町村信孝外相、中川昭一経済産業相、島村宜伸農相は22日、都内のホテルで、
こう着状態が続く日本と韓国との自由貿易協定(FTA)を核とする経済連携協定締結交渉を巡って協議した。
3月に行う方向の韓国の潘基文外交通商相と町村外相との会談などを利用し
韓国側に交渉再開を働きかける方針を確認した。
協議では明確な打開策は固まらなかったが、引き続き対応を検討することを申し合わせた。
韓国との交渉は韓国側が「日本が内々に提示した農林水産分野の関税撤廃内容の水準が低すぎる」
などと主張し、昨年11月以来開かれていない。
物品の関税撤廃内容などを提示しあう段階にすら至っておらず、
両国が目指す年内合意は難しいとの見方が広がっている。
外務省幹部は「即効策はなく、粘り強く韓国側に働きかけるしかない」としている。
http://www.nikkei.co.jp/news/keizai/20050223AT1F2200Y22022005.html ■1.米軍がレポートする慰安婦の実態■
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h11_2/jog106.html 米軍情報部は、北ビルマのミチナ慰安所で収容された慰安婦か らの聞き取り
をもとに、以下のような報告書を残している。
女性たちはブローカー(および経営主)が、300〜1000円の前借金を親に払って、
その債務を慰安所での収入で返還している。経営者との収入配分比率は40〜60%、
女性たちの稼ぎは月に1000〜2000円、兵士の月給は15日〜25円。[1,p270]
慰安婦たちは、通常、個室のある二階建ての大規模家屋に宿泊して、・・・・寝起きし、
業を営んだ・・・・彼女たちの暮らしぶりは、ほかの場所と比べれば贅沢ともいえる
ほどであった。
慰安婦は接客を断る権利を認められていた・・・・負債の弁済を終えた何人かの
慰安婦は朝鮮に帰ることを許された[1,p275]
また、ビルマのラングーンで慰安婦をしていた文玉珠さんの手記では、
その生活ぶりを次のように語っており、米軍のレポートを裏付けている。
支那マーケットにいって買物した。ワ二皮のハンドバッグと靴をわたしの
ために買った。母のためにもなにか買った。
将校さんたちに連れられてジープに乗って、ぺグーの涅槃像をみに行った
・・・・ヤマダイチロウ(日本兵の恋人)と大邱の母の無事を祈って帰ってきた。
ちなみに文玉珠さんは、平成4年に日本の郵便局を訪れ、2万6145円の貯金
返還の訴訟を起こして敗れている。千円もあれば故郷の大邱に小さな家が
一軒買えると体験記で述べているが、現在の貨幣価値なら、4〜5千万円程度
の金額を、3年足らずで貯めたことになる。[2,p301]
「従軍慰安婦」というと、海外では"military sexual slavery(軍用性奴隷)"
などと呼ばれるように、日本軍によって郷里から強制連行され、戦地では
何の自由もなく、もちろん無給で、ひたすら兵士にもてあそばれた、という
イメージが定着している。しかし、この米軍の報告書では、まったく違う実態
が報告されている。一体、どちらが真実に近いのか?