国連子供会議に制服廃止を訴えにいったキティ達

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44「君たちはとても幸せだ」
 これも戦後教育の成果か,ようやく「NOと言える日本人」が育ち始めたらしい.
 《平成10年》5月27日,スイス・ジュネーブの国連会議場で開かれていた国連児童の権利委員会は,昼休みに入ったばかりだった.
 いきなり登場した日本の3人の女子高生が,用意したコメントを読み上げはじめた.
「私は,制服を着なかったために中学校に通えませんでした.今まで日本が行ってきた取り組みは,私を救えませんでした・・・・・・」
 最後に発言した北海道の私立高校1年生のAさん(15)は,そこまで話すと,感きわまったように泣きだしたのである.
「高校生たちの発言は,事前の会議予定には入っていなかったので,一瞬何が始まったのかとびっくりしました」(出席していた日本政府代表の一人)
 この日開かれていた委員会は,1989年に採択された国連児童の権利に関する条約が,批准各国にきちんと守られているか,チェックするためのものである.94年に批准した日本は,ちょうど今年が審査される順番にあたり,外務省や文部省をはじめ十数名の日本政府代表が10名の国連委員(実際に出席したのは7名)を前に,日本の児童の人権状況について報告を行うことになっていた.
 その公式会議の場に,いきなり女子高生たちが現れ,涙ながらに窮状を訴えたのだかた,国連委員たちの方もびっくりしたようだ.
 もともと女子高生たちは,
「昼休み中に,10分間だけ」
という約束で,議長から,いわば飛び入り参加的に発言を認められたのだが,彼女たちの様子があまりにただごとではないので,翌日にも30分間の時間が与えられることになった.国連には,政府関係者だけでなく,民間人の意見もできるだけ聞く,という原則があるためだ.
 前出のAさんは,今度は堂々と「制服NO!」の意見を述べた.
 彼女はかつて,熊本市内の公立中学校に通っていたが,「なぜ他の人と同じ格好をしなくてはならないのか,分からなかったため」,一人だけ私服登校を続けたところ,学校からさまざまな圧力を受け,やむなく制服のない北海道の学校に転校したという.
 その経験をもとに,Aさんは,訴えた.
「力のあるものの権力の横暴による人権侵害は,中学校の中で,当然のごとくまかり通っています.この制服の問題は,その一部分でしかありません.
 日本は表向きは,戦争もなく平和な国です.しかし,その平和な国が行っている教育は,権力を持つ者が無い者をおさえつける,とても傲慢なものなのです.私たちには,一刻も早い助けが必要です.」
45制服が買えない子供もいる:2001/05/29(火) 13:50
 もう一人のBさん(18)が通う京都府立高校でも,制服導入をめぐって生徒と校長側が対立している.その立場からBさんは,
「制服そのものの是非というよりも,私たちの意見も聞かず,一方的に導入を決めた校長の姿勢が問題.このように日本では,子供が自分で自分のことを決める自己決定権が認められていない」
 と述べた.
 他にも,児童養護施設から東京の私立高校に通うCさん(16)が,養護施設の実態について報告した.
 この話を聞いた国連委員たちは呆気にとられた.日本で,子供の人権が抑圧されているからではない.彼女たちの言い分が,あまりにも幼稚なものだったからだ.
 ロシアのコロソフ委員には,「われわれの国では,制服があっても貧しくて買えない子供がいる.それに比べたら,あなた方は格段に幸せだ」と皮肉られた.
 そう,日本にも貧しい時代があった.大正末期に出された文部省の制服に関する見解は,「公立小学校の制服は,親によけいな負担をかけ,全員就学の妨げになるから,好ましくない」(当時義務教育は小学校まで)となっていた.
 また,スウェーデンのパルメ委員長からは,「スイスに来て意見が言えること自体が恵まれている.問題があるなら,まず親や周囲にアピールすることが重要ではないか」と,逆にたしなめられてしまった.
 委員たちの出身国は,イタリア,イスラエル,ブルキナファソなどさまざまだが,法律家や児童心理学者など,いずれも人権をもっとも重視する立場の人たちである.その彼らにすら,制服が人権侵害の最たる象徴であるかのような日本の高校生たちの主張は,とうてい理解しがたいものだった.
