1 :
ZENON209:
在日ムスリムが騒いでいる。コーランを破って、投げ入れたものを、捜査、逮捕せよというのだ。
国際化の時代、互いの文化を尊重せねばならん。日本人もムスリム文化を理解すべきだろう。
だが、ここは日本だ。日本は、ムスリムの国でない。天皇を中心にする神の国だ。ムスリムへの理解が少ない人間がいるのは、当然だろう。
ムスリムへのさらなる理解深化を訴えるのなら、話が分かる。だか、官憲に逮捕せよとは。日本の法律運用では、破れた本を他人のうちに投げた程度では、初犯なら厳重注意程度だろう。そう、彼らは日本の人権体型を壊そうとしているのだ。
自己の宗教観を他国に押しつけることが許されるのなら、仏教徒は、アフガンムスリムの逮捕を要求できるのか。
日本の警察、検察よ、決して在日ムスリムに屈するまじ。
2 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/05/26(土) 08:56
治安当局は既に在日ムスリムを補足しております。
3 :
名無しさん@お腹いっぱい:2001/05/26(土) 09:08
>>1 全面的に賛成。日本政府、警察は絶対にムスリム共の日本の法律を
無視した要求には応じるな。たとえ治安出動、強制国外退去になっ
ても、絶対に屈するな!
4 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/05/26(土) 09:35
厳密にいえば犯人には窃盗と住居等不法侵入、不法投棄の3つの罪があるからな。
国際問題って事で警察も厳密にならざるを得ないのでは?
まあ、捕まっても懲役2、3年(実刑)ってところかな。
宗教への冒涜行為など自己中心的な行為で情状酌量の余地無しって事で。
(執行猶予が付かないで実刑になる理由)
5 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/05/26(土) 09:35
6 :
名無しさん@お腹いっぱい:2001/05/26(土) 09:40
>>4 そのあたりだったら、極めて納得のいくところだな。
7 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/05/26(土) 09:44
8 :
名無しさん@お腹いっぱい:2001/05/26(土) 09:47
9 :
名無しさん@お腹いっぱい:2001/05/26(土) 09:51
日本の法律も尊重できないような奴等、問答無用で強制送還してやりゃいいんだ。
戦争になる?上等だぁ、日本が誇る最新鋭イージス艦を始めとした護衛艦隊群を
投入して、インドと手を組んでパキの全土に巡航ミサイルの嵐を降り注いでやれ
ばいいんだ。パキなんざ3日で灰にしてやれ!
10 :
怒れ:2001/05/26(土) 09:53
宗教のためなら人でも殺す!人間の命をなんだと思っているんだ。
街中では麻薬や偽造テレカをどうどうと売り、日本人女性をだまし
妻とし、日本に永住し増殖している。日本の法律など無視ではないか。
日本人もなめられたものだ。
確かに一部ムスリムの不穏当な物言いには反対であり、自重してほしいが
コーランを破損されたという最大級の侮辱を受けたことへの心情も理解すべき。
皇室が侮辱されたら日本人のなかにももっと過激な事を言う(する)奴だっている
(昭和天皇の戦争責任に言及した長崎市長は銃撃された)
そして実はイスラム諸国の多くはむしろ親日的な国が多く、例外はあるが
どこぞの国々のようにやれ慰安婦だの戦争責任だの言ってこないところが多い。
また石油など天然資源や、日本製品のマーケットという意味においても
インドネシア・マレーシアのように日本企業が進出して経済的に連携し、日本の生命線
であるシーレーンの位置にある国でもあったりする。
日本が中国やアメリカにある程度、バランスを取って生存していく意味でもせっかく親日的な
インドネシア、マレーシアらイスラム諸国を敵にしてしまうのはもったいないし残念。
などとマジレスしてみる
12 :
名無しさん:2001/05/26(土) 09:55
ムスリムの連中って、よく星条旗焼いたりするじゃん。
自己中な奴らだよ、まったく。
13 :
名無しさん@お腹いっぱい:2001/05/26(土) 09:56
>>11 では奴等の主張に屈しろというのか?
それは独立国家としての主権を捨てるに等しいぞ?
14 :
勝手に某有名掲示板(wから転載:2001/05/26(土) 10:00
投稿時間:2001/05/26(Sat) 09:55
投稿者名:イスラムと民主主義について
Eメール:
URL :
タイトル:ぜひ、この映画をご覧になってください。
イスラムと(議会制)民主主義はもともと相容れない別物であることがこの映画から良く分かります。
「アラビアのロレンス」
舞台は第一次世界大戦当時のアラビア半島、まだサウディアラビア王国がないころの話です。
ロレンスは、アラブのイスラム的価値観に翻弄されながらも彼らが議会制民主主義の国家を立ち上げられることを信じて、ハーシム家(預言者ムハンマドの子孫)の若者と共闘し、アラブの、オスマントルコからの独立をかけて戦うのですが、結局、議会制民主主義が彼らになじまないという事実に失望し、さらに自分が祖国イギリスの国策に利用されていただけだったことを知って失意の後半生を送るという、あまりに有名な物語です。
完全版だと非常に長編になるのですが、どうかイスラムと民主主義を一考するためにご覧になるようお勧めします。
その2:富山の事件で「パキスタン」がクローズアップされてきていますが、インドとパキスタンの分裂をさかのぼる二十数年前の、イギリス統治下のインドの苦悩が、映画「ガンジー」を見るとよく分かります。
ガンジーの「非暴力・不服従」による、ムスリムたちとの共闘が結局失敗に終わってしまったことは、その後のパキスタン分離とも大きなつながりがあるので、どうかこちらもご覧になってください。
いずれの作品も身近のビデオレンタルショップに見つかると思います。
(長くなってすみません。)
15 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/05/26(土) 10:05
だからムスリムも日本人も冷静になってさ。
日本は法の範囲内で真剣に捜査と処罰を実施し、納得してもらうように努力するべき。
あまり「イスラムってダメ」みたいな火に油を注ぐような発言はやめるべき。
もちろんムスリムも過剰な要求や過激な言動は慎むようにしてもらうべき。
まあどれも困難なんだろうけど。
でもイスラムをこれ以上、ことさらに冒涜して
イスラム諸国をみすみす反日にするようなことは日本の「損」でしょ。
まあアジアでの覇権を狙う中国にとっては逆に日本とアジアのイスラム国家の
仲が悪くなるのは「おいしい」ことなんだけどね
16 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/05/26(土) 10:09
すでに公安当局はイスラム教徒を要監視団体として
チェックしているようです。
>>14 「アラビアのロレンス」は帝国主義者の英国にとって非常に都合が
良いようにかなり歪曲した映画だからそんなの観てもあてになりません。
大英帝国が自分の支配を正当化するために「イスラムと民主主義は両立しない。
だから俺達が文明化して民主主義を教えてやる」みたいなイデオロギーまみれ。
図書館で『アラブが見たアラビアのロレンス』でも読めば?
18 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/05/26(土) 10:18
>>16 あながち冗談でもないらしい。某有名掲示板(wのカキコによれば、中古車屋
周辺には警察が待機して、様子を伺ってるらしい。その中に公安部隊も混
じっている可能性あるかも。
ああ「ムルデカ」みてインドネシア萌えだったのに。
全世界のムスリムを反日勢力の側に追いやるのも時間の問題だな。
さては今回の事件は中国の・・・
いや何でもない。独り言です。
20 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/05/26(土) 10:59
やっぱりイスラム教徒は怖いな、と思わせる出来事でした。
21 :
マハティール&慎太郎:2001/05/26(土) 11:00
マハティールがこのスレみたらいっぺんにマレーシアは反日に変貌だな(w
間違ってもマレーシア大使館とかに2ちゃんねるのことを通報しないように
>ALL
そんなことで反日になるようなアホに政治家はつとまらんだろう。
23 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/05/26(土) 13:14
>>18 さっさとニポンジンムスリム共々、公安にしょっぴかれちまえばいいのに・・・
パキが文句つけてきたら、奴等の頭でも自分達の愚行を理解できるよう、
トマホークミサイルの雨でも降らしてやれ。
ここに書きこみしてる方々は、移民受け入れには賛成ですか、
反対ですか?
25 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/05/26(土) 13:29
>24 反対!
こんなのはほんの一例だろう。それに財産的人種的階級を
作る。良いことよりも悪いことのほうが圧倒的に多い。
アメリカみたいに白人を頂点とした人種社会になっちまう。
26 :
消される前にサルベージ:2001/05/26(土) 13:52
投稿時間:2001/05/26(Sat) 13:51
投稿者名:匿名
Eメール:
URL :
タイトル:ラディン氏については
オサマ・ビン・ラディン氏に関する詳細と、彼とアメリカの関係につい
ては、以下のページを見てみるといいと思います。比較的中立な立場で
書かれています。
http://hanran.tripod.com/terro/osamabinladin/ アフガン時代からアメリカ大使館爆破事件、それに対するアメリカの報復
ミサイル攻撃と、ラディン氏による全アメリカ市民を対象としたファトワ
発行まで、色々な話が書かれています。また、彼自身のインタビューもあ
るようです。
27 :
名無しさん:2001/05/26(土) 14:26
パキスタン人でまともに仕事しに日本に来てる奴なんていないんだろ。
ドロボウ連中がなーにいってやんでえ。
28 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/05/26(土) 14:33
ムスリムってなに?
29 :
>28:2001/05/26(土) 14:38
オウムの信者みたいなもの。
30 :
イスラム掲示板より転載:2001/05/26(土) 15:10
語るに落ちるとはこのこと。
「だけ」ではないということは
「武力闘争」も認めているということだよね>ムスリム
http://www2.dokidoki.ne.jp/racket/forum/wforum.cgi? 投稿時間:2001/05/25(Fri) 22:48
投稿者名:ハミード
Eメール:
[email protected] URL :
タイトル:武力闘争だけがジハードではありません
・スコピエさんへ
「ジハード=聖戦」と解釈されますが、
元来は「目的の為に努力する行為」自体を意味する言葉です。
誰の生き方にも(ムスリムだけでなく)このジハードはあると思います。
仕事に対しても、恋愛に対しても……ですね。
(所謂人間の「生きる力の源」みたいなもんですか)
そんな所ですかね。では。
31 :
名無しさん:2001/05/26(土) 15:36
クルマかえしてよぉ
32 :
無党派さん:2001/05/26(土) 16:18
イラン人が車盗みに入って落としたコーランを別の誰かが破いたのだったりして・・・
33 :
>32:2001/05/26(土) 16:50
野糞しに入った北の工作員だったりして…
34 :
ZENON209:2001/05/26(土) 17:08
>>4 窃盗? どうして。5月23日付け朝日を読み返してみたんだけど、よくわからなかった。
エロ本などを町にまき散らすひとは、けっこういるが、それで、懲役というのは、聞いたことがない。ムスリムが富山県警に大挙して押し掛け、逮捕を要求したのは、やはり日本の法運用に重大な変更を要求していると思う。
だいたい、パキスタンはタリバーンを支援しているのではないか。熱心な仏教徒なら、ムスリムに抗議したい気持ちもあるだろう。この犯人の事情はわからないが、逮捕すべきではないと思う。
この事件は、ムスリムは自己の正義ばかり振りかざして、他国の法体系も宗教観も考えていない事を示してはいないか。
35 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/05/26(土) 17:13
>4
コーラン一冊で2年も入るか!常習窃盗犯ならともかく。
それに器物破棄は成立しないの!不可罰的事後行為。
36 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/05/26(土) 17:33
そろそろ、「ここが変だよ外国人」って番組が必要だな>TBS
37 :
ZENON209:2001/05/26(土) 17:37
>>35 そうか、コーランは、パキスタン人の経営する車屋から盗ったということなのかな。朝日には「コーランが破られて投げ込まれた。」とあったので、書店で買ったかなんかで手に入れたコーランを投げ入れたものと思っていた。
そうだとしても、破って、わかるように敷地内においていったのなら、窃盗ではないよね。
朝日にあるように投げ込んだだけなら、不法侵入でもないし、本1冊の不法投棄でしか取り締まれないよね。
23日の記事では「富山県警はどういう容疑になるのかも含めて検討」と書いてある。やはり、普通の本なら、警察が捜査するような事件ではなかったのではないのか。
また記事には、富山では外国人の姿が目立つようになって来て、外国人排斥を求める宣伝活動があり、パキスタン人は取り締まりをたびたび求めてきたとある。彼らの滞在に法的な問題はないのか。
日本の法秩序に不満があるのなら、出ていくのは彼らであって、ネイティブ日本人ではない。
38 :
コロノアスレル:2001/05/26(土) 19:39
>>28 ネタだと思うが、イスラム教とのことです。
39 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/05/26(土) 19:54
40 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/05/26(土) 20:48
イスラム信じる日本人はアフガニスタンへ逝ってよし!!
41 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/05/26(土) 23:51
アメリカは軍事力、経済力をバックに世界を支配しようと
しています。イスラム諸国には同情すべき点はあります。
しかし俺はイランやイラク、ましてやパキスタン、アフガニスタン
よりもアメリカの体制が100倍いいと思います。別に理想とは
思わないけど。以上
42 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/05/27(日) 01:59
今夜の厨房ですよはポークジンジャー☆二つ半!
食べられなくてかわいそうだね>コーマンな人々
43 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/05/27(日) 02:07
日本に不満な奴はくるんじゃねえ。何がコーランだ。
外国人は日本に従え。嫌なら出てケ。
44 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/05/27(日) 02:10
45 :
名無し:2001/05/27(日) 02:12
46 :
ZENON209:2001/05/27(日) 05:39
>>39 あげてくれて、ありがとう。この記事によれば、コーランがまかれていたのは、国道だったのですね。これじゃ、不法侵入も器物損壊も成立しないし、本一冊の不法投棄で逮捕じゃ、不当ですね。
それにしても、そこまで、地域住民に迷惑をかけた商売を放置していた富山県警の責任のほうが、重いと思いますね。地域住民の不満が高まらなければ、政治団体も動かなかっただろうし、そうであれば、この事件もなかったはず。
47 :
ムスリム:2001/05/27(日) 07:35
相変わらず少数派イジメしてるな!!
ムスリムにとってコーランは天皇陛下の写真より大切なモノだ!!
アラブで天皇の写真が破られたら、アラブデお前ら抗議するか??
東の果てに住む日本人は相変わらず井の中の蛙だ!!
アラブノ王様を怒らせて、石油が来なかったらドウスルノダ!!
48 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/05/27(日) 07:39
私は普通の仏教徒で平和な考えの持ち主です。日本でも
海外でも他の宗派の人に自分の考えを無理に理解しても
らおうとも思わないし、ましてや押し付けることなど思
いもよらない。ところがこの人たちはまったく異なる文
化の国に金目あてで来て、そして自分らの考えを押し付
けたあげく、それに従わない人間は「ジハード」で殺し
てもよいと公言するのですね。すさまじい宗教ですね。
イスラムとは。。
49 :
民主主義の星:2001/05/27(日) 08:24
>>47 俺ら日本人にとっちゃ、民主主義と順法精神は今や天皇陛下のお写真よりも
大切なんだよ。それのどこがコーランに劣る?民主主義を愚弄するか!?
日本に来たなら、それを尊重しろ。日本の法律に従った範囲で主張と行動を
行え。それが出来ないなら今すぐテメーの国へ帰れ。
石油?まだ今の時代にOPEC諸国に国際価格支配力があると思ってるのかね?
もう少し国際政治を勉強したほうがいいよ、イスラム井戸の蛙クン。
50 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/05/27(日) 08:29
イスラム国家は皆同じとみなしてよろしいか
51 :
民主主義の星:2001/05/27(日) 08:45
>>37 >日本の法秩序に不満があるのなら、出ていくのは彼らであって、ネイティブ日本人ではない。
そのとおりだ。彼等はあくまで自分の意思で、この国に来ているのだからな。
誰かが書いていたことだが、彼等には母国はあるけど、我々には母国はここ
しかないんだってこと、絶対に忘れてはいけない。帰る国は日本だけなんだ。
母国を持たぬ民がどれだけ悲惨な目にあうかは、ユダヤ民族の歴史を見れば
火を見るより明らか。一知半解で国際化という言葉に踊らされて、母国を軽
んじては絶対にいけない。それを理解した上で国際化を考えるべきだ。
52 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/05/27(日) 08:51
イスラム教を国是としている国はすべて同じと思って良い。
特に原理主義国家
ま、キリスト教、ユダヤ教、イスラム教は兄弟喧嘩をしている
みたいな宗教だからな、
奴らに言わせりゃ違うというだろうが、聖地が同じで違うというのなら
地球に住んでいて地球人じゃないといってるのと同じだ
日本の様な多神教と同じようなのはギリシャ神話くらいだもんな
53 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/05/27(日) 08:52
だってカルトだもん
54 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/05/27(日) 08:52
>>37 だいたい日本が「東の果て」って、それイスラム世界観じゃなくてヨーロッパ
世界観なんですけど?(嘲笑
55 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/05/27(日) 09:09
しっかし例の日本人カルト本山ページ、いちいち投稿の最後に「アッサラーム」
とか付けてきて、いかにも我々は神に仕えてますって感じでウザイ。
誰か最後に「ジーク・ジオン!」って付けて投稿してやってくれない?あいつ
等のやってることのアホ臭さに気づかせるためにさ(ワラ
56 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/05/27(日) 09:32
他国の国旗を損壊の
条項を準用できるのではとおもわれ
57 :
ZENON209:2001/05/27(日) 09:41
>>47 アラブで、天皇の写真が破られたら? もちろん抗議するよ。それは、日本人に対する侮辱だよ。
しかし、アラブの官憲に押し掛けて、逮捕を要求したりはしない。それは、筋違いだろう。
ムスリムの嫌いなところは、自分の価値観は主張するくせに、他人の価値観は考えないことだよ。人権を基調とする日本の法体系も、仏教徒の石仏に対する思いも無視しているだろう。今回の場合。
58 :
>55:2001/05/27(日) 09:58
ほんと、あの管理人ウザい。
誰かハクしてトンカツの写真でも貼り付けてやれ。
59 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/05/27(日) 10:01
イスラム中華主義ですな。
あの世界に生まれることはアラーのなの元の独裁
に生きることを意味するわけだからまことあの世界を生きる人は
大変ですな。
60 :
民主主義の星:2001/05/27(日) 11:04
>>57 全面的に賛同いたします。宗教って、多かれ少なかれそういう傾向あるけれど、
ムスリムは特にその傾向が強い。どうしても好きになれん。
61 :
VESTA:2001/05/27(日) 11:09
でもやったガキどもがイスラムの教義を知ったうえで「気にくわん」
とほかしたんならともかくただのあほうではなあ。
62 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/05/27(日) 11:14
とりあえずコーランを破いた奴は法律上とがめることができないが、
よくない行いをしたので、とりあえず特定して謝罪させるべき。
謝罪で物足りなかったムスリムたちが何かやらかしたら
それはそれで国内法でさばけばよい。
63 :
ZENON209:2001/05/27(日) 13:56
>>62 それは、警察の仕事なのかなーー。
僕は、日比谷公園で気勢を挙げたのはともかく、富山県庁や富山県警に押し掛けたのは、他国に住ませてもらっていると思っていないと思われ、不愉快を感じたんだよね。
64 :
ZENON209:2001/05/27(日) 14:16
>>56 ところで、そんな法律、日本にあったんだ。
日本の国旗は、あちこちで焼かれているし、相互主義に反する。
65 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/05/27(日) 14:17
コーランは国旗じゃないから焼いても大丈夫だよ
>>64 つーか日の丸がばんばん焼かれてる国にも罰則規定あるんじゃないの?
