った。この時の劉の肩書きは、熊津都督であった。
百済は滅亡したが、唐はかつての百済王族である彼を起用し、
百済旧領の支配の安定化を図ったわけである。これにより
唐は、高句麗に対しての攻撃を集中する事が出来るようになった。
 665年10月。
高句麗で泉蓋蘇文(せんがいそぶん)が死去した。
蓋蘇文に集中していた絶大な権力の継承をめぐり、
その息子達、男生と男建・男産らが争い始めた。
その隙につけ入って唐・新羅両軍が侵攻を開始した。
 668年9月。
遂に高句麗が滅んだのは、白村江の戦いから5年後のことであった。
146<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2006/04/18(火) 23:17:47 ID:+UoyM32Q
これはいいニュースだな。
ゴミが固まってくれると助かる。
147<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2006/04/18(火) 23:18:49 ID:xRUuHSRx
『三国史記』(1145年)の編集者金富軾は
国内及び中国の中国の歴史書を多く参考にして『三国史記』を作ったが
その際、故意に朝鮮の古代王朝成立の時期を遡らせる工作をしたことは
歴史学者の間では常識となっている。簡単に説明すると
韓国最古の歴史書『三国史記』「百済本紀」に天文観測の記述が有って
それを良く良く調べると中国の「晋書天文志」の内容を
王朝名と年号だけ変えてパクってんの・・・これ以外も多数。しかも その元ネタ
自体が間違ってたらしく せっかく作った唯一の正史書『三国史記』が偽書扱い・・・
昔からやってる事が変わらんネ

【百済の建国 (三国史記より)】
高句麗の始祖である朱蒙(しゅもう)には3人の子があり、
長男の類利(るいり)が高句麗を継いだ。後継者争いで身の危険を感じた
弟の温祚(おんそ)は、高句麗から逃げ出し、自分の国を建てるために
南方へ向かった。10人の臣下と大勢の百姓がこれに伴った。
10人の臣下にちなんで、当初は国の名を「十済」とした。しかし、
百姓たちが自分にしたがったことを喜び、百姓たちにちなんで国号を「百済」に改めた。

【呉の建国 (史記より)】
『史記』によると、呉を建国した太伯(たいはく)は、周の古公亶父(たんぽ)の長男であったが、
後継者問題で身の危険を感じ、南方の江南の地にのがれて文身(いれずみ)・断髪し、
後継者となる意志のないことを表明して句呉と称したという。こうした事情を知って
この地の人々、千余家が彼にしたがった。太伯は彼らを臣民として呉を建国した。
12世紀に成立した三国史記の『百済建国神話』が、史記のパクリであることは間違いない。
148<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2006/04/18(火) 23:19:08 ID:HBF30nnk
「朝鮮は、宗主国を探して右往左往している」(伊藤博文)
149<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2006/04/18(火) 23:20:44 ID:xRUuHSRx
満州と言っても人種民族の混成で。朝鮮系でないと思う。

靺鞨ってのは
 邑婁:ツングース系狩猟民 高句麗よりずっと北の方
 次第に南下して、大小いくつもの部族にわかれて
 高句麗の北に隣接する部族もあり
 高句麗国内に住む部族もあり。
「勿吉」と名乗り「勿吉」が訛って「靺鞨」