46人身売買防止のための条約:2001/05/29(火) 13:50
 国連人権小委員会で,学習院大学教授(国際法)の,波多野里望氏も首を傾げる.
「そもそも児童の権利条約は,主として児童労働や,人身売買や児童売春で,生存権すらおびやかかされている発展途上国の子供たちを守るために制定されたものです.
 日本では一部に,この条約が,子供に大人と同じ権利を保障しているものであるかのようなとらえ方がありますが,それは誤解というより,曲解というべきでしょう.もちろん,学校が規律維持のために,制服着用を義務づけたり,髪型に一定の制限を加えたりすることを妨げるものではありません.
 仮に,行き過ぎた校則があったとしても,まず文部省や地域の教育委員会に訴えるべきで,外圧を頼みにいきなり国連の場に持ち出すようなやり方は,筋ちがいです」
 ちなみに,複雑な人種問題を抱えるアメリカは,児童の権利条約に未加盟だが,
「麻薬や暴力や不登校に対処するために,最近では制服導入の動きが強まった.その結果,生徒に誇りが生まれ,犯罪率も減少するようになったといいます」(波多野氏)
 ところで,北海道の私立高校のAさんはこんな発言もしている.
 「今日,日本ではナイフによる少年犯罪が立て続けに起こり,問題になっていますが,中学校でのナイフの所持検査は,中学校のプライバシーよりも優先されてしまいます」
 しかし,ナイフを隠し持つ生徒のプライバシーより,他の生徒や教師の生命を優先させるのが,そんなにおかしなことだろうか.彼女が頼みにする国連は,北朝鮮に対して,核査察という名の「持ち物検査」を行っているが,これも北朝鮮のプライバシーを侵害するから,いけないというのだろうか.
47制服導入で志願者が増加:2001/05/29(火) 13:50
 また,京都府立高校のBさんは,「児童の権利委員会は,子供のためのものなのだから,委員として子供も参加させて欲しい」という提案をした.
 児童の権利に関する条約12条には,次のような条項がある.
<自己の意見を形成する能力のある児童が・・・・・・自由に自己の意見を表明する権利を確保する.・・・・・・児童の意見は,その児童の年齢及び成熟度に従って相応に考慮されるものとする>(傍点文春編集部→太字に変換九九九)
 果たしてBさんたちの意見は,「自ら形成された」ものなのだろうか?
 実は,彼女たちには多くの「応援団」がいた.
 ジュネーブ行きを全面的にバックアップしたのは,「DCI(ディフェンス・フォー・チルドレン・インターナショナル)日本支部」と「子どもの権利条約 市民・NGO報告書をつくる会」という市民団体である.
「10年以上前,制服・丸刈り反対と,日の丸・君が代反対は,セットになって,左翼的市民運動の一つのシンボルとなっていた.京都府立高校や,所沢高校の問題が大きくマスコミに取り上げられたことをきっかけに,再び彼らの運動の拠り所として浮上してきたのです」(教育関係者)
 市民団体から30名以上が,高校生たちと共に,ジュネーブに乗り込んだ.
「彼らが国連委員たちに,日本の現状がいかにひどいかと吹き込み,事情をよく知らない委員たちが,混乱して我々に見当外れの質問を繰り返すため,会議はなかなかスムーズに進みませんでした.高校生たちが発言を始めた時には,正規の議事ではないのに,我々も聞くのが義務だと詰め寄られた」(前出・日本政府代表)
 DCI関西事務局長の安保千秋弁護士は,
「生徒たちの渡航滞在費用は,1人20万円ぐらいですが,自分たちでカンパ活動をして,残りはそれぞれ自弁したので,DCIはお金を出していません」
 と,生徒たちの自主的行動であることを強調する.しかし,この点に関して,北海道の私立高校1年生のAさんは,
「両親とDCIに,約半分ずつぐらい出してもらいました」
 と,どうも“自主性”は感じられない.
 片や,生徒たちの所属する高校の校長たちは,一方的に欠席届が出されるか,事後報告だったため,ジュネーブに行くことなど,まるで知らなかった.
 京都府立高校の場合,Bさんの他にも6人の生徒が,中間試験を欠席してまで,出かけてしまった.