ところで日本国内で焼いても罰則規定が適応されないのは日の丸だけ?
67 :
名無しさん@お腹いっぱい:2001/05/27(日) 14:41
ムスリムを見かけたら石か糞を投げつけましょう
68 :
ZENON209:2001/05/27(日) 14:52
>>65 そういえば、そうだね。刑事訴訟手続きで拡大解釈したら、罪刑法定主義に反するしね。
69 :
イスラム掲示板より転載:2001/05/27(日) 15:16
投稿時間:2001/05/27(Sun) 09:40
投稿者名:憂慮者
Eメール:
URL :
タイトル:イスラム原理主義対策
歴史的にイスラム教徒を内包してきた隣国、中華人民共和国のイスラム対策に日本も学ぶべきだと思います。
歴史の古い中国は、とりわけ唐代に多数の外国人を受け入れ、それにともなって多くのイスラム教徒も流入し彼らの多くがその後も中国にとどまり、今では「回族」といわれる民族として、中国の主要民族を構成する存在になっています。(国旗である五星紅旗の星の一つは彼らを意味しています。)
ところが、近年中央アジアを中心に台頭してきているイスラム原理主義の波及は大きな懸念になっており、彼らの独り善がりな行動が、はるか昔から中国で歴史を刻んできた回族たちにとって迷惑になってきています。
現在中国は中央アジア諸国と連携し、独り善がりなイスラム原理主義やテロを封じ込めるよう対策を進めているのです。
日本も隣国の中国と連携し、日本人イスラム教徒にとっては迷惑になるイスラム原理主義の波及とテロの対策を講じられることを提案します。
70 :
ZENON209:2001/05/27(日) 17:24
だいたい、彼らのビザは、何なのだ。不法滞在ではないのか。
71 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/05/27(日) 18:09
Λ_Λ ______
( `∀´) ビリッ/
(つ[ ]⊂ < アラーっってなンだヨ!
| | | \______
(__)_)
72 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/05/27(日) 18:45
「伏魔殿」が、やったに違いない。
ムネオ&川島タン。あげ!!!!!!
73 :
ななし:2001/05/27(日) 20:24
どっか遠い国の暴動かとおもったよ(笑)集まってなんかしてるんだもん・・
あのテンションの高さは日本人にまねできないな・・・・
74 :
ヴァカムスリムの投稿さらしage:2001/05/27(日) 20:34
投稿時間:2001/05/26(Sat) 08:02
投稿者名:サフィーヤ
Eメール:
URL :
タイトル:テロという言葉について
一言言わせていただきます。
これはスコピエさんの”テロ”=イスラム教徒の考えにも関係しています。
オサマ ビン ラディン氏のことについて書いてみます。
アメリカがベトナム戦争で苦しんでいる頃、又、東の勢力旧ソビエトとの摩擦が絶えなかったころ。。
旧ソビエトと共産党人アフガンがアフガニスタンにいるモスリムへの攻撃が始まりました。(攻撃の前にソビエト共産党らがモスリムを殺害したり、レイプしたりする事件が絶えなかった)これに対してオサマ ビン ラディン氏他モスリム、オラマ、らはジハードを名乗り、戦いが始まりました。これを見たアメリカはこれこそチャンスと思いきや、このモスリムの行動を影から支えるかのようにたくさんの武器を提供すると言ってきました。その影から支える理由はただ一つ、アメリカは共産党国旧ロシアの滅亡を望んでいたからです。ベトナム戦争でたくさんのアメリカ人をなくしたアメリカはアメリカ国民へこれ以上アメリカ人が戦争でなくなったといえない、ちょうどその時、大敵 旧ロシアと戦ってくれる人がいるこれはアメリカにとって好運も超好運、、(まあアメリカは自分らが戦わずに旧ロシア、東 勢力と戦ってくれる人がいるからそれを善いことに利用していただけなんです。それに武器をモスリムらに売れば儲かるし、、一石二鳥、又三鳥の様なもの)アメリカはオサマ ビン ラディン氏らのことをヒーロー扱い(ムジャヒディン)でした。あのころは。。
しかし、、、
戦いをつずけていくうちにモスリムの中にこのアメリカの行動に疑問を持つモスリムらが出てきました。又、旧ロシアの勢力の衰えも出てきて、旧ロシアはアフガニスタンからひいていきました。その後、、アメリカの陰謀を知ったモスリムらはアメリカへ激怒していきました。今までの私たちの心の中はモスリムを守るため、アッラーのために戦っていたのにそれを利用したアメリカ、、許せない。となり、オサマ ビン ラディン氏ら他モスリムらは今度はアメリカヘ向けてジハードを宣言。そうしたらアメリカは180度紙を裏表返されたように今度は彼らを”テロリスト”と呼ぶようになりました。
ヤサーアラファト議長もそうです。昔は”テロリスト”扱いだったんです。でも今は?イスラエルとの平和を言いかけるパレスチナ人の代表になったので今度はヒーロー扱いですか??(ちょっと今はシャローンが大きく出ているのでアラファト議長のことあまり出てませんが。)
アメリカの状況によってテロリスト扱い、それともヒーロー扱いですか?
ここから分かる事はアメリカからのニュース(xxx人によってコントロールされている)をありのまま受け入れていてはダメということはっきりしますよね。
75 :
ヴァカムスリムの投稿さらしage:2001/05/27(日) 20:35
投稿時間:2001/05/26(Sat) 13:06
投稿者名:たけ(非ムスリムです)
Eメール:
URL :
タイトル:Re: テロという言葉について
サフィーアさんに、2つ質問があります。
アメリカの陰謀って具体的に何のことですか?
それとxxx人とは何人のことですか?
そうした伏字にするよな覚悟の無い書き方は止めて、ハッキリ書いてはいかがですか。正しいことを言っている自信があるのならこのようなことはしなくてよいはずです。卑怯な書き方だと思いますよ。
76 :
ヴァカムスリムの投稿さらしage:2001/05/27(日) 20:35
投稿時間:2001/05/27(Sun) 16:54
投稿者名:サフィーヤ
Eメール:
URL :
タイトル:Re^2: テロという言葉について
xxx人とはユダヤ人です。xxxとあえてしたのは私の経験からですが、かなりうるさく文句を言われましたので。今回富山のことでかなりのことが書かれている場面があったので話しをもっと大きくしたくなかったからです。
話しは戻って。。
アメリカのほとんどすべての外交政策はユダヤ人の影からの政策が入ってます。(あえてユダヤ人の中でも政治の大物は特に名前を挙げれば、ヘンリーキッセンガー、もっと影ならぬ人たちいますが。)
ユダヤのことが事実かどうか疑いをもたれるやも知れませんが、これは長年のたくさんの方々のユダヤ人についてのリサーチからです。
77 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/05/27(日) 20:38
すげ、狂信者ってのマジでいるもんなんだなあ
イスラムっつーかトンデモ信者だな
78 :
ヴァカムスリムの投稿さらしage:2001/05/27(日) 20:41
>>74-76
出たぜ、ユダヤの陰謀説(核爆
選民意識&被害妄想全開のムスリムの典型。自分達は2000年に
わたってユダヤ民族を迫害してきたくせに、何を偉そうな口を
聞いてるんだか。
「長年のたくさんの方々のリサーチ」とやらがどのような人々
による、どのような手段でのリサーチなのかを言ってみてもら
いたいもんだ(嘲笑
結局自分らの仲間内の都合のよい意見を丸のみにしてるだけじゃ
ねーんか?このサフィーヤとか言うキティが自分で実際に調べて
みたわけじゃねーだろうしよ(ワラ
誰かユダヤ教の奴いねーんか?コーマンヴァカどもに反論してや
れよ、遠慮せずに。応援してやっからさ(ワラ
やっぱりこいつらは日本から叩き出すべきだね。
79 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/05/27(日) 20:43
イスラム信者はムー信者やアトランティス信者と
同レベルということでよろしいか
電波キモイ
80 :
ムスリム:2001/05/27(日) 20:46
全てはユダヤの陰謀です(w
81 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/05/27(日) 20:51
このことがあってイスラム掲示板なるものを覗いてみたが、
俺には基本的に、大前提として、どうして日本人がイスラム教徒に
なるのかがわからん。
もちろんどうしてキリスト教徒になるのかもわからんのだが。
掲示板の書き込みの中には、「探せばけっこう身近にもいるもんだ」
のような記述もあった。正直、それが本当なら俺には大変気味悪い。
あと、テレビで過激な発言をした外人はとくべつそういう熱い発言を
する人なんだという記述もあったが、そんなことが何かの言い訳にでも
なるのか? もしそうなら仲間うちの掲示板で釈明してないで、マスコミに
「あの人はそういう人なんです。気にしないでね」と意見広告でも出せ。
82 :
:2001/05/27(日) 20:56
イスラム死ね。
83 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/05/27(日) 20:58
フジテレビ系PM10:30から放送予定「EZ!TV」
“東京終結イスラム教徒が大激怒!コーラン破り事件の真相”
刮目せよ!
84 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/05/27(日) 21:41
>>81 >俺には基本的に、大前提として、どうして日本人がイスラム教徒に
>なるのかがわからん。
結局自分自身の思考で現実に立ち向かっていくことを放棄したからだろ。
イスラム狂に限らず、宗教というものに入信するような奴はそういう輩
だよ。
だいたいあそこの掲示板の連中見てみろ、論理的な書きこみ(奴等にし
てみりゃ嫌がらせだそうだが)に対して、何一つ論理的な反論をしてい
ないじゃないか。本当にイスラム狂というものの教えを理解しているな
ら、もっとそれに基づいた反論が出てきてもいいと思う。
結局連中、一知半解でアッラー万歳とか言ってるような、中途半端な
連中だってことだろ。そこらへんきっちり考えられるような奴なら、宗
教なんぞに入信せんさ。
>掲示板の書き込みの中には、「探せばけっこう身近にもいるもんだ」
>のような記述もあった。正直、それが本当なら俺には大変気味悪い。
本当だよな。これを機に、どの程度イスラムが日本に侵入してきている
のか、政府には調査を行って欲しいものだ。オウムと対して危険度かわ
らん連中だからな。
>あと、テレビで過激な発言をした外人はとくべつそういう熱い発言を
>する人なんだという記述もあったが、そんなことが何かの言い訳にでも
>なるのか?
ならんよな。つーか、分かってるならテレビなんかに出させるなよって
思われ・・・。
結論:イスラム狂信者イタすぎ。
85 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/05/27(日) 21:43
>>83 俺、海外在住だから見られないんだ。頼む、放送終わってからで
いいから内容を書きこんでくれ。
86 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/05/27(日) 21:44
>81
イスラム掲示板の管理人ですら、最初はムスリムへの挑戦だとやっていたからね。
TVでの反響みて、どんどんトーンダウン。当然だね。
ムスリムが、基地外でないと話をそらすのに必死になっているようだね。
87 :
名無しさん:2001/05/27(日) 21:46
>>81 漏れも、どうして日本人がイスラム教徒になるのかはサパーリ分からんな。
世界史専攻してる間に染まったのか?
異国情緒にあこがれて、なのか?
キリスト教徒になるのは、環境的に、まぁ或る程度分かるが。
88 :
面白そうな本の情報無断コピペ:2001/05/27(日) 22:08
89 :
EZTV:2001/05/27(日) 22:33
はじまったよ!
90 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/05/27(日) 22:55
ちょっと前の産経新聞より転載。
---
☆テロで千人以上死亡
アルジェリア紙は同国でのイスラム過激派テロで94年以来、子供1241人が殺され、孤児は3万人と報じた。
---
どんな理由があれ、こんな宗教認めるべきじゃないと思うのは俺だけか?
91 :
怪狂徒:2001/05/27(日) 22:56
コーランを破いたらたとえ親だって殺します!
92 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/05/27(日) 22:58
中東イスラムテロ組織一覧
ハマス(イスラム抵抗運動)
対イスラエル、対PLO闘争を行う
イスラム聖戦機構
いまだに正体不明、イスラムアマルやヒズボラが名をかったているといわれる
イスラム原理主義者
エジプト国内の組織はリビアの支援および援助を受けている。
イスラム アマル
レバノンのシーア派民兵アマルから分離した過激派
イマーム サドル グループ
レバノンのシーア派民兵アマルから分離した過激派
ヒズポラヒ
レバノンのシーア派民兵組織
アル ダワ
ホメイニがイラク亡命中に結成した秘密組織。
対イラク、対ユダヤ テロを行う
モスレム同胞団
エジプト、シリヤ、スーダンで個別に活動中
ジハード
モスレム同胞団係、エジプトのサダト大統領を暗殺。活動が活発
全部まとめて逝ってヨシ!!
93 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/05/27(日) 23:23
イスラム教徒が増えるよりは、アレフが増えた方がマシ。
これ以上騒ぐんだったら、宗教団体を騙る暴力組織ということ
で暴対法適用すべし。さらに騒ぐなら破防法適用。
94 :
ニポーン人:2001/05/27(日) 23:25
だいたいイスラム教徒も馬鹿だよな。世界の先進国で唯一敵に回していない
日本でこんな騒動を起こすとは・・・。
これで日本人もイスラムに対して危機感を抱くだろ。世界中で排斥されるが
いい。自業自得だ。
95 :
反イスラム:2001/05/27(日) 23:31
96 :
ルクソールを忘れるな!:2001/05/27(日) 23:37
11月18日から新聞に掲載されたエジプト観光客襲撃事件の主にイスラム原理主義過激派組織に関する一部記事の要約。
1997年11月18日朝刊 エジプト観光地 5邦人含む60人死亡
武装集団が乱射、治安当局と銃撃戦も
エジプト南部の観光地ルクソールで17日午前9時15分(日本時間同日午後4時15分)ごろ、古代遺跡を見学中の外国人観光客が武装グループに銃撃され、多数が死傷した。
イスラム過激派か
地元警察によると、事件が起こったのはルクソールのナイル河畔にあるハトシェプスト女王葬祭殿付近。待ち伏せしていた武装グループが、2百人を超える各国の観光客に向け無差別に自動小銃を乱射した。観光客の中には、日本人の観光バスツアーの一行11人が含まれ、死亡者には日本人のほかにスイス、フランス人が含まれるという。
エジプトでは1992年以来、外国人観光客を標的にした銃撃事件が発生、30人以上の外国人が犠牲になっているが、これまで邦人の犠牲者はいなかった。また、9月18日には、カイロのエジプト考古学博物館前で、観光バスが襲撃され10人が死亡したばかり。
邦人死者は10人に
「イスラム集団」現場に犯行声明。
エジプト内務省は18日未明、死者が71人に達したと発表した。死者の内訳は61人が外国人観光客、2人が警官、2人がエジプト人で、6人が射殺された犯人という。
カイロの日本大使館は、日本人観光客11人のうち6人の遺体の身元を確認、日本人のツアーを手配した現地の旅行代理店は別の4人についても遺体の身元が判明したとしており、10人の日本人の死亡が確認された。
襲撃現場からは、イスラム原理主義過激組織「イスラム集団」の犯行声明が発見され、同組織による犯行との見方が強まっている。
日本人観光客に襲撃直前声明文
犠牲となった日本人観光客は襲撃の直前、イスラム原理主義過激組織「イスラム集団」の声明文を渡され、犠牲者のうち数人はその声明文をポケットなどに入れたまま、テロの銃弾に倒れていたことが17日、治療を担当した医師の話から明らかになった。
声明文は英語とアラビア語で「我々はイスラム集団に所属する『荒廃と破壊部隊』である」と名乗った上で、「殉職者となった我々同士の復讐を必ずする。イスラムの土地を外国人に汚させることを認めない。外国人がエジプトに来ないよう警告する」などと記され、「エジプトのイスラム教徒」というサインがあった。
97 :
ルクソールを忘れるな!:2001/05/27(日) 23:39
1997年11月19日朝刊 乱射30分、さらに短剣
子供をかばう母も標的に
「テロリストたちは自動小銃を乱射した後、短剣で観光客たちに襲いかかった」「子供をかばいながら、母親が銃弾に倒れていった」事件を目撃した地元住民らは、惨劇の様子を語った。
ツアーに同行し葬祭殿の第2テラスにいた日本語ガイドによると、4人の男が自動小銃を取り出し門番を3人射殺、第2テラスに駆け寄り、ガイドの足元に発砲して飛び降りるように指示した。ガイドが指示通り、テラスに飛び降りたところ、男たちは第2テラスで乱射を始めた。観光客を標的に約30分間、無差別に銃撃を続けたという
指導者釈放求める 過激派の犯行声明
事件現場で発見されたイスラム原理主義過激派組織「イスラム集団」の犯行声明文には、米国で服役中の同組織の精神的指導者、オマル・アブデルラーマン師の釈放を求める内容が記されていた。アブデルラーマン師は、米ニューヨークの世界貿易センタービルの爆破テロなどに関与したとして96年1月、終身刑を言い渡された。
別の過激派もテロ続行示唆 報道機関に声明
エジプトのイスラム原理主義過激派組織「ジハード団」の分派である「征服の前衛」は、「ルクソールでの作戦は最後ではないだろう」との声明文を外国通信社などに送りつけ、今後も観光産業をターゲットにしたテロが続くことを示唆した。声明文は「観光収入がエジプト政府への経済的支援となり、内務省による拷問の器具購入の財源になっている」と指摘。エジプト政府が人権を尊重するよう、西側諸国に働きかけを求めている。
イスラム原理主義 過激派テロ先鋭化
中東各地に多大な影響
現代エジプトのイスラム原理主義は、英国支配脱却を目指す民族運動が高まった1928年、中学教師ハサン・アル・バンナーが結成した「ムスリム同胞団」にさかのぼる。同胞団は、「イスラムこそが解決の道」をスローガンに西欧文明に対するイスラム社会の徹底を旨とするがテロは否定。非合法ながら現在でも実質的には同国最大の政治勢力と言われる。
70年代半ばから思想家サイド・クトゥブの影響を受け、同胞団の穏健路線に反発して組織作りを始めたのが「イスラム集団」「ジハード団」だ。彼らの過激主義を決定的にしたのは、「ジハード団」創設者の技師アプドッサラーム・ファラグが70年代末に著した「隠れた教義」。イスラム教徒が行うべき五行のほかに、隠れた教義として「聖戦」(ジハード)が存在すると強調。背教者、異教徒への武装闘争を正当化し、理想世界のイスラム共同体を実現するためなら「何をしても許される」とした。
弾圧進み”粗暴性”増す 警戒は事件直後だけ
欧米同様、日本も敵視か
今回の事件は、90年ごろから続く「イスラム集団」とエジプト警察当局との「報復合戦」の結果だ。当局は2、3年前から、「イスラム集団」「ジハード団」「ムスリム同胞団」などの国内のイスラム原理主義組織の徹底した取り締まりを始めた。これに原理主義組織側は危機感を強め、今年9月にはカイロで「ジハード団」の影響を受けた2人によるドイツ人観光バス襲撃や、軍将校、警官を殺害する事件も起きている。「イスラム集団」にはアフガニスタン内戦に参加した帰還兵が加わっており、重機関銃などの重火器の操作になれたメンバーが増えている。当局が同組織の幹部を次々に逮捕していることもあり、組織の粗暴性が増しているとも言えるだろう。エジプト警察当局は、テロ事件発生後しばらくは警備を強化するものの、その後警戒が甘くなる傾向がある。
イスラム原理主義組織が米国などの西欧諸国を「エジプト政府に味方する者」とみなしていることは確かだが、今回の事件で、日本も同様の存在とみなしていることが図らずとも明らかになったのではないか。
98 :
ななしさん:2001/05/27(日) 23:40
>>95のリンク(go.jp)より
国際社会における我が国のプレゼンスが顕著となるのに伴い、我が国の権益や在外邦人へのテロの脅威は、近年一層高まっています。
また、我が国には、本国情勢が不安定な外国人も多数滞在しており、外国の紛争事案がテロ事件という形で我が国へ波及することも懸念されるほか、イスラム原理主義過激派が繰り返しテロ活動の対象としてきたアメリカ合衆国関連施設も多数存在しています。
こうしたことから、中東やアジアを中心として多発しているイスラム原理主義過激派、分離独立主義過激派等による重大テロ事件は、我が国にとっても現実の脅威となっています。
99 :
ルクソールを忘れるな!:2001/05/27(日) 23:44
いまあらためて読み返してみて、つくづく腹が立つ。テメーらが
やったテロが原因で逮捕されたんだろーに。なんて身勝手な連中
なんだろう。
日本人を敵視しているなら、日本になんか来ないでいただきたい
ものだ。ましてや日本で布教活動なんてとんでもない話だ。
イスラム過激派のテロ活動がなくなるまで、今後日本でのモスク
建設は一切禁止すべきだ。こんな連中に日本でイスラム組織を作
られたら、本気で日本の平和に関わる。
100 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/05/27(日) 23:53
まったく、イスラム狂ってのは国際社会の秩序を蝕むガン細胞だな。
101 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/05/27(日) 23:59
ルクソールの話だけど彼らの最後知ってる?