高句麗末期には高句麗の中心が本来の
 満州山岳地帯からはるか南の
 平野部の平壌に移ってから久しく、農耕民に

高句麗の末期に高句麗の北側: 強大な靺鞨七部族
 遠方の三部族
  邑婁:ツングース狩猟民
  夫余:昔の夫余の遺民による部族
  古高句麗:初期の生活様式のまま取り残された古いタイプの高句麗人の部族
 四部族
  白山部:夫余系種族「いにしえの沃沮の子孫」「いにしえの沃沮の地」
  ツングース族(ギリヤーク[オロチョン・ニブヒ・ナナイなど])
  夫余系遺民(高句麗系?→百済系?百家済海[百姓が海を渡ってきた])らしきもの
  粟末部(西南にあった粟末靺鞨,別名を渤海靺鞨)
    乞乞仲象「次男坊で名前が象」で乞乞の姓は漢民族ではない
    乞乞仲象は唐の命令により南満州に移住したが後に反乱を起こして故郷に。
    二代目が大祚栄(ダイ・ソエイ)渤海郡王に叙されて「渤海国」に
  黒水部(遠方の黒水靺鞨・黒龍江):女真族(後の女直族を改め満州族に)
150<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2006/04/18(火) 23:21:41 ID:tt1Lb3WL
ハイハイ、事大、事大w
対日戦準備、対日戦準備w
朝鮮のお家芸、伝統芸ですねw
151<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2006/04/18(火) 23:24:01 ID:v6IJi1D/
さすがバランサーやることが違う
152<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2006/04/18(火) 23:24:48 ID:xRUuHSRx
■王仁博士は百済人ではなくて、漢人である
続日本紀(桓武天皇)に漢の高帝の子孫と記されている。
現ソウル・平壌を含む半島の中央部はB.C.108〜A.D.313まで
400年間も漢人の植民地だったのだ。(楽浪郡・帯方郡)そして
支配階級姓氏の主流が王氏と韓氏。この植民地が高句麗に滅ぼされて
漢人たちが南下して百済・新羅に漢流文化を授けたのである。
百済は近肖古王の時まで漢文を体系的にはもってなかった。
近肖古王の時に「高興」という中国人がきて
はじめて百済には「書き記すということ」が始ったという。これは
三国史記に書いてある。「王仁」が百済から派遣されてきたのも
この近肖古王の時。ということは、高興博士と王仁博士は同じ
楽浪系の中国人で百済にきたばかりの同僚だった可能性が高いだろう。

百姓
 ひゃくしょう [日本語] 農家
 ひゃくせい [十八史略] 百の苗字・多くの人々・全国の人間・全人民
百家済海(百の家をつれ済海し(海を渡って・渤海を通過し)てきた→百済)
 ↓  斉−[シ度]=渡
百姓渡斉(全人民を連れて、斉という土地から渡って来た)
百姓済度(全人民を救済する、度をなす[説法をする]・縁無き衆生は度し[=救い]難し)

師古、曰
 唐代の歴史家の人名『唐 顔師古』
  間違い: 師、古曰(先生が言う、今は無き説では)
  間違い: 師古、曰(昔の先生が言うには)
153<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2006/04/18(火) 23:25:24 ID:EHar+8aa
>>109
> 最新鋭の兵器を改造しまくれる技術があるのは日本だけ!

魔改造でつねw
154<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2006/04/18(火) 23:26:03 ID:xRUuHSRx
『樺太』は奈良時代『天平宝字6年(642年)』陸前
多賀村の『多賀城碑』に わが国の北端は
「去〔黒水部〕靺鞨国界三千里」と記され
これを現在の里程にあてはめると『430里』となり
少なくとも『北樺太の一部』までは その領土と
みなしていたようだ。

海外の記録では『山海経』に
「日本の北部は『黒龍江口』に起る」とあり 中華世界でも
樺太が古くから日本領であったことが確認できる。

しかし『640年』唐の時代
樺太先住民(苦夷・黒水部)は唐に入貢 次第に属領視され
その後長い間どこの国家に属する島か よくわからない状態
が続いた。文献の類ではなく
『物的』な日本人(アイヌ除く・倭人)が居住していた
証としては『南北朝時代の具足』が出土している。
しかし 交易品として北方で取引されていたため
これをもって 居住していたとはいえないが 少なくとも
樺太における交易活動が行なわれていたと考えることができる。
155<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2006/04/18(火) 23:28:19 ID:y8mEjTO/
「いまはいてるパンツ何色ニカ?」
「…これホットラインアルヨ」
「アイゴー!間違ったニダ!」


