『郷愁』の詩人鄭芝溶(チョン・ジヨン1902〜1950)の詩碑が18日、日本に建てられた。
場所は詩人の母校である京都の同志社大学の校庭の中央で、
大学の後輩である尹東柱(ユン・ドンジュ)の詩碑すぐ隣だ。
除幕式はこの日、田端信広同志社大学長と詩人の遺族、
韓国文壇関係者らおよそ100人が出席し、挙行された。
写真:
http://japanese.joins.com/upload/images/2005/12/20051219145458-1.jpg 詩人の代表作『鴨川』を刻んだ横1.8メートル、縦1.2メートル、幅70センチの大きさの詩碑は
詩人の故郷である忠北沃川(チュンブク・オクチョン)の花崗岩で製作された。
田端学長は「鄭芝溶が若いころ、文学の授業を受けた大学の校庭に詩碑が建てられたことは、
この上なくうれしい」と所感を明らかにした。
鄭芝溶氏は1923年、同大学英文科入学し29年に卒業した。
詩人は留学中だった26年、国内文壇に登壇し、日本文芸誌にも詩や随筆などを発表した。
尹東柱の詩碑の横に鄭芝溶の詩碑が建てられたのは偶然ではない。
詩人鄭芝溶を欽慕していた青年詩人尹東柱は、鄭芝溶が勉強した同志社大学に留学を決める。
42年、留学に行った尹東柱はしかし45年、思想犯とされ、日本で獄死する。
後日、この事実を知った大学が95年、尹東柱の詩碑を建て、
また10年後、彼の師匠だといえる鄭芝溶の詩碑も建てたのだ。
これは、祖国でも完全に光が当たらなかった詩人の詩碑が日本に建てられたというところに意味がある。
鄭芝溶は1930年代、韓国現代詩を導いた人物だ。尹東柱は彼を師匠のように思っていたし、
趙芝薫(チョ・ジフン)、朴木月(パク・モクウォル)、朴斗鎮(パク・トゥジン)ら多くの詩人が彼の推薦で文壇に登った。
しかし彼は忘れられた存在だった。韓国では越北詩人として、北側では純粋詩人に追いやられ、
南北両方からそっぽを向かれた。朝鮮戦争中に死んだという事実も2年前にわかった。
詩碑に代表作『郷愁』ではなく『鴨川』が刻まれたことも理由がある。
『鴨川』は詩人の京都時代を代表する作品だからだ。鴨川は京都を流れる川。
両岸には異国風のカフェが整然と並んでいる。
そのロマンチックで、奥ゆかしい鴨川はパリのセーヌ川によく喩えられる。
青年鄭芝溶も鴨川とその川辺をぶらつきながら詩心をはぐくんだのであろう。
鄭芝溶は鴨川を眺め「日ごと日ごと君を送るに のどがつまる」と歌った。
鄭芝溶記念事業会オ・ヤンホ(仁川大教授)会長は「日本で2002年、鄭芝溶詩選集が翻訳出刊され、
日本学界で再評価されている」とし「ようやく詩碑が建立されて幸いだ」と述べた。
この詩碑は毎年5月、芝溶祭を開いている沃川郡と沃川文化院が建立した。
中央日報
http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=70812&servcode=700§code=700