手に手に凶器持った「お土産やさん」連合に取り囲まれて自決したって聞いたんだけど。
本当かな?説得力はあるが…。
102 :
ななし:2001/05/28(月) 00:03
イスラム教徒って、やはり異常だな
103 :
ヴァカムスリム板の"管理人"の投稿:2001/05/28(月) 00:13
投稿時間:2001/05/27(Sun) 23:50
投稿者名:管理人
Eメール:
URL :
タイトル:世の中の反応は
富山のコーラン騒動は世間では思っているほど大きな話題にはなってない
ようです。
昨日、本日とイベントがあり、ずっと、たくさんの
人と接してましたが、(もちろん、大半の人が私がムスリムであるのは
知ってます。)この騒動について話してかけてきたのはたった一人だけ、
寂しーー!「あれ?コーラン騒動あったのにここに居るの?」
この一言だけ。それも、冗談っぽく
ところが、この掲示板には、かなり過剰反応している書込みが多いようです。
俗世間とこの掲示板では世界が違う感じです。外国に居る日本人ムスリム
の方々は、情報が少ないし、他の日本人の反応を見ることができない
だけに、必要以上に心配されているのではないかと、心配してます。
私の書込みでもっとも言いたかったのは、05/26(Sat) 03:13書込みの
『心配することはない。彼らも私と全く同じ考えを持っていたのです。とても冷静に考えていました。そして、振り上げたコブシは、行進することにより下ろすことができたのです。』
パキスタン人はこのような状況です。
心配なのはパキスタン人の行動ではないのです。
一つの事件があったら、連鎖的におこるかもしれない日本人が起こす
第2のコーラン騒動なのです。それだけは、絶対にやってはいけない。
それと、今回の事件で、この掲示板に嫌がらせをするような体質の
日本人です。
日本人はまともな人が多いはずですが、ごく一部のまともでない人の
行動がこわいのです。それは、日本人に限らず、どの民族も同じなの
ですけど。。。。
104 :
ヴァカムスリム板の"管理人"の投稿:2001/05/28(月) 00:18
>>103 まだ被害者妄想全開かね。全く聞く耳持たずだな、この馬鹿管理人。
>昨日、本日とイベントがあり、ずっと、たくさんの
>人と接してましたが、(もちろん、大半の人が私がムスリムであるのは
>知ってます。)この騒動について話してかけてきたのはたった一人だけ、
>寂しーー!「あれ?コーラン騒動あったのにここに居るの?」
>この一言だけ。それも、冗談っぽく
当たり前だろ。見ず知らずの人間にいきなり「イスラム狂って変です
よね」などという奴はいないし、多少なりとも知り合いなら、内心危
ないと思っていればいるほど当たり障りのない対応をするに決まって
る。
この管理人、むしろ誰も言ってこないことに危機感を覚えるべきだと
思うんだが?ちょっと世の中をしらなすぎるんじゃないの?
宗教にはまっちゃって、その程度の判断力も無くしてしまったのだろ
うか?そうだとすると、やっぱり宗教って自分で考えることを放棄し
た者が集う代物だってことだわな。
まぁ、勝手にそう思いこませておけばいいか。今後の勧誘活動で、こ
のヴァカの意見が正しいかどうかが明確になってくるだろうさ。
105 :
怒:2001/05/28(月) 00:20
神国日本を汚すパキ野郎を叩き出せゴルァ!
106 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/05/28(月) 00:22
>それと、今回の事件で、この掲示板に嫌がらせをするような体質の
>日本人です。
俺も、まともな意見でも反論できなければ問答無用で削除するような、
人の話を聞こうともしない狂信者が怖いです。
>日本人はまともな人が多いはずですが、ごく一部のまともでない人の
>行動がこわいのです。それは、日本人に限らず、どの民族も同じなの
>ですけど。。。。
イスラムもそうだわな。まともな人が多いかどうかはともかく、「日本人
コロスヨ!」などとテレビに向かってのたまうような狂信者は怖いですわ。
それが全体の意見ではないというなら、イスラム教徒の内部でしっかりそ
のヴァカに対して注意するなり何なりの処置をしてほしいですね。それも
しないのにあーだこーだ言ってるようでは、そいつをかばってると思われ
ても仕方がないでしょう。
107 :
ヴァカムスリム板の""管理人""の投稿続き:2001/05/28(月) 00:23
投稿時間:2001/05/28(Mon) 00:19
投稿者名:管理人
Eメール:
URL :
タイトル:私がかわいそうに思うのは
富山の中古車販売店は、ただでさえ周りの日本人から変な目で見られがちだ
からと、同業者で再三会合を持ち、日本人とうまくやろう、迷惑をかけまい
と、路上駐停車はしないように、とお互い注意しあっていたほどだそうです。
政治団体からの街宣放送などの迷惑を蒙りながら、警察に再三相談に行き、
それでも改善されない状況で辛抱していた彼らの気持ちは想像を絶する
ものがあったかもしれません。
それでもなおかつ、世間の一部の日本人からは、「出て行ったら」と。
こういう言われ方をすれば、かわいそうです。
とにかく一日本人として、パキスタンの方々に、申し訳なく思います。
今回のコーラン騒ぎで、改善されればいいですね。そうなるように祈っております。
108 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/05/28(月) 00:25
かばってるんだろ
内心下っ端信者がアホな言動かまして、いまいましく思ってはいるだろうが、
自分の庭に痛いこと色々書かれて面白くないから
問題をすりかえたいんだろうな
109 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/05/28(月) 00:26
注意しあっていたという既成事実を作っておいて、
実際は路駐やりまくり、と。
狡猾だな。
110 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/05/28(月) 00:28
>>109 でも、私たちはいけないと思って努力していたんです。
心の中であやまっていたのに・・・ひどいです。
111 :
ヴァカムスリム板の""管理人""の投稿続き:2001/05/28(月) 00:29
>>107 だったらなぜ女の子が違法駐車が原因で事故死するような事態に
なったのかね?なぜウヨの街宣車が通れずに対立するような事態
になったのかね?
ウヨとパキがぶつかり始めたのは去年の終わりあたりからと聞い
たけど、違法駐車問題は数年前からあったと聞く。結局口先ばか
りで、パキ側にはちっとも改善する姿勢がなかったんじゃないの?
それが原因で事故死者を出したことについては、彼等はいったい
どう考えているのかね?
きっと女の子の遺族はこの騒動を「ざまあ見ろ」と思って見てる
んだろうな・・・。
だいたい「出ていったら」ってのは、日本の法律を尊重できずに
むやみやたらに警察に厳罰を要求したり、無差別殺戮を示唆する
ような過激な発言をしたりしてることに対してじゃないのかね?
普通に他人に迷惑をかけずに中古車屋やってるなら、別に排斥す
る理由はなかろう。そうじゃないからこれだけ非難を受けている
わけで。
いくら狂信者でも、もう少し現実を直視して考えてみて欲しいも
んですな。あまりにイタすぎです。
112 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/05/28(月) 00:35
>>109 世の中、謝っても手遅れなこともあります。
とりあえず事故で死人を出してしまったことについて、現地の
中古車屋を経営するパキスタン人達は猛省すべきでしょう。
死んだ人は、決して生き返ることはないのだから。文句がある
なら、遺族の前で同じ台詞を言ってみるがいい。
それらの行為を棚に上げて、日本人を非難するからこれだけの
激しい反感を買ったんです。
2ちゃんは確かにかなり右よりなのは事実だけど、匿名故に普段
は決して口にできない本音が飛び出すのも事実。今やYahoo!掲示
板に次ぐ知名度を持ってるとも言える掲示板で、これだけ非難に
同意する意見が出てきてるという事実は、重く受け止めたほうが
ムスリムのためでもあると思いますがね。
それでもまだ聞く耳を持たぬなら、勝手に落ちるところまで落ち
るがいいでしょう。自業自得です。
113 :
112:2001/05/28(月) 00:36
114 :
ななし:2001/05/28(月) 00:40
日の丸が焼かれたりすれば良い感情を持つ日本人はおそらく少ない事でしょう。
同様にコーランが破かれれば頭に来るイスラム教徒の気持ちは判る。
115 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/05/28(月) 00:43
イスラム掲示板の管理人は、まずイスラムマンセーという
根底意識があって、それを正当化するために色々
ネタ探しして被害者の殻に篭っているんだから、
まっとうな論議ができるわけがない。
116 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/05/28(月) 00:44
>>114 頭にくるのはすごくよく分かるが、だからといってその国の法律を軽んじる
ような行動が許されるわけではないでしょう。彼等はその点において非難を
受けているのであって、コーラン破棄事態は罰すべきという意見は多いので
は?
117 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/05/28(月) 00:45
>>115 で、なんとかして論点をずらそうとしてるのが見え見えなんだよね。
どうしようもない。話にならない。
彼等が話をする気がないのなら、何を言われたって文句を言う権利は
ないと思うんだけどね。これまた宗教差別に論点をすり替え、被害者
面ばっかりしてる。
はっきり言って反吐が出そうだよ。
118 :
ななし:2001/05/28(月) 00:48
>116
日本の法律をムスリムが破っていたんですか?
「路上駐車の常連」という記述は確認したが,
それ以外に何かあるんですか?
119 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/05/28(月) 00:49
120 :
ななし:2001/05/28(月) 00:53
『コーランを破った人間は謝れ。』ではなくて
『殺す。』と?
うーん、実際に犯人が判明したとして、その犯人が殺害された場合
ムスリムをまず疑って良いのだな?
面白い事になりそうだから,まず犯人の判明を願う。
121 :
無名:2001/05/28(月) 01:09
>>112 ムスリムは事故が起きたからといって、反省などしません。
だって、それも「神の思し召し」だからね(たとえ、明らかな人災でも)。
インシュアラーで片付けちゃうんだよ。
122 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/05/28(月) 01:16
>>118 ここ数日の、一連のイスラム関連スレを読んでみてくれ。どこかのスレに、
地元紙が取材したそのあたりの経緯に関する記事の転載があったから。
もうどこだか、スレがあまりに多すぎて俺も思い出せない。
あと、コーラン破棄における警察への捜査要求でも、最初はかなり過激な
要求をつきつけていたそうだ。日本ではせいぜい窃盗とか器物破損でしか
処罰できないというのにね。おまけに「犯人捕まらなければ、あなた殺す
か、誰殺すか分からない!!」とのテレビリポーターへの宣言。ま、この
時点であまり同情の余地はなくなってきましたな。日本の法律やルールを
無視してると非難されるのも当然では?
123 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/05/28(月) 01:18
>>121 何がインシュアラーだよな、ホントに。あいつらの神がホントに
いるんだったら、亡くなった方を生き返らせてくれってんだよ。
124 :
名無し:2001/05/28(月) 01:30
>>78 遅レスだが、私の知識ではアラブはユダヤを迫害していなかった
ように思うのだが・・・。2000年にわたってユダヤを迫害したのは
ヨーロッパ人、キリスト教徒だろ?
戦後イスラエル国ができるまで、アラブ半島ではユダヤもアラブも
共存していたはず。
まあ自分もたいして知識があるわけじゃないんだが、アラブの
ユダヤ迫害(歴史上の)って聞いたことないもんで。あったんなら教えて。
125 :
狂信"管理人"マンセー!!:2001/05/28(月) 01:33
我が忠勇なるイスラム軍兵士達よ。
今や、日本人の半数が、我が無差別殺戮によって天上へ消えた。
この血の海こそ我らイスラムの正義の証である。
決定的打撃を受けた日本軍にいかほどの戦力が残っていようと、
それはすでに形骸である!
敢えて言おう、カスである、と。
それら軟弱な集団が富山県境を抜くことはできない、と私は断言する。
人類は、我ら選ばれた優良人種たるイスラム教徒に管理・運営されて、
初めて永久に生き延びることができる!
これ以上戦いを続けては、人類そのものの危機である!
民主主義国家の無能なる者どもに、思い知らせてやらねばならぬ。
今こそ人類は、明日の未来に向かって立たねばならぬ時である、と。
アッサラーム!
立てよ、国民!
126 :
狂信"管理人"マンセー!!:2001/05/28(月) 01:34
|| ∧ ||
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|| 」 L
|| \/ ハイ ミナサン ゴイッショニ
○ 'Vヽ ∧∧∧∧∧∧
\\ |‐г|, < アッサラーム!! >
\\ д/ ∨∨∨∨∨∨
\〃―匪―〃フミ
| ≧||≦ ||
\Τ /||
|=ж=| ||
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\アッサラーム!! アッサラーム!!/\アッサラーム!! アッサラーム!!/\アッサラーム!! アッサラーム!!/\アッサラーム!!/
(⌒) / (⌒) / (⌒) / (⌒) / (⌒) / (⌒) / (⌒) / (⌒) /
(⌒) / (⌒) / (⌒) / (⌒) / (⌒) / (⌒) / (⌒) / (⌒) /
⌒) / (⌒) / (⌒) / (⌒) / 「(⌒) / 「 (⌒) / (⌒) / (⌒) /
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⌒) / (⌒) / (⌒) / 「 ( ⌒ ) / 「 (⌒) / (⌒) / (⌒)
) / ( ⌒ ) / ( ⌒ ) / 「 ( ⌒ ) / 「 ( ⌒ ) / ( ⌒ ) / ( ⌒
/ ( ⌒ ) / ( ⌒ ) / 「 ( ⌒ ) / 「 ( ⌒ ) / ( ⌒ ) /
127 :
124続き:2001/05/28(月) 01:38
そういえばオスマントルコ帝国には、ヨーロッパから逃げてきた
ユダヤ人がたくさん住みついていて、平和的に共存していた。
イスラムは同じ啓典の民のことは尊重していたから、寛容に
受け入れてくれたわけ。
128 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/05/28(月) 01:46
世界各地で多発するテロが、イスラム原理主義が多数を占めているのを見ると
本当に寛容なのか疑問だ。また自称寛容と、他称寛容は違うがね。
129 :
78:2001/05/28(月) 01:55
>>124 スマソ、これは確かに間違いだ。イスラムがユダヤを迫害し始めたのは、
比較的最近のことだね。そもそもイスラム教自体、まだ1400年の歴史し
か持ってないし。訂正します。イスラムがやったのは、オスマントルコ
におけるアルメニア人(キリシタン)大虐殺とか、そっちの方が主なも
のだね。
130 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/05/28(月) 01:58
>125
イスラームをジオン軍とすると
ユダは地球連邦軍?
131 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/05/28(月) 02:13
>>127 それはちょっと理由が違う。ユダヤ人はいろんな国において、土地の
所有を禁じられるという差別をうけてきたため、主に金融や流通など
の、今で言う第3次産業の分野で発展してきた経緯がある。中世にな
ると、それらの力を無視することが難しくなり、受け入れざるを得な
かったという事情もある。その事実が、「ユダヤ人は金銭に卑しい」
という風評を生み出すことにも繋がったのだよ。なので、中世のイス
ラム圏がユダヤ人を受け入れていたのは、決して教義の問題だけでは
なく、現実的な戦略もあってのことだった。
とはいえ、中世のイスラム教が、ユダヤ教やキリスト教との共存をう
まく図っていたのも事実。ただし中世後半になるとキリスト教との
対立が激化し、原理主義に走ったイスラム圏は硬直化による停滞を
迎え、宗教改革等の様々な開放化に向かったキリスト教圏は、大航海
時代、技術革新、資本主義の発達などを経て、現在の繁栄を築いた
というわけ。
132 :
124:2001/05/28(月) 02:17
133 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/05/28(月) 02:23
ところで、ジプシーの宗教って何?
ヨーロッパでは、うまく共存しているみたいだけど。
134 :
名無しさん:2001/05/28(月) 02:27
窃盗犯なんだから逮捕してもかまわんよ。
ただ、日本の法律で裁いてね。多分、微罪だろうね。
135 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/05/28(月) 02:32
>>131 つまり昔からイスラム原理主義はドキュソってことか。
136 :
名無しさん :2001/05/28(月) 02:36
日本で売ってる牛肉って××が屠殺して、
豚肉と同じ包丁、まな板でさばいてるよね。
ムスリムが食っていいのか?
137 :
無名:2001/05/28(月) 02:39
>>136 味の素なんかにも入ってるんじゃないの?
