★どういう風に韓国が近代化したのか?
植民地統治の検証 1 反日史観を糺す
http://www.geocities.co.jp/WallStreet-Bull/6199/syokuminti1.htm ○序、ソウル南大門付近の変遷から日本の朝鮮統治をみる
植民地統治の検証 2 反日史観を糺す
http://www.geocities.co.jp/WallStreet-Bull/6199/syokuminti2.htm ○日本が学校教育でハングル授業を強制したため朝鮮人の反感を買った。(爆笑
1910年日韓併合の当時は朝鮮の世間一般では漢字しかお目にかかれなかった。
朝鮮900万人のうち両班[貴族]女性を中心に2万人しか読み書きできなかったという。
1850年ごろフランス神父が諺文をハングぅる[大きい字]と呼びカトリックの祈りを広める。
1445年に「吏読」という漢字を朝鮮読みする諺文(訓民正音)を創作したが
1505年頃の「燕山君」なる朝鮮王を侮辱した事件以降は諺文(ハングぅる)禁止であった。
植民地統治の検証 3 反日史観を糺す
http://www.geocities.co.jp/WallStreet-Bull/6199/syokuminti3.htm @日本政府からの財政補充金には、たとえぱ製鉄奨励金、増炭奨励金などもあり、
朝鮮半島はおんぶにだっこを続けていた。
各種補充金は、昭和19年までに一般経費の補充金として4億3000万円程度に達していた。
それは朝鮮半島が貧しく、自力で開発ができず、外債に頼らざるをえなかったからであるが、
今日に至っても、その構造はまったく変わりがないのではないだろうか。
A鴨緑江、豆満江の架橋13ヵ所の予算は、じつは満州国から出たのであった。
B今日までの「日帝36年」に対する批判は、ほとんど朝鮮総督府が
民度・民力の向上に懸命な努力を続けてきた・・・事実に触れることなく、
ひたすら日本人と朝鮮人との・・・関係のみを取り上げることを目的としている
卑弥呼時代 → 中国東北部の鮮卑族慕容部 → 西の大海の島の州胡(済州人)は鮮卑族に似る
聖徳太子時代 → 中国東北部の扶余族 → 現代に扶余という町名があるから百済は扶余族
太閤秀吉時代 → 中国東北部の三姓女直族 → 済州島の三姓穴
東条英機時代 → 中国東北部の満州族の漢民族への七大恨 → 植民地支配での七つの恨み
朝鮮では技術職は日本人の真似として嫌われた。大正時代(1910−20年代)は
鉄道建設が[朝鮮伝統の墓の]風水破壊として[インディアンのような]
反日武[装]勢力の襲撃の対象で土木作業員になる朝鮮人は少なかった。
[朝鮮人作業員が増えたのは1937年(支那と全面衝突)以降]