>>223 こないだチャンネル桜でみた「呉善花女史」の講演によると
韓国には「○○された」という言葉がなく、その発想自体が理解できないとのこと。
例えば、日本では「(高速で)追い抜かれた」→韓国「あの車が追い抜いた」
日本「ドロボウに入られた」→韓国「ドロボウが入った」
日本「女房に逃げられた」→韓国「女房が逃げた」
呉女史はこれがどうしても理解できなくて「日本人はなんて反省好きなんだろう」と憤慨した。
なぜかというと、韓国で言う「ドロボウが入った」だと「なんて酷いドロボウなんだ!」と泥棒に
意識が向うが、日本語の「ドロボウに入られた」だと「カギをかけてなかったんだろうか」とか
「入られるスキがあったのか」という反省に意識が向かう。
「女房に逃げられた」も同じ。韓国では「逃げた女房」に意識が向かうが、日本の言い方だと
「何か旦那さんに手落ちがあったんだろうか」と思う。
高速の追い抜きも「相手の車」に意識が向かう韓国に対し、日本だと「遅かったから抜かれた」
と自己に意識が向かうように出来ているらしい。
ちなみに呉女史はこれを言い馴れない間は相手側に意識を持っていくために身体をくね〜っと
曲げながらでないと「○○された」といえなかったらしい。目からウロコのおもしろい話だと思った。