138 :
名無し:2001/05/28(月) 02:40
>>136 彼らは普通のさばき方した肉は食べられないんだよ。
家畜は、アッラーの名を唱えて首をかっきって殺さないといけない。
そんでちゃんとそういう手順をふんで作ったお肉をわざわざ
輸入して食ってる。
139 :
名無しさん:2001/05/28(月) 02:50
>>138 やっぱりそうだよね。
でも近所のスーパーでイラン人っぽいのが、
鶏肉とか牛肉、大量に買ってるのを良く見るんだよ。
あと普通の店で飯食ってるヤツとか。
こいつ等はみんな生臭ムスリムと思っていいんでしょうか?
140 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/05/28(月) 02:51
>>139 イラン人だからムスリムとは限りません。
おそらく隠れメキシカンです。
141 :
名無しさん:2001/05/28(月) 02:55
アハ
でもイスラム教徒の留学生がよく学食で食事してんですけど…
こういう事をムスリムに指摘したりすると、殺されちゃう?
142 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/05/28(月) 03:03
>>141 いや、彼らを懐柔してイスラムを若者から軟派にすればよい。
教義に真摯過ぎる原理主義者がどの宗教でも一番危ない。
143 :
コーランかあ。:2001/05/28(月) 03:06
この事件前までで、「コーラン」って物を理解してた日本人がどれほど
いるんだろうか?自分の場合は聞かれれば「イスラム教の何か?・・・」
程度だった。
自分は高学歴ではないし知識家でないのも認めるが、大半の日本人
もそうじゃないか?
いい悪いは別にして、一般小市民で、イスラム教に造詣が深い人なん
て、やっぱり少数だろ?
だからこそ、破り捨ててソレをわざわざイスラム教徒の人の目に付く所
に放り捨てるってのは明らかな悪意を感じるが・・・。
そもそも、今回みたいな事件って、世界のあちこちでしょっちゅう起こ
ってるのではないか?それこそ言葉どおり、戦争になってる所はあち
こちあるよね。
何だか今回の事件っていい意味でも悪い意味でも、移民慣れしてない
島国日本、そして、いい意味でも悪い意味でも平和ボケしてる日本を象
徴してるような気がしてならない。
石原都知事が、今回の事に関してのどうコメントするかがが聞きたくて
ならない。
144 :
誰だか知らんが:2001/05/28(月) 03:08
あの狂信者掲示板の2ちゃんへのリンク、思いっきり間違えてるぞ(苦笑
直接各スレにリンクしないと・・・俺がクリックしたときには「なんで左
は自虐的なのか」スレが出てきたぞ(ワラ
145 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/05/28(月) 03:45
天皇教を押し付けられている日本人としては、笑止千万スレですな。
大川周明の例もあるように、右翼ってイスラムと共感し合う部分も多かろうに。
結局世界の誰とも仲良くできないんだね。
尊皇攘夷・鎖国が理想なんだね。取り残されていくんだね。
中国製品や石油使うなよ。
国粋主義に未来はないのは明らかだね。
146 :
名無しさん:2001/05/28(月) 03:58
サヨおやじってよく大川周明の名前出してきて、
お前等知らんだろ〜 とか言うんだよね。
そんなに好きなの?
147 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/05/28(月) 05:00
>>145 いったいどこに天皇教などというものが存在するので?
もしかしてデムパですか?(嘲笑
>中国製品や石油使うなよ。
なんで「日本の法律を尊重できないなら自分の国に帰れ」という、民主主義
国家としてしごく当然の主張をしてるのに中国製品が出てくるので?
別に何人だろうとも、日本の法律にきちんと従って行動してれば、一部のキ
ティウヨ以外、誰も出てけなんて言わないよ。なんでムスリムってそこが理
解できないのかなー?
国際化という言葉を履き違えるなよ。国際化ってのは、無条件に他国の主張
や文化を聞き入れることじゃないんだよ。
148 :
ヴァカムスリムの投稿より:2001/05/28(月) 05:04
149 :
感想としては:2001/05/28(月) 05:12
>>148 荒らしてるんじゃなくて、議論をしようとしてるんだろーに。言い分があれば
きちっと反論してくればよろし。なんでこう相変わらず被害妄想キティなのか
ねぇ?
まあそれはおいとくにしても、とりあえず俺は戦争体験自慢は聞きたくもない
のでパス。ざっと紹介読んでみたが、単なる戦争大好き厨房の自慢話大会とし
か、あの紹介からは感じられない。そなものわざわざ金払って聞く奴の気が知
れん。いったいどんな奴が集まるんだろう?軍事ヲタなのかな?
誰か逝く奴いたら、どんな感じだったか書いてくれ。
しかしまぁ、同じ戦場取材者という人種でも、ロバート・キャパとは
ずいぶん志が違うよーで。
150 :
ここ見てみ:2001/05/28(月) 05:20
151 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/05/28(月) 05:31
>>150 なんかだんだん胡散臭い流れになってきたよな。全員ではないだろ
うが、絶対この盗難車輸出に関わってるパキいるだろうな。そうい
う輩は、今回の一件で警察のマークがきつくなり、さぞかし困って
いるであろう。ザマミロ。
ホントにパキってヴァカ。あんな風に騒ぎ立てなければ、こんな話
なんて表に出てこなかっただろうに。自分で自分の首を絞めてりゃ
世話ないや。
152 :
しかし・・・。:2001/05/28(月) 05:48
これでまた人権屋の利権がひとつ増えたね。
153 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/05/28(月) 05:53
窃盗団に荷担してんのかあの糞パキ共。全員叩き出せよ、、、
俺は車じゃなくバイクだが、本当に海外に輸出されちまうと手も足も出ない
んだよな。窃盗団大嫌い。
こんな仕事に手を染めてる連中なんて、同情の余地0だよ。
これ、もっと深くほりさげて、取締りも厳重にしないと
いけない問題なんじゃない!?
はじめて見たけどびっくり・・・・。
155 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/05/28(月) 06:08
うーん、読んだが、やはりここは2ちゃんの大きな力を結集して、
石原知事にコメントを求めよう。
彼がこの一件でどんなコメントをはくか、それで彼の姿勢が分かるだ郎。
みんなの一つ一つの力で彼にコメント求める運動をしてみよう。
156 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/05/28(月) 06:14
>>150 すごいね。全然知らなかった。
税関と警察の強化しなきゃなー
157 :
スレにはあまし関係ないのだが:2001/05/28(月) 06:21
158 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/05/28(月) 06:22
>>150 富山ってそこのリンクの盗難多発地域に入ってないじゃん。
なにが、何故富山なのか、だよ(w
まあパキはバイヤー専業らしいけどな
159 :
キミちゃんと読んだの?:2001/05/28(月) 06:48
>>158 あの記事には、ロシアに輸出される盗難車の多くが富山の中古車屋を経由
していて、中古車屋はパキが経営してるものが多いとかかれてるだろ?
文句つける前に、目かっぽじってよく記事読んでね。それができないなら
今すぐ回線切って首釣って(ハァト
160 :
あぼーんされそうなヨカソ:2001/05/28(月) 07:05
投稿時間:2001/05/28(Mon) 06:06
投稿者名:無名
Eメール:
URL :
タイトル:イスラム社会への疑問
アッラー以外の神を認めない独善性と排他性が問題です。
バーミヤンの仏教遺跡破壊はひどすぎます。
ニュースで見て、とても悲しくなりました。
イスラム圏では女性差別もひどいですね。
一夫多妻制など論外だと思います。
女性が顔を出して街を歩けないなど、私には想像することすら困難です。
外国人がイスラムの戒律をそのまま日本に持ち込んでも、そのことが
個人的レベルで収まっている限り、何の問題も無いでしょう。
しかしながら、日本は法治国家なのですから、イスラムの戒律を
日本社会に強制することは出来ないのです。
コーランを破った犯人が日本人だと断定することも危険です。
一般的な日本人には、このような行為をする発想がありません。
日本人だったら、嫌がらせをする場合別の方法を取ると思います。
161 :
_:2001/05/28(月) 07:15
税関はどの国でも入ってくる方には厳しいけど、出てく方には
割といいかげんだからな。パキスタン人バイヤーは、その辺の
隙間を利用した商売をしてるんでしょうね。
162 :
ムスリム:2001/05/28(月) 07:24
日本人が全員ムスリムに改宗しない限り、原油は輸出しないナンンテ、
アラブ首長国連合の王様に宣言されたりして!!??
このスレの大和男児はアラブ出兵に参戦する覚悟は御ありだろうね!!
口だけだったりして!!!
163 :
名無し:2001/05/28(月) 07:26
>>162 ネタですか?
まあ、彼らの本質はそんな感じだけどね。
164 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/05/28(月) 07:33
>>162 ネタだと思うが、旧ソ連が崩壊した今、原油を輸出してくれるのはアラブ
諸国だけではないのだよ。OPECのシェアは4割まで落ち込んでいるって
ご存知?
だいたいあんだけイスラムと喧嘩してるアメリカだって、きちんと原油は
確保できてるんだ。日本人よ、ビビることはない。正しいと思うことは
きちんと主張すべきだ!国際化とは無制限に他国に譲歩することではない!
165 :
コピペ:2001/05/28(月) 07:51
瀬戸弘幸(世界戦略研究所)の掲示板から。
---
富山県でパキスタン人などのイスラム教徒が数百人結集して気勢をあげたという報道は、その原因がどのようなものであったにせよ、ついに我が国にもそのような事が現実に起きたという点で、極めて注目すべき事件ではないだろうか。ヨーロッパではキリスト教社会になだれ込んだイスラム教徒との間における軋轢は、宗教戦争、民族紛争などの様相を呈しながら“新たなる内乱”の時代を想起させるまでになっている。
昨今の日本においても、石原都知事やめろ!ネットワークのデモ行進に、明らかにイスラム教徒と思われる一団が参加しており、遠からず彼等だけの大規模な行動が起きることを予感させていた。
サルマン・ラシディー原作の『悪魔の詩』を翻訳した、五十嵐一筑波大教授が惨殺された事件を我々は忘れてはいけない。
そこには一神教の世界における“憎悪”の哲学の根深さを垣間見らせ、無宗教の民と自他ともに認めてきた我々日本人も、もう蚊帳の外では有り得ないという現実に直面したのである。
急増を続ける外国人、とりわけ不法滞在者が公式でも30万人を越すという日本社会において、犯罪だけでなくこのような宗教問題も複雑な影を落とし始めてきた事に震撼する思いである。
http:www.strategy.co.jp
166 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/05/28(月) 07:53
>>165 どーもこのおっさんウヨ臭いんだが、みんなはどう思う?
俺は今回の1件に関してだけは、この意見に賛同する。イスラム教は
世界の事例を見渡してみても、あまりに危険すぎる。
167 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/05/28(月) 07:54
皆でコーランを破り捨てろ!!
皆でやれば怖くない・・・。
168 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/05/28(月) 07:56
>>166 イスラム教はカルト。
オウムより怖いテロリスト集団。
こんなものを擁護する奴は流石に日本にはいないだろう。
169 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/05/28(月) 07:59
>昨今の日本においても、石原都知事やめろ!ネットワークのデモ
>行進に、明らかにイスラム教徒と思われる一団が参加しており、
>遠からず彼等だけの大規模な行動が起きることを予感させていた
イタイデモに参加していたのか。
ま、それはともかく、こうも確定的に言われるとなんだかね。
一神教国VS一神教国ではないのでね、日本の場合。
事情が異なるよ。どこでも、先鋭的な奴とそうでない奴が居るのだから
全部が全部危険視できないよ。創価が危険だから仏教界全体が危険とい
うようなものだよ。
170 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/05/28(月) 08:05
犯人は黒人ではないか?
172 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/05/28(月) 08:17
>>169 とはいえ、相手は一神教の価値観で向かってくるから、なかなか難しい面も
あるかと思われ。
全員がそうではないのは分かっているんだが、ああも簡単に一部に煽動され
ちまうとなー。あんな集団に側にいられては、危なっかしくてしょうがない。
富山の一般人には、心の底から同情するよ・・・。
173 :
甲州街道 :2001/05/28(月) 08:49
>>166 瀬戸さんは有名な人だよ。ウヨというより、極右を自称して
たとおもう。
2ch政治思想板の常連で、実名をハンドルにしてた。
今いるかどうか知らないけど。
174 :
166:2001/05/28(月) 08:56
>>173 そうだったんだ、教えてくれてありがとう。
政治思想板は一度もいったことなかったんで、全然知らなかったよ。
ところで、ウヨと極右っていったい何がどの程度違うの?俺、右翼はウヨで
一纏めだと思ってたんだけど、何か違いってあるの?
175 :
コピペ:2001/05/28(月) 09:26
日本は言論自由の国だからアラーを冒涜しようが個人の自由だと
思ってるあなた、これを機会にイスラム教についてちょっと勉強
してください。偉大なるアラーの前には親、子、兄弟ですら
虫けら同然の価値なのです。
富山って大変ですね。
チョセーンに拉致されたかと思いきや今度はムハマードかよ
177 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/05/28(月) 09:37
どうもパキの中古車屋、5年前に893の上納金断ってから、
嫌がらせやられていたらしい、その上、違法駐車で、右翼を怒らし、
あげくの果ての結果が、コーラン盗まれ、破りすてられみたいだな。
それで、犯人殺しに行くとなると、ただの893との抗争事件。
一般人は、なにも関係がない。
178 :
甲州街道 :2001/05/28(月) 09:39
>>174 それは違うんじゃない?
ウヨは2ch用語でしょ。小林が「サヨク」という言葉を作って
左翼と区別したのを受けて、(故)あめぞう「思想政治」や2chなんか
でウヨクという言葉ができて、ウヨサヨの醜い罵倒合戦が政治思想板
などで行なわれるようになった。
瀬戸さんは私の記憶では、国家社会主義みたいな人で、オーストリア
などの民族主義を支持してたんじゃなかったかな。
百姓が本業だとかで、「これから農作業に行きますから、またあとで」
なんて書き込みもしてたよ。
179 :
甲州街道 :2001/05/28(月) 09:42
>>177 893にちょっと絞めてもらいたい気がするね。
こういうとこで骨のあるとこ見せなかったら893の存在意義なし。
180 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/05/28(月) 09:53
>179
893に絞めてもらうというより、パキの中古車屋が、
在日イスラム教徒に893の件で相談しても、相手が893という
ことで、皆、引いてしまったようだ。それが、エスカレートして、
コーランの破り捨てだが、893相手がなぜか、日本人に摩り替わって
しまっている。これも893に追い風が吹いている。
パキと893との抗争は避けられないのでは?
最悪、在日イスラム教徒は、893から上納金徴収のターゲットに
される恐れもあるね。
181 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/05/28(月) 10:10
>>179 まったくだ。普段あれだけでかい面してるんだから、こういう時くらいは
最前線に立ってもらわないと>893
ま、このままじゃ上納金納めてる地元民に対してもしめしがつかないだろう
から、またいずれ何らかの動きがあることは想像できるかと思われ。
>>180 >在日イスラム教徒に893の件で相談しても、相手が893という
>ことで、皆、引いてしまったようだ。
ソースは?ちと興味あり。
これらが事実だとすれば、日本人ムスリム共は何か知ってて隠してるって
ことになるなぁ。警察や公安、連中に徹底的に聞きこみすりゃいいのに。
182 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/05/28(月) 10:24
自己中になろうぜ、
犯人がどうなろうと俺は痛くも痒くもないぜ。
早く見つけ出して、住所氏名を公表すればいいんだよ。
当然ムスリム達は違法な復讐をするだろうから、
それを待って、ムスリムを残らず国外退去させればいいじゃん。
コーラン破棄は、法律的には微罪にしか当らないが、
やった奴はやっぱりサイテー人間だろ?
八つ裂きでも何でも、されればいいじゃん。
183 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/05/28(月) 10:31
>181
有名になったイスラム掲示板にそういう感じの投稿があった。
あの管理人が削除してるかもしれないが。(藁
相手が893とわかれば、信仰に対する嫌がれせもあるから、
協力しあうはずだが、個人的なトラブルなのでという表現なので、皆、
引いたと解釈している。
∧∧/\ガチャ
(*゚〆 /|> ,◇
ノつ、/||◇γ
___(_,,う▲□□凸□_____
∧ ∧ 〜♪
(*゚ー゚) パキノオハカツクッテアゲルネ
、ノ つC□
____▲□( う□□□凸_____
185 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/05/28(月) 11:01
>182
富山在住なら、この問題に関わらないほうが良い。
在日イスラム教徒は、893との抗争に一般市民を
巻き込むような行動に出たということだから。
もう、警察に893を刑事告訴するとかして、893の
取り締まりしてもらうという枠外から越えてしまっているから、
地下で、反893武装組織でもパキは作るのだろう。
富山もやっかいなものが住み着いたね。
186 :
瀬戸弘幸:2001/05/28(月) 15:46
私の主張が書き込みされているので、投稿させていただきます。
今回の事件で我々は先ず考えなければいけないことは、生まれも育ちも
文化も宗教も違う民族や人種が、一つの国家の中で混住していく事の難しさです。
よくマスコミや人権派団体、進歩的文化人と呼ばれる人達は、国際化の進む中で
外国人と仲良く暮らさなければいけない、といった主張を行っています。
しかし、それはそう容易いことではありません。かってイラン人が代々木公園で
毎週末に集まって日本人とトラブルが起きた時がありました。
私はこの時、「代々木公園を日本人の手に取り戻せと!」訴え、テレビなどでも発言させて
頂きましたが、マスコミは私を拝外主義者、人種差別主義者のレッテルを貼って、私と
私の仲間を悪者に仕立てました。我々の活動で代々木公園は閉鎖され、結果的にイラン人は
締め出されたわけですが、その真相は全く違ったものでした。
公園を管理する東京都にイラン人の締め出しを要請したのは、実は一般の日本人だったのです。
彼らの多数は『イラン人は怖い!』と感じ、彼らの追放を訴えたのです。
この多くの日本人が怖いと感じた、この事が果たして悪いことなのか?
私はそうは思わない、偏見や差別感情を持つべきでない事は確かだが、
感情を殺したり偽って生きる必要は何処のもないだろう。
なぜなら、ここは紛れもなく我々日本人の社会であるからです。
187 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/05/28(月) 15:52
イスラムの人はラシュディの訳書を出した筑波大教授が殺されたのを
引き合いに出し、イスラムは怒るとどうなるか日本人はわかっている
だろう、などと恫喝した。
これでは、日本人のイスラム理解が深まるわけない。
日本人に反イスラム感情が生まれるとき、そのすべての責任は
このような恫喝をしたイスラムの側にあると言わざるを得ない。
188 :
ZENON209:2001/05/28(月) 18:28
イスラームは、神と人間との契約は絶対で、相対的に人間と人間の約束は、どうだっていいのです。
つまり、神の法を守る気はあるが、人の法を守る気がない、日本の法を守る気がない。
実際に、日本の法体系を尊重する意志がないと表明した、つまり、日本の刑法を無視して逮捕を強行せよと主張した輩は、日本の国土より、退去を求めたいと思います。
189 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/05/28(月) 18:32
イスラムが日本に合わせるべき。日本にすんでいるんだから。
いやなら帰る。
190 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/05/28(月) 18:54
今回の富山での事件よりわずか前、じつは東京の渋谷でも同じような
コーランを何者かが破いて路上に放置する事件があったとのこと。
いまさっきニュースで報道していた。
191 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/05/28(月) 19:07
今回のコーランが破られるという事件は、富山のパキどもには
願ったり叶ったりだな。
コーランが破られる
↓
事態を拡大させてニュースに取り上げられる様にする
↓
全国の在日ムスリムが怒る
↓
彼らをまとめてデモを起こす
↓
「イスラムは怒るとどうなるか日本人はわかっている
だろう」と恫喝
↓
日本人がビビる
↓
命が危ないとなれば893ポリスもも迂闊に手を出せない
↓
仕事がやりやすくなって(゚д゚)ウマー
192 :
gana:2001/05/28(月) 19:09
だいたいコーランってどんな事かいてあんの?
