【中国】日本人が建てた倭寇の墓壊す 安徽省 [02/03]

このエントリーをはてなブックマークに追加
24<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
とりあえず

「倭寇について」
ttp://www.geocities.jp/aoiworld5/wakounituite1.html
>16世紀の「倭寇」の首領たちは多くが中国人であったこともあり多くの資料が
>残されており、実に個性的な人物が活躍していたことが分かっています。 特に
>有名なのは後世「倭寇王」とも呼ばれた王直でしょう。彼は明や日本、 東南アジア
>をまたにかけた貿易活動を行い、同時に数多くのライバルを打倒 して東アジア海上
>の覇者となりました。種子島の鉄砲伝来にも関与し日本の 歴史にも深く関わった
>ことでも知られています。

王直(おうちょく)
ttp://www2s.biglobe.ne.jp/~tetuya/REKISI/kaizoku/ouchoku.html
ちょっと調べてみたが、やはり王直は偉大な人物だったわ。
種子島に鉄砲を伝えたポルトガル人、彼らを乗せたのがまさに王直その人だったんだね。
26名無しさん@恐縮です:05/02/03 00:56:49 ID:cDlHfgl7
もう皇室ともども、靖国に行くしかないね。その後ODA打ち切り。
27<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:05/02/03 00:57:22 ID:uLkT3UF1
ぐぐりゃあ、王直は結構でてくるが、諸説があるが、海賊王じゃん、、

馬鹿だなあ、、評価が変われば大英雄だぞ、、、


なるほど、五島の人は先祖かもしれないと思っている訳かもしれん、、、

中国人は馬鹿って事か、、、
http://www2s.biglobe.ne.jp/~tetuya/REKISI/kaizoku/ouchoku.html

王直(おうちょく)

  「嘉靖大倭寇」史上最大の巨頭。徽州(=現・安徽省)歙(しょう)県の人。
生年不詳。本名は「テイ[金呈]」といい、「五峰」とも号した。「直」は海賊としての「あだ名」と考えられる。
出身の歙県は「新安商人」の出身地として名高い。
王直の出自については諸説あって判然としないが、
もとは地域の有力者で仁侠の徒と交わっていたとする資料もある。

はじめ同郷の友人・徐惟学(のちの徐銓)とともに塩商人となるが失敗し、
密貿易の世界に入ったと言われている。
当時の明王朝は初代の洪武帝以来「海禁」と呼ばれる厳しい貿易統制を行っており、
基本的に私貿易は禁止されていた。嘉靖19年(1540)ごろに
王直らは福建出身の葉宗満・謝和・方廷助らと親交を結び、
「中国では何をやっても法に触れる。海外へ乗り出そう」
と語らって広東にでかけ、そこからシャムやマラッカなど南海貿易に従事。
嘉靖21年(1542)ごろ同郷の許棟の配下に入り、その指示を受けて日本との貿易を開始する。
嘉靖22年(1543、日本の天文12年)に種子島に到着、
便乗していたポルトガル人と日本人の通訳にあたり、鉄砲伝来に一役買ったとも考えられている。

前後して親分の許棟が浙江海上の密貿易基地・双嶼港を支配下に治め大規模な密貿易活動を開始すると、
王直はその才能を買われて許棟集団の財務担当・日本貿易担当といった重任に当たる。
嘉靖24年(1545)に日本へ渡航した王直は博多商人と接触、
博多の助才門ら数人の日本商人を双嶼港へ招き、密貿易を行った。
以後、王直は博多・平戸の商人達と密接なパイプを持つことになる。
今日でも五島の福江や平戸には王直の屋敷の跡が残されているように、
日本で生活することも少なくなかったようである。
日本人ばかりでなくポルトガル人にも信用が高かったと言われている。
29<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:05/02/03 00:58:30 ID:2dXvu1Wk
倭寇という扱いと、日本人とのつながりに反発したの??
いや、そうであろうとなかろうと"馬鹿"以外に感想はないわけだが

王直に対する評価は歴史家の間でも一定ではない。
長らく彼は「倭寇の親玉」として反逆者・売国奴の汚名を着せられていたが、
近年では逆に明の貿易統制策に反対する自由商人としても評価されている。
「大倭寇」が果たして王直自らの手によるものだったのか
はこれからの研究を待たねばならないが、彼が混沌とした
当時の東アジアの海上世界を最初に制覇した英雄であったことは間違いない。
その統率力、人望、国際性において当時の海上で卓越した人物であったと想像できる。