 実は,京都府立高校の生徒は,昨年10月にも,国連で制服強制の問題を訴えている.
 この時もまた,国連委員の中から,「権利には責任も伴う」(バルバドスのメイソン委員長),「制服は親の経済的負担を軽くする」(ブルキナファソのウェドラーゴ委員)など,懐疑的な声が投げかけられた.
 だがBさんは,目を輝かせながら言う.
「委員の方たちは,あまり深刻に考えず,もっと気楽に考えなさいという意味で,『あなたたちは恵まれている』と言っただけで,けっして私たちの問題を否定しているようには思えませんでした」
 対して京都府立高校の教諭の1人は,憮然とした表情で語る.
「ウチの学校は,教職員の半数以上が,全教(共産党系の全日本教職員組合)系なんです.ジュネーブに行ったのも,マジメな子ばかりなんですが,組合系の先生に言われたことに何の疑問も持たず,制服反対を叫んでいる.
 制服導入による教育上の効果は,目に見えて上がっていますよ.これまで地元の中学生の多くが,制服のない京都府立高校生のどうしようもなくダラシのない格好を見て,ウチを避けて他の高校に進学していく.長く定員割れが続いていたんですが,今年度から定員を100名ほど上回る志願者が集まるようになりました.
 一昨年に制服導入を決めた前校長(平成10年3月定年退職)は,
[マスコミは私が独断的,一方的に制服導入を決めたように書きましたが,職員会議などでこの問題を再三検討し,生徒に対しても繰り返し説明会を開いた上で,校長としての私の責任で決断しました.私としては,何よりも,『京都府立高校生であることを意識し,京都府立高校生としての一体感を養う』『学校生活にけじめ,めりはりをつけ,授業での集中力とやる気を起こさせる』という目的から踏み切ったのです」
48進んで制服を着るギャルも?:2001/05/29(火) 13:51
 京都府立高等学校前校長(平成10年3月定年退職)は,退職するまで毎朝校門に立ち,生徒1人1人に声をかけていた.制服を着てこない生徒もいるが,処分を課したことはない.
 だが,「国連は僕らの声を聞いてくれた,欧州本部で京都府立高校生が制服問題を訴え」(朝日),「『制服イヤ』国連にSOS』(毎日),など,生徒の行動を手ばなしで肯定し,京都府立高等学校前校長を悪役としてバッシングする報道が相次いだ.
 埼玉・所沢高校の問題でも繰り返された図式である.
 埼玉県立川越女子高校教諭で,「プロ教師の会」を組織して評論活動を行う諏訪哲二氏は言う.
「生徒と教師はひととしては対等ですが,教育関係に入れば対等ではありません.教師は,社会共同体から子供を教育する役割を代行しているんです.その権威を否定してしまったら,学校は成り立たない.シュタイナーやプレネといった自由教育を掲げるフリースクールでも,教師の権威はきちんと確保されています.
 ところが日本だけは,生徒と教師は対等だということになりつつある.全国の高校が,所沢高校化しているんですよ」
 高崎経済大学専任講師の八木秀次氏が警鐘を鳴らす.
「何でも子供に好き放題にやらせて,いい方向に向くと思うのは,素朴な子供信仰に過ぎません.自由な教育と,子供を野放しにすることは違います.集団生活になぜ秩序とルールが必要なのか,それを自分の頭で考えるだけの材料を,大人が提示してあげなければいけません.それが真の教育のあり方なのではないでしょうか」
 国連での,日本の3人の女子高生の発言を聞いていた,児童の権利委員の,ラバー氏(レバノン出身)は,今でも頭が混乱しているようだ.
「日本は豊かな国だと思っていたが,彼女たちは自分たちがとても不幸だと言う.日本政府の言っていることと,あまりに違うので戸惑っている.どちらが本当なのか,ぜひ自分の目で確かめたい」
 ラバー氏が,本当に日本に来ることがあれば,今度こそ仰天するに違いない.
 渋谷あたりには,とっくに高校を卒業したというのに,その方が自分が高く売れるから,(注:太字は原文では傍点)というので,自ら進んで制服を着て闊歩するコギャルが溢れている.
 確かに日本の子供たちは不幸だが,それは人権が抑圧されているためでなく,それとはまったく逆だからである.