聖書と同じなのかな
193 :
>160にレスが書かれてた:2001/05/28(月) 19:13
投稿時間:2001/05/28(Mon) 10:31
投稿者名:管理人
Eメール:
[email protected] URL :
http://www2s.biglobe.ne.jp/~racket/ タイトル:Re: イスラム社会への疑問
疑問を感じたら、いろいろな本を読んでみることをお勧めします。
本を読めば読むほど、だんだん本当はどうなのだろうというのが解ってきます。
それから、素朴な疑問は大切にしていきましょう。
素朴な疑問からスタートしていけば、それが課題のようになり、
知識欲がわいていきます。
宗教嫌いだった高校生の私に
(注:私の一家は宗教嫌いで全員体育会系、今の私も体育会系という点は変わっていません。)
世界史の先生が授業中に与えた課題が、「世界史にはいくつかの大帝国が
生まれたが、根付くことなく滅んでいった。身近なものでは大日本帝国。
しかし、イスラムはたった一人で始まったものが、わずか40年でいまのイスラム圏とほぼ変わらない範囲を支配し、その後イスラムは根付いた。これは
何なのか考えてみなさい。軍事力だけか?税制だけか?
そしてどうして、たくさんの人の心を捉え広がりつづけてるのだろうか?
時間があれば、コーランを読んでみなさい。」と、確かこのようなこと言ってたと思います。
どうしても解けない謎でした。
質問した先生も分かってなかったのではないかと、今になって思いますが、
「どうして?」という素朴な疑問から、なんでもスタートします。
あなたが一夫多妻は悪法だと思ったのなら、そんな悪法を持つイスラムが
どうして多数の人の心を捉えているのでしょうか?
あなたの頭の中だけでも、しっかり考えてみる必要があるのではないでしょうか?どうしても、解らないときは、イスラム相談室に投稿してください。
解くヒントを差し上げます。
---
「ヒントを差し上げます」って、この人いったい何様のつもりなの?
自分の考えに自信があるなら、堂々とここで披露すればよかろうに。
だいたい歴史研究家でもない、一介の宗教信者の意見が正しいとは限らない
だろうに、それをさも自分の考えが絶対正しいような書き方をしてる。
なんでこう宗教信者って盲目的なのかな、、、
一夫多妻制ってのは、戦乱が続いて男の死亡率が高かった時代に民族の繁栄
と女性・子供の生活保護のために生まれた制度であって、とりあえず平和が
確保されている現在の日本では、全く不必要な制度なんだがね。
帝国うんぬんの話もおそらくオスマントルコ帝国のことを言ってるんだろうが、
歴史上最も長く繁栄したのはローマ帝国だってことぐらい、歴史家じゃない俺
だって知ってるのに。ローマ帝国は紀元前750年あたりから2000年ほど続いたが、
そんな時代にイスラム教があったとでも言うのかね?イスラムどころかキリスト
教もないぞ(w
宗教が国家を繁栄させるようなこと書いてるが、むしろ十字軍を代表する宗教抗争
が、ローマ帝国の弱体化と滅亡を加速したんだけどね。近代を見ても、イスラム
革命後のイランを見れば、厳粛な宗教は逆に国家を弱体化させるのは明白だと
思うんだが。
なんで一知半解で適当なことばかり書くのかな、この管理人は、、、
194 :
名無しさん23:2001/05/28(月) 19:18
>世界史にはいくつかの大帝国が生まれたが、根付くことなく滅んでいった。
当たり前です。永遠に続くものなんて、何一つこの世にはないんだから。
イスラム教だってしかり(w
195 :
:2001/05/28(月) 19:26
>>194 >当たり前です。永遠に続くものなんて、何一つこの世にはないんだから。
お釈迦様もそう仰っております。
196 :
狂信者:2001/05/28(月) 19:30
197 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/05/28(月) 19:33
アメリカ大帝国もいつかは滅ぶ。
198 :
gana:2001/05/28(月) 19:37
そして日本もね
いやもう滅んでるか
199 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/05/28(月) 19:42
神の国日本は永遠に不滅です。
200 :
Treker:2001/05/28(月) 19:46
201 :
怒:2001/05/28(月) 21:30
神国日本を汚すパキ野郎を殺せ
いや、むしろイスラム狂徒が騒いでくれたお陰で、
日本人の間に危機感がわき起こったという点においては良かったかも?
最近NHKの子供向けニュース解説番組の中で、
イスラム狂徒「日本国内のイスラム狂徒は食べ物一つとっても、
適切に処理されたものかどうか分からなくて困っているんです〜」
子供たち「へ〜え大変なんだ!どうして日本はそういう人たちの事を考えないのだろう?」
見ていてオイオイって思うくらいイスラム狂徒にシンパシーを抱かせる内容だったので、
ヤバイなと思っていたんだよ。
これで勘違いしてた日本人の意識が変わってくれればマシなのだけどね。
203 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/05/28(月) 22:35
よその国に来て、自分の価値観を押しつける。
欧米諸国のやり方と変らないじゃないですか。
イスラムの国の何処かに聖書置いてたら
皆で大事に保管してくれるのだろうか?
205 :
ニポーン人:2001/05/28(月) 23:57
ageとく
206 :
ムハンマド:2001/05/29(火) 00:11
イスラム暦2000年(西暦2622年)には
全人類がイスラム教徒と化しているであろう!
207 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/05/29(火) 00:19
批判して彼らの行動をスポイルするんじゃなくて、
煽って犯罪行為に走らせる方が得策だと思う。
一人でも日本人が傷つけられたら、ムスリム全員国外退去するのがいい。
ムスリムの未来はムスリムに決めさせよう。
でも爆弾テロとかおっぱじめたらイヤだなぁ。
209 :
投稿日:2001/05/28(月):2001/05/29(火) 00:40
イスラム暦は太陰暦だから、イスラム暦2000年は
西暦2562年だよ。
>202
豚骨ラーメン食ってる奴もいるけどな。
210 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/05/29(火) 00:50
211 :
193にレスが付いてた:2001/05/29(火) 01:06
投稿時間:2001/05/28(Mon) 19:33
投稿者名:ドク
Eメール:
URL :
タイトル:管理人様<先生>へ
まず最初に、貴方様の事、先生と書かせていただきます。
<1>読めば読むほど-解ってきます...
失礼ですが、私もイスラム関係の本色々読みましたが、歴史書および文化、芸術は、すばらしく感動も、興味もわきましたが、現代史および既存のイスラム
国家の問題、特に政治、人権、女性問題、異教徒差別、民主的問題、戦争、
テロなどのイスラム同志の内部対立などは、先生とは違い幻滅することばかりでした。
先生は、コ-ランだけ読めば理解できると言いたいのですか?
<2>世界史にはいくつかの大帝国が.....
たしかに、旧イスラム帝国の地域には、イスラム教が普及していますが、<例外は、インドネシアでしたね>だったらキリスト教も同じですよ...
当時は、侵略と布教は同時におこなわれてましたよ...
当然イスラム教及びキリスト教に反対したものは、殺された歴史無視するのですか?
スペインに侵略された南米国は、キリスト教国ですよ...
強者の論理で先生は考えていませんか?
<3>一夫多妻は悪法だと思ったのなら-多数の人の心.....
それなら先生、離婚反対、避妊反対している、カトリックの信者もイスラム同様10億人ぐらいの信者がいますよ...
最後に質問があるのですが、日本のイスラムの方々にとって理想のイスラム国は、何処の国なのですか?
またどこの政党が、もっとも理想のコ-ランにもとつぎ政治しているとかんがえていますか?
理想の指導者は、だれですか?ハタミ氏?、ムバラク氏?.....
やはり、スンニ派が多数ですか?
長々と質問してすいません。
212 :
相も変わらぬ"管理人"の馬鹿レス:2001/05/29(火) 01:09
投稿時間:2001/05/28(Mon) 23:48
投稿者名:管理人
Eメール:
[email protected] URL :
タイトル:高慢な言い方に反省しなくちゃ
> まず最初に、貴方様の事、先生と書かせていただきます。
この言葉は響きますね。
それで自分の書いたものを読み返してみたら、確かに高慢な書き方をして
いますね。私自身はそのつもりなかったんですが、読み返すと高慢に聞こえ、
ムスリムらしさが足りないですね。これはアスタグフィルッラー、反省です。
最初の書込み者「無名」さんには不愉快な思いをさせました。
ごめんなさい。
現代史は確かにあまり見るものはありません。この部分で言っていることは、イスラム帝国が短期間で広がって、その後イスラムが根付いていったことの不思議さです。それは何なのかは一つに疑問です。
説は出るでしょうが、これはという答えは出てこないものです。
それはイスラムの魅力といってしまえばそれまででしょうが、コーランや
ハディースを読んでいってその魅力を探っていかなければならないでしょう。
一夫多妻が悪法ならば、イスラムから人は離れていきます。
一夫多妻にもいい面も悪い面もあるのです。それを、考えてみてくださいといっているんです。
日本のムスリムにとってどのような政府が理想的かという質問は
これはイスラムでは政府はどういうシステムであるべきというのは
規定していません。
私とすればムスリムとしての平安な暮らし
を与えてくれる政府を希望します。
213 :
投稿日:2001/05/28(月):2001/05/29(火) 01:14
管理人様<先生>のレスはdokidokiさせるの〜。
214 :
もう相手すんの馬鹿らしくなってきた:2001/05/29(火) 04:53
>>211-212
誰が書いたか知らないが、柔らかくかつ辛辣な指摘をしてるよな>先生
この管理人が自分の非を認めたの、これが初めてじゃない?認めただけ
まあましになったと言えるか。最初からそうしてりゃ、こんなに叩かれ
ることもなかったろうに。コーラン破った奴だって相当非難されてんだ
から。
>現代史は確かにあまり見るものはありません。
都合悪いところだけ逃げるなよ(苦笑
>説は出るでしょうが、これはという答えは出てこないものです。
・・・だったら本を調べれば分かるなんて書き方すんなよ。テメーだって
分かってねーんじゃねーか(苦笑
>それはイスラムの魅力といってしまえばそれまででしょうが、
>一夫多妻が悪法ならば、イスラムから人は離れていきます。
離れようとすると死刑にされちゃうじゃん(苦笑
それに宗教は、魅力よりもその布教政策や時代背景に大きく左右されるも
のなんだけどね。イスラムは昔から豊かな国ではあまり定着しない。でも
砂漠の民には強い影響力を持つ。こういう特徴から、学問的に分析してい
くべきだと思うんだがな。「魅力です」で終わりにすんのは、ただの思考
停止。同じ教義でも、環境によってその魅力や価値は変わるのだから。
>私とすればムスリムとしての平安な暮らし
>を与えてくれる政府を希望します。
ムスリムだけじゃなく、他の教徒や無神論者の権利も尊重して、日本の法律を
守って生活すれば、誰も君たちのことを攻撃したりしないでしょ。それでも
攻撃するような奴を非難する程度の健全性は、まだ日本には残ってると思うん
だけどね。
それが嫌ならイスラム圏に移民してみりゃいいだろうに。国際化だのあーだ
の言ってるなら、なんでそういうことしないのかね?
215 :
ZENON209:2001/05/29(火) 04:57
結局、イスラームへの冒涜が目的でなく、盗んだほんの処理に困った不良少年の犯行だったみたいだが、ムスリムは手をあげた拳を引っ込める気がないらしい。バキ大使館が「再発防止」申し入れているそうだ。
不良少年の犯罪の再発防止? そりゃ、当然だろうが、内政干渉じゃない?
大使館なら、イスラームへの啓蒙をすすめるなどの活動をするほうが本筋じゃない。キチムスリムだけでなく、大使館ですら、他国で自分の価値観が保護してもらえると思っているのか。
だったら、日本の価値観も押しつけるぞ。核兵器廃止しろ。でなければ、在日ムスリムの居住区域は六ヶ所村限定とする。
216 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/05/29(火) 05:17
犯人はパキスタン人だろ。
奴らの自作自演だよ。
217 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/05/29(火) 05:55
>>215 それ、2ちゃんがソースならネタ(w
あのスレ、もう一度よく読んでみー。
218 :
ヴァカムスリム掲示板に新投稿:2001/05/29(火) 06:01
投稿時間:2001/05/29(Tue) 03:32
投稿者名:名無しさん
Eメール:
URL :
タイトル:Re^3: コーランを破った犯人の保護について
保護などする必要ない。警察にとってはホントに厄介な事してくれたと思って
いるよ。コーラン破るのは勝手だが最後まで自分の責任と覚悟でもってやって
ほしいものだ。
---
内容はまっとうだし、彼等にとっても不満のない内容だろうと思うが、
投稿者名が「名無しさん」。
さー削除するかどうかが見物だ(爆
219 :
ヴァカムスリム掲示板にやっとまともなムスリムの投稿:2001/05/29(火) 06:28
女性差別に対する質問の回答を投げていた女性信者が、最後の方
で謝罪してたぞ。女性差別に対する反論はいろいろつっこみどこ
ろ結構多いんだが、あんな風に謝罪をしてきたムスリムは初めて
だし、とりあえず敬意を表しておこうか。反論の矛盾は、見る人
が見れば気がつくだろうし。
とはいえ、言葉では何とでも言えるし、あそこの管理人やジャミ
ルだかガメラだか言うヴォゲムスリムみたいなキティもいるし、
当分はやつらの行動を見守りってとこだな。あと1回同じような
騒動起こしたら、今度は確実に日本社会から排斥されるだろう
けど。
220 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/05/29(火) 06:53
>>218 これ書いた奴、これ見たイスラ〜ム共が調子に
のって犯人殺しちゃって、日本中で排斥運動が
起こるのを期待してんだろ?(ワラ
>>219 漏れも読んだ。圧倒的多数の狂信者に、少数の
良識派ってとこか?まるで戦前の日本みたいな
集団だな(ワラ
謝罪なんてしたイスラ〜ム、あの糞板じゃ初め
てじゃない?
221 :
イスラムを擁護する:2001/05/29(火) 07:32
日本人はこの件でイスラムを悪く言えません。
戦前の日本で天皇の写真をわざと破けば、本人のみならず家族もその地域に住めなくなったでしょう。
身の危険も考えられます。
それに中世のイスラムは世界で一番技術が発達していたのです。
しかしアジア系のチンギスハーンやヨーロッパ系の十字軍、大航海時代の様に世界に残酷を撒き散らしたりはしませんでした。
222 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/05/29(火) 07:49
>>それに中世のイスラムは世界で一番技術が発達していたのです。
その後の没落は見事なまでのものだったな(ワラ
だいたい十字軍は、キリスト狂徒も残虐だったがイスラム狂徒も
同じだけのことしてんだろ。今だに世界中でテロ活動してるし。
223 :
投稿日:2001/05/28(月):2001/05/29(火) 08:03
>だいたい十字軍は、キリスト狂徒も残虐だったがイスラム狂徒も
>同じだけのことしてんだろ。
十字軍に関してはイスラムは防衛側だったんで軍人としか戦ってな
いが、当然の事ながら十字軍は民間人も殺しまくりだろ。
だから十字軍に関しては222は的外れ、他は知らん。
224 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/05/29(火) 08:10
別にイスラム教の優劣を論じる必要はないんじゃないの?
事態がややこしくなるだけだもん。
在日外国人が日本の法律を無視して、
日本人を殺すといっている事に、
きちんと対応すればいいのでは?
225 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/05/29(火) 08:14
>>224 そうそう。
殺人予備とか凶器準備集合で引っ張るとかなんとか
226 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/05/29(火) 08:21
東京都なら無届けデモは条例違反で逮捕出来るんだろうけど
富山はどうなんだ。
227 :
>223:2001/05/29(火) 08:48
>十字軍に関してはイスラムは防衛側だったんで軍人としか戦ってな
>いが、当然の事ながら十字軍は民間人も殺しまくりだろ。
嘘書かないように。最初に戦争を仕掛けたのはキリスト教徒だが、
彼等が残していった傀儡国家にイスラム教徒も反撃して攻め込ん
で、民間人に対してキリスト教徒に負けず劣らずの残虐行為を
行っている。それが何度も十字軍遠征が行われた原因。
両方とも、罪無き民間人を「異教徒」という理由で惨殺した点で
は変わりません。
ま、
>>224の言うとおり本題から逸れるので、これでやめとく。
228 :
名無しさん@お腹いっぱい:2001/05/29(火) 09:11
>>225 もっと派手にやってくれりゃよかったんだけどな。通行人刺しちゃうとか。
その集団に日本人信者も混じっててくれれば、より効果的と思われ(藁
229 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/05/29(火) 13:01
微罪で挙げていくという常套手段もあるよ
230 :
瀬戸弘幸:2001/05/29(火) 15:04
冷戦後の世界の特徴は、既に衆目の一致するところ、民族紛争と宗教対立にあることはいうまでもないであろう。
ところでこうした紛争の大部分には共通する一つのものがある。
それは紛争の一方の当事者が「イスラム勢力」であるという点である。
ハンチントン・ハーバード大学教授は、この冷戦後の世界の決定的な特徴を「諸文明間の衝突」ととらえ
、もはや西欧が世界の主役であった時代は過去のものとなり、非西欧との相互関係をより重視せざるえない
状況へとおいやられると予言した。「非西欧」すなわち「イスラム勢力」を西欧にとっての新たなる脅威として
論じているのは、このような背景を抜きにしては語れない。
「ジハード」(聖戦)という言葉に象徴されるように、強い非妥協性と政治性は確かに
西欧社会のみならずわが国などにとっても脅威となるだろう。
というのは、日本社会に流入続ける不法残留者の中でも、イスラム教との割合が
しだいに増加の傾向を示し始めているからなのです。
http://www.strategy.co.jp
231 :
ヒロヒトc83205.tctv.ne.jp:2001/05/29(火) 15:05
▼\ /▼
\ \ / /
\ ~⌒~⌒⌒ \/
( /~⌒⌒⌒ヽ)
( /γノノノノ @ヽ
|\ | |( | ∩ ∩|)| / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
\ \ |从ゝ_▽_从 < ほいっ♪
/ / ヽ/ Y \ \_____
\ \ //| |\.\
\ ⊂c___.|___| c⊃
●● |_|_|_|_|_|
●______.| | |
|_ _ |__|
| |_ |__
|ー' ) )
232 :
名無しさん@お腹いっぱい:2001/05/29(火) 19:43
>>230 いまちょっと時間がないので書けないんですけど、後でいろいろ話してみたいこと
があるんで、またちょこちょこチェックしててくださいね。
233 :
名無しさん@お腹いっぱい:2001/05/29(火) 20:07
∧_∧ ∧_∧
_( ´∀`) (´∀` )
三(⌒), ノ⊃ ( ) ←キティムスリム
 ̄/ /) ) | | |
. 〈_)\_) (__(___)
∧_∧ .∧_∧
( ´∀) (´∀` )
≡≡三 三ニ⌒) .)