五島・福江市に「明人堂」というお堂が残っている。
王直らが航海の安全を願って建てたものらしいが、
旧暦9月23日に福江でこれの祭が行われる。
郷土史家によれば、この日は王直が最後に五島を旅立った日であり、
これを王直の「命日」としたものだと言う。
この辺りにも王直の人となりが現れているような気もする。

ゴールド・ロジャーみたいなもんか
偉人を貶めてDQNを祭る発想が属国そっくりだ。
やはり宗主国なのか。
33<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:05/02/03 01:01:05 ID:bvwOnW1y
亜細亜の海賊王みたいで歴史の英雄になりそうなものなのに
罪人でお終いかよ。死者への意識が大分違うな。
ま、わかってることだけど。
34<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:05/02/03 01:02:24 ID:mRNXxIz7
「倭寇について」
「倭寇」。ともすれば「倭=日本」というイメージから単純に「日本人海賊」と思われがちな集団ですが、その実態は実に多様で複雑なものでした。
「倭寇」と呼ばれる集団の活動は13世紀にはその萌芽が見られ、日本が南北朝の戦乱に突入した14世紀に一つのピークを迎え、中国・朝鮮の 沿岸を荒らしまわりました。
すでにこの時点で彼らが単純に「日本人」とはとらえられない、今日の感覚からすれば朝鮮人や中国人をも多く含む多様 な集団であった様子がうかがえます。
東アジア各国の政権確立と共にいったん下火になった「倭寇」は16世紀に 日本が戦国時代に突入しヨーロッパ勢力が東アジアに到達したことをきっかけに再び大きな盛り上がりを見せます。
東アジアから東南アジアにまたがる 盛んな密貿易活動の担い手が「倭寇」であり、今度は主に中国人の首領に率いられた集団として歴史の表舞台に現れてくるのです。この劇「倭寇伝」 で描かれるのはこの16世紀の「倭寇」なのです。

16世紀の「倭寇」の首領たちは多くが中国人であったこともあり多くの資料が 残されており、実に個性的な人物が活躍していたことが分かっています。 特に有名なのは後世「倭寇王」とも呼ばれた王直でしょう。
彼は明や日本、 東南アジアをまたにかけた貿易活動を行い、同時に数多くのライバルを打倒 して東アジア海上の覇者となりました。種子島の鉄砲伝来にも関与し日本の 歴史にも深く関わったことでも知られています。
ttp://www.geocities.jp/aoiworld5/wakounituite1.html

明人堂:明人堂
天文9年(1540)、当時東シナ海を舞台に貿易商として活躍していた明国の王直は、通商を求め福江に来航した。財政的に苦しんでいた領主宇久盛定公は喜んで通商を許し、城下(江川城)の高台に居住地を与えた。これが現在の唐人町である。
その一画に王直ら中国人が、航海の安全を祈るために廟堂を建立し、その跡が現在の明人堂であると云われている。王直はその後、平戸に居を構え、倭寇の大頭目に転じていくことになる。
ttp://www.fsinet.or.jp/~fukue/d/20.htm

ふーん・・
中国人蔑視してるのは、墓を壊した中国人大学教師2人じゃないの?
35名無しさん@恐縮です:05/02/03 01:02:42 ID:cDlHfgl7
じゃあ日本の援助で革命起こした孫文も、シナじゃあ国賊になるわけね。
無知な学生ならともかく、大学の教官がすることかよ。
それにさ、王直って中国人の貿易商だよ。
37<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:05/02/03 01:05:31 ID:UNIig5Vm
さすが死者にムチ打つお国柄でつね
38<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:05/02/03 01:05:43 ID:Hh3PIN11
「歴史家」という存在は中国では死に絶えたのかな。司馬遷が白玉楼上で
泣いていることだろう。
39<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:05/02/03 01:06:01 ID:WLd4avU1
中共政府が英雄認定すれば明日にでも中国人自らもっとデカい墓を立てるだろうよ。
40<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:05/02/03 01:06:27 ID:uLkT3UF1
41名無しさん@恐縮です:05/02/03 01:07:49 ID:cDlHfgl7
外務省は即刻抗議すべし。日中友好の証を許可なく破壊する行為は
日本の好意を踏みにじる蛮行であると。
明から帰還した毛烈らの報告を受けた王直は嘉靖36年(1557)、ついに明への帰国を決意する。
形式的に「豊後王」の朝貢船の形を取り、大友氏の使者も載せ、
勘合貿易復活を請う上奏文まで用意していた。
この年の十月に寧波沿海に到達した王直は自らしたためた上奏文を胡宗憲の軍門に送っている。
この「王直上疏文」は今日に残る唯一の王直自身の手になる資料であり、
この中で王直は「大倭寇」が自分の仕業ではないこと、むしろ自分がいかに官軍に協力したかを訴えた。
さらに貿易を許可してくれれば海上の治安を維持することは「掌を返すよりたやすい」と豪語している。

