京都明治天皇と東京明治天皇(大室寅之祐)衝撃写真

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300伯爵 田中光顕
「実は明治天皇は孝明天皇の皇子ではない。孝明天皇はいよいよ大政奉還、明治
御維新と云う時に急に崩御になり、明治天皇は孝明天皇の皇子であらせられ、御
母は中山大納言の娘中山慶子様で、お生まれになって以来、中山大納言邸でお育
ちになっていたと云う事にして天下に公表し、御名を睦仁親王と申し上げ、孝明
天皇崩御と同時に直ちに大統をお継ぎ遊ばされたとなっているが、実は明治天皇
は御醍醐天皇第十一番目の皇子満良親王の御王孫で、毛利家の御先祖、即ち大江
氏がこれを匿って、大内氏を頼って長州へ落ち、やがて大内氏が滅びて、大江氏
の子孫毛利氏が長州を領有し、代々長州の荻に於て、此の御王孫を御守護申し上
げて来た。これが即ち吉田松陰以下、長州の王政復古御維新を志した勤皇の運動
である。
 吉田松陰亡き後、この勤皇の志士を統率したのが明治維新の元勲木戸孝允即ち
桂小五郎である。元来長州藩と薩摩藩とは犬猿の間柄であったが、この桂小五郎
と西郷南州とを引合わせて遂に薩長を連合せしめたのは、吾が先輩の土佐の坂本
龍馬と中岡慎太郎である」