/ /) )  ̄.| | |
〈__)__) (__(___)
∧_∧ ,__ ∧_∧
( ´)ノ ):;:;)∀`)
/  ̄,ノ'' )
C /~ / / /
/ / 〉 (__(__./
\__)\)
ヽ l //
∧_∧(⌒) ―― ★ ―――
( ) /|l // | ヽ
(/ ノl|ll / / | ヽ
(O ノ 彡'' / .|
/ ./ 〉
\__)_)
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
狂信者は全員神の元へ逝ってよし!
234 :
瀬戸弘幸の力作「外国人犯罪」をWeb無償公開せよ:2001/05/29(火) 21:34
瀬戸弘幸の力作「外国人犯罪」は、諸般の事情により
残念ながら、余り流通しなかった。
外国人問題を考える上で、欠かせない書籍で有るにも
関わらず、一般大衆の手に渡らなかったのは「外国人犯罪」
という書籍が存在しないのと同義である。
外国人問題は、これからますます深刻になっていく。
日本政府の外国人政策が、現状のまま推移すれば
取り返しがつかなくなるだろう。
一般大衆に、外国人問題の深刻さを訴える為に、
是非とも、Webで無償公開して貰いたい。
235 :
名無しさん23:2001/05/30(水) 01:04
あげ
236 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/05/30(水) 03:34
>諸般の事情
って何よ?
サヨの抗議?
人権屋の横槍?
在日の妨害?
237 :
まだ分かってないらしい・・・:2001/05/30(水) 07:45
投稿時間:2001/05/29(Tue) 19:30
投稿者名:Abd. Rahman
Eメール:
URL :
タイトル:私も思う
もし身近な人にあの変な発言何?と聞かれたら、
「ごめんね。変なやつがいて。」とまずつけおくと思います。
これって知らずと同じムスリムとして謝罪しているんですよね。ごめんなさい。
もう一つ謝罪。
「あんな非人道的なことをして外国人をいじめていた人間を同国人にもって本当に申し訳ないと思っています。ごめんなさい」
>
> > 今回の事件で暴言を吐いたムスリムに代わって、ムスリムとして謝罪します。
>
>
> 過去ログで日本人の1人として、コーラン破棄について謝っていた方がいらっしゃいましたね。
> 私もムスリムの1人として、一日本人、一主婦、一母親として、謝罪します。
> ごめんなさい。
238 :
まだ分かってないらしい・・・:2001/05/30(水) 07:46
投稿時間:2001/05/30(Wed) 06:51
投稿者名:匿名
Eメール:
URL :
タイトル:もういっちょ
ハイテクと成金ばっか自慢にして自分ばっかえらいと思ってるような民族に生まれてごめんなさい!
239 :
まだ分かってないらしい・・・:2001/05/30(水) 07:47
>>237-238
結局この2人は、本音では自分達にも非があるとは思ってないん
だろうな。
>ハイテクと成金ばっか自慢にして
その恩恵を受けて豊かな生活をしてきた人間が何を言うか。
240 :
>239:2001/05/30(水) 19:47
大体、日本人ムスリムってのは
パレスチナゲリラにシンパシーを感じてた
全共闘の活動家くずれとか
日本赤軍や連合赤軍にシンパシー感じてた
まっかっかな市民運動家みたいな連中ばかりだから
現代の日本と日本人に対して批判的なんだよな。
そんなに日本が嫌いでムスリムが好きなら
とっととパレスチナにでも逝って石でも投げて
イスラエル兵にぶち殺されてしまえばいいんだYO!
見てるか? 基地外管理人!!
241 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/05/30(水) 20:05
>>236 内容が電波だったんでお好きな書店でしか流通しなかったの。
サブカル系とか電波系好んで扱う店には結構あったぞ。書泉とか。
242 :
イスラム掲示板より転載:2001/05/30(水) 20:20
投稿時間:2001/05/29(Tue) 09:38
投稿者名:イスラムの風が好き
Eメール:
URL :
http://www2.dokidoki.ne.jp/racket/forum/wforum.cgi? タイトル:NHKの番組で
サラーム。初めて書き込みします。
ムスリムではありませんが、人の善さに惚れ込んでイスラム圏の旅を好んでしている者です。
ところで今やっている8:35から始まるNHK総合の番組の今日の特集は「高級車盗難」の実態です。朝の連続ドラマのすぐ後なので、視聴者も多いのでは?
その番組が始まって間もなく「日本人やパキスタン人」と、先日捕まった窃盗団についてコメントがありました。富山での騒ぎがあったばかりのこの時期に特定の国名が語られたのは残念です。
富山あたりで神経過敏になっている地元の日本人は「ああやっぱり」など、マイナスな気持ちを新たにするでしょう。
別のツリーで本郷次郎さんが指摘しておられるように、あまり悠長なことを言ってると、更に誤解され、数年前まであったイラン人への偏見のように、拭い去りがたいイメージが出来上がってしまうのではないかと心配しています。
#全く馬鹿が絶えることなく沸いてくる掲示板だ
243 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/05/30(水) 21:15
ぼくはバーミヤンの大仏の写真で1日に2回はヌイてます
244 :
>243:2001/05/30(水) 21:23
ちゃんとコーランで精子を拭いておくように。
245 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/05/30(水) 21:25
>243
すばらしいこころがけです
246 :
広宣流布:2001/05/30(水) 21:38
池田会長様に尺八してあげたい・・・
247 :
皆様!:2001/05/30(水) 21:42
インドのアジャンター遺跡知ってる?
みんなでヤッてるぜ!
さあ釈尊の教えに従って乱交パーテーやろうぜ!
248 :
>243の者:2001/05/30(水) 22:59
はじめてヌイたのは江ノ島の弁財天さまです
奈良の大仏もきもちよかったです
249 :
シナ人を見習え:2001/05/30(水) 23:10
シナ人は太平天国の乱でムスリムを1000万人ほど殺します。
日本も見習いましょう。
250 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/05/30(水) 23:17
みんなで共産主義国に拠点を移してイスラムに抗議をしましょう
251 :
怒:2001/05/30(水) 23:19
神国日本を汚すパキ野郎を殺せage
252 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/05/30(水) 23:20
アホ
イスラムは仲間側だ(多分)
253 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/05/30(水) 23:20
誰か東京モスクの前でいっしょに
アナルセックスしてくれる人いませか?(もちろん男で)
254 :
怒:2001/05/30(水) 23:51
神国日本を汚すパキ野郎を殺せ
255 :
ZENON209:2001/05/31(木) 05:12
殺すという表現は、2ちゃんねる的ジョークと思うが、
この事件をきっかけに、在日ムスリムへの取り締まりを強めよ。
不法滞在者への取り締まりを強化せよ。
代々木や上野でのさばっている、テレカ不正売買のイラン人どもは、ビザがあるのか。
犯罪を犯したムスリムは、ビザを取り消し、退去させよ。
彼らは、人の法は守る気がない。
出ていってもらうしかない。
今回の事件だって、道交法違反がなければ、なかったのでは。
だいたい、なんで彼らが日本で中古車業をやっているんだ。
ロシア経由で、盗難車を売りさばくのが、目的だろう。
256 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/05/31(木) 05:18
257 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/05/31(木) 05:33
>700 名前:>698 投稿日:2001/05/30(水) 22:45 ID:d73UFbuI
>パキの中古車屋は、豚の頭も投げ込まれていたらしいね。
>パキの893への上納金の話は在日イスラム教徒(パキスタン人)
>の中では有名な話だったようね。そのため、コーラン破り捨てで、
>あれだけ富山に集結したのだろう。
>上納金を払わないと893はなにするかわからんしね。
>火炎瓶投げられて、丸焼けになったところもあったね。
これが本当なら、俺はムスリムを支持するよ。
みかじめ料を払わないなら、宗教的タブーを犯すなんて、
日本に例えるなら、みかじめ料払わないので、先祖代々の墓をぶちこわす、
くらいのものか?もっとか?さらにその上にウンコぶちまけるとか?
やっぱ、コーラン盗んで破って・・・、ってまでできるのはヤクザだろう。
腐れヤクザが愛国者を騙るほうがむかつく。
258 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/05/31(木) 05:35
腐れヤクザの国籍はどこでしょう
259 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/05/31(木) 05:55
「殺す」という表現が好きなのは怪教徒の方だろ!
260 :
:2001/05/31(木) 07:20
257>
でも、それ以前に不法入国したり、高級車盗難したり、盗難車とわかってて
ロシア人に
不法に売りさばいたりすることのほうが問題だと思わない?
261 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/05/31(木) 07:23
>>257 893に対しての闘いでムスリムを支持するなら分かるけど、
ムスリム達は「日本人を殺す」と言ってるんだよねえ。
無差別に日本人を殺されちゃあ適わないわ。
もしも相手が893なら、共倒れして欲しい。
262 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/05/31(木) 08:34
>>221 当たり前だろう
だからなんでイスラム教徒を悪く言えないんだよ?
263 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/05/31(木) 08:48
264 :
肺炎経験者:2001/05/31(木) 19:45
>>217 遅ればせながら、すんまそーーん。
よく読んだら、ネタでした。
265 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/05/31(木) 20:02
>>261 一部のドキュソムスリム連中は893とパンピーの区別がよくわからないようです。
266 :
デューク東条:2001/05/31(木) 20:08
靖国から戦犯関係のものだけどっか移せばいいんだろ?
267 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/05/31(木) 20:19
戦犯は悪くありません。兵士同様日本のために戦ったのです。
その英雄を誹謗すること自体おかしいです。
268 :
学会員:2001/05/31(木) 20:49
日本人の皆様 ご本尊を尊び日夜「南妙法蓮華経」を唱えましょう
そうすればこれらの害悪は私たちの国より去ります
269 :
ss:2001/05/31(木) 21:19
次の敵はモスリムふぁ
270 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/05/31(木) 23:09
やっぱり怪狂徒は日本人の敵だ!
271 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/05/31(木) 23:14
>>263 今週のSPAで、神足裕司が取材に行った記事がのってるそうだよ。
地元右翼(ヤクザ?)とのトラブルで、豚肉が投げ込まれたりしてたそうな。
272 :
無党派さん:2001/05/31(木) 23:23
回教だろうが、キリスト教だろうが、仏教だろうが、何だろうが
あらゆる宗教から自由でありたいし、
政治や地域社会が宗教によって縛られることがないように願いたい。
宗教の自由は、あらゆる宗教の保護や尊重ではなく、
むしろ特定宗教を偏重しないことや、ひいては宗教からの解放を意味するのではないか。
他人の宗教はそれなりに尊重するし、否定する気は毛頭無いけれど
取りあえず離れていて欲しい。
273 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/05/31(木) 23:27
>>271 それが本当で、相手が類推できるなら、
そこを踏まえて抗議し、
世間の支援を求めるべきだろう。
相手を日本人一般に拡大して「殺す」といった事で、
ムスリム達は自分で自分の首を絞めちゃったんだと思うな
274 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/06/01(金) 05:36
>>271 読んで内容教えてくれぇ〜、俺いま海外なんで見られないんだ。。。
>>273 そう思うなぁ。抗議するのも警察に行くのも当然の行動なんだが、相手を
日本人全員に一般化したのはまずかった。抗議先は外務省じゃなくて警察
に留めておくべきだったんだよな。
まぁ、だからといって俺はもう彼等に同情する気にはなれんけど。抗議の
仕方といい、それを無批判に擁護しようとする日本人ムスリムの物言いと
いい、イスラム教というものの本質がはからずしもにじみ出てきた事件だ
と思う。
俺は決して移民受け入れに反対の立場ではないんだが、彼等イスラム圏の
人間を日本に受け入れたいとは、今回の事件で思わなくなったよ。
275 :
ZENON209:2001/06/01(金) 05:39
>>264は、ハンドル間違っています。重ねて、すんまそーん。
276 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/06/01(金) 05:42
>>271 あとその内容を「誰が」言ってるのかが興味深いね。
まさかパキの言い分をまるまんま載せただけの記事じゃあるまいな?
277 :
217:2001/06/01(金) 06:18
>>275=1
いえいえー、どういたしましてー(w
278 :
名無し:2001/06/01(金) 07:10
aji no hiraki・・・
279 :
ZENON209:2001/06/01(金) 18:28
>>274 そうか。俺は、警察に行くのは、×だと思うが。
彼らは、日本の警察に、日本の法律を無視して、イスラム法に準拠して、犯人を逮捕せよと要求しているのだ。
これこそ、ムスリムが、日本の社会に適合でない、適合しようとしない証左と思う。
在日ムスリムよ、日本より去れ。
280 :
名無しさん:2001/06/01(金) 18:49
タリバンが女性の車運転を禁止 援助活動に打撃
http://www.cnn.co.jp/2001/WORLD/06/01/taleban.bar.woman.drive/index.html 2001.06. 1
Web posted at: 12:29 PM JST (0329 GMT)
カブール -- アフガニスタンの大半を実効支配するイスラム原理主義勢力「タリバン」はこのほど、外国人女性が自動車を運転することを禁止する布告を出した。援助活動に大きな支障が出るのは必至とみられる。
タリバン当局から5月24日に出された文書は、「外国人女性による車の運転はアフガニスタンの伝統に反し、社会に悪影響を与える」と述べている。
これに対し、アフガニスタンで援助活動にあたっている女性の1人は「運転が好きだし、仕事に必要だ」と反発している。
しかし、アフガニスタン国内では、外国人に対しても、イスラムの習慣に従うよう圧力が強まっており、宗教警察による援助関係者への嫌がらせが激しさを増しているという。
愚かすぎ・・・・・・
281 :
名無し:2001/06/01(金) 19:59
國
民
栄
誉
賞
!
282 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/06/01(金) 20:12
>>280 つーか、なんでそんなキティムスリムの国に援助なんぞするのかね?