この時点で徐海はすでに滅亡しており、海上の大頭目は事実上王直一人であった。
明朝廷は王直の扱いを巡ってやや紛糾した。
身柄を預かる総督・胡宗憲は私貿易許可に傾いており、
ある程度王直の要求を受け入れる気であったらしいが、
中央政界は露骨にこれを不快に思い胡宗憲に対する弾劾まで行われた。
こうした情勢のため胡宗憲はついに11月に王直を逮捕し投獄した。
しかしいずれ情勢が好転するのを待っていたのであろうか、
獄中の彼に対する扱いは丁重なものであったと言う。

王直の逮捕後、船団を託された毛烈らが舟山群島に立てこもり官軍に抵抗を続けたが、
やがて兪大猷らの攻撃を受けて破れ去った。
結局その後も事態は好転せず、ついに王直は嘉靖38年(1559)12月25日に杭州において斬首された。
刑場に引き出されて初めて最期を悟った王直は、息子を抱き寄せて自分の櫛を息子に差してやり、
「この地で最期を迎えるとは思ってもみなかった」と嘆息したと言う。
首がはねられた後も胴体はそのまま倒れなかったとも伝わる。


彼の妻子はその後ある家の奴婢とされた。


さすが中国。 その後の取り扱いが中国クオリティ。
43安崎上葉 ◆giKoK4gH6I :05/02/03 01:09:20 ID:tcfVzrcs
さすが過去を破壊してきた民族だな。
44<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:05/02/03 01:10:36 ID:1E9NmOhY
【中国】中国検察、無期懲役の王亮被告を控訴せず[02/02]
http://news18.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1107356185/

各局全国ネットが意図的に避けているようだがこのニュースは極めて重大だぞ(現にローカルではトップ扱い)
中国検察は「日本人を多数殺害(このケースでは幼児二人を親の前で殺害、一家四人を惨殺の上海中投棄)
しても」、「中国国内に逃げ帰って」「自ら出頭すれば」、
自首扱いで無罪にも等しい「無期懲役」にするわけだ。

    日本滞留中国人に「日本人殺害許可」が与えられたのだ!!!!!!!!!!!!!!!!!

こんなふざけた話を許していいのか?
45<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:05/02/03 01:18:13 ID:ncOlyBU4
>>36
日本だって一番バカなことするのは大学教授じゃないですかw
すまん、すまん!
工学部の大学生で、歴史はいつも赤点だった漏れなんだけどな…。
鉄砲伝来って、ポルトガルの船が嵐とかに巻き込まれて難破して、
幽霊船みたいにボロボロになって種子島に到着(漂着)して、
その時に鉄砲が偶然日本に伝わったっていう認識なんだが…。

対日(密)貿易だったの??
歴史教科書、買ってきて少しは勉強するかな… orz
47<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:05/02/03 01:20:44 ID:+1NAOvxT
高校の時の世界史の先生が、中国史の専攻の方だったんだが、
日教組に加入しているにも関わらず、大の中国共産党嫌いだったなぁ。
「次々と歴史遺産を破壊する、自分に都合のいいように解釈する」と、
一度中共批判が始まると、その日はもう止まらないって人だった。

今頃地下でこのニュースを聞いて、また憤慨しておられるだろう。
48<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:05/02/03 01:21:23 ID:tuBta2eH
教師までキチガイ
高校では世界史だったが倭寇は前期も後期も単なる海賊扱いだったような
記憶がある。海賊程度で国が傾くかよ!とは思ったが。
50<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:05/02/03 01:26:52 ID:mRNXxIz7
>>40
>私の見方:
>王直は中国人にとって罪悪がこの上なく重い;
>王直は日本人にとって功が高くて世人にぬきんでたのだ;
>中国人は王直"人間の真価は死後定まること"に対して正しい;
>日本人は王直がすべきだったをを記念する;
>しかし、日本人は記念碑を中国まで(へ)修理して、熟考されていない、ただ自分の感情だけを配慮して、他の人の感情を配慮していない.

日本人が王直を祀る事に理解しつつも、記念碑建立は中国の国民感情を逆なでする身勝手な行為、って事?

抗日運動を戦った中国全土の馬賊の総頭目・小白竜こと日本人の小日向白朗を英雄とし、映画にし、かつその主題歌を中国国歌として唄ってる事についてコメントして欲しい。