http://210.145.168.243/sinboj/j-2004/06/0406j0402-00001.htm 儒教が国教になっていた朝鮮王朝のもとで、歴代の政府は、白衣をやめさす一方で、
国民服色ともいうべき色彩を決めて強要した。例えば、王朝の初期には灰色と玉色、
世宗王の時代は黄色、成宗王の時代は青色、宣祖王の時代は紅色といった具合にである。
英祖王にいたっては、国の基本法である「続大典」に「文武百官はもとより民百姓にいたるまで、
国民はすべて青色の服装をしなければならない」と書き加えている。
この法令に対して庶民はもとより両班士大夫も不服である。といって国法を犯せば
重大事である。そこで思案に思案を重ねて知恵をしぼって、考案されたのが「浅淡服」である。
それは限りなく白色に近いブルーであった。ほとんど白色といって間違いないが、
彼らは逆にそれを青色系の白色と弁明した。それほどまでに白色に固執していたのである。
しかし、このような姑息なやり方は、かえって国王の怒りに触れることとなり、
その年の科挙試験に「浅淡服」で挑んだ者は、すべて資格剥奪の目に合うこととなった。
[朝鮮新報 2004.4.2]
お前らの王が一番ヒドス