283 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/06/01(金) 20:13
>>280 もはや目茶苦茶だなあ。
その禁止によって援助と現地での活動がとどこおり、結果として病気の人々が
(普通に援助活動されていれば助かったところ)死んでしまったとしたら、その命
に対する責任を偉大なるアッラーはどうとるのだろうか。
てゆーか「宗教警察」って何だよ・・・マジ恐ろしいぞ。
まあブタミンパワーがたらんのやな。脳に異常きたしてんのやろ。
285 :
怒:2001/06/01(金) 20:23
パキ野郎の口に豚肉をぶちこめ
286 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/06/01(金) 20:38
「国立戒壇建立の御遺命」とは、広宣流布の暁に本門戒壇を建立し、戒壇の大御本尊を安置し奉るべし、との大聖人のご命令です。
この本門戒壇の建立こそ、戒壇の大御本尊の妙用により日本を仏国とし、さらに全世界を仏国化する唯一の秘術なのであります。
なぜ仏国になるのかといえば、日本一同に信ずる広宣流布のとき、国家意志の表明を以て本門戒壇を建立すれば、日本国の魂は戒壇の大御本尊となる。御本仏の法魂を国の魂とする日本は、まさに仏国であります。
さらに全世界の人々がこの本門戒壇の霊場に詣でるの時至れば、全世界が仏国となる。このときこの地球はまさに事の寂光土ではないか。
まさしくこの本門戒壇の建立こそ、日蓮大聖人の究極の大願であられる。ゆえに大聖人はこの本門戒壇の建立を、別しては日興上人に、総じては門下一同に御命令あそばされた。ゆえにこれを「御遺命」というのであります。
また「本門戒壇」をなぜ「国立戒壇」とういのかといえば、本門戒壇は広宣流布のとき、「勅宣並びに御教書と申し下して」建立せよと御遺命されている。「勅宣・御教書」とは、国家意志の表明ということです。このゆえに本門戒壇を日蓮正宗では端的に「国立戒壇」と呼称してきたのです。
さて、大聖人様は立正安国論に
「汝早く信仰の寸心を改めて速に実乗の一善に帰せよ、然れば則ち三界は皆仏国なり、仏国其れ衰えんや」
と国主を諌暁あそばされているが、これは"国立戒壇を建立すれば、日本は仏国となり、仏国は永遠に衰えない"ということです。仏国になれば諸天善神は日本を守護する。だから「仏国其れ衰えんや」ということになるのです。
ところが謗法の国土においては諸天が去り、悪鬼が乱入する。だから三災七難が次々と起こる。このことを如説修行抄には
「国土に悪鬼乱れ入りて三災七難盛んに起れり」
と御指南下されている。いまの日本は悪鬼乱入により、いよいよこれから天変地夭・飢饉・内乱・他国侵逼などの三災七難が競い起ること間違いない。
だから、早く広宣流布して国立戒壇を建立し、日本を仏国にしなければならない。これこそ御本仏の終窮究竟の本願なのであります。
「一期弘法付嘱書」に三つを拝す
以上、「本門戒壇の大御本尊」と、「血脈」と、「国立戒壇建立の御遺命」の三つが、日蓮正宗の命であり、正系門家たるゆえんであることを述べてきましたが、このことを「一期弘法付嘱書」を文証として拝してみたい。
日蓮一期の弘法、白蓮阿闍梨日興に之を付嘱す。本門弘通の大導師たるべきなり。国主此の法を立てらるれば、富士山に本門寺の戒壇を建立せらるべきなり。時を待つべきのみ。事の戒法と謂うは是れなり。就中我が門弟等此の状を守るべきなり。
弘安五年壬午九月 日
日蓮 在御判
血脈の次第 日蓮 日興
この「一期弘法付嘱書」というのは、普通の御書とは全く違う。大聖人が御入滅の直前、一代三十年の御化導を括られて、日興上人に示された御付属状です。この短い御文の中に、大聖人の仏法のすべてが含まれているのです。
先ほどから述べてきた「本門戒壇の大御本尊」と「血脈」と「国立戒壇建立の御遺命」の三つが、はっきりと示されております。
まず冒頭の
「日蓮一期の弘法」とは「本門戒壇の大御本尊」の御事です。この大御本尊は大聖人の出世の本懐であられるから、「日蓮一期の弘法」と仰せられる。
次に「白蓮阿闍梨日興に之を付嘱す。本門弘通の大導師たるべきなり」とは、戒壇の大御本尊を日興上人に付嘱して、本門弘通の大導師と定められたこと。これが「血脈」です。ゆえに末文に「血脈の次第 日蓮 日興」と仰せられる。
次に「国主此の法を立てらるれば、富士山に本門寺の戒壇を建立せらるべきなり。時を待つべきのみ。事の戒法と謂うは是れなり」とは、まさしく国立戒壇建立の御遺命です。
「国主此の法を立てらるれば」とは、広宣流布が達成されて国家意志が表明される時が来たならばということ、その時、富士山に本門戒壇を建立せよと御遺命あそばされている。「時を待つべきのみ」とは、"広宣流布の時は必ず来るのであるから、それ以前には断じて建ててはいけない"との御制誡です。
最後の「我が門弟等此の状を守るべきなり」とは、日興上人への血脈付嘱そして国立戒壇建立の遺命を守らぬ門弟は、我が弟子ではない、師敵対の者であると、厳しく仰せられているのです。
まさに国立戒壇の建立こそ日蓮大聖人の終窮究竟の御本願であるから、この御遺命を破壊する者は、御本仏の一代三十年の御化導を水泡に帰せしむるの仏敵といわなければならない。
ところが、この大事の御遺命が、広布前夜の今日、まさに破壊されんとしたのであります。
287 :
怒:2001/06/01(金) 20:41
パキ野郎の口に豚足をぶちこめ
288 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/06/01(金) 20:43
アラーを信じる奴も天皇を崇拝する奴もレベルは同じ。
289 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/06/01(金) 20:44
末法の仏道修行は勤行と折伏に尽きる。勤行とは、御本尊を信じ南無妙法蓮華経と唱える三大秘法の修行であり、そしてこの三大秘法を人に勧めるのが折伏である。
勤行は自分自身の修行であるから「自行」といい、折伏は他人を教化し救う修行であるから「化他」という。末法、ことに広宣流布以前の謗法充満の世においては、自行と化他が車の両輪のごとく相俟って、始めて完璧なる仏法の実践となる。すなわち自分が御本尊を信じ南無妙法蓮華経と唱えるだけでなく、人にも御本尊の功徳を教え信心を勧めていくことが、大聖人の仰せのままの正しい仏道修行である。
大聖人は自行化他にわたる仏法の実践について
「南無妙法蓮華経と我も唱へ、他をも勧めんのみこそ、今生人界の思出なるべき」(持妙法華問答抄)
「我もいたし、人をも教化候へ」(諸法実相抄)
「唯我れ信ずるのみに非ず、また他の誤りを誡めんのみ」(立正安国論)
「末法に入って今日蓮が唱うる所の題目は前代に異なり、自行化他に亘りて南無妙法蓮華経なり」(三大秘法抄)等と御指南下されている。
290 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/06/01(金) 20:45
1、勤行
朝夕の勤行は、仏道修行の基本である。御本尊を信じ南無妙法蓮華経と唱えれば、御本尊の仏力・法力により、必ず一生の中に即身成仏を遂げさせて頂くことができる。
日寛上人は御本尊の力用と唱題の功徳について
「此の本尊の功徳、無量無辺にして広大深遠の妙用あり。故に暫くも此の本尊を信じて南無妙法蓮華経と唱うれば、即ち祈りとして叶わざるは無く、罪として滅せざるは無く、福として来らざるは無く、理として顕れざるは無きなり」(観心本尊抄文段)と仰せられている
291 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/06/01(金) 20:46
対境の御本尊について
さて、日寛上人が「此の本尊」と仰せられた御本尊とは、別して、大聖人が弘安二年十月十二日に御図顕あそばされた「本門戒壇の大御本尊」の御事である。
この大御本尊は、日本および世界の全人類に総じて授与された御本尊で、広宣流布の暁には本門戒壇に安置さるべき御本尊なるゆえに、「本門戒壇の大御本尊」と申し上げる。
大聖人が御在世に書き顕わされた御本尊は数多にのぼるが、それらの悉くは「一機一縁」といって、信心強盛の個人に授与された御本尊である。ここに、全世界の人々に総じて授与された御本尊は、ただこの弘安二年の戒壇の大御本尊一幅である。この大御本尊こそ三大秘法の随一、大聖人出世の本懐であられる。
ゆえに大聖人滅後においては、この戒壇の大御本尊を御本仏日蓮大聖人の御当体、唯一の帰命依止の法体と仰ぎまいらせねばならない。
この戒壇の大御本尊は弘安五年に大聖人より日興上人に御付嘱され、以来日目上人・日道上人・日行上人と次第に相伝護持され、いま広宣流布の時を待って冨士大石寺にまします。
私達が勤行の時、信じ唱えまいらせるところの対境・法体とは、実にこの戒壇の大御本尊にてましますのである。
冨士大石寺門流においては、入信者の信行が進んで不退の金剛信が確認された時、日興上人以来嫡々付法の大石寺歴代上人が、この戒壇の大御本尊を書写して授与して下さる。授与された弟子・信徒は、その書写された本尊を即戒壇の大御本尊と拝して、日夜勤行に励むのである。
ただし、本宗における御本尊の授与は極めて厳格で、入信早々に授与されるということは絶対になく、身命も惜しまぬ信心が確立してのち、始めて授与されるのである。したがって、御本尊を頂戴するまでは、すべての人が、我が家より遠く戒壇の大御本尊を遥拝し奉って勤行申し上げる、いわゆる「遥拝勤行」がまず信心の出発となる。これが本宗伝統の厳格なる風儀である。
宗門上代において、御本尊授与がいかに厳格であったかを、二祖日興上人の御指南に拝してみよう。
「富士一跡門徒存知事」に
「御筆の本尊を以て形木に彫み、不信の輩に授与して軽賤する由、諸法に其の聞えあり、いわゆる日向・日頂・日春等なり。日興の弟子分においては、在家・出家の中に、或いは身命を捨て、或いは疵を被り、若しはまた在所を追放たれて、一分の信心の有る輩に、忝くも書写し奉り、之を授与する者なり」
と。
日興上人と日向・日頂等の五老僧と、御本尊に対する姿勢が全く違っていたことがよくわかろう。日向・日頂等は御本尊の尊厳がわからなかったために、大聖人御直筆の御本尊を「形木に彫む」すなわち版木におこして印刷し、それを信心もない輩に軽々しく授与していたのである。まことに不敬の至りである。この不敬に対して日興上人は
“日興の弟子分においては、信心のゆえにあるいは身命を捨て、あるいは傷を受け、あるいは追放されるなど、信心の色あらわれた不惜身命の者に対してのみ、恐れ多くも戒壇の大御本尊を書写し奉り、これを授与する”と仰せられている。
日興上人の門流(冨士大石寺)においては、御本尊の授与がいかに厳格であったかが、この御文でよくわかる。まさに御本尊は、入信時に軽々しく授与されるものではなく、信心決定の結果として授与されたのである。
ゆえに、あの熱原の法華講衆にしても、入信未だ日も浅く、したがって未だ御本尊を頂戴せぬまま、遥拝勤行に徹してあの不惜身命の大仏事を成しとげられたのである。
近年本宗において、信徒の増加にともなって、止むなく信心決定までの暫定の仮本尊として、形木御本尊(印刷された御本尊)が下附されるようになった。もちろん本宗における形木御本尊は、日興上人が日向・日頂等を誡められた御制誡に該当するものではなく正しき暫定の仮本尊であるが、これとても、よく創価学会員の入信勧誘に見られるような軽々しい下附、あるいは不信の輩に無理に押しつけるごときは、「軽賤」の罪に当たろう。
いま顕正会は、正系門家の中で創価学会が御遺命を破壊せんとするのを見て諌め、ために不当の解散処分を受けたが、この迫害により、計らずも御在世の信心に立ち還ることができた。すなわち御在世の信徒の方々が厳格なる風儀のもと信行に励まれたごとく、いま顕正会員もまず遥拝勤行に徹し、広宣流布に立ち上がっているのである。
御遺命を守護せんとして不当の解散処分を受けたことが、「或いは疵を被り、若しはまた在所を追放たれて」に当たれば、これほどの喜びはない。
やがて御遺命守護完結のその日には、顕正会員こそこの捨身の御奉公によって、時の御法主上人より、晴れて御本尊の授与を賜る資格を得るのである。顕正会員は、いま御在世のごとき厳格なる信心修行が貫けることを、誇りとしなくてはならない。
292 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/06/01(金) 20:47
遥拝勤行の心構え
遥拝勤行と、御本尊の御前で行う勤行とは、功徳において全く同じである。
遥拝勤行において大切なことは、我が家と冨士大石寺にまします戒壇の大御本尊と、いかに距離があろうとも、信心でその隔たりを乗りこえ、眼前に御本尊ましますとも通ずることはなく、もし信心があれば、千万里を隔てるとも直ちに御本尊と感応道交して、我が生命に仏界が湧現するのである。
ゆえに大聖人は、身延より千里を隔てた佐渡に住する千日尼に対し
「譬えば、天月は四万由旬なれども大地の池には須臾に影浮かび、雷門の鼓は千万里遠けれども打ちては須臾にきこゆ。御身は佐渡の国にをはせども、心は此の国に来れり。――御面を見てはなにかせん、心こそ大切に候へ」(千日尼御前御返事)
と御指南下されている。まことに大聖人の御心に通じ通ぜぬは、その人の信心による。距離は全く関係ないのである。
遥拝勤行の仕方
それでは遥拝勤行の仕方を具体的に説明しよう。
冨士大石寺の方に向って正座し、数珠を手に掛け至心に合掌する。二人以上が一緒に勤行する時は、一人が前に出て唱導し、他はこれに和する。
題目を三唱する。
方便品を読誦する。
「妙法蓮華経、方便品第二」から読み進み、最後の「所謂諸法、如是相……如是本末究竟等」のところは三回繰り返す。
寿量品を読誦する。
「妙法蓮華経、如来寿量品第十六、爾時仏告」から読み進み、「自我得仏来」以下の自我偈も通して読む。
題目を繰り返し唱える。
唱え奉る題目の数は定められてないが、通常百遍(五分)が一応の基準とされている。唱え終ってのち、改めて題目を三唱する。
御観念文
二座 本門戒壇の大御本尊御報恩
「南無本門寿量品の肝心……」と、二座の御観念文を黙読・観念し奉ったのち、題目を三唱する。
三座 御本仏・日蓮大聖人御報恩
「南無久遠元初の自受用法身……」の御観念文を黙読・観念し奉ったのち、題目を三唱する。
第二祖・日興上人御報恩
「南無法水瀉瓶……」の御観念文を黙読・観念し奉ったのち、題目を三唱する。
第三祖・日目上人および総本山歴代上人御報恩
「南無一閻浮提の御座主……」の御観念文を黙読・観念し奉り、引き続き
「日道上人・日行上人・日時上人……」の御観念文を黙読・観念し奉ったのち、題目を三唱する。
四座 広宣流布の祈念(晩の勤行では省略する)
「祈念し奉る、爾前迹門の謗法退治……」と四座の御観念文を黙読・観念し奉ったのち、題目を三唱する。さらに個人として祈念がある場合は、このあと観念し題目を三唱する。
五座 回向
「○○家先祖代々の諸精霊、追善供養証大菩提の為に」と念じ、さらに亡くなった親族などを回向したい時は、その戒名または俗名を呼んで「追善供養証大菩提の為に」と念じて、題目を三唱する。
最後に「乃至法界平等利益……」の御観念文を黙読・観念したのち、題目を三唱して勤行を終わる。
293 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/06/01(金) 20:48
勤行の内容
以上のごとく、勤行の内容は、方便品・寿量品の読誦と、題目を唱えることと、三宝への御報恩がその骨子となっている。このことについてその意義を簡単に説明する。
まず方便・寿量の両品読誦と唱題との関係であるが、両品読誦は助行、唱題は正行である。これを食事に譬えれば、唱題は主食、両品読誦はその主食の味を助ける調味料に当る。日寛上人は「塩・酢の米・麺の味を助くるが如し」(当流行事抄)と仰せられている。
すなわち方便・寿量の両品を日蓮大聖人の仏法の立場より見れば、両品はともに三大秘法の甚深の功徳を説明している経文となる。ゆえに勤行においては、釈尊の法華経としてではなく、大御本尊の功徳を讃嘆している経文として、両品を読誦するのである。ゆえにこれを助行という。
そしてこの助行の中にも傍と正がある。方便品を傍、寿量品を正とする。これは、三大秘法の甚深の功徳を助け顕わすにおいて、方便品は遠く、寿量品は近くこれを顕わしているゆえである。
次に正行たる唱題こそ勤行の肝要である。御本尊を信じ南無妙法蓮華経と唱える修行により、我等凡夫がそのまま即身成仏させて頂ける。
このことを大聖人は本因妙抄に
「信心強盛にして唯余念無く南無妙法蓮華経と唱え奉れば、凡身即仏身なり」と仰せられ
また日寛上人は当流行事抄に
「夫れ唱題の立行は余事を雑えず、これ乃ち久遠実成の名字の妙法を余行に渡さず直達正観する事行の一念三千の南無妙法蓮華経是れなり」と指南されている。
かかる有難い唱題の修行であれば、歓喜でぞくぞくするような心を以て、少なくとも五分以上は唱え奉るようにしたい。
次に御観念文における三宝の御報恩であるが、三宝とは仏・法・僧である。
末法下種の仏宝とは、御本仏・日蓮大聖人であられる。流罪・死罪の大難を忍び給うて我等一切衆生に三大秘法を授与して下さった大慈大悲の御報恩は、たとえ香城に骨を摧くとも報ずることはできない。
末法下種の法宝とは、本門戒壇の大御本尊であられる。「我等此の五字を受持すれば自然に彼の因果の功徳を譲り与え給う」(観心本尊抄)とのごとく、信じ唱える我等に自然と成仏の大功徳を与えて下さる大御本尊の大恩は、たとえ雪嶺に身を投げるとも報ずることはできない。
末法下種の僧宝とは、第二祖・日興上人であられる。仏恩・法恩がいかに甚深であっても、もしこれを伝えて下さる方がおられなかったら、どうして末代の我等、三大秘法を受持することが出来たであろうか。まさに日興上人こそ末法万年に三大秘法を清く正しくお伝え下さった下種の僧宝であられる。さらに総じては、日目上人以下嫡々付法の歴代正師も僧宝である。
かくのごとく三宝の御恩徳を念じて、御報恩し奉るのである。
以上の勤行を朝晩怠けずに行うことにより、過去背からの謗法等の罪業で覆われた汚れた生命が、仏界を湧現する清らかな生命へと磨かれていくのである。ゆえに大聖人は
「深く信心を発して日夜朝暮に又懈らず磨くべし。何様にしてか磨くべき、只南無妙法蓮華経と唱へたてまつるを、是をみがくとは云うなり」(一生成仏抄)と仰せられている。
私達凡夫は、生活の苦しい時には苦しさに流されて勤行を忘れ、また楽になればなったで勤行にゆるみを生ずることがあるが、大聖人は次のごとく御指南下されている。
「苦をば苦とさとり、楽をば楽とひらき、苦楽ともに思い合せて南無妙法蓮華経とうち唱へ居させ給へ、これあに自受法楽にあらずや」(四条金吾殿御返事)
また
「世の中憂からん時も、今生の苦さへ悲しし、況や来世の苦をやと思し食しても南無妙法蓮華経と唱へ、悦ばしからん時も、今生の悦びは夢の中の夢、霊山浄土の悦びこそ実の悦びなれと思し食し合せて又南無妙法蓮華経と唱ヘ、退転なく修行して最後臨終の時を待って御覧ぜよ」(松野殿御返事)と。
この御指南のごとく、苦しい時も、楽しい時も、苦楽を乗り越えて勤行に励むところに一生成仏がある。
顕正会員は、折にふれ機にふれ本部会館に詣でて大御本尊を拝しつつ、さらに日夜朝暮に遥拝勤行に励み、以て現当二世の大利益を頂こうではないか。
294 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/06/01(金) 20:49
2、折伏
(1)折伏とは何か
仏法を弘める方法に「摂受」と「折伏」という二大潮流がある。
摂受とは摂引容受といって、たとえ相手が低劣なる法を信じていても、これを容認しながら次第に正しい教えに誘引していくという柔かい弘教法である。
いっぽう折伏とは、破折屈伏の義で、相手の間違った思想・信仰を破折し、唯一の正法に帰依せしめるという剛い弘教法である。
どういう時に摂受を行じ、どういう時に折伏を行ずべきかということは仏法上の重大問題で、もしこれを取り違えると、成仏得道も叶わないと、大聖人は仰せられている。
「凡そ仏法を修行せん者は摂折二門を知るべきなり、一切の経論此の二を出でざるなり」(如説修行抄)
「設い山林にまじわって一念三千の観をこらすとも、――時期をしらず摂折の二門を弁へずば、いかでか生死を離るべき」(開目抄)
「仏法は摂折・折伏時によるべし、譬えば世間の文・武二道の如し」(佐渡御書)
「修行に摂折あり、摂受の時折伏を行ずるも非なり、折伏の時摂受を行ずるも失なり、然るに今の世は摂受の時か折伏の時か、先づ是れを知るべし」(聖愚問答抄)と。
では、どういう時に摂受を行じ、どういう時に折伏を行ずるのかといえば、釈迦仏法の利益のおよぶ正像二千年間(釈迦滅後二千年の間)は摂受であり、それ以後の末法という時代は折伏でなければいけない。
なぜかといえば、正像二千年の間に生まれてくる大衆は「本已有善」といって、過去世にすでに下種を受けている者ばかりなので、あるいは小乗経を縁とし、あるいは権大乗経を縁として法華経の悟りに入ることが出来た。ゆえに種々の教えを一応認め、漸々と正法に誘引する摂受が、正像の時期には適していたのである。
しかし正像二千年を過ぎて末法という時代になると、生まれてくる衆生は「本未有善」といって、未だ過去に下種を受けたことのない三毒強盛の荒凡夫ばかりとなる。この本未有善の衆生は、新たに下種を受けなければ成仏できない。ゆえに末法における成仏の正法はただ法華経本門寿量品の文底に秘沈された下種の三大秘法だけとなる。
この時、一切の諸宗・諸経は利益を失うばかりか、唯一の成仏の法たる三大秘法に背く謗法の邪宗となってしまう。ゆえに末法においては、これら邪宗を破折し"この御本尊以外には成仏の法はない"とはっきりと教える以外に人は救えない。これが末法の折伏である。
このように折伏こそ末法の時に適う仏道修行であり、人を救う最高の慈悲の行為なのである。
295 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/06/01(金) 20:49
(2)なぜ折伏せねばならぬのか
折伏は何のために行ずるのかといえば、一には一切衆生を救う広宣流布のため、二には自身の成仏のためである。
広宣流布のため
大聖人がいかに大慈悲を以て三大秘法をお勧め下されたかを拝してみよう。
「日蓮生れし時よりいまに、一日片時も心安き事はなし。此の法華経の題目を弘めんと思うばかりなり」(上野殿御返事)
「今日日蓮は、去ぬる建長五年四月二十八日より今弘安三年十二月にいたるまで二十八年が間又他事なし、只妙法蓮華経七字五字を日本国の一切衆生の口に入れんとはげむ計りなり。此れ即ち母の赤子の口に乳を入れんとはげむ慈悲なり」(諌暁八幡抄)と。
まことに母が乳児に乳を含ませるごとき大慈悲を以て、「南無妙法蓮華経と唱えよ」と、一切大衆にお勧め下されたのである。そして大聖人の究極の大願は広宣流布にあられる。
「日蓮一人はじめは南無妙法蓮華経と唱へしが、二人・三人・百人と次第に唱へつたふるなり。未来も又しかるべし、是れあに地湧の義に非ずや、剰へ広宣流布の時は、日本一同に南無妙法蓮華経と唱へん事は、大地を的とするなるべし」(諸法実相抄)と。
大聖人がただ御一人唱え始められた三大秘法の南無妙法蓮華経は、次第に唱え伝えられ、ついには日本一同に唱える広宣流布の時が必ず来るとの御断言である。いま我々の行ずる折伏は、大聖人のこの広布の大願を、御本仏の眷属としてお手伝いするものである。
この広宣流布が達成された時、始めて仏国は実現し、個人も国家も真の安泰を得る。このことについて大聖人は
「法華折伏・破権門理の金言なれば、終に権経・権門の輩を一人もなくせめをとして法王の家人となし、天下万民・諸乗一仏乗と成りて妙法独り繁昌せん時、万民一同に南無妙法蓮華経と唱え奉らば、吹く風枝をならさず、雨壤を砕かず、代は羲農の世となりて、今生には不祥の災難を払い、長生の術を得、人法共に不老不死の理顕われん時を各々御覧ぜよ。現世安穏の証文疑い有るべからざる者なり」(如説修行抄)と仰せられている。
しかし広宣流布しなければ、国土の三災七難はいよいよ激しくなり、人はことごとく悪道に堕する。ここに御本仏の厳たる広宣流布の御命令があり、また日興上人の「未だ広宣流布せざる間は、身命を捨てて随力弘通を致すべき事」の御遺誡がある。
いま三大秘法に背くゆえに刻々と破局近づく日本を見る時、仏弟子として誰か折伏に立たぬ者があろうか。
296 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/06/01(金) 20:50
自身の成仏のため
折伏は人のため国のためのように思えるが。実は自分自身の成仏の修行である。広宣流布以前においては、勤行とともに、折伏の大精神を持ち続けなければ成仏が叶わない。
そのわけは、謗法充満の国土においてもし折伏を行じなければ、知らず知らずのうちに自身が謗法のリズムに同化してしまうのである。これを「与同罪」という。すなわち自分は謗法をしなくても、謗法を見てそれを責める心がなければ、その悪に与したことになって罪は同じになる。
「譬えば、我は謀叛を発さねども、謀叛の者を知りて国主にも申さねば、与同罪は彼の謀叛の者の如し」(秋元御書)と。
ゆえに曽谷抄には
「謗法を責めずして成仏を願はば、火の中に水を求め、水の中に火を尋ぬるが如くなるべし、はかなし、はかなし」
とまでの厳しい仰せを拝するのである。
しかし折伏を行ずれば、この与同罪を免れることができる。そして蓮華が泥水の中できれいな花を咲かせるように、謗法充満の国土においても少しも謗法に染まることなく、清浄な仏果を得ることができるのである。
297 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/06/01(金) 20:51
(3)折伏の大利益
折伏は、大聖人の大願たる広宣流布をお手伝いする行為であるから、これを行ずる者には次のごとき大利益がある。
格別の御守護を頂く
折伏を行ずると、御本仏の冥々の加護が生活に現われてくる。これは、大聖人が格別に"仏法の命を継ぐ者"として御守護下さるからである。
御在世において、大聖人の御化導を助けまいらせた四条殿に対し大聖人は
「殿の御事をば、ひまなく法華経・釈迦仏・日天に申すなり。其の故は法華経の命を継ぐ人なればと思うなり」(四条金吾殿御返事)
と仰せられている。いま広布の前夜・濁悪の世に、けなげに折伏を行ずる者は、かくのごとく御本仏の格別の御守護を頂くのである。
御本仏の眷属としての生命力が湧く
折伏を行ずる者は仏の使いである。ゆえに自然と御本仏の眷属としての生命力が湧いてくる。さまざまな折伏の功徳の中でも、このことが最もはっきりとわかる。
たとえ、打ち沈んだ弱々しい境界であっても、折伏を行ずると、生き生きとしてくるのである。そして人を救うに当って、智恵と勇気が具わってくる。いままで自分のことだけで頭がいっぱいの愚痴の凡夫が、このように人を救い国を憂うる境界に一変するのは、まさに御本仏の眷属としての命が湧いてきたゆえである。
諸法実相抄には
「日蓮と同意ならば、地湧の菩薩たらんか」
と仰せられている。大聖人に同心し奉るゆえに「地湧の菩薩」すなわち御本仏の眷族の命が出てくるのである。
過去の罪障が消滅する
折伏は宿命転換の強き実践法である。およそ現世の不幸はすべて過去世の悪業に因る。この宿業の報いとして、あるいは十年・二十年、あるいは一生の間苦しまなければならぬ、いや、あるいは今生にその罪を滅することができずに未来にも大苦を受けねばならぬかも知れない。しかし折伏して難を受けたり悪口をいわれれば、その罪障が消滅するのである。
「忠言は耳に逆う」という。ふだん人格者のような顔をしている者も、折伏を受けるととたんに本性をむき出し瞋恚を表すことはよくある。あるいは「お前は貧乏しているくせになんだ、もっと立派になったら来い」などと、いわれなき軽賤をする者もあろう。しかしこれらの悪口を受けることによって、こちらの罪障は消えていくのである。この原理を深く心腑に染めなければならない。
大聖人は開目抄に
「今日蓮、強盛に国土の謗法を責むれば、此の大難の来るは、過去の重罪の今生の護法に招き出せるなるべし。」
と仰せられている。すなわち、一国の謗法を折伏した結果として流罪・死罪の大難が起きたことは、過去世の重き罪障が、折伏の功徳により、いま招き出され消滅している姿である。――との御意である。大聖人に過去の罪障などのあるべきはずもない。これは「示同凡夫」といって、我等凡夫の身に同じて、罪障消滅の原理をお示し下さっているのである。
いま私達も、折伏しなければ波風も起きない、悪口もいわれない。しかし折伏のゆえに起きた難こそ、我が身の罪障消滅となるのである。むしろ喜びとしなければならない。
298 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/06/01(金) 20:53
4)折伏の心がけ
確信と慈悲
折伏は、仏様の使いとして一切大衆を救う振舞いであるから、折伏を行ずる者はまず御本尊絶対の確信と、慈悲の思いに立たなくてはならない。
恐れ多いが御本尊を拝見すれば、右の御肩に「若し悩乱する者は頭七分に破る」また左の御肩には「供養すること有らん者は福十号に過ぐ」とある。罰と利益に対する御本仏の厳たる御説法である。この御説法を拝し、"御本尊を信ずる者は必ず幸せになり、謗ずる者は大罰を受ける"との大確信に立つことが、折伏に当って何よりも大切である。
この確信に立つ時、「師子王は百獣にをぢず師子の子又かくのごとし、彼等は野干のほうるなり、日蓮が一門は師子の吼るなり」(聖人御難事)との仰せがよくよくわかり、仏弟子として堂々と法を説くことができるのである。
そして「この人も御本尊を信ずれば幸せになれる」との慈悲の思いをこめて、柔和に諄々と、御本尊の功徳を説き聞かせるべきである。
勇気と忍耐
折伏を行ずるに当っては大勇猛心を持たなくてはならない。たとえ相手が社会的地位のある者であろうと大学者であろうと、こと仏法に関しては無智なのであるから、仏の使いとして臆することなく、仏法を説ききる勇気が必要である。
「日蓮が弟子等は臆病にては叶うべからず」(教行証御書)
「仏の御使となのりながら臆せんは無下の人々なり」(種々御振舞御書)との仰せを心腑に染めたい。
また末法の大衆は貧・瞋・癡の三毒が強く、正法を素直に聞く者は少ない。小さな親切なら誰にもすぐ理解され感謝されもするが、人を根本から救う大慈悲は、かえって理解され難いのである。理解されないどころか時には悪口・罵詈されることすらある。
ゆえに忍耐の心がなければ、末法の大衆を救うことはできない。釈尊は末法に三大秘法を弘通する上行菩薩の徳を称えて「其の志念堅固にして、大忍辱力あり」と述べているが、大聖人の忍難の御振舞いを拝せば、まさに経文のごとくである。
「此の法門を日蓮申す故に、忠言耳に逆う道理なるが故に、流罪せられ命にも及びしなり。然ども、いまだこりず候」(曽谷殿御返事)
「日蓮一度もしりぞく心なし」(辨殿尼御前御書)
「されば日蓮が法華経の智解は天台・伝教には千万が一分も及ぶ事なけれども、難を忍び慈悲のすぐれたる事は、をそれをもいだきぬべし」(開目抄)と。
大聖人がこのように大忍辱力を以て難を忍ばれたのは、ひとえに大慈悲のゆえである。いま私達は慈悲においては御本仏の千万分の一にも及ばないが、大聖人への忠誠心のゆえに、またよく耐え忍ぶ強い心が湧いてくるのである。
299 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/06/01(金) 20:54
理論闘争ではない
また折伏は理論闘争ではない。生活に則して罰と利益を認識させ、仏法を実践せしむるのが目的であるから、いたずらに議論のための議論に終始してはならない。
まして相手と対等の立場に立って興奮したり、感情的になって相争うようなことがあってはならない。あくまでも仏の御使いとして、一段高い慈悲の立場に立つべきである。
大聖人はもったいなくも、我等末弟の仏法上の位を、四味三教の極位ならびに爾前の円人に超過するだけでなく、諸宗の元祖に勝出すること百千万億倍であると仰せられ、さらに
「請う、国中の諸人、我が末弟等を軽ずる事勿れ、――天子の襁褓に纒れ、大竜の始めて生ずるが如し、蔑如すること勿れ、蔑如すること勿れ」(四信五品抄)
とまで仰せ下されている。どうしてこのような高い位を許し給うのか、それは、たとえ智解はなくとも三大秘法をたもち、仏様の使いとして折伏を行ずるがゆえである。忘れても、三毒の大衆と対等の立場に立って相争うようなことがあってはならない。
また折伏に当って、いたずらに大声を出して威したり、粗暴な態度をしてはならぬ。非常識な言動は、かえって法を下げることになる。
「雑言・強言・自讃気なる体、人目に見すべからず、浅ましき事なるべし」(教行証御書)と。
ただし、仏法をあなずる者に対しては、師子王の気魄を以てその驕慢を打ち砕かねばならぬ。また仏法の邪正を決する法論等においては、「法華経と申す大梵王の位にて、民とも下し鬼畜なんどと下しても、其の過有らんやと意得て宗論すべし」(教行証御書)との仰せのままに、大声叱咤して邪正を破折する気魄を持たねばならない。
折伏には徒労がない
折伏には徒労ということがない。相手が素直に入信すればこれほどの喜びはないが、たとえ反対しようとも、逆縁下種といって、相手の生命にはすでに仏種が下されたことになり、いつかは正法にめざめて成仏するのである。
「当世の人、何となくとも法華経に背く失に依りて地獄に堕ちん事疑なき故に、とてもかくても法華経を強いて説き聞かすべし。信ぜん人は仏になるべし、謗ぜん者は毒鼓の縁となって仏になるべきなり」(法華初心成仏抄)と。
この仰せのごとく、順逆二縁ともに折伏で救い切るとの確信に立って、あせることなく胸を張って堂々の折伏を行じようではないか。
300 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/06/01(金) 20:55
3、三障四魔に打ち勝つ信心
仏法を実践し成仏を願う者にとって、よくよく心せねばならぬことがある。それは"正法には必ず魔の妨害がある"ということである。本来この大宇宙には、仏法を妨げようとする魔の生命活動がある。ゆえにもし人が正法を修行して、まさに成仏せんとする時、必ず魔が障碍をなして仏道修行を阻むのである。
大聖人はこの魔障について次のごとく仰せられている。
「此の法門を申すには必ず魔出来すべし。魔競はずば正法と知るべからず。第五の巻に云く、『行解既に勤ぬれば三障四魔紛然として競い起る、乃至随うべからず、畏るべからず、之に随えば人をして悪道に向わしむ、之を畏れば正法を修することを妨ぐ』等云々。此の釈は日蓮が身に当るのみならず、門家の明鏡なり、謹んで習い伝えて未来の資糧とせよ」(兄弟抄)と。
この御文を拝すれば、末法に成仏の法たる三大秘法を持ち、大聖人の仰せのままに自行化他の信心に励むならば、必ず三障四魔が競い起るということがわかるであろう。そしてこの三障四魔に打ち勝った時、始めて成仏が叶う。これが仏道修行の定理なのである。
三障とは煩悩障・業障・報障である。煩悩障とは、我が心の中の貧・瞋・癡により、信心に迷いを生ずる障りである。業障とは、家庭内の問題で信心が妨げられること。また報障とは、自分の生活を左右できる権力ある者が信心を妨害することである。四魔の中の天子魔もこれと同じで、この報障こそ最も大きな障碍である。
さて、この三障四魔が競い起こるということは、持つ法が正法であり、また仏法の実践が本物になってきたという証拠、またこれを乗りこえれば成仏が叶うということを示すものであるから、むしろ喜ばねばならない。
「潮の干ると満つと、月の出づると入ると、夏と秋と、冬と春との境には、必ず相違する事あり。凡夫の仏になる、又かくのごとし、必ず三障四魔と申す障いできたれば、賢者はよろこび、愚者は退くこれなり」(兵衛志殿御返事)と。
賢者は三障四魔の出来をむしろ喜び、愚者はこれによって退転すると仰せられている。されば仏法を実践する者は、魔を魔と見破る見識を持たねばならぬ。これを見破って一段と強き信心に立つ時、始めて魔障に打ち勝ち成仏の境界を得るのである。
そして、魔に打ち勝って自身を顧みれば、魔障が競い起きたことにより、かえって我が境界を変えることが出来たことに気付くであろう。もし魔障がなければ成長もない。信心さえ強ければ、魔はかえって成仏の助けとなるのである。この原理を法華経には
「魔及び魔民有りと雖も、皆仏法を護らん」(授記品)と説き
さらに大聖人は御自身の実証体験の上から
「人をよく成すものは、方人よりも強敵が人をばよくなしけるなり。――日蓮が仏にならん第一の方人は影信、法師には良観・道隆・道阿弥陀仏、平左衛門尉・守殿ましまさずんば、争か法華経の行者とはなるべきと悦ぶ」(種々御振舞御書)
と御指南下されている。
301 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/06/01(金) 20:57
1、下種の御本仏と熟脱の仏
一般に仏教は印度の釈迦仏(釈尊)から始まると思われている。しかしこの常識は、近々わずか三千年の歴史の中で仏教を見ただけのものに過ぎない。
経文を見れば、釈迦仏の以前にも無数の仏が世に出現しているし、未来にも出現する、いやこの地球上だけではない、「他方」といって十方の世界にも仏が出現することが説かれている。これら無数の仏を「三世十方の諸仏」と総称する。そして印度の釈迦仏は、この諸仏の中の一仏なのである。
では、末法御出現の日蓮大聖人と、これら三世十方の諸仏はどのような関係にあるかを一言でいえば、大聖人は「下種の本仏」であり、三世十方の諸仏は「熟脱の迹仏」ということになる。
このことを理解するには、仏の化導の始終たる種・熟・脱の三益ということを弁えなければならない。
すなわち下種益とは、仏が始めて衆生の心田に成仏の種を下すこと。次に熟益とは、下された仏種を育て調熟すること。そして脱益とは、仏種が熟した衆生を成仏得脱せしむる化導である。仏は想像を絶する長き年月にわたり、この種・熟・脱の化導を以て、一切衆生を救済しておられる。
久遠元初最初の下種
最初の下種が行われた時を「久遠元初」という。法華経には釈尊の最初成仏の時を「五百塵点劫」の昔と説かれているが、久遠元初はこの五百塵点劫を溯ることさらに久々遠々の大昔である。
この時、一人の聖人がましました。この聖人は御自身の生命を深く観ぜられ、南無妙法蓮華経という生命の極理を証得され、ひとり成仏の大境界に立たれた。この最初の仏を「久遠元初の自受用身」と申し上げる。
この本仏は大慈悲を起こされ、なんとか一切衆生をもこの成仏の境界に入れしめんと、「南無妙法蓮華経と唱えよ」とお勧め下された。下種の法は南無妙法蓮華経に限る。すなわち三大秘法の化導である。
この化導を受けて、素直に信ずる者は一生のうちに成仏することが出来た。三大秘法は一生のうちに種・熟・脱が含まれる「一生成仏の大法」だからである。
しかし逆い謗った者や、信じても途中で退転したものは一生成仏が遂げられず、悪道に堕して無数劫を展転した。だがこの逆謗・退転の衆生も、未来に仏になる種だけは、この時たしかに下されたのであった。これが久遠元初の最初の下種の化導である。
302 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/06/01(金) 20:58
熟・脱の化導
さて、下種仏法中において成仏しそこなった衆生は、いったん悪道に堕して無数劫ののちに再び生れてくるのであるが、この衆生を救うのが熟脱の仏である。
熟脱の仏は釈迦仏に見るごとく、色相荘厳といって、眉間にイボのように白い毛が渦巻いている「眉間白毫相」とか、頭頂が盛り上がっている「頂上肉髻相」とかの三十二相を以て身を荘厳り、見る者をして愛好・尊敬の念を懐かしめるのが特徴である。これは衆生が仏法を誹謗して過去に植えられた善根を損なうことのないように、との慈悲である。いっぽう下種の御本仏は三十二相などは付けていない。
名字凡夫の御姿そのままである。これは衆生に、損なうべき過去の善根がなく、謗ればかえって逆縁下種となって未来成仏の因となるからである。
熟脱の仏の説法は、まず爾前経を説き、次いで法華経の迹門を説いて機を調熟し、最後に本門寿量品を説いて成仏得脱せしむる。これが熟脱の化導である。
これら熟脱の仏は、本果第一番といわれる五百塵点劫の昔から、三千年前の印度の釈尊にいたるまで、どれほど多数出現されたことであろうか。「世々番々に出世」されるこれら熟脱の仏を「三世十方の諸仏」というのである。
この三世十方の諸仏は、ことごとく久遠元初の自受用身の垂迹である。垂迹とは、天の一月が池に万影を浮べるように、久遠元初の御本仏が本已有善(過去にすでに下種されている衆生)の機のために、仮に三十二相をつけて処々に応化されることである。
されば三世十方の諸仏は無数であっても、根源の本仏は久遠元初の自受用身のただ一仏。また三世十方の諸仏の説く経々は無数であっても、根源の本法はただ南無妙法蓮華経の一法