【日韓】ウリ党の金元雄(キム・ウォヌン)議員:「対馬を国際紛争地域化して、日本の独島妄言に対抗すべき」★4 [04/06]

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544<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
『資治通鑑』巻第二百一 麟コ二年(乙丑、六六五)10.
上(かみ) 熊津(くまなり)都尉の扶餘隆(プヨりゅう)
新羅王の金法敏(キンほうまい)ともに旧怨を釈(ゆる)し去(さ)らんとせよ と命ず。
(『舊唐書』永徽六年(655)百濟と高麗靺鞨(扶餘氏)は兵を率い其(新羅)の北界を侵す)
八月 壬子(みずのえネ)熊津城(くまなりジョウ)において同盟す。劉仁軌(りゅうジンキ)
新羅(しらぎ)百済(くだら)耽羅(とむら)倭国(やまと)の使者を以(も)って
また高麗(こうくり)もまた太子の福男(フナン)を遣わし祠(まつり)に侍(さむら)わんと来たる。
泰山(たいざん)の祠(まつり)に会(あ)う。海に浮かびて西より還(かえ)る。

高麗・靺鞨・百濟   → 新羅(金真平の孫娘の女王の時代)
高麗國・×百濟國   → 新羅(金春秋の時代)・高麗靺鞨・唐
×高麗國       → 新羅・唐(熊津都督・帯方州刺史)・渤海靺鞨(熊津都尉)
渤海靺鞨(渤海國)  → 新羅・靺鞨夫餘氏(熊津都尉・帯方郡王)・唐
渤海靺鞨・夫餘氏・新羅→ ×唐朝(遼西の節度使の地は渤海国と契丹[遼]に併呑)
契丹(遼)・渤海靺鞨 → ×新羅國(奚林州刺史・質子・還藩)
遼國・東丹國(渤海國)→ 泰封國(渤海靺鞨=高麗)
女眞(金國・黒水靺鞨)→ 摩震國(高麗・藩・王弟)
蒙古(元國)・東眞國 → 斎國(斉国大長公主=高麗王妃)
漢人(明國)     → 高麗國(辛昌・李成桂・王弟など 3年1貢)
満州(清國・女直)  → 朝鮮國(仁祖王〔三田渡受降壇と迎恩門〕1年4貢)
衛満(高麗靺鞨・太宗)→ 箕子(質子・藩・王弟)
故眞蕃朝鮮胡國・虜乱 → 朝鮮縣城(平壌城[明朝の城・漢人])

>>鴻臚寺奏:新羅國告哀、質子及年滿合 >哀願して告げる 人質の王子および期日が満期の
>歸國學生等共一百五人、並放還。
>>放還藩、賜物遣之 >(藩に還えらしめんと放つ

唐朝: 日本各地の国分寺(律令制度・
明朝: 日本各地の安国寺(勘合貿易・: 日本幕藩で儒学振興(朱印状貿易・
545<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2006/05/08(月) 11:16:54 ID:XmEhLZ62
○公孫模 張敞等 興兵 伐韓穢 倭韓遂 屬帶方
○呉林 以樂浪 本統韓國 分割辰韓八國 以與樂浪
○吏譯轉 有異同 臣智激 韓忿 攻帶方郡崎離營。
時太守弓遵 樂浪太守劉茂 興兵伐之 遵戰シ 二郡遂 滅韓。
○晉武帝 咸寧中 馬韓王來朝 自是無聞。三韓蓋 爲百濟新羅 所呑并
○其舊地没 於新羅靺鞨夫餘氏 君長遂 絶。
○其地自此 爲新羅及渤海靺鞨所分 百濟之種遂 絶。

『舊唐書』東夷傳>>鴻臚寺奏:新羅國告哀、質子及年滿合
>歸國學生等 共一百五人、並放還。>>放還藩、賜物遣之
> >哀願して告げる 人質の王子および期日が満期の> >(藩に還えらしめんと放つ

『三國志』魏書第三十烏丸鮮卑東夷傳晉陳壽撰(宋裴松之註)
>今使譯所通三十國
>今(いまし)は使訳(吏訳)が所(お)り 30国に通(かよ)いあり。
 晉陳壽の現在は翻訳役人(吏訳)が所在(駐在)していて
 倭の国内の30地域と通交(交易)している。

『宋書』列傳夷蠻(抜粋)宋何承天初撰 梁沈約完成
>讃又遣 司馬曹達 奉表 獻方物
>讃は表を奉じ方物を獻ぜんと司馬曹達を又遣わす。
 倭王讃は挨拶状を奉じながら宝物を献上しようと
 司馬曹達を再度、宋國へ遣わした。

唐朝: 日本各地の国分寺(律令制度・中大兄皇子・藤原鎌足)
明朝: 日本各地の安国寺(勘合貿易・日本国王=征夷大将軍・源道義[足利義満])
明朝: 日本幕藩で儒学振興(朱印状貿易・日本国王=天下人・平秀吉 → 徳川家康)