【「日帝強占下民族差別行為擁護防止法立法のための公庁会」を開催します】(前半)
http://www.happydragon.or.kr/ch1/column_view.php?db=won_column_DBT&skno=239&page=1 今年3月に国民の前に制定をお約束致しました日帝侵略行為歪曲防止法を、「日帝強占下民族差別
行為擁護防止法」という名称で用意して、来たる6月20日(午前10〜12時/国会図書館小会議室)に
公聴会を開催します。
これまで憲法、国際規約、刑法など各種関連法規を検討し、表現の自由の侵害や人権侵害に対する
憂慮を払拭すべく構成要件を明確にするための研究作業を遂行してきました。刑法、憲法、国際法の
専門家たちからも意見を取り集めて、法律の完成度を高めるために努力しました。
これから公聴会を控えて、法律案を国民の皆さんに公開し、討論に付しようとします。
我が国が日帝から独立してから今年で60年になりました。しかし現在日本では、周辺諸国の反対にも
かかわらず、首相が靖国神社参拝を強行しており、歴史教科書歪曲を通じて自分たちの侵略行為を
正当化しています。私たちが日帝の侵略行為に対して反省と謝罪を促すことは、単に私たちがその
被害者であるからだけではありません。日帝は、韓国人が劣等な民族だという前提の下、植民支配
期間を通じて民族差別的な政策を実施しましたが、これは人類普遍の価値である人権保障に対する
深刻な侵害でした。日帝は表面的には内鮮一体を主張しましたが、その実質は地球上から韓民族を
抹殺して、日本民族に同化させるための欺満的な策略に過ぎなかったのです。そのために日帝は
我が民族に創氏改名を強要し、韓国語使用を禁止するなど、民族抹殺政策を実施しました。日帝末期
には韓国人を強制徴用して苛酷な労動に呻吟するようにしただけでなく、世界史上類例がない「慰安
所」を運営して、韓国女性を日本軍の性奴隷に転落させました。
ところが全国民が声を一つにして日本の反省を促しても不足なこの時点に、我が国の国民の口から、
日帝の植民支配を正当化して擁護する発言が出たということは、誠に衝撃的なことに他なりません。
今日における人権保障のための国際社会の努力は、第2次世界大戦での人権侵害に対する反省に
基礎を置いています。したがって、日帝の侵略を正当化する発言は、人権保障のための国際社会の
努力を正面から無視する反人権的行為です。特に国際社会は「すべての形態の人種差別撤廃に関
する国際協約」を締結して、民族差別を正当化するいかなる形態の試みも根絶しようと努力しています。
我が国は1978年にこの協約に加入しており、したがってこの協約の締約国として、民族差別の撤廃の
ための国際的努力に応じねばならない必要があります。そして、日帝による人権蹂躙を正当化すること
は、独立運動家、強制徴用被害者、性奴隷被害者など関係者たちの名誉を毀損する可能性があると
いう点で、これに対する規制の必要性はより強く要請されています。
<後半に続く>
【「日帝強占下民族差別行為擁護防止法立法のための公庁会」を開催します】(後半)
http://www.happydragon.or.kr/ch1/column_view.php?db=won_column_DBT&skno=239&page=1 そこで私は、人権保障の次元で日帝の侵略行為を正当化して擁護することを防止しようと「日帝強占下
民族差別行為擁護防止法」を用意するに至りました。法案を準備する過程で、この法案に対して賛成
する意見も多くありましたが、表現の自由の侵害を憂慮して法案に対して批判する意見も聞くことが
できました。私はこのような批判的な意見まで取り込んで、この法案によって表現の自由が侵害される
ことのないよう充分に検討しながらこの法案を用意しました。
にもかかわらず日帝の侵略行為を正当化する発言に対する規制自体に反対する意見があり得ます。
しかし表現の自由がいくら重要だと言っても、表現の自由という名目で他人の権利を侵害することは
できません。我が国の憲法も第21条4項で「言論・出版は、他人の名誉や権利または公衆道徳や社会
倫理を侵害してはならない」と規定しています。先に申し上げたとおり、日帝の侵略を正当化することは、
人権侵害を正当化して他人の名誉権を侵害する行為です。のみならずそうした発言は、3・1独立運動の
精神や大韓民国臨時政府の法統を受け継ぐ大韓民国国民の自尊心を踏み付けるものであり、ひいては
我が国の青少年たちに歪曲された歴史観を持たせる憂慮さえあります。私たちが日本の歴史教科書の
歪曲に対してこのように怒り、外交的摩擦まで甘受しながらその是正を要求する理由は何でしょうか。
それはまさに、彼らの歴史教科書歪曲が我が国の国民の自尊心を傷つけ、日本の青少年たちが過去の
不幸な歴史を繰り返すようにする危険があるからです。ところが我が国の国民自らが日帝の侵略を擁護
すれば、不幸な過去に対して日本の反省を促す我が国の国民の声は力を失うようになるでしょう。
これまで私たちは、誤った過去に対して必要以上に寛大であり、その対価はそのまま次の世代での葛藤
と歴史観の混乱につながりました。法が正義を言えずに、不正義が自由の名前で正義を踏み躪る社会で
は、国民が選ぶことができることは絶望と冷笑だけです。
「日帝強占下民族差別行為擁護防止法」が可決されることで、我が国社会で人権保護と正しい歴史観の
確立の新しい契機が用意され、我が国の国民が正義のある社会に対する希望を持つようになるのを期待
しようと思います。