終戦直前に旧満州(中国東北部)で日本人開拓団が集団自決した「麻山(まさん)事件」。
当時教員で奇跡的に生き残った由仁町の岩崎スミさん(80)が8日、5年ぶりに家族や
教え子らの慰霊の旅に出発する。
事件は1945年8月12日に起きた。国境近くに入植した日本人家族ら1,300人が、
旧ソ連軍の参戦で逃げ場を失い、465人が命を絶った。国民学校教員だった岩崎さんは、
別の場所にいて難を逃れたが、母親と兄夫婦、それに多くの教え子を失った。「オオカミが
多く遺体は無残に食べられてしまったようです。無念の死を慰めずにいられません」
慰霊の旅は1980年に始め6回目。十勝管内に住むかつての教え子鈴木幸子さんらと
現場のある黒龍江省鶏西市などを訪ねる。前回99年に行った際、慰霊碑の建立を
依頼し、今回初めて目にする。
岩崎さんは戦後30年余りたってから、生き延びた教え子7人が中国人に育てられて
いることを知り、送金している。「ソ連兵が日本人を出せと要求した時も、命懸けで
子供たちを守ってくれたそうです。この恩は忘れてはならない」。年金生活を送る今も、
節約したお金を、教え子の家族や学校に送っており、今回現地では歓迎会も開かれる。
「生き残った者の仕事」と、岩崎さんは当時の関係者に会い、事件の真相を書き残し
ている。あの日、小学一年生の教え子7人が死にたくないと逃げ出した。それを17歳の
青年が背後から射殺。彼は弟、妹も手にかけた。本人は死に切れず生き延びる。
「彼は会合があっても顔を出しません。『命令だったが、殺す必要なんてなかった』と
今も苦しんでいます」
岩崎さんは戦争は人間を狂わせると繰り返し「戦争を経験した者の義務として若い
世代に伝えていきたい」と話している。
ソース(北海道新聞)
http://www.hokkaido-np.co.jp/Php/kiji.php3?&d=20040807&j=0040&k=200408079356