【中国】高速鉄道、近く試験着工か レール方式でと中国紙 [06/09]

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軌道はフランス、信号はドイツ、列車は日本

第一部
軌道と列車システムのすり合わせで川崎の技術陣とフランス側が大激突。
結局、フランスは川崎の要求を無視してTGV仕様の軌道敷設開始。ドイツもフランス側に同調。
詳細を詰めずに見切り発車した事に正式に抗議するも、工期短縮を求める中国側が認めず。
川崎重工、当初の目論見から外れ、車体設計を根本から見直すはめに。
信号システムと新幹線システムインプリメントはドイツの合理性と日本の生真面目さで見通しがつく。
工事が終わり試運転が始まる。当初予算の5倍をかけた中華新星号が走り出す。しかし・・・
第二部
相互乗り入れがあるドイツとフランスのシステムであり問題の無いはずの信号がまったく機能しないことが判明。
結局、軌道の信号システムや配線の施工がズタボロで使い物にならずドイツとフランスが大激突。
中国はそのたびになぜか川崎重工を呼び付けて叱咤!。困った川崎重工がJRに支援を求めるも拒否。
川崎重工、今度は中国側に泣きを入れ、中国政府から日本政府に協力要請の打診(脅迫)。
まだ、持ち株とJR法に縛られた半国営企業のJRはしぶしぶ顧問団20人を派遣。
しかし、フランス技術陣は工事が終わったとして帰国。残って働くドイツ人と日本技術陣。
なぜか、呼びつけられて叱咤されるJR顧問団。予算をはるかに超過することを顧問団が指摘すると
日本のODAによって支払う事を要求され、それを認める。期限厳守のためにJRから最大動員がかけられ、
いつのまにかプロジェクト主体が日本に。しかし、なぜか粘るドイツ技術陣。なぜかフランス人が戻ってくる。
軌道と信号システムの改良を日本がほぼ独力で行う間、フランス技術陣が隠密行動。不穏な空気・・・
第三部
なんと、フランスが中国版TGVとなるCGVを搬入しテストを開始する。寝耳に水の日本側が
説明を求めるも、まったく意味不明のフランス・中国側。ドイツ側からのリークで、日本車体とフランス車体で
ちゃんぽん運用する密約とのこと。川崎重工技術陣は、抗議するも気付くのが遅すぎた。あきらめの日本側。
中国フランスドイツに文句を言われながら、日本のODA資金で中国新幹線(半数はCGV)を
整備し続けるJRと川崎。しかし、川崎重工としては列車台数が、当初の予定から半減し大幅な赤字は確実。
とうとう、川崎重工本社が赤字プロジェクトとして人員引き上げ指令を出し、全員引き上げた。
土下座して連れてこられたJRは呆然と川崎重工スタッフを見送った。おまえらはなんなんだ、と。
残されたJR技術陣。いつのまにか列車・信号・軌道・発券システム・研修体制・マネージメント全てにを任され、
総勢2000名まで膨れ上がる。ICEを運行する信号システムでCGVと新幹線と低速列車を制御する
システムの総合的な構成に苦しむJR。当然期限は超過した・・・
第四部
期限が遅れる理由を日本の妨害工作として、日本大使館前でデモが発生。日の丸が燃やされる。
また、工事現場で中国側が侮辱されたとしてボイコット。これを受けて、中国政府が日本政府にクレーム。
日本政府がODAを有償から無償に切り替えるとの確約を中国政府に行う。
デモとボイコットは全く発生しなくなった。なんとか、運用できる状態になり8割り程度の状態で
中国側が突然、開業の発表を行った。猛烈に抗議するJR技術陣。泣き出す職員もいた。
しかし、抗議は受け付けられず、不十分なテストのまま開業。理由は日本の八割は中国の十割で日本人は
新鋭質すぎるというもの。開業したが、軽微な踏み切り事故や到着遅延、発券ミスなどがあったが、
システムそのものの致命的ミスは無くホットするJR技術陣。しかし・・・
第五部
CGV・中華新星号F17と 新幹線・中華新星号J03は快調に運行をしている。しかし、異常が発生した。
緊急停止信号を受けた新幹線・中華新星号J03は田園の中に止まった。軌道内にヤギが入り込んだのを
検知したのだ。しかし、後続のCGV・中華新星号F17は先行するJ03の停止を検知できず、急速に接近した。
北京の総合司令室はこの情況をいち早く察知し、F17に停止命令を出す。しかし、無線が全く通じない。
北京の総合司令室の毛指令室長は自信を持って、「ATSがあるから問題ない!」としてそれ以上の
対応を取らなかった。だが、ATS(自動列車停止装置)は働かなかった。カモノハシのようなJ03の車体を
ジャンプ台のようにしてF17号は空に舞った。1800人の命が絶たれた・・・
第六部
この事件は、日本の第二の満州鉄道で爆破された、張作霖爆殺事件(奉天事件)として大々的に宣伝され、
日本政府は元総理大臣小泉純一郎が特使として中国側に出向くも面会を拒否されるなど屈辱的な外交を
二年に渡って続ける結果となった。事故で死んだ人を祭る記念館が日本の資金によって、建てられてた。
南京大虐殺を展示してる記念館より人気がある。
今ではこの記念館は日本からの修学旅行からは外せない場所となった。そして日本の子供達は思うのだ。
なんて、当時の日本人はバカだったのだろうと。

                   完