こうして、歴史上もっともバカバカしい理由で戦争が始まった
156<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2006/04/18(火) 23:29:30 ID:xRUuHSRx
アイヌ人はモンゴル(正確にはギリヤークだろうけど)には
「クイ」と呼ばれ、ロシアには「クリル」と呼ばれた。
「蝦夷」を日本人は「えみし」や「えびす」と読むが それは
「毛人」から転じたもので「蝦夷」を「カゥイ」と読んだなら…と
>カゥイ=カムイ?・クイ?・苦夷?・庫葉?島
また、中国の文献には
蝦夷の風俗習慣と
クイの風俗習慣が ほとんど同じように描かれているのが興味
深い。そんな広範囲な交流は当時 考えられないと言う学者も
いるが 多賀城碑には、きちんと黒水靺鞨までの距離が
書かれているではないか。当時、靺鞨(ギリヤーク)は
オホーツク沿岸から奥尻島・留萌・天売島まで進出していて
(オホーツク文化)アイヌ人との衝突もかなりあったらしい。
 ウィルタ(オロッコ)は かつて オロッコと呼ばれ
樺太中部に住んでいて 低身長 極端に平坦な顔で かつて
黒竜江下流にいました。人数が少なく
北のニブヒ(ギリヤーク・ニブフとも呼ぶ)と
南のクウィ(樺太アイヌ → クリール[露語]=千島)の 緩衝となっていました。
どちらにも隷属した過去があります。サハリャン(黒龍江)の峰が、サハリンの語源。
『元史』には
骨嵬(グウェイ、当時 樺太アイヌは
クイと自称していたので樺太アイヌと思われる)が
吉里迷(ギリミ、ギルヤーク=ニヴヒ=ニブフ)と争って
元軍が介入した、という話が出ているんだよ。ちなみに
『金史』には
吉里迷は出てくるけど
骨嵬についての記述はない。
157<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2006/04/18(火) 23:33:44 ID:2v1s4DS0
さすがに千年属国の呪縛からは逃れられないか・・・
158<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2006/04/18(火) 23:39:28 ID:OKMEIv+V
日本が近代化してあげたおかげでここまで来れたが、シナが経済大国になった今
バ韓国は元いた場所(属国)に戻るのが自然なのかもね。
159<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2006/04/18(火) 23:56:10 ID:UCVSpMoa
ついに特亜暗黒軍団が結成される時が来たのか。
ボスもそれなりに特徴的なのがそろっているし。
人類史上でもまれに見る暗黒軍団との戦いは熾烈を極めるだろう。
奴らは数億のゴブリン兵士を繰り出してくるからな。
それでも人類の未来のためには負けられん。
160<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2006/04/18(火) 23:57:58 ID:1OOYy88S
竹島調査船の拿捕のために中国へ支援要請か
161<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2006/04/18(火) 23:58:10 ID:Xl2vPUcW
>>46
>中朝韓vs日米英印豪か

前々から思っていたんだけど「中朝韓vs日米英印豪」ってやる前から米頼り
になってるのはやばいんジャマイカ。
「中朝韓vs日台」(9条改正・核武装・自衛隊の軍への昇格・軍事費増額など)(この場合尖閣問題を先に解決汁)
もしくは、                   
「中朝韓vs日」 (9条改正・核武装・自衛隊の軍への昇格・軍事費増額など)
これでやっていくべき。
それから、露が向こうに付いたら米に付いて貰う。
162<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2006/04/19(水) 00:00:03 ID:1FLwe1wn
敵対してくれたほうが日本としてはやりやすい。
163<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2006/04/19(水) 00:02:07 ID:C5RXTMtK
>>1
これってアメリカ怒んないの?
164<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2006/04/19(水) 00:04:00 ID:78plKM97
>>1
チョンはアメリカとの同盟関係を破棄する勢いだなwww
165<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2006/04/19(水) 00:05:39 ID:FSYyNgSR
チョンが破棄する前に実質破棄られてるがねw

166<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2006/04/19(水) 00:06:45 ID:IJTgGY+L
>>163
怒るよ
韓国の有事統制権を無視してるから
167<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2006/04/19(水) 00:09:57 ID:OxN9q4af
中国というか北方異民族に従属だね。

