【歴史】日本茶道の確立に、高麗茶道が大きな影響を与えていた★3[04/05]

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617<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
緑茶はチイサン(智里山)のある場所に植生しているという。

チイサンは基本的にムーダン(巫檀)で有名な霊蹟地域で
かつ終戦直後に反日暴動の遭った土地で ムーダンのシャーマニズムは李朝初期の
高麗最後の老齢人気将軍の騙まし討ち処刑の悲劇や李朝前期と後期の時代の
節目の満州王朝への降伏に逆らった将軍の監獄移転を転々とした後の拉致処刑への
ハン(恨)が主題などの祀りで使われる祭壇に「緑茶」は使われない。

生姜や人参の挽き粉を茶と称して供えたり
マッコリ(マッカルリ・朝鮮屠蘇)を酒と称して供えたもので
本来、日本の茶道の玉露のような緑茶挽き粉は生産されていない。
マッコリ(酒)や人参湯(朝鮮で言う茶)を供えるのをタレ(茶礼)と呼ぶ

ちなみに倭寇から三浦の乱の後に制限貿易は
対馬藩の宗氏と李朝の役人との独占によるので、西国の大内氏は関係ない。

また李氏朝鮮前期を高麗朝と呼び習わしており
コレアの欧米名称は明国の高麗という呼称から来ている。