ネパール国王含む王族12人射殺さる!その3

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1疑念ドラえもん
前スレが倉庫へ逝ったので立てました。
ネパール王制崩壊まであと何日?!
2名無しさん@お腹いっぱい。:2001/06/17(日) 12:19
つねにインドの脅威にさらされてるネパールでは、
王制崩壊は国家そのものの崩壊になるからそれはない。
あの国は共産党まで君主制支持だからね。
ギャネンドラ一家が失脚しても、傍流で王制は維持されるよ。
3名無しさん@お腹いっぱい。:2001/06/17(日) 12:23
>>2
中国・マオイストが脅威で、インドは味方じゃないの?
いちおう民主政権に移行してるんだから、王制は象徴でしょ。
4名無しさん@お腹いっぱい。:2001/06/17(日) 13:47
マオイストと手を結んでるのはインドという見方もある。
5名無しさん@お腹いっぱい。:2001/06/17(日) 15:14
共産党が野党第一党とは意外だった。
6名無しさん@お腹いっぱい。:2001/06/17(日) 15:33
<ブルガリア>17日に議会選挙 前国王の新政党が与党をリード(毎日新聞)


 任期満了に伴うブルガリア議会の選挙が17日、投票される。前国王シメオン2世(63)率いる新政党「シメオン2世国民運動」が与党・民主勢力同盟などを支持率で大きくリードしている。与党・民主同盟による経済改革が難航し国民の既成政党への不信も高まり、前国王の新党が急速に支持を伸ばしている。

[毎日新聞 6月16日]
7名無しさん@お腹いっぱい。:2001/06/17(日) 16:13
>>5
政権党だったこともある。世界で唯一、君主制共産主義。
8名無しさん@お腹いっぱい。:2001/06/17(日) 16:17
>>3
先の国王は中国よりの中立主義、敵はインドでした。今回の事件
はそれをひっくりかえそうとしたインドの謀略との見方もあります。
9名無しさん@お腹いっぱい。:2001/06/17(日) 16:22
>>4
俺も新聞で読んだが、いまいち理解できない。解説きぼーん。
 ヒマラヤ山脈をいただく登山のメッカであり、観光地としても人気の高いネパール。風光明美なこのヒンズー教立憲君主国の王室が血生臭い惨事に見舞われた。

 元国王夫妻を含め王族十人が殺された射殺事件の全容はなお明らかにされていない。だが、事件は辺境の王国で起きた特異な一事件にはとどまらず、地域情勢に重大な影響を与えそうだ。

 第一に、ネパールは中国とインドに挟まれた緩衝地帯を形成し戦略的要衝に位置している。国内の諸勢力間のバランスを計り、国民に尊敬されたビレンドラ元国王の殺害で、国内情勢は一気に流動化、混乱状態に陥る危険性がある。

 事件は一日夜、毎金曜日の王宮の夕食会で、意中の女性との結婚を元国王らに反対されたディペンドラ皇太子が逆上し、機関銃を乱射した後、自分自身に銃口を向けた−と伝えられている。

 皇太子が結婚を望んだ相手は、十九世紀半ばから一九五一年まで専制政治を続けたラナ家のラナ元外相の娘といわれる。

 元国王らが結婚に反対した理由は、(1)元外相の妻がインド人でカーストの身分が低いため(2)元外相は元国王の立憲君主制の批判派−などとされるが、国民の間では陰謀説がくすぶっている。

 新国王に即位したギャネンドラ殿下は九○年に敷かれた立憲君主制に反対し、王権の復活を唱える「タカ派」として知られ、元国王と対立していた。新国王は事件の日は不在で、麻薬常習のうわさもある長男のパーラス王子も、事件現場に居合わせながら無傷だったことが疑問視されている。

 首都カトマンズでは四日、新国王の即位に抗議する群衆数千人が王宮前などで警官隊と衝突を繰り返し死者三人を出して、外出禁止令が発動された。

 一人当たりの国民総生産(GNP)が約二百二十ドルで約二千二百万人の人口の四○%が貧困状態にあり、成人の識字率は四五%という低さ。政府の腐敗も深刻と伝えられ、元国王の葬儀の参列の際、コイララ首相の車が投石を受けた。