前漢武帝 楽浪郡・玄菟郡の郡県を設置
後漢明帝 楽浪郡太守劉茂・帯方郡太守弓遵の討伐を受ける、韓の臣智が滅ぶ
三国志魏 毋丘倹の討伐を受ける、ワイ侯フジが服属する
北朝前秦 符堅(五胡十六国を統一のテイ族)に馬韓・辰韓が朝貢
北朝魏(鮮卑族)の討伐を受ける・高句麗が朝貢
隋(漢化鮮卑族)の高句麗遠征
唐(漢化鮮卑族)の攻撃により百済・高句麗滅亡
渤海族が全羅道−慶尚道以北を支配・渤海と契丹により新羅滅亡
契丹族の侵略・江原道−慶尚道を女真族刀伊が支配
女真族の侵略・金国の藩鎮(高麗藩・斉藩)となる。
蒙古族の侵略・斉国となり
 斉国−大長公主(てチャン グムちゅ)という蒙古姫を王妃として
 ブダシリなど蒙古名で王を名乗る
明の燕王(王弟)が靖康の変で
 南京より北京で皇帝(明の太宗)となり高麗王を冊封
満州族の侵略・三田渡の受降檀で朝鮮国王に冊封・1年に4朝貢し、満州元号使用
 紙幣金銀の禁止を受ける、中国銅銭(鋳造禁止)と唐辛子(製塩禁止)のみとなる。

明(北京)・三国志魏(許昌)・漢(長安・洛陽)の他は
すべて、遼東以北の異民族の侵略支配。
宋は、契丹主や金国を主として従属しており高麗藩を認識していない。
中国人に従属したとはっきり自覚があるのは「明主」と呼ぶ明国だけ。

蒙古・満州(女真・渤海)・遼東(鮮卑・契丹)に対する恐怖感がある。
168<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2006/04/19(水) 00:14:57 ID:WqAkFc55
米韓同盟破棄→中韓同盟でいいんジャマイカ?
169名無しさん@恐縮です:2006/04/19(水) 00:15:19 ID:5wzHehSD
>161
 おまいな・・・アメはな、懐が厳しくとも、主役やりたがるんだよ
 そんぐらい見越してやれよ
 
 ま、3バカ連合樹立でアメの関心が極東に向けば
 台湾には好機到来だな
 それにしても中国様の首相が、アメに「台湾に口出しするな」と
 釘を刺しに行った翌日に、ご破算になる行動とは・・・

 かの国の法則はこうして発動するんだね
170<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2006/04/19(水) 00:20:44 ID:C5RXTMtK
やっぱり支那が一番のご主人様なんだね。
さようなら朝鮮人。
アメも日本も優しすぎたんだな。
171<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2006/04/19(水) 00:20:52 ID:OxN9q4af
高句麗名: 淵蓋蘇文(泉蓋蘇文[せんがい そぶん]・いりかすみ)
渤海名: 扶余隆(ぷよ りゅう)
蒙古名: ブダシリ
日本名: 梨本
など、など。。。
172<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2006/04/19(水) 00:24:50 ID:bruvrgud
>>167
ちなみに高句麗は満洲族系の王朝だぞ
173<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2006/04/19(水) 00:27:17 ID:OxN9q4af
明(王弟の太宗は「燕王」に、こだわる)

三国志魏(曹丕の景福宮[キョンポックン]と同じ名前で、王宮を造営)

漢(長安は節度使安禄山の「大燕」皇帝・
  洛陽は石像などに、こだわる)
174<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2006/04/19(水) 04:00:40 ID:7X3EVKNg
ゴミって一箇所に集めたほうが片付けやすいよね
175<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2006/04/19(水) 09:25:19 ID:3g6dCy+l
安禄山の出身胡族である
奚族の慶州(遼河の西へ折れた上流山間地)にも、こだわるね。
遼河の中流から西に折れる上流域が、契丹族
遼東半島から遼河下流域は、慕容部鮮卑族
高句麗は、白山部マッカツ(白長山から沃阻の山間地の扶余)だろう。たぶん。
満州は、黒水部マッカツ(完顔部女真族・黒龍江の支流域)だよ。
渤海は、粟末部マッカツ(渤海族・沿海州から豆満江下流域)だよ。

