【中国】遣唐使の墓誌発見 [10/11]

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143<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:04/10/11 16:17:27 ID:HtyWuQRG
>>142
折角発掘してもその上に建物建ててしまうことがあるな
有名なところだと長屋王の跡地の上に旧奈良そごう現イトーヨーカ堂
難波宮の上にNHKが建ってる
144<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:04/10/11 16:18:35 ID:oPaeEBEU
894に戻す、遣唐使

菅原道真の偉大さを今になって知るとは...
145<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:04/10/11 16:20:05 ID:0XeN1r8z
<丶`∀´> <井は、間違いなく朝鮮系nida
唐とは一戦交えてるからな。唐の寛容さに比べて、今のシナチクの心の狭さは(ry
唐は李氏だから、その皇帝に仕えてたということは
朝鮮に日本が学んでいたとかいいそうだよなあの民族は
148<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:04/10/11 16:51:19 ID:tr+phmb8
>>145 
千利休みたいなもんじゃないの?

千利休は大永2年(1522)堺で生まれ、幼名を与四郎といいました。幼少から茶
に親しみ、北向道陳・武野招鴎に茶道を習い、先人たちからも高い評価を受け
て23歳の時宗易を名乗ります。
>>145
>>148
なにをいってるんだ?
井ってのは唐名にすぎないから実際の姓はわからんのよ
なるほど、「ウリナラミンジョクが皇帝だったから留学する必要なかったニダ」という論法か。
151( ´台`)v(´▽` )ノ750:04/10/11 17:38:17 ID:lTl0Q0mj
 >>125
 元の時代も国際的だった。このころは中央アジア、西アジアまでモンゴル皇帝家の分家のハン国が治めてるから、スケールとしてはこっちのほうがでかいな。
 ちなみに元は正式には大元モンゴル国といい、モンゴルが本領。中国王朝としての元はあくまで中国総督府にすぎない。元の皇室もチンギスハーンの正当後
 継者オゴタイハーンの家より家格は下になる。まあ実力で圧倒しちゃったけどね。
152<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:04/10/11 18:10:00 ID:d1U/WZjR
遣唐使とか遣隋使は近代史で言えば、明治維新後の洋行みたいなもの。
侵略されるより独立をということ。
153<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:04/10/11 18:12:51 ID:HGKzmlP/
85>>115
けっこう勉強なさってる方のようですね。
歴史系板ならばともかく、こういう板なので、ちょっと頓珍漢な人だなと思い、
めちゃくちゃ大雑把に反論させて頂きました。その辺は謝罪します。

>第三に留学(還学?)生による文化の接収

遣唐使=全員外交官という感覚で仰ってるのかと思いました。
私が言いたかったのは留学生は学生である、という点です。
本人の出来が良く、たまたま唐で任官される事もありましょうが、基本は学生です。

> 確かにこの頃は藤原北家が完全に掌握しちゃってるから、

まだ掌握していません。この時代は元明天皇の時代であり、
藤原不比等が娘を硬質に入内させて基盤づくりをしている最中に過ぎません。
つまり、他の豪族たちと同レベルかやや頭ひとつ抜きんでいた程度。
北家の台頭は、南家、式家が没落した平安時代を待たなくてはなりません。

> あと >還学と留学〜 還学てのは文化を持ち帰ってくる一時留学
> て事だろうけど、この時代の留学生ってのはデフォは逝きっぱなしかい?

当然留学生も帰国するのが筋ですよ。
しかしあきらかに差はありました。

> > 藤原氏への誤解が濃厚ですな……(´ω`;)。
> つーのはどういう事かな?

これについては上記にも説明しました。
また、冷泉家について誤解があるようですが、これは藤原氏の一員ではありますが、
すでに主流の藤原氏から外れた傍系です。
始祖は鎌倉時代の中流貴族である藤原定家で、
藤原本家から遠く隔たっていました。

115さんが見たいと思うような史料に関してはですね。
もしもあったとしても今ないというなら応仁の乱で焼けちゃったのかもしれません。
154( ´台`)v(´▽` )ノ750:04/10/11 18:13:09 ID:lTl0Q0mj
 >>152
 ベトナムのドンズー運動とかビルマの三十人志士とも近いね。
155<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:04/10/11 18:16:52 ID:HGKzmlP/
>>124
最澄は還学僧です。
これ関連のスレは日本史板には立ったのかね
157<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:04/10/11 18:33:05 ID:bTkY304o
井真成は、いまなりと読み、いまは倭語の今、なりは韓国語のなら(国という意味)から
変化したものである。この事から、倭に強制連行され、今住んでいるのは倭だが、故郷
である古朝鮮を想い名づけたと考えられる。また、本来、唐王の精神的支柱である、
古朝鮮の優れた思想、科学の師範役は韓民族であり、井真成も唐王の教化の為、渡来した
が、倭の仲麻呂の讒言により、不当に従五位という低位に押しとどめられた。実際は
唐王の師範役は、古朝鮮皇帝より唐王に下賜され、唐の太政官の長と同位の地位が
ある。
158( ´台`)v(´▽` )ノ750:04/10/11 18:36:03 ID:lTl0Q0mj
 >>157
 民明書房か・・・・
>>157
なにを偉そうにひとの国の言葉使って嘘八百を書き連ねてんだ?
日本語を使うな。嘘を語るな。日本に関わるな。
どこか他所の国の内輪でやっとくれ!
日本がその腐った性根に汚染されるのは勘弁な!
160( ´台`)v(´▽` )ノ750:04/10/11 18:47:23 ID:lTl0Q0mj
 >>157
 唐の李家の方が朝鮮の李家よりはるかに古いのだが…この事実を何と見る。
 