 「開明君主」として九○年、基本的人権を保障し、西欧型の立憲君主制を明記した新憲法を公布したビレンドラ元国王亡きいま、国民統合の求心力は急速に失われつつある。

 ビレンドラ元国王の時代から複雑な国内政治はさらに混迷を深めるだろう。現在のコイララ内閣の権力基盤は弱く、共産主義勢力も健在。山岳地帯を拠点に武装闘争を展開する非合法の「ネパール共産党毛沢東主義派」と治安当局の衝突は九六年以来激化している。

 ネパール情勢の悪化を最も懸念しているのはインドと中国だ。

 ネパール外交の基本方針は「非同盟中立」。インドとの特別な関係に配慮しながら、中国とも良好な関係を維持する−という微妙な均衡を計ってきた。しかし近年は、ネパールを拠点とする中国やパキスタンのスパイ工作の取り締まりなどをめぐって、インドとの関係がややぎくしゃくしている。

 今回の元国王の葬儀の際、インドはナラヤナン大統領を代表とする弔問団を派遣しようとしたが、ネパール側は拒否したようだ。

 インド、パキスタンの対立で不穏な南アジア情勢はネパール国内の混乱でさらに悪化の恐れがある。またネパールを、中国とインドが角逐する混乱の国にしてはならない。

http://www.sanin-chuo.co.jp/ronsetu/2001/06/06.html
 【カトマンズ春日孝之】ネパール王族射殺事件をめぐり、事件へのインド関与説がくすぶっている。多くのネパール国民が、大国意識の強いインドに根強い不信感を抱いていることが、そうした憶測の土壌いなっているようだ。

 事件は当初、ディペンドラ皇太子(当時)が、交際相手のインド人女性、デブヤニ・ラナさん(22)との結婚をアイショワリヤ王妃に反対されて逆上し、銃を乱射したと言われていた。

 だが、王室筋によると、実は父親のビレンドラ元国王も結婚に反対していた。「インド人の血を入れたくない」との理由だった。デビヤニさんの親族にはインド最大野党・国民会議派の幹部もおり、インドの政治的影響力が王室に及ぶことを懸念していたという。

 昨年、駐ネパール・インド大使は、ビレンドラ元国王に「結婚を認めるように」と勧めたが、元国王は「王族内の問題だ」と不快感を示したという。

 ネパールは人口2300万。人口10億を超える核保有国の中国とインドにはさまれた小国だ。このためビレンドラ元国王は「中印バランス外交」を掲げ、とりわけネパールを属国視するインドの影響力排除を目指してきた。

 89年、インドはネパールに経済制裁を課した。両国間のアクセス道路を14カ月間、封鎖し、生活必需品は欠乏、物価は高騰した。民主化運動の契機となったこの措置は、ネパールが中国から武器を購入したことへの報復だと言われる。

 ネパールでは96年2月、極左武装組織「共産党毛沢東主義派」がテロ活動を開始した。その1カ月前に当時のデウバ首相がインドを訪問し、「わが国は独立国であり、兵器は世界の市場から調達する」と発言したことに反発したインドが、武装組織へのテコ入れに乗り出したと、ネパールの知識層は疑っている。

 地元ジャーナリストは「インドはネパールを弟分とみなし、いつも大国意識を振りかざしている」と反インド感情を表現した。

 これに対し、「事件の生存者がいるため、真相はいずれ明らかになる。インドの関与などと軽々しく言うべきではない」との慎重論もある。

http://news.yahoo.co.jp/headlines/mai/010607/dom/06000000_maidomm174.html
12名無しさん@お腹いっぱい。:2001/06/17(日) 16:34
デブヤニ・ラナさんがディペンドラ皇太子の子供を身ごもってた。
てことになったら面白いのに。
13名無しさん@お腹いっぱい。:2001/06/17(日) 16:38
>>3
象徴と言っても日本のような完全な民主化はされていない。
また国家が独立をたもてているのも王室があるからという見方がネパール国民にある。
王制がなくなれば国家そのものがなくなる危険があることを国民は知っている。
14しゅーどら
そもそも、ネパールとインドのアイデンティティーのちがいは何。
国民の大半はヒンドゥー教徒で文字も同じ。
「国民国家」としてのちがい? 「王制の有無」? イギリスに支配されたか否か?

パキスタンとインドも元は同じインドで、宗教別れしただけだけど、ネパールとインドはどうちがう?