マッカツは勿吉で、吉林平原を中心とした周辺の各部族の総称。
176<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2006/04/19(水) 09:32:22 ID:3g6dCy+l
後に唐の後に勃興する、契丹(遼)は
室韋(完顔部女真族)・奚(遼河上流)・東丹(渤海・帯方郡)を従えたという
安禄山は河北の2節度使と河東節度使を兼ねたが、その本来の任務は、
この契丹(遼)と蒙古高原にいた突厥(トルコ)の唐への南侵を防ぐのが役割だった。
177<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2006/04/19(水) 09:33:40 ID:3g6dCy+l
満州皇帝と日本人の朝鮮総督の大韓民国の独立前のアメリカ軍政の白人長官までの名前を
一文字姓の名で後世に創り、ご丁寧にも廟号や帝号に贈名まで創ったとする。
任期と業績だけそっくり真似て(辛亥革命と日韓併合は1年も誤差がないから誤魔化せる)
故大韓胡帝国の皇帝の家系図にし、国名も「大高麗皇国」など造語して創り
「大高麗皇国史」なる歴史書を捏造したらドウ思いますか?しかも
外国に我が国の正史などと売り込み自慢して舞い上がってみる。まじパーの世界ですよ。

新羅の王統図があやしく「弓氏」なる王族の名がない。だが
新羅最後の分国した泰村王が「弓裔」で、朴氏でも・昔氏でも・金氏でもない。
辰韓の頃って、素朴だったから朴氏だよね。
高句麗とか任那って、もう昔の話だよね、そう昔氏だね。
新羅の名が出てくる頃って金城だよね、じゃあ金氏。みたいな感じの
ネーミングと疑いたくなるほどだ。

ちなみに高麗時代に相当する時期の慶尚道(もと新羅)の有力者は
「鄭氏」で巨済島に高麗王を流刑監視。晋州の有力者で全州に鄭氏の官奴を置く。
これほどの広範囲を掌握しているのに、李成桂に負けるし同時期の鄭氏は闇討ちで
殺され一族は衰退する。全州は李成桂の出身地と乗っ取られ説まで出る始末。

高麗など、王建・ブダシリ・辛昌とか、王氏・蒙古名・辛氏などとモー滅茶苦茶。
178<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2006/04/19(水) 09:34:30 ID:3g6dCy+l
どうせ李氏の家系を高麗の女真に攻められた武臣時代まで遡らせているんだから
そのころから李氏朝鮮があった事にして李朝実録つくって歴史地図を作って
広めて置けば良かったんじゃないの。王の姫は代々すべて李夫人で
李氏武臣が王の代わりを務めていたが、辛昌の頃に正式に王様となったとかな。

新羅の後はイキナリ李氏朝鮮が始まる。
ただし鎌倉時代みたいにショッパナだけ将軍を出すが執権が権力者だ。とか
解説してだな足利の鎌倉攻めまで
将軍が天皇がコロコロ変わるけど執権でまとめてるジャン。一時代だから。

だから新羅の後にイキナリ李夫人の活躍とか作っておいてイソンゲから王を名乗り
満州の時に正式に朝鮮国王を頂いて国際認知をしてもらった。とかすればよかったじゃん。
李朝500年だ。いや李朝1000年とか平気で作れた。
李朝900年−1910年。すごいじゃん半万年バッカにピッタシ。歴史捏造OK。
179<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2006/04/19(水) 14:25:41 ID:xdWeF0B5
真言宗の弘法大師空海が当時の唐国の
中国人で一番の師匠の恵果阿者利から伝授され
平安時代を金剛界胎蔵界不二に浄土思想を持ち込み平安とし

