2 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:04/10/11 03:21:57 ID:sRHT5p6v
2get
3 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:04/10/11 03:22:03 ID:QAkfjbhF
4 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:04/10/11 03:22:39 ID:9eCGNsVR
朝鮮人には、こんな歴史はありませんな。
5 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:04/10/11 03:23:04 ID:/DUtYfPN
半島関係は何も出て来ませんですた(w
6 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:04/10/11 03:23:09 ID:by/74DzC
4get?
7 :
窓爺 ◆45xZXHpXn. :04/10/11 03:26:52 ID:MqYQ0tox
唐はまともな国だったみたいだな。
あの時代海渡って他国にいくなんて命がけだからなぁ…。凄いよなぁ。
故郷の土踏みたかったろうに…。
9 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:04/10/11 03:28:05 ID:HeZDsKyx
西安の西北大学ねぇ、日本人もう居ないよなあの暴動で。
10 :
NPT:04/10/11 03:54:20 ID:HvFz2m3g
玄宗皇帝が官位贈る
「魂は故郷へ」
「日本」認める最古発掘史料
強調したいところは各紙それぞれさね。
墓誌残す位だから凄い有能な人だったんだろうな。
戦前に発見されたら文革で壊されてたろうから今見つかって良かったね。
日中間にはこれがあるからね、1300年前の墓誌か、凄いな
古代から中世初期は日本が中国から学び、近代に入ってからは
中国から日本に学ぶ、良い関係ではないですか。
それに較べてキムチときたら・・・
13 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:04/10/11 04:00:26 ID:WC/gfry0
川原 泉の「中国の壷」を思い出したよ。
14 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:04/10/11 04:03:39 ID:QOG2VuRg
こういうニュースも政治的な裏があるのではないかと思ってしまう。
中国の日本におけるイメージが悪くなると、古代から両国間には友好関係があった、
といってキャンペーンをはじめる材料にしてしまうのはよくある。
あるは、西安への観光客が減っているので、宣伝してもらいたいのかも。
15 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:04/10/11 04:05:01 ID:BvnJkse4
>>11 今後無いとも言いきれないのがなんとも…。
>>7 唐は漢民族じゃなくて西域人だからな。中国史上ではほとんど唯一の仏教国家のはずだ。
西遊記もこの時代だし。この王朝だけは嫌いになれんな。
阿倍仲麻呂、吉備真備の同輩かぁ、
玄宗に楊貴妃に安禄山、詩人だと李白に杜甫に陶淵明、
でっけえ反乱はあったが良い時代だねえ
>>17 こう並べただけでも壮観だな
中国と日本は、やっぱすげぇ
あまのはら〜
21 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:04/10/11 04:09:53 ID:36DNaiB9
記録によると、この留学生は胸に布を当てて裸になり、これが「唐人だ」と
言って大騒動になったらしい、、
民明書房 「これが中国人だ!!」より
22 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:04/10/11 04:11:59 ID:Fw2ROxu9
古代の中国と、今の中国。
なんでこんなにイメージがかけ離れちゃったんだろう。
やっぱ共産主義が悪いのか?
23 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:04/10/11 04:12:19 ID:BvnJkse4
>>16 西域人とはまた大雑把な…鮮卑族といってやれよ。まああんまりいい名前じゃないが。
「姓は井、字は真成。国号は日本。天賦の才能をもって、唐に渡り、
勉学にいそしんだ。学問を修め、官吏として朝廷に仕えた。
礼儀正しさは比類のないほどだった。
しかし、開元22年(734年)正月、急病のため36歳で死去した。
皇帝は死を悼み、尚衣奉御という官職を贈った。
2月4日、サン水(さんすい)のほとりに埋葬した。
遺体は異国の土となったが、魂は故郷へ帰る」
( ;д;)
凄いよぉ…。こういうの映画化してくれよぉ。しなくても
十分感動だ…。
26 :
窓爺 ◆45xZXHpXn. :04/10/11 04:25:41 ID:MqYQ0tox
支那人はいつ劣化したんだろ?
27 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:04/10/11 04:30:12 ID:BvnJkse4
>>22 同じ中国としてみる方が無理があるのかもな。中華幻想というか…。
もともと交易だとかを通じて異民族交流が当たり前だった鮮卑族の建てた唐朝と、
他民族王朝が弱体化したのに乗じて(ウルトラ)ナショナリズムを前面に出して打ちたてた
漢族政権とでは当然中身が違うわな。
いわゆる中国って認識されてるものって、古代においては現代の国際法とか、民主主義的手続きとか、
そういうものだったのだと思う。
うーむ…明の時代に日本を属国の表現して秀吉ぶち切らせたのは
わかるけど…。宋(?)の時に貿易したくて足利将軍が下手に
出て非難が出たのもあったか…。
29 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:04/10/11 04:33:40 ID:VBuVMMrX
吐くよゲーゲー遣唐使
せんせーひつもんです。
あべのーなかまろとーもうりさんやーあきやまさんおー
くらべるとーどちがーえらいでつか?おしえてくださいっ!
窓爺はいつ寝てるんだろ?
32 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:04/10/11 04:51:06 ID:iXYmj0iA
>>25 たしかヘブンアンドアースってやつで中井貴一が遣唐使役で出てた。
33 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:04/10/11 04:51:17 ID:BNQUokgX
>>24 和名残ってないのかね?
送り出した時の資料あるだろうに…散逸しちゃったか?
>>32 北大路欣也の空海もおもしれかった。
(今は↑襲名したんだっけ?)
35 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:04/10/11 05:02:59 ID:QkojOX57
西域人ってことは漢人に拷問されてるウィグル人の国家か?
>>33 >井は、中国風に姓を1字に変えたもので、真成は本名とみられる。
>日本や中国の文献には相当する名前はなく、全く無名の人物。
>東野教授は渡来系の葛井(ふじい)氏の一族と推定している。
だそうだ。
37 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:04/10/11 05:26:04 ID:KKoJeDP7
井氏の日本の家族は帰ってくるのをずっと待っていたんだろうな...
>>36 レスさんくす。
葛井(←づっと”くずい”って読んでたよ 恥)真成 (まさなり?)
>日本や中国の文献には相当する名前はなく、全く無名の人物。
へぇー、日本にも残ってないんだね。超エリートのはずなのに。
留学つーても死ぬのが半分デフォの外交官だたーら
名前ぐらい記録しといてやれよなー >藤原氏
って冷泉家ひっくり返したら文献あったりして。
39 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:04/10/11 05:33:02 ID:BvnJkse4
俺の祖先だな
41 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:04/10/11 05:57:36 ID:+VY36Cbq
丼(どんぶり)氏という可能性は無いのか??
42 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:04/10/11 06:04:08 ID:tEpqGXqn
唐って人種・民族的にはコーカソイドがモンゴロイドのどっちなんだ?やっぱモンゴロイドかな?その中間か?
学術的にはっきりしているのか?エロい人教えてきぼんぬ
43 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:04/10/11 06:13:24 ID:IlFdeK74
この頃の日本人の向学心ってすごいよね。
半数近くは戻ってこれないところに勉強に行ったんだぜ。
戦争だと、部隊の1割が死傷したら大損害って言われるのに。
死亡確率50%以上だもんな。すごいよ。
この時代からの向学心の伝統あってこそ、俺たちがいるのだな。
偉大なる祖先に乾杯だ!
>>14 ありありだよ!友好に持っていきたいんだろうな。もう日本でこんなニュースでかく報道するな!
中国側なんだよ問題は。日本にばかり友好を求めてももう駄目 嫌になってる。
>46
「感動は危険だ!」(無頼伝・涯)を地でいく戦略だな。
たしかにロマンを感じる記事ではあるが。
48 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:04/10/11 06:21:05 ID:8hTU2LcA
最後の一文「魂は故郷に帰ることを願う」・・・・泣かせるね!!
中国が日本のことを脅威と見るのは元寇からで
それ以前の文献では割と日本に好意的だったりする。
50 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:04/10/11 06:26:57 ID:CjX9y6Th
>>43 北朝鮮脱北者みたいなもんだろうね
日本いいても文明のかけらも無かったんだろうね
ちなみに中華ナショナリズムが危険物になるのは明以降だよね。
52 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:04/10/11 06:31:07 ID:CjX9y6Th
>>51 メキシコ銀の生産のせいで人口が増えたからだっけ?
53 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:04/10/11 06:32:05 ID:CjX9y6Th
>>52 いや、モンゴル人に圧迫されてたのをおっぱらったから、もう二度とあんなのはごめんだとなって中華民族バンザイモードに突入。
>>53 やってる。けど尾は引かなかったはずだ。
この時期にこんなニュース 薄ら寒いほど気持ち悪い中国のやり方。
前々から見つかってたに決まってんじゃん。あーキモ
56 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:04/10/11 06:44:38 ID:BNQUokgX
57 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:04/10/11 06:48:45 ID:BvnJkse4
>>42 鮮卑族はトゥルク系、もしくはモンゴル系とツングース系の混血だから、そこに漢系が入ったとしてもモンゴロイド。
ただし政府内にはコーカソイドもいた。安史の乱の安禄山はイラン系のソグド人(コーカソイド)と突厥(モンゴロイド)のハーフ。
都合が悪いと旧日本軍
日本の感情が悪化するとこういったニュース
59 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:04/10/11 06:55:28 ID:alKNWJdK
60 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:04/10/11 07:02:01 ID:qnSiAv1t
巷間言われてるように、当時の漢民族は絶滅した。
61 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:04/10/11 07:08:52 ID:BNQUokgX
毛沢東が負けて国民党が天下取ってたら
台湾みたいにちぃとはましな中国になって
たんでしょうかねぇ?
工事現場で発見か。墓自体はもう潰れちまってるだろうな。
現代じゃ中国人が日本に来て犯罪記録に名を残してるね。
64 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:04/10/11 07:16:27 ID:gFtLW7G5
こんな見えすえた方法でチャンコロの反日活動を忘れる日本人はいないぞ。
65 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:04/10/11 07:21:05 ID:aPoc0Z02
>>57 突厥はテュルク系だからコーカソイドではないの?
>>61 いや無理だろ。
国民党も共産党とイデオロギー以外は同じような物だし
日本の統治下にあった台湾と中国本土では民度が違い過ぎる。
中国本土に国民党が残ってたら李登輝もいない訳だし
イラクのフセイン体制みたいな感じになってそう。
67 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:04/10/11 07:40:26 ID:i2CbdFaf
首相が阿倍仲麻呂の赴任先とみられる遺跡を見学
【ハノイ=中山真】「1300年前にもベトナムと日本の知られざる交流があったんだなぁ」――。
ベトナム訪問中の小泉純一郎首相は10日、奈良時代に留学生として唐に渡り、官職に就いた
阿倍仲麻呂が赴任した安南都護府(7―9世紀)があったとされるハノイのタンロン遺跡を見学した。
政府は遺跡保存に協力する方針で、現場を目の当たりにした首相は「支援のしがいがある」と満足げ。
「仲麻呂は(中国の官吏登用試験の)科挙に合格しているんだよ。信じられないような波乱万丈の
生涯だよな」と知識を披歴していた。 (20:04)
http://www.nikkei.co.jp/news/seiji/20041010AT1E1000210102004.html 唐の都、もう一人の仲麻呂がいた? 墓誌発見の日本人
〈阿倍仲麻呂とは〉墓誌の人物とともに留学生として唐に渡った阿倍仲麻呂は玄宗皇帝にその才能を認められ、
朝衡(ちょうこう)などと名を変えて唐王朝の要職を担った。一度は帰国の途に就いたが船が難破して安南
(現在のベトナム)に漂着。再び長安に戻り、安南節度使などを歴任して770年に中国で亡くなった。
その名は「続日本紀」などに見える。李白や王維ら一級の文化人とも交遊し、彼らの惜別や哀悼の詩にも
うたわれている。「天の原ふりさけ見れば春日なる三笠の山にいでし月かも」という歌でも知られる。
http://www.asahi.com/culture/update/1010/005.html >>17 阿倍仲麻呂、吉備真備の同輩かぁ、
阿倍仲麻呂本人の墓って可能性はないのかな。
68 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:04/10/11 07:47:00 ID:X/1XLMDT
>>67 >阿倍仲麻呂本人の墓って可能性はないのかな。
阿倍仲麻呂はもうちょっと生きたんじゃなかったかな?
4糞!
>>70 別人であってくれたほうがいい。偉人が二人に増える。
72 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:04/10/11 08:15:47 ID:Cr8moDbi
73 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:04/10/11 08:18:13 ID:yDTlVNyG
同じ留学生でも裸踊りした連中には
OTZ
先人の顔に泥を塗ってはいかんよ
74 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:04/10/11 08:20:55 ID:qSM+di/b
日の丸は描かれていたのか?
75 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:04/10/11 08:22:37 ID:3aTreoAQ
この話、感動的だけど。
当時の唐の唐人と今の支那人は全く関係ないからね。
そこんとこ、よろしく。
76 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:04/10/11 08:26:23 ID:eyBxfoot
77 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:04/10/11 08:32:44 ID:qSM+di/b
>古代の日中交流史を解明する一級史料となる。
たしかに紛らわしい。
古代の日唐交流史 とすべき。
78 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:04/10/11 08:33:40 ID:oHwsXYCZ
今も昔も命がけ
学ぶものがたくさんあった8世紀の本物の中国
現在のアメリカ並みの他民族国家だったんだろうか
今行っている人は何を学びに?
79 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:04/10/11 08:34:55 ID:jR88fu+1
東シナでの油田問題で窮地に立たされた中国
近日中に外務省と実務者協議が始まる訳だが、今回のこの出来事は明らかにカモフラージュ。
外務省のやり取りを慎重に見守ろう。
80 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:04/10/11 08:35:12 ID:4z3+7Gok
82 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:04/10/11 08:41:58 ID:MaVoZabv
古のシナに想いを馳せ
今の中国に殺意を抱く
>>75 え、そうなの?
シランカッタ。
いわゆる支那人は明からってことでいいの?
唐って漢人の国じゃないんでしょ?
85 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:04/10/11 08:59:53 ID:xv32ChPL
>>16 日本の僧の円仁が遣唐使として唐へ行った頃は丁度仏教弾圧が始まった頃だった。
>>38 > へぇー、日本にも残ってないんだね。超エリートのはずなのに。
> 留学つーても死ぬのが半分デフォの外交官だたーら
> 名前ぐらい記録しといてやれよなー >藤原氏
> って冷泉家ひっくり返したら文献あったりして。
遣唐使は外交官ではありません。唐の文化を学ぶ為の留学生です。
また、遣唐使として派遣される人達は還学と留学の2パターンがあり、
エリートは還学の方です。
あと、藤原氏への誤解が濃厚ですな……(´ω`;)
平安初期の838年、遣唐使として唐へ渡った円仁の生の日記があります。
興味のある方は読んでみるといいと思います。>『入唐求法巡礼行記』
また、井上靖の『天平の甍』も遣唐使が主人公でなかなか面白いですよ。
唐と支那に国家的な連続性はない。
古代中国 ≠ 現代中国
そんなことない
民族の流動が激しいからいまの中国人の直系ってわけではないけど
>>75 > この話、感動的だけど。
> 当時の唐の唐人と今の支那人は全く関係ないからね。
> そこんとこ、よろしく。
こういう話、よく聞くけど、具体的にはどういう事よ?
易姓革命とかいうやつの事?
こういう墓誌を視ると「日中友好も夢ではないな」と思えてくる。
無論、今の中国とは無理だが・・・。
90 :
縄文杉の独り言:04/10/11 09:21:27 ID:fnDy+zGl
遣隋使派遣の理由、
二ダーが口癖の恩着せがましいストーカーを避けるため?。
遣唐使廃止の理由
菅原道真の政治的思惑もあったが、
「もう学ぶものが無い」というもの。
宋代までは、多少学ぶものが残っていたが、
元・明・清、中華文明は劣化して
残念ながら学ぶものが見当たらない。
19世紀末からは、日本への真摯な留学生が急増。
20世紀半ばには、毛沢東思想を輸入して爆弾闘争を実践、迷惑。
20世紀末からは、日本へ金目当ての残忍な留学生が急増。
91 :
:04/10/11 09:23:14 ID:Zghb8eit
何で東シナ海ガス田問題に外務省が出しゃばるんだ?
担当は通産省だろ!
通産省の役人に通訳付けて交渉させたほうが余程国益に貢献するぞ。
日米繊維交渉、半導体交渉、自動車交渉、オレンジ交渉、、、
全部、頑張る通産省の足を引っ張る外務省ってパターンだったろ。
92 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:04/10/11 09:23:24 ID:PKcc2dGi
>>65 (突厥はテュルク系だからコーカソイドではないの?)
テュルクのプロトタイプはモンゴロイド
>>88 南宋 → 元 これで古代中国は終了。
明は朱元璋が新しく作った国。古代中国との連続性はない。
94 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:04/10/11 09:31:31 ID:BJ1Sd/VM
これは大発見といえるね、文献資料で名前が残ってないのが残念だけど
歴史に名が残されていない偉人は非常に多いんだろうな…
95 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:04/10/11 09:39:44 ID:RkJT6h3n
>>88 ようするに大陸には沢山の民族がいたって事です。
大雑把に言えば
漢の時代は漢族が、
元はモンゴル族が、
清は満州族が、みたいな。
易姓革命は王朝が変わって、王家の姓が変わるって感じで。
毎日ニュースに井真成が従五品上に昇格とあるけど、当時の仲麻呂より高い階級
与えられたのか。。
この話はロマンがあって良いよなあ。。
97 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:04/10/11 09:49:52 ID:OZRxSZlv
留学とは異国の土になることなんだな。
凄まじい決意だよな。
98 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:04/10/11 09:50:57 ID:8Mg4y/NG
>>90 結局中国では、文化らしいものは唐以来
何も出てこなかったということか。
このニュースの第一報を聞いて歴史を政治に利用する中国の伝統的手法を
思い浮かべた人がいるのに同感した。
アジアカップ、東シナ海その他の問題を収束させて経済協力を今後とも得たい中国の
戦略はお見事と言いたい。
>>99 なにがお見事だよ。
下手な鉄砲も数打ちゃ当たるでメチャクチャなのにわざわざ日本の方から弾に当たりに行っているだけ。
馬鹿まるだし。
103 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:04/10/11 10:46:06 ID:askz+wKM
中国は易姓革命だが日本は万世一系だ。
だから中国の皇帝は姓があるが日本の天皇家には
姓そのものが無い必要が無いのです。
いわば日本の総本家なんだ。
そんな全く基本的なことも知らない日本人が多いこの頃だ。
中国へ命がけで勉強に出かけた留学生が沢山居たのだ。
教えた教えたの親切の押し売りの朝鮮には日本の留学生が出かけて
命懸けで勉強したなんて全く無かったのは如何していなかったんだ。
教えを乞えるような人物も文化も今も当時も
朝鮮には何も無かったとしか思えない。
104 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:04/10/11 10:49:23 ID:w5eVYbpG
井真成については井上忌寸かともあったな
どっちにしろ渡来系の可能性が高いわけだ
これは日本人が強制連行されていたというまぎれもない証拠だな。中国に謝罪と賠償を要求する。
仲麻呂もたしか全く別の名前になってなかった?
出身がどうとかはまあどうでも良いけどね。
108 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:04/10/11 11:22:39 ID:UnIzAxHQ
MCコミヤ
109 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん :04/10/11 11:23:30 ID:VFLmcgZv
中国は偉大な国だな。
世界の中心だよ。
110 :
窓爺 ◆45xZXHpXn. :04/10/11 11:24:33 ID:MqYQ0tox
111 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:04/10/11 11:42:00 ID:20iX3oNw
>西安市内の工事現場で見つかり個人が収蔵していたものを西北大の博物館員が
収集した。
あやしい?
開運なんでも鑑定団、シナの掘り出し物の偽物確率99%。w
純一郎君がベトナムのタンロン遺跡で阿倍仲麻呂を思ったりする所を見ると
更にアヤシイ。
「 偽 物 」確率99%に1.500.000トルコリラ。
唐名といえば小野妹子→蘇因高が有名だな
113 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:04/10/11 11:52:47 ID:t+yotINH
帰化系でなく、渡来系というのが一般的なのか。
おれが習ったときは渡来系なんて言葉は使ってなかったのに。
葛井寺(ふじいでら)
●交通● 近鉄南大阪線「藤井寺駅」下車、南へ5分。
藤井寺という地名の起源となった寺で、百済系王氏の子孫
である葛井連の氏寺と伝えられています。
このネタで、チョンと語る時は、注意。
帰化してるのだから日本人なんだが、「百済系だから在日朝鮮人」として
「ウリナラマンセー在日認定」する可能性があるからね。
115 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:04/10/11 12:08:14 ID:BNQUokgX
>>85 > 遣唐使は外交官ではありません。唐の文化を学ぶ為の留学生です。
> また、遣唐使として派遣される人達は還学と留学の2パターンがあり、
> エリートは還学の方です。
おいらが了解してた遣唐使の目的は
第一に時の権力者が自らの権力を権威付ける為
第二に朝貢貿易による利権
第三に留学(還学?)生による文化の接収
と考えてたのだが違うのかい?
確かにこの頃は藤原北家が完全に掌握しちゃってるから、派遣当初の
第一義の理由は薄いかもしれないが、おかしなヤツを留学させたら
それこそ国威にかかわる訳で選ばれた人間しか乗船できないと思うのだが。
あと >還学と留学〜 還学てのは文化を持ち帰ってくる一時留学
て事だろうけど、この時代の留学生ってのはデフォは逝きっぱなしかい?
おいらは全ての留学生はいつかは日本に帰ってくるもんだとおもってたが?
逝きっぱーの学生を乗船させるメリットは権力者にとって殆ど無いと思うのだが。
> 藤原氏への誤解が濃厚ですな……(´ω`;)。
つーのはどういう事かな?
第一義の理由が薄れた遣唐使は利権化してると思ったので、誰かは詳しくは
知らんが、時の北家当主の旗振りで派遣されていたんではないの?
少なくとも国家事業の側面も大いにある訳だから公文書や日記等に詳しく
乗員名簿や朝貢品目、出港日等が記録されていると思って「冷泉云々」に
なったんだけど? なんか誤解してる?
紹介さんくす『天平の甍』の方は映画も見たし読んだけど忘れちゃったw
>>113 > 帰化系でなく、渡来系というのが一般的なのか。
> おれが習ったときは渡来系なんて言葉は使ってなかったのに。
それはね、ど腐れチョソの抗議で変わったんだよ。
アイツらが言うには、帰化って言葉には文化の低い国の人間が高い
国に同化したってイメージがあるからおかしいんだとよ(プ
117 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:04/10/11 12:31:40 ID:7wguJXXz
中国って古来、臣下の面倒は良かったんだよ。
だから今も、日本政府はODAという形で中国様に礼を尽くしてる。
118 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:04/10/11 12:32:08 ID:swcZ/uSW
>>85 > 遣唐使は外交官ではありません。唐の文化を学ぶ為の留学生です。
> また、遣唐使として派遣される人達は還学と留学の2パターンがあり、
> エリートは還学の方です。
誤解があるようですね。
遣唐使の目的は、
・両国間の外交事務
・貿易
・文物制度の吸収。
というまとめ方がいいとおもいます。
大使と副使は、外交官ですから、当然、業務が終わったら早めに帰ったわけです。
留学生は唐の国家の補助を受けながら勉強しました。
長くいたのは結果的にそうだったのであって、帰る予定であったことは疑いないと思います。
留学僧は、国家補助と民間の援助の両方をえられたので、中国を広く歩き回った
ような人もいたようです。
遣唐使の停止は、唐自体が事実上黄巣の乱で滅んだことが原因です。
119 :
:<:04/10/11 12:40:34 ID:Pb0VsD5p
717年か、日本では文武天皇の頃だね。
先帝の持統天皇が、律令制を配布してようやく統一国家として歩み出したけど
まだまだ令が全国に行き渡ってなく、税の徴収も不完全でまだまだ唐から学ぶ
事は沢山あったんだね。この人も日本をより良くしようと、頑張ってたんだね。
(−人−)
120 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:04/10/11 12:44:00 ID:eWbzaO6P
日本人はこの頃の中国とと同じ印象を今の中国に持っているが
そろそろ幻想は捨てないとな。
121 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:04/10/11 12:44:45 ID:tr+phmb8
しかし、日本の文献は正確だな。
122 :
:<:04/10/11 12:45:54 ID:Pb0VsD5p
ごめん元正天皇だった。先帝は元明天皇。
すみません。この頃は、税から逃れるため民の戸籍離脱が多かった時。
123 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:04/10/11 12:46:14 ID:VifJIure
そうだな。今の中国と唐の関係は、
例えて見れば、今のトルコとイオニア都市国家の関係みたいなもんか。
124 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:04/10/11 12:48:19 ID:uNRop4d9
空海や最澄といった留学僧なんか、現地で厚遇されたようだね。
遣唐使と遣隋使では、唐のほうが圧倒的にグローバルだ。
あと、この時代の貿易は朝貢貿易だ。
行き先の政府が権威付けに行うので、使節の扱いは大々的で親切だ。
問題は、非対称な貿易なので、朝貢するほうが圧倒的に儲かること。
正倉院の御物は朝貢貿易と留学僧の収集文物が中心だが、唐の流行が金ぴかだったのに対し、地味なハイテク職人芸が圧倒的に多い。
奈良時代の日本にとって、金なんか河で取ってこれるもので、大して価値が無かったのですね。
反面、唐の文化を丸ごと持ち帰った審美眼は大したもの。遣唐使のレベルの高さがうかがわれます。
>>124 中国は伝統的に国粋主義が強いが、唐というのは中国で例外的なくらい国際的だった時代らしいね。
まあ元ははっきり征服王朝だからもっとそうだっただろうけど。
唐の時代は儒教でなく仏教が優勢だったこともそういう雰囲気に影響しているという人もいる。
127 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:04/10/11 13:12:48 ID:S3l7Vjvn
なんか好きな人にはたまんない一品なんでしょうね
128 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:04/10/11 13:14:48 ID:DE8Hva3H
関係ないけどおまいらに質問。
なんで悲惨指数のスレ、スレストくらってんの?
130 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:04/10/11 13:21:52 ID:KArIOkwS
「国号日本」の起源は韓国ニダ。
131 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:04/10/11 13:30:38 ID:i2CbdFaf
133 :
67:04/10/11 13:58:55 ID:i2CbdFaf
こうして異国で玄宗皇帝の信任も得て出世を重ねていった阿倍仲麻呂も、56歳の高齢になり、ようやく上述の如く、
「中国側の使節」という形での一時帰国とはいえ、祖国・日本に戻れることになったわけだ。しかしながら、無情にも
この船団は、阿児奈波島(沖縄本島)に到着後、北の奄美に向う途中で暴風雨に遭遇。阿倍仲麻呂が大使の
藤原清河らとともに乗った第1船だけは遠く南に押し流され、驩州(現在のベトナム北部・ヴィン附近)に漂着する。
ベトナムに漂着した阿倍仲麻呂たち一行は、土地の盗賊に襲われたりして、170余人が死んだといわれる。
しかしながら阿部仲麻呂と藤原清河は奇跡的に生き抜いて、755年6月、長安にたどり着く。阿部仲麻呂たちは、
既になくなったと伝えられていたため(交友のあった唐の詩人・李白(701年〜762年)は遭難の知らせを聞いて
「晁卿(仲麻呂の中国での名前)の行を哭す」という七言絶句を作っている)、この長安への帰還は、人びとを驚かせた。
http://www.mekong.ne.jp/linkage/abenonakamaro.htm 仲麻呂は一度死んだと思われてたんだね。まあそれでも仲麻呂50代のときだから
井真成と同一人物とするには無理かもしれない。
一応報告まで。
134 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:04/10/11 14:00:48 ID:AH5QG4M3
どこか全文載ってないの?
っていうか、このころの中国も実際には今と同じようなDQN国家だったんだろ。
136 :
窓爺 ◆45xZXHpXn. :04/10/11 14:15:15 ID:MqYQ0tox
>>135 > っていうか、このころの中国も実際には今と同じようなDQN国家だったんだろ。
今の基準では世界中がDQN国家だから
別に唐がDQN国家であっても無問題。
問題は、支那がそこから進歩しなかったこと。
137 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:04/10/11 14:27:30 ID:SypncIYz
そこはかとなく政治くさいニュースですね。
138 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:04/10/11 14:33:36 ID:/qHG8fr7
今、この発見が報道されるのが中国のしたたかさだ。
日中関係がギクシャクしてるのを解決するために今、発表した。
今後も日中で揉め事があったときはこのような過去の友好関係の情報を
日本に流す。
逆に日本を攻めるときは科学兵器が発見されたり虐殺の資料をだす。
恐ろしい国だ。
139 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:04/10/11 14:41:06 ID:VQi09hY4
こういう話があっても、結局は唐の時代で交流は終わりなんだよな。
真の中国は唐が最期か。
今の中共は「中国」の皮を被った別人なわけだし。
140 :
窓爺 ◆45xZXHpXn. :04/10/11 14:48:57 ID:MqYQ0tox
>>111 向こうの歴史ある都市だと地面掘れば何か遺物が出てくる事多いんだが、
工事なんかで出てきた場合届け出るの面倒だったり工事が遅れたりするから
無視して工事進めたりする。この場合でも多分同じで出てきた墓誌は好事家に流して
調査すれば色々出てきたんであろう墓所は潰されたんだろう。
て優香中国は掘ればどこでも遺跡でてくるよ
そろこそ腐るほど
経済発展にマイナスだからわざわざ発掘しないだけでさ
日本でも、家を建てるときとかに
遺跡が発掘されると考古のために、家が建てられなくなるので
土地の所有者が「なかったこと」にしてしまうのはけっこうある
143 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:04/10/11 16:17:27 ID:HtyWuQRG
>>142 折角発掘してもその上に建物建ててしまうことがあるな
有名なところだと長屋王の跡地の上に旧奈良そごう現イトーヨーカ堂
難波宮の上にNHKが建ってる
144 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:04/10/11 16:18:35 ID:oPaeEBEU
894に戻す、遣唐使
菅原道真の偉大さを今になって知るとは...
145 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:04/10/11 16:20:05 ID:0XeN1r8z
<丶`∀´> <井は、間違いなく朝鮮系nida
唐とは一戦交えてるからな。唐の寛容さに比べて、今のシナチクの心の狭さは(ry
唐は李氏だから、その皇帝に仕えてたということは
朝鮮に日本が学んでいたとかいいそうだよなあの民族は
148 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:04/10/11 16:51:19 ID:tr+phmb8
>>145 千利休みたいなもんじゃないの?
千利休は大永2年(1522)堺で生まれ、幼名を与四郎といいました。幼少から茶
に親しみ、北向道陳・武野招鴎に茶道を習い、先人たちからも高い評価を受け
て23歳の時宗易を名乗ります。
なるほど、「ウリナラミンジョクが皇帝だったから留学する必要なかったニダ」という論法か。
>>125 元の時代も国際的だった。このころは中央アジア、西アジアまでモンゴル皇帝家の分家のハン国が治めてるから、スケールとしてはこっちのほうがでかいな。
ちなみに元は正式には大元モンゴル国といい、モンゴルが本領。中国王朝としての元はあくまで中国総督府にすぎない。元の皇室もチンギスハーンの正当後
継者オゴタイハーンの家より家格は下になる。まあ実力で圧倒しちゃったけどね。
152 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:04/10/11 18:10:00 ID:d1U/WZjR
遣唐使とか遣隋使は近代史で言えば、明治維新後の洋行みたいなもの。
侵略されるより独立をということ。
153 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:04/10/11 18:12:51 ID:HGKzmlP/
85
>>115 けっこう勉強なさってる方のようですね。
歴史系板ならばともかく、こういう板なので、ちょっと頓珍漢な人だなと思い、
めちゃくちゃ大雑把に反論させて頂きました。その辺は謝罪します。
>第三に留学(還学?)生による文化の接収
遣唐使=全員外交官という感覚で仰ってるのかと思いました。
私が言いたかったのは留学生は学生である、という点です。
本人の出来が良く、たまたま唐で任官される事もありましょうが、基本は学生です。
> 確かにこの頃は藤原北家が完全に掌握しちゃってるから、
まだ掌握していません。この時代は元明天皇の時代であり、
藤原不比等が娘を硬質に入内させて基盤づくりをしている最中に過ぎません。
つまり、他の豪族たちと同レベルかやや頭ひとつ抜きんでいた程度。
北家の台頭は、南家、式家が没落した平安時代を待たなくてはなりません。
> あと >還学と留学〜 還学てのは文化を持ち帰ってくる一時留学
> て事だろうけど、この時代の留学生ってのはデフォは逝きっぱなしかい?
当然留学生も帰国するのが筋ですよ。
しかしあきらかに差はありました。
> > 藤原氏への誤解が濃厚ですな……(´ω`;)。
> つーのはどういう事かな?
これについては上記にも説明しました。
また、冷泉家について誤解があるようですが、これは藤原氏の一員ではありますが、
すでに主流の藤原氏から外れた傍系です。
始祖は鎌倉時代の中流貴族である藤原定家で、
藤原本家から遠く隔たっていました。
115さんが見たいと思うような史料に関してはですね。
もしもあったとしても今ないというなら応仁の乱で焼けちゃったのかもしれません。
>>152 ベトナムのドンズー運動とかビルマの三十人志士とも近いね。
155 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:04/10/11 18:16:52 ID:HGKzmlP/
これ関連のスレは日本史板には立ったのかね
157 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:04/10/11 18:33:05 ID:bTkY304o
井真成は、いまなりと読み、いまは倭語の今、なりは韓国語のなら(国という意味)から
変化したものである。この事から、倭に強制連行され、今住んでいるのは倭だが、故郷
である古朝鮮を想い名づけたと考えられる。また、本来、唐王の精神的支柱である、
古朝鮮の優れた思想、科学の師範役は韓民族であり、井真成も唐王の教化の為、渡来した
が、倭の仲麻呂の讒言により、不当に従五位という低位に押しとどめられた。実際は
唐王の師範役は、古朝鮮皇帝より唐王に下賜され、唐の太政官の長と同位の地位が
ある。
>>157 なにを偉そうにひとの国の言葉使って嘘八百を書き連ねてんだ?
日本語を使うな。嘘を語るな。日本に関わるな。
どこか他所の国の内輪でやっとくれ!
日本がその腐った性根に汚染されるのは勘弁な!
>>157 唐の李家の方が朝鮮の李家よりはるかに古いのだが…この事実を何と見る。
161 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:04/10/11 18:52:25 ID:hTRySujy
<`∀´;≡;`∀´>
世界太古の半島の王朝の話が出て来ないニダ
162 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:04/10/11 18:58:00 ID:0caxd2CL
>>157 >倭の仲麻呂の讒言により、不当に従五位という低位に押しとどめられた。
オイオイ、韓国人が日本を支配してたという、おとぎ話はどうした?
164 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:04/10/11 19:00:32 ID:cn4V2Oeq
ナラがどうして韓国語なんだ?「なら」すとか「なら」うとかのナラは韓国語か?
166 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:04/10/11 19:15:07 ID:9rrz0JG8
167 :
157:04/10/11 19:18:05 ID:bTkY304o
続き
また、文献に出てくる日本という国号は、井真成が考えたものであり、当初は
ひのもと(ひは、火また非、災いの元であり、野蛮という意味)であったが、まだ
教化されていなかった唐王が誤って日の本という字をあてがったものである。
倭に対する、野蛮であり災いの元という真成の認識は、後年、倭公秀吉や、日王裕仁
の韓半島大侵略によって、より強固に実証された。
168 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:04/10/11 19:20:19 ID:hTRySujy
>>167 半島はこの件には何の関係も無い
そもそも国として存在していないだろ
169 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:04/10/11 19:21:24 ID:c9qyR+ew
テスト
170 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:04/10/11 19:26:11 ID:cn4V2Oeq
>>167 日本の国号はチョンの何とか言う坊主がつけたことになってたろ。
お前の国では。
>>167 わらた。「倭」と言う文字がよろしくないから「日本」に変えたんだろ?
172 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:04/10/11 19:58:30 ID:kIQdaDst
語彙前置詞文法語法構文解釈
まさに「中国の壷」だね。
この漫画家さん、よく勉強してるんだなぁ。
もちろんこのことは知らなかったはずだけど、イメージを膨らませて
ストーリーを紡ぎあげたわけだ。
174 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:04/10/11 20:54:25 ID:0+6Nuy0M
マジで?>日本の国号が韓国が付けた<韓国の新聞あたりにのってたの?
175 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:04/10/11 20:55:30 ID:rGFemnYO
176 :
頓珍漢:04/10/11 20:59:10 ID:BNQUokgX
>>153 分かりやすい説明ありがと。
多分云いたいことは判ってたんだが
遣唐使は外交員じゃありませんって書いてあったんで
「そりゃー違うだろー」と思ったのと藤原氏への誤解つーのが
判らんかたのであえて質問してみました。
北家云々は
>>1の717年見落としてますた。
よく考えたら時平と廃止した官公が同世代だから掌握前ですね。
717年は恵美押勝と道鏡よりも更に前。トンデモ間違いw
定家が傍流の為冷泉家が生き残ったのも承知してましたが
現存する藤原家で未開拓の資料が残ってるのは冷泉家
ぐらいかなぁと思った訳です。
おいらは只の歴史好きなんで>けっこう勉強〜て云われると
うれしいやら、はづかしいやらw
>>153氏はどっかの先生さん
のようでつね。
ついでに冷泉家では先の大戦で家宝が沢山燃えちゃいました
って云うらしけど「先の大戦」が応仁の乱らしいですなw 爆笑しました。
177 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:04/10/11 21:05:50 ID:pUVhLdPR
>>13 麻雀やってて、人が死ぬ奴ですつか。
「ああ、穴があったら入りたい」
・・・ところで、穴があったら入りたいって言う表現、いつ頃からあるんでしょうな。
そもそも、日本発?中国発?
178 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:04/10/11 21:16:59 ID:rGFemnYO
国号・日本の由来
もともと日本は「大和(ヤマト)」という国号でした。
大和は国のまほろば(理想郷)、たたなずく青垣、山籠もれる。大和し、美わし。
(やまとはくにのまほろば たたなずくあおがき やまごもれる やまとし うるわし)
これは倭建命(ヤマトタケル)の歌です。
『万葉集』では〈ヒノモトのヤマト〉と云うよう、古くからの国号である大和にかかる枕詞
として用いられていました。聖徳太子が隋に対して「日、出ずる国より、日、没する国へ・・・」
という手紙を渡し、隋の煬帝を大変怒らせてしまったことは歴史的にも有名ですが、その後、
天智天皇二年(663)8月27日「白村江の戦い」の後、天智天皇が国号を其れまでの
倭国から日本に改めました。奈良時代初期、それまで口伝だった大和民族の歴史が
古事記という形で記述され、ヤマトタケルは”日本武尊”とも表記されるようになります。
奈良時代の日本と朝鮮との関係は「日本>朝鮮」でした。格下の朝鮮ごときが日本の
国号の名付けに関わったなど、妄言もはなはだしい。ウェーハッハッハッハッ……(´ω`)。
きっと前から見つかってたんだろうな。中国へのODA削減検討やガス田開発の諸々の話であせって出してきたのだろうな。
外務省、だまされるなよ!
181 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:04/10/11 22:03:14 ID:askz+wKM
日本の留学の学生は命を懸けているし非常に優秀であったんだ。
それに比べ今の中国の留学生は何なんだ。
勉強もしないで人殺しに強盗に泥棒が随分いるようだ。
韓国も中国も少しは見習えよ。
>>171 そうでもないらしい
結構倭って名前は気に入ってたみたい
実際に史書にも頻出するしね
ただ自分達で国名つけようって感じで変えたんじゃないかな
183 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:04/10/11 23:34:49 ID:BNQUokgX
倭寇って本人達はどう呼んでたんだろ?
結構カコイイ字面だけどな…
>>181 日本も見習ったほうがいいよ…。官僚などの国費留学生が
ろくに勤めないまま企業に逃走するケースが
散逸するんだから。
>>73 > 同じ留学生でも裸踊りした連中には
> OTZ
> 先人の顔に泥を塗ってはいかんよ
何を根拠に言っとるのかね君は。
この報道の真意は、「唐の恩に報いる為に
支那人留学生をもっと受け入れ手厚い保護を与えましょうね、
恩著せがましくせず恩に報いるように」と繋げて
九割が落ちたらしい支那人留学生の選考を
有名無実化ないし白紙撤回させる事にある。
本件を美談として扱うのはいいが、それと現在の政治的決断は別だ。
以下蛇足。既出の通り、共産支那と唐の間に連続性は無い。
また唐は対外膨張主義で、だからこそ当時の日本は、
危機感を抱いて敵情視察・文物摂取を行ったのだから
一方的に恩を感じる必要も無い。
>>61 一部の特権階級の横暴を許し、時代が要請した改革を進める事の
できなかった蒋介石は、いくさに勝ったとしても簡単に崩壊だろうね。
毛沢東の理想は(農民搾取の解放と)U.S.支那だったと聞いたことがある。
いわゆる、地方自治と中央のバランスの良い関係。
どうも、唐の文化があんなに栄える事ができたのは、
この関係に近い事があったのではないだろうか?
均田制と郷里臨保制、科挙等。収入と土地の安定、機会の均等。
そして注目したいのが羈縻(きび)支配。<支配の均等と呼んでもいいかも
今の中共の一国二制度、特区もこの考えに近い。<柵内でという所が問題だが
"一方で土地兼併・商業資本の発展は無産人民の増大を助長"とあるように
盛者必衰で、現代日本も構造的な対応で学ぶ所はまだまだある。(反面
まぁ唐はその後、お決まりの腐敗と分国化(藩鎮勢力台頭)の混乱が起きるわけだ。
支那の風土は必然として、分国化を望んでいる様に思える。
これに答えるには、まず支那は多国間主義を国内で実施すべきだろうな。
しかし理想だけはごたいそうだったが
毛沢東スズメ取りすぎて大失敗の巻
189 :
:<:04/10/14 14:56:00 ID:5rjshKh9
日本書紀、続日本記については、講談社学術文庫
がお勧め。現代語訳で分かりやすいよ。
あそこ、ラインナップは良いけど、薄い割にとにかく高いからな……。
素直に山川の日本通史でも読んだはうが良いと思うぞ。