161<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:04/10/11 18:52:25 ID:hTRySujy
<`∀´;≡;`∀´>

世界太古の半島の王朝の話が出て来ないニダ
162<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:04/10/11 18:58:00 ID:0caxd2CL
>>159
民明書房刊 究極なる奥義のガイドライン
http://that3.2ch.net/test/read.cgi/gline/1094861945/
>>157
>倭の仲麻呂の讒言により、不当に従五位という低位に押しとどめられた。

オイオイ、韓国人が日本を支配してたという、おとぎ話はどうした?
164<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:04/10/11 19:00:32 ID:cn4V2Oeq
>>157
遣唐使まで在日認定か!!
ナラがどうして韓国語なんだ?「なら」すとか「なら」うとかのナラは韓国語か?
166<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:04/10/11 19:15:07 ID:9rrz0JG8
>>13
漏れも。°゜(≧Д≦) ゜°。
167157:04/10/11 19:18:05 ID:bTkY304o
続き
また、文献に出てくる日本という国号は、井真成が考えたものであり、当初は
ひのもと(ひは、火また非、災いの元であり、野蛮という意味)であったが、まだ
教化されていなかった唐王が誤って日の本という字をあてがったものである。
倭に対する、野蛮であり災いの元という真成の認識は、後年、倭公秀吉や、日王裕仁
の韓半島大侵略によって、より強固に実証された。
168<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:04/10/11 19:20:19 ID:hTRySujy
>>167 半島はこの件には何の関係も無い
そもそも国として存在していないだろ
169<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:04/10/11 19:21:24 ID:c9qyR+ew
テスト
170<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:04/10/11 19:26:11 ID:cn4V2Oeq
>>167
日本の国号はチョンの何とか言う坊主がつけたことになってたろ。
お前の国では。
>>167
わらた。「倭」と言う文字がよろしくないから「日本」に変えたんだろ?
172<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:04/10/11 19:58:30 ID:kIQdaDst
語彙前置詞文法語法構文解釈
まさに「中国の壷」だね。
この漫画家さん、よく勉強してるんだなぁ。
もちろんこのことは知らなかったはずだけど、イメージを膨らませて
ストーリーを紡ぎあげたわけだ。
174<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:04/10/11 20:54:25 ID:0+6Nuy0M
マジで?>日本の国号が韓国が付けた<韓国の新聞あたりにのってたの?
175<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:04/10/11 20:55:30 ID:rGFemnYO
>>174
ンなわけないじゃん
176頓珍漢:04/10/11 20:59:10 ID:BNQUokgX
>>153
分かりやすい説明ありがと。

多分云いたいことは判ってたんだが
遣唐使は外交員じゃありませんって書いてあったんで
「そりゃー違うだろー」と思ったのと藤原氏への誤解つーのが
判らんかたのであえて質問してみました。

北家云々は>>1の717年見落としてますた。
よく考えたら時平と廃止した官公が同世代だから掌握前ですね。
717年は恵美押勝と道鏡よりも更に前。トンデモ間違いw

定家が傍流の為冷泉家が生き残ったのも承知してましたが
現存する藤原家で未開拓の資料が残ってるのは冷泉家
ぐらいかなぁと思った訳です。

おいらは只の歴史好きなんで>けっこう勉強〜て云われると
うれしいやら、はづかしいやらw>>153氏はどっかの先生さん
のようでつね。

ついでに冷泉家では先の大戦で家宝が沢山燃えちゃいました
って云うらしけど「先の大戦」が応仁の乱らしいですなw 爆笑しました。
177<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:04/10/11 21:05:50 ID:pUVhLdPR
>>13

麻雀やってて、人が死ぬ奴ですつか。

「ああ、穴があったら入りたい」 

・・・ところで、穴があったら入りたいって言う表現、いつ頃からあるんでしょうな。

そもそも、日本発?中国発?
178<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:04/10/11 21:16:59 ID:rGFemnYO
国号・日本の由来

もともと日本は「大和(ヤマト)」という国号でした。

大和は国のまほろば(理想郷)、たたなずく青垣、山籠もれる。大和し、美わし。
(やまとはくにのまほろば たたなずくあおがき やまごもれる やまとし うるわし)

これは倭建命(ヤマトタケル)の歌です。

『万葉集』では〈ヒノモトのヤマト〉と云うよう、古くからの国号である大和にかかる枕詞
として用いられていました。聖徳太子が隋に対して「日、出ずる国より、日、没する国へ・・・」
という手紙を渡し、隋の煬帝を大変怒らせてしまったことは歴史的にも有名ですが、その後、
天智天皇二年(663)8月27日「白村江の戦い」の後、天智天皇が国号を其れまでの
倭国から日本に改めました。奈良時代初期、それまで口伝だった大和民族の歴史が
古事記という形で記述され、ヤマトタケルは”日本武尊”とも表記されるようになります。

奈良時代の日本と朝鮮との関係は「日本>朝鮮」でした。格下の朝鮮ごときが日本の
国号の名付けに関わったなど、妄言もはなはだしい。ウェーハッハッハッハッ……(´ω`)。
きっと前から見つかってたんだろうな。中国へのODA削減検討やガス田開発の諸々の話であせって出してきたのだろうな。
外務省、だまされるなよ! 
>>179
手をかえ、支那を替えって…
181<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:04/10/11 22:03:14 ID:askz+wKM
日本の留学の学生は命を懸けているし非常に優秀であったんだ。
それに比べ今の中国の留学生は何なんだ。
勉強もしないで人殺しに強盗に泥棒が随分いるようだ。
韓国も中国も少しは見習えよ。
>>171
そうでもないらしい
結構倭って名前は気に入ってたみたい
実際に史書にも頻出するしね
ただ自分達で国名つけようって感じで変えたんじゃないかな
183<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:04/10/11 23:34:49 ID:BNQUokgX
倭寇って本人達はどう呼んでたんだろ?
結構カコイイ字面だけどな…
>>181
日本も見習ったほうがいいよ…。官僚などの国費留学生が
ろくに勤めないまま企業に逃走するケースが
散逸するんだから。
>>73
> 同じ留学生でも裸踊りした連中には
> OTZ
> 先人の顔に泥を塗ってはいかんよ

何を根拠に言っとるのかね君は。
この報道の真意は、「唐の恩に報いる為に
支那人留学生をもっと受け入れ手厚い保護を与えましょうね、
恩著せがましくせず恩に報いるように」と繋げて
九割が落ちたらしい支那人留学生の選考を
有名無実化ないし白紙撤回させる事にある。

本件を美談として扱うのはいいが、それと現在の政治的決断は別だ。

以下蛇足。既出の通り、共産支那と唐の間に連続性は無い。
また唐は対外膨張主義で、だからこそ当時の日本は、
危機感を抱いて敵情視察・文物摂取を行ったのだから
一方的に恩を感じる必要も無い。
>>61
一部の特権階級の横暴を許し、時代が要請した改革を進める事の
できなかった蒋介石は、いくさに勝ったとしても簡単に崩壊だろうね。
毛沢東の理想は(農民搾取の解放と)U.S.支那だったと聞いたことがある。

いわゆる、地方自治と中央のバランスの良い関係。
どうも、唐の文化があんなに栄える事ができたのは、
この関係に近い事があったのではないだろうか?
均田制と郷里臨保制、科挙等。収入と土地の安定、機会の均等。
そして注目したいのが羈縻(きび)支配。<支配の均等と呼んでもいいかも
今の中共の一国二制度、特区もこの考えに近い。<柵内でという所が問題だが

"一方で土地兼併・商業資本の発展は無産人民の増大を助長"とあるように
盛者必衰で、現代日本も構造的な対応で学ぶ所はまだまだある。(反面
まぁ唐はその後、お決まりの腐敗と分国化(藩鎮勢力台頭)の混乱が起きるわけだ。

支那の風土は必然として、分国化を望んでいる様に思える。
これに答えるには、まず支那は多国間主義を国内で実施すべきだろうな。
しかし理想だけはごたいそうだったが
毛沢東スズメ取りすぎて大失敗の巻
189:<:04/10/14 14:56:00 ID:5rjshKh9
日本書紀、続日本記については、講談社学術文庫
がお勧め。現代語訳で分かりやすいよ。 
あそこ、ラインナップは良いけど、薄い割にとにかく高いからな……。
>>189
講談社学術文庫なら

平泉澄/〔著〕  物語日本史 上中下
http://esbooks.yahoo.co.jp/books/search_result?writer=%ca%bf%c0%f4%c0%a1%a1%bf%a1%cc%c3%f8%a1%cd

が絶対お勧め
歴史の見方が変わりました
素直に山川の日本通史でも読んだはうが良いと思うぞ。