戦乱の中に焼香と喫茶と味噌豆腐の
肉食禁忌(乾燥血液やレバー焼きの臭いをささげるのを禁止)を実行させたのは
臨済宗や曹洞宗の禅宗で天台山5寺に留学し
江南人や広東人の黄竜派何世の臨済何世の禅師から伝授された事であり
秀吉の朝鮮出兵の際の通事(翻訳)掛りであり

禅宗の和尚の通事により、江戸幕府での儒教倫理の広宣流布を
家康が幕藩体制の確率過程でなしたと言える。漢籍の多くは出島の広東経由による。
薩摩は琉球からの南蛮密貿易による福建や香港マカオに東南アジアの情報入手。

この伝統や伝承を破壊するのは、中国と戦争をするに等しい敵対態度である。
180<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2006/04/19(水) 14:26:51 ID:xdWeF0B5
>無条件で日本に移住する権利を与えるべきだと考えています。
>(これは、小子化に伴う日本の生産人口縮小を少しでも
> 食い止めることにもなるでしょう。)
韓国女性の流入であって在日男性を自由に韓国に帰国させる
無条件で韓国に移住する権利を与えるべきだと考えています。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
朝鮮人総連合会は極端な女卑の世界だと言います。
在日が日本の文化が流入する李氏朝鮮の世界を知らない限り
朝鮮人総連合会は日本刀や剣道や茶道に線香仏教の文化を
韓国に持ち込む限り「日本人」とみなされるのは当然でしょう。
彼等は血筋にこだわりますが、特に朝鮮人の男性の血筋をこだわりますが
韓国人は日本文化を韓国起源だという、日本文化の持込を激しく嫌って言います。
排斥で日本女性として在日朝鮮人女性をダルマ殺しにし
被害ビデオを売るのはその排斥の残虐な一面です。

創価学会や統一協会にカトリック教会や
日本キリスト教団由来のプロテスタント教会
大韓法華宗と曹渓宗(韓国禅宗)という
””韓国にもともとは無い””宗教を持ち込んだ事に激しい憎しみがあります。

新羅の華厳経・高麗の巫檀(ムーダン)
李氏朝鮮の性理説による礼学(孝経・小学)や譜学(族譜と風水土葬)の儒教
が韓国の独自や起源を主張する根本であり 在日朝鮮人の劣等感を
韓国に持ち込んで日本の文化は韓国が発生源を教獄・邪獄(教案事件・仇教運動・
キリシタン禁制のような排斥絶滅政策)をもって厳しく焚書坑儒します。
181<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2006/04/19(水) 14:28:02 ID:xdWeF0B5
黄河の麦・粟の文化での土器と石造りの靴と土間形式の文化と
江南の水稲作の文化の土器や漆塗り木製の器に床板畳に高床式の生活では
文化圏が違うと思います。

土足生活でも、畳生活でも、机はあります。畳文化は椅子が無いのです。
野外のアウトドアですと
戦国時代の野外の合戦での陣立てのように折りたたみ椅子は存在します。

このように器具や道具に建物に小物一つとっても
必要とする物と。必要でないので伝わらないものがあります。
宦官の制度と試し腹の文化に風水の多くは
楽浪郡や遣唐使以前でも存在したのに日本に伝わらなかったというか
情報は伝わっても、制度や習慣として実施しないし,伝承しないのです。
風水は、藤原不比ト(檀山神社?)と弘法大師(高野山)と
    武田信玄(?)と徳川家康(静岡久能山・日光東照宮)しか
なかったと言います。
星にまつわる話・星座や御伽噺もスバルと北斗に北辰(北極星)ぐらいで
妙見菩薩(北斗妙見・北辰妙見・花園妙見・稲荷の妙見)は
熊本地域の亀蛇船に亀甲萬と
千葉の日蓮宗と平将門にまつわる関東の旧跡と
東北の円仁にまつわる天台宗ぐらいしか伝承されていません。

