【歴史】「マルクス史観、偏狭なナショナリズムの立場は取らない」 民主8月に見解 党近現代史調査会
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<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:
実証的研究で定評ある昭和史研究家保阪正康氏も認める三光作戦と日本軍の残虐行為
(INPOCKET2003年9月号京極夏彦氏との対談)
〜前略
保阪:こんなこともありました。口ではいろんなことを言うけれども心の中で、ものすごく傷ついている
人がいるんです。口では「日本軍国主義、何もそんなひどいことしてない」とか言うんですよ。だけど、
「あなたはそう言うけれども、やっぱり日本もとんでもないことしたんじゃないですか」みたいに話してたら、
そのうち「君にだけ話したい」といって、日をあらためて来いという元軍人もいました。
京極:それはどんな方ですか。
保阪:戦後はある会社の社長さんです。行ったら、ポケットから数珠を出すわけね。そして、いつも電車の
中で四、五歳の子どもを見たらこれで手を合わせているというんです。なぜかといったら、
やっぱり中国で三光作戦をやって、四、五歳の子どもを殺した体験をもっていたんですよ。
家に火をつけると子どもが逃げてくるでしょう。上官に「どうしますか」ときくと、「始末しろ」と言われた
っていうんです。心の中はガタガタになっているんです。だから、逆に強く出るんです。
京極:うーん
保阪:自分は孫が抱けない、数珠を手放せない。社長さんですよ。「キミ、日本は悪くないんだ」なんて
言ってるんだけれども、ちょっと裏返しになると本当にシューンとしちゃうんですね。
彼は口ではまさに軍国主義的なことを言いますよ。だけど、そんな人間のうしろに贖罪意識が
隠されている。やっぱりそういうことをきちっと、僕は次の世代として聞いておかなければと感じるんですね。
京極:個人個人では、ものすごく贖罪の意識があるんですね。自分も傷ついてるわけですしね。
でも、それが全体として、国家として贖罪をしたかっていうことになると、これはどうもはっきり
しないうちに済んだことにされている。結局、後始末が個人に押し付けられているんですね。
保阪:そうなんですよ。それでね、僕は医学システムの評論やレポートなんかも書くから医者から
よく相談されるんですけど、八十代で死にそうなおじいさんがいるというんですよ。
京極:ほう
保阪:四十代の医者が僕のところへ来て、もう動けないはずの患者が、突如立ち上がって廊下を
走り出すというんですよ。そして、訳わかんないこと言って、土下座してしきりに謝ると言うんです。
そういう人たちには共通のものがある。僕はこう言うんです。「どの部隊がどこにいって戦ったかと
いうのを、だいたいは僕はわかるから、患者の家族に所属部隊をきいてごらん」。みんな中国へ
行ってますよ。医者はびっくりします。
京極:ひどいことをしたのをひた隠しにして生きてこられたんですね。
保阪:それを日本はまだ解決していない。
京極:戦後、個人におっかぶさったものってすごく大きいと思うんです。
保阪:そういう意味で、日本の社会はある種の二重構造をもっているという気がする。それに気づくと、
昭和史を調べていてもしんどいですよ。僕はべつに恥部を暴くという意味でやるわけじゃないんですけど、
そういう話を聞くことが多いんです。