>>144 戦後の朝鮮人のことに詳しいのは(34歳、男です)、じぶんのウチは母方、父方ともに在日の悪行を体験し
語り継いでるため。
父方の祖父は「朝鮮人は総じて恩しらずで、外道だ。」祖母は「朝鮮人には気をつけなさい」
母方の祖父は「朝鮮人にかかわってたら男は奴隷、女は皆売春婦にされるぞ」
祖母は「夜寝ていて物音がすると朝鮮人が来たと思ってしまう。ああ怖い」
です。
父方の体験・・・祖父は兵隊にはいかなかった。地元の繁華街で代々商家を営む。玉音放送ののち、今まで同じ
日本人として権利を享受してきた朝鮮人の態度がガラリとかわり、敗戦の責任を日本人とともに背負うのを拒否
しだし、それを正当化するために日本人に牙をむきはじめる。隣組み組織や防空演習等いっしょにやってきて
同じ日本人として(常々真面目な日本人は朝鮮の人も陛下が仰るように一視同仁、全ては忠良
なる赤子として、特に差別なきよう気をつかった)助け合っていたのに、この変わりように初め祖父は「冗談だろ?」
と思ったらしい。しかし、事は悪夢以上だった。集団で土地をロープで囲み、バラックを建てていた家族を殺害し占拠する。
白昼、商店を襲い、商品を根こそぎ奪いそれを闇市で売りさばく。子供がいようが旦那がいようが往来で集団で女性を
犯す。バスや列車に無銭で駅員を殴り倒しどかどか乗り込み、網棚の荷物を外に放り投げ、そこで高いびき。
戦争未亡人の家庭に押し入り、むりやり強姦して亭主宣言をし財産を根こそぎ略奪する。警官狩りをして堂々と殺す
等等。祖父曰く「町はやつ等の遊び場になった。日本人は逃げ惑うだけになった。」
しかし、その状態も兵隊にいっていた若い男や予科錬生、学徒出陣の学生が帰ってきて、この惨状に目を見張り
決起し反抗に転じた祖父曰く「日本人は強い、朝鮮人は強い者には弱い」
ソ連が参戦するのは、末端の職員まで、トップの狼狽し逃げ出す様子でばればれらしかった。祖父は下級だった
ため、ソ連兵が乱入しだした直後に逃げた。家族が列車に乗るまで近所の中国人のお医者さんにかくまわれた。
そのお医者から逃避行中の食料として袋いっぱいの干し飯をもらった。
ソ連兵の残忍さは常軌を逸していた。列車が駅に止まるたびに大人数でやってきて女性を、幼児まで引きずりだし
犯した。男は抵抗すると機関銃で殺された。発狂する女性、自害する女性が多かったらしい。死んだ女性を裸にして
ロープで列車のまえに飾ろうとした兵隊があったが、さすがにそれはやめてくれと皆で懇願した事もあった。
ソ連兵よりももっと残忍だったのは朝鮮人だった。必ずソ連兵を手引きして日本人のありかを教え、通訳として
命令するのは朝鮮人だった。彼らは金と物を奪うのが専門。列車が2日止まるので、近くの学校(であった場所)に
非難しても、朝鮮人は昼となく夜となくソ連兵をつれてやってきた。「やりたい放題」とはこのこと。
港につき引き上げ船をまっていても状況は同じだったらしい。ソ連兵の後ろだてを得た朝鮮人は嬉々として日本人
に無法を働きまくったらしい。赤ちゃんや幼児を取られて売り飛ばされた人もいた。人買いをつれて現れ親のまえで
無慈悲にも商談をする。当然親には金を払わない。