このようにキリシタンや日蓮宗弾圧で、全国一辺倒の絶滅策が一時期に起ると
かつてあっても消滅したが為に伝わってないようにみえる場合が起るのです。
182<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2006/04/19(水) 14:31:21 ID:xdWeF0B5
>星にまつわる話・星座や御伽噺もスバルと北斗に北辰(北極星)ぐらいで

ほかに太陰(月)と明けの明星(金星・太白星)があるけどね。
183<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2006/04/19(水) 14:50:33 ID:xdWeF0B5
孔子の論語に、斉国の王侯に説いて出兵の話があり
軍隊を動かし戦争をするにも、大義名分というのがあります。

大義名分は、資治通監(編年体の歴史書→紀伝体)を編纂した
科挙試験で役人となった北宋王朝の時期の旧法党の
司馬光(→王安石の保馬法の新法党)が言い出した事であり
批林批孔運動で林彪にかこつけて弾圧とはなったものの
四人組の上海女優の江青のオバチャンが原因であって
老人がよくかかる病気になってしまった晩年の毛沢東主席のせいでは無いと言う事。

当時は、東三省(満州)の女真族の侵略を受け
金国(女真国)と淮河を境に川の数十kmを無人地帯の非武装とした時代で
明王朝時代の水滸伝や抗日運動時の宋王朝の行政単位の路や府に当たる八路軍が有名で
女真族や彼等を先祖に持つ子孫の
満州人の西太后の清王朝に対する「滅満興漢」の辛亥革命に連なる
「民生の革命」思想が、現代漢和関係のの主題であった。
184<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2006/04/19(水) 14:56:46 ID:xdWeF0B5
天誅
185<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2006/04/19(水) 14:57:18 ID:xdWeF0B5
上意(攘夷)
186<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2006/04/19(水) 14:58:59 ID:xdWeF0B5
狼藉者め
187bold eagle ◆EzKokjqH2U :2006/04/19(水) 15:09:41 ID:edPTu7aN

バランサーなどとほざきつつ、その実態は、あっちにフラフラ、こっちにフラフラ。
一回揺れ動くたびに自らの足場を切り崩しているだけだと、どうして気付かないのかねぇ。。。
188<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2006/04/19(水) 15:11:59 ID:pB1Fabo4
高句麗は中国のものw
189<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2006/04/19(水) 16:25:58 ID:s1+G4n8W
百済の庶民は、生活習慣や会話語が 渤海と新羅になって
百済の習慣は絶滅したという。

焼肉や鍋料理はオンドルと豚飼いの女真やジンギスカン鍋の羊飼いの
蒙古の習慣と言う。渤海と女真と蒙古は中国(漢人)と関係ない。
高麗は、ジンギスカン焼肉に仮定だがインドのチャイのようなお茶だろう。
女が女真や蒙古に盗られて見送っていく従軍慰安婦だとか運動起こす
嘆く恨みのハン文化に、ワビ・サビもねーだろう。
韓国の負け惜しみって「オオギ」って言葉で表現するんだよね。

支配者の使う陶器が庶民も使えるように成るには
大量生産が出来て、安物にならないと広まらないんだよ。
中国王朝と交流のある周辺民族のお偉いさん酋長レベルの人しか
使えないんだよ。山東や呉越から海を渡るか 熱河や遼東に
楽浪郡を陸伝いに伝播できる状況がなければ伝わらんだろう。

北千島の占守島や幌筵島のアイヌとカムチャダールに「シン」という
釣り針の鉄が出土し シベリアのエヴェンキ族や
オーストラリアのアボリジニだかの酋長の墓から「寛永通宝」が出土し
樺太のクウィ(クヴェイ)という樺太アイヌから 鎌倉時代の武士の具足が
発見されれば そりゃ交易や文化の伝播が、あるいはあったといえる。
が、アボリジニやエヴェンキに伝わっているのに 単にコンパス的な
同心円の縁の物理的距離からいって チベットやインドやイランに
ロシアに何で伝わらないのとなるだろう。真ん中の広大な範囲に
中国文明があり中国銅銭や中国の釣り針が存在する。

殷の時代に、日本列島との酋長レベルの交流はないから
いくら紀元前600年代を、紀元前3000年ごろに
渡来移住と同じに扱っても遺伝子は同じかもしれんが
文化は伝播しないのだから出土なんかあるはずがない。
190<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2006/04/19(水) 16:37:15 ID:s1+G4n8W
高句麗はマッカツ7部族中の一種族の亜種だから、中国の範囲でしょう。
地勢的には中国大陸ではなく楽浪半島であり
民族的には水の飲めない山間の渤海族や女真族の糞尿飲食文化や衣食住習慣が入り混じり
政治的には中国の一部(属国や辺境藩鎮としての盾に使う地域)にしか過ぎない。

確固たる朝鮮文化と韓国文化は、他の隣接地域に無い
ムーダン(巫檀:シャーマニズム・恨[ハン]を伴った死霊の嘆きを神がかりに憑依させ予言する)と
ホンタク(洪濁:洪魚[ホンオ]を藁を敷いて人糞で醗酵させる)しかない。

私は高句麗は中国の一部だと思う。それに反発して日本兵(朝鮮人皇軍兵士)に
応募しパプアニューギニアや山西省に吉林の延辺(間島地方)で戦ったんだと思う。
191<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2006/04/19(水) 16:43:39 ID:T9xhwcn3
>原則的に同意を示したものの、具体的な合意にこぎつけることはできなかった
貢物が足らないようだな。ウォンなか?
192<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2006/04/19(水) 16:44:35 ID:s1+G4n8W
マッカツは南満州をまとめていた遊牧民族と採取狩猟民族の連合体だったが
唐王朝(中国)に命じられて北満州に移住した。唐王朝が衰えると
南満州の各種族の故地に帰って定住したと言う。

このように政治的に中国の命令を聞く立場にあった。
マッカツ族の白山部が高句麗の系統の支族だといい
黒水部が女真族や満州族だと言い、粟末部が渤海人で沿海州の民族と言う。
渤海人が、全羅道と慶尚道以外の北の地域に民族大移動で定住し
日本とか倭国という任那で交流のあった昔と違う民族の血筋や生活文化になったという。
契丹時代に慶尚道は女真族の刀伊が移住し
蒙古時代に全羅道は蒙古人の移住で血が混じったという。
193<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2006/04/19(水) 16:46:05 ID:s1+G4n8W
朝鮮の名の由来: 朝貢、鮮し[アサし: 少なしの意味]。
194<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
明王朝
 琉球: 1年1朝貢(東方礼儀の国・守礼之門)
 高麗: 3年1朝貢(朝貢あさし)
 日本:10年1朝貢(無礼の国・明州(寧波)市舶司の交易で
           日本国王源道義[征夷大将軍・足利義満])

清王朝
 琉球: 従来どおり、福州で使節を受け入れる・
     下賜品は12の垂れが豪華な宝石である冠と紅の王侯衣服など
 朝鮮: 1年4朝貢 異色の丸首衣服(紅服でない)に
     籠の乗り入れ禁止(御輿担架型・たぶん徒歩)
     朝鮮国王の冊封は仁祖王の時。
     塩使用と製塩を禁止し唐辛子に人尿を使用・
     貨幣鋳造禁止し中国銅銭使用
 日本: なし(出島貿易→オランダの手引きの広東船・薩摩の手引きの福建船・
        薩摩の琉球王国名義の南洋密貿易→カンボジア船・福建船・広東船)
当時、西欧人の貿易港は広東の広州1港だけだった。
     世界の食材は広東に集まり、食は広東にありと言われる。
     オランダ船やマカオのポルトガル船の交易。
     後にオランダの替わりにイギリス、ポルトガルに替わりフランスの交易が勃興。
     イギリスの軍事力は、新興国のアメリカのユダヤ金融や
     捕鯨船護衛のアメリカ海軍が支え始める。