【日本/台湾】高砂義勇兵慰霊碑の義援金に3000万円…守る会、寄付手続きへ[10/01]
376 :
初代東亜 608:
夏、高砂義勇兵のことを知った時は血が騒いだ。
ジャングルの弟たちに「兄さん、今度は勝とう」と言われた気がした。
ハチ公は銅像になったが、彼らには銅像もない。フラッシュの紹介ビラを作って500枚配った。
麒麟さんのフラッシュに出て来る義勇兵は、身近な感じがした。
オフの日、参加はしなかったが靖国へ行って麒麟さんに会い
ビラを見て振り込んだという書き込みはない、くやしいからまた配ると言った。
麒麟さんはフラッシュを作るために仕事を断ってしまい、一時は全く収入がなくなった。
何でそこまでと聞いたら、おじいさんはインドネシア独立のために戦った日本兵だったと言った。
今の麒麟さんのように、多感な若者だった彼は、現地にとどまり
インドネシアの若者達と共に、ゲリラ戦で政府軍と戦った。
戦争が終っても家に帰ろうとしなかったおじいさんは、親戚中の鼻つまみで
麒麟さんがそのことを知ったのは、つい最近だった。
「だから高砂義勇兵のことを知った時、フラッシュを作らずにはいられなかったんです」
一人残されて、炭鉱で働いた嫁さんも年老いて亡くなり、今では彼のことを知る人もいない。
「おばあさんはもったいないって言って、何でも大事にしてました。
食べる物がなくて畑の野菜を盗んだこともあったって。
十代の時はそんな話は重くて、また戦争の話かよって言うだけでした。
もっと聞いておけばよかった。
おじいさんの名前が知りたい。名字しかわからないんです」
遠くにいる人に呼びかけているようなフラッシュだ。
−会いたい−
−あなたに会いたい−
おばあさんの胸にしまわれていた一言が、海を渡って行く。