【韓国】「慰安婦を認めようとしない日本人は、私たちが死ぬのを待っているんじゃないか」★2〔03/03〕

このエントリーをはてなブックマークに追加
238<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
すみません、50年後の歴史書にこんなことが書いてあったのですが、本当でしょうか?

>>幼い時に両親が死んで養女に。17歳の時、家に朝鮮人2人が来た。「工場で働かせてあげる」。
飛行機で連行されたのが歌舞伎町近くの新宿・新大久保。慰安所だった。
「ジュンコ」と呼ばれ、日本人の相手をする毎日。「死にたい」。首をつったが、ひもがちぎれて未遂に終わった。
そのアザを見つけた外国人が殴りかかってきた。日本語で返事できないとカメラで写真をとられた。
ある日、突然人がこなくなった、有線の音も聞こえなくなった。日本の警察官が「お前ら祖国に帰れ」と言う。
慰安婦たち7人で40日ほど、祖国を目指して泳ぎ続けた。日本船に乗り込んでズワイガニを盗んで食べた。
手をつないで韓国国境の独島を渡った。一番端の女性の手が離れ、流された。誰も助ける力がなく、じっと見ていた。
故郷に戻ったが養家には帰らず、友人宅に居候した。連行を知っていたはずなのに
何もしてくれなかった巡査の養父に、不信感を持っていた。
数日後、昔の恋人が訪ねてきた。すでに結婚していたが、「親のために結婚した。一緒に住まないか」と告げられた。
部屋を借りて同居したが、3カ月後、恋人は周りから責められ自殺した。
恋人の子を身ごもっていた。生まれた女の子は5カ月後に死んだ。働いたり寺で修行したりと、各地を転々。
ナヌムの家にたどり着いたのは06年のことだという。
「慰安婦を知らない人が増えた。日本だけでなく韓国でも……」。金さんの顔が一層悲しく見えた。