「黄禹錫神話」の崩壊を見て心穏やかな人がいようか。落胆と失望を感じる、虚脱と困惑の
心境に浸る、失笑を禁じえない、怒りを感じるなど、各々感慨は違うが、少なくとも笑って拍
手する人はいない、「黄禹錫神話」は、恍惚とした甘い夢だった。<略>「黄禹錫神話」の、
どのような要素が、これほどまでの熱気を引き出したのだろうか。
代表的なものは、いわゆる「御箸の技術」だ。ヒトの卵子は他の動物の卵子と違って膜の表
面が滑らかではなく、膜が薄くべたついて扱いにくいという。そんなヒト卵子を自由に扱う腕
前に驚嘆した外国人たちに対して黄教授は、韓国人は幼い頃から鉄箸を使うから特別に手
先が器用なのだ、と言った。
この「御箸技術論」が、国民的熱気に火を付けた。同じ「世界初」の業績でも、「フォーク技術」
や「ナイフ技術」だったらこれほどの熱狂を呼ぶことはなかったに違いない。<略>「御箸技
術論」が一世を風靡したのは、文化的独創性と先進性に異常なまでに執着してきた韓国的
集団意識にもたらされた甘露だったからだ。<略>
「御箸技術論」だけではない。優秀な食品であるには違いないが、どうして敢えてキムチが世
界の発酵食品をすべて押しのけて一人きり聳え立つのでなければ気が済まないのか。豆を
醗酵させた味噌や醤油は、原料である豆の植生と直接的関係があり、大陸から半島を経て
日本に伝わったことは明らかなのに、どうして我が国の醤油類が一番優秀ではなければなら
ないのか。
最古・最高に執着する同様の思考方式は、かろうじて日本で見出されるぐらいだ。2000年に
日本を揺るがせた旧石器遺物捏造事件も、日本列島の旧石器年代を北東アジア最古水準
である70万年以前に引き上げたいという集団コンプレックスから始まった。
長いあいだ中国中心の北東アジア文化圏の辺境で暮らしてきた日本はそうだとしても、文化
の通路として、また中間加工者としての利益を享受してきた我が国は、そんな意識に染まる
理由はない。最高・一等などに対する強迫観念さえ捨てれば、普遍的文化・科学技術で劣る
ことのない幸福な市民になることができる。たとえ2等でも下は遥かに多いのだ。
「黄禹錫神話」の崩壊とともに、我々の強迫観念も一緒に解消するよう期待する。現在のよう
な土壌での「作られた伝統」は、ポピュリストも利用する。それを今度の事態の教訓にしたい。
(黄ヨンシク論説委員)
▽ソース:韓国日報(韓国語)(2006/01/12 19:09)
http://news.hankooki.com/lpage/opinion/200601/h2006011219101024380.htm ▽関連スレ:
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http://news18.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1114308466/l50