江戸時代前期、当時の竹島(現鬱陵島)に渡海した米子の商人大谷家の古文書などを所蔵している米子市中町、
市立山陰歴史館(福原則昭館長)は、韓国・国立中央博物館(ソウル)の要請を受け、
幕府からの渡海許可文書の写真を提供した。
同博物館は3月予定している現在の竹島(韓国名「独島」)に関する特別展で利用するという。
博物館からの要請は1月23日に電話とメールで山陰歴史館に直接入った。
メールでは「図録及び展示補助資料として活用したい」とあった。
山陰歴史館は、竹島関連の資料は韓国側にも極力公開し、研究の対象にしてもらうのが基本方針。
今月初めに許可文書の写真3枚を郵送した。
大谷家は、同じ米子の商人村川家とともに、当時朝鮮側の空島政策で無人島だった鬱陵島への渡海を幕府に願い出て、
1618(元和4)年に許可された。歴史館にあるのはその写しで「渡海御免の達書」という幕府から鳥取藩にあてた文書。
渡海は朝鮮側の反発で78年後に禁止された。
大谷、村川両家は鬱陵島渡海で途中にある現在の竹島を寄港地、漁労地に利用した。
外務省はこれを領有権主張の一つに挙げている。
一方韓国側は、鬱陵島で当時漁をしていて、大谷家から鳥取藩に連れて来られた安龍福が帰国した後、
再度同藩を訪れ、藩主に竹島が朝鮮の領土であると認めさせたとし、安を英雄視している。
許可文書は、両国の主張や歴史認識に関係する文書。韓国の国立博物館が
この文書の写真をどのように扱うか山陰歴史館は確認しておらず、焦点となる。
福原歴史館館長は「提供した写真がどのような位置付けで展示されるか心配な面もあるが、
それより両国が史実を冷静に共同研究するきっかけになれば」と韓国での展示に期待を寄せている。
ソース 山陰中央新報
http://www.sanin-chuo.co.jp/news/modules/news/article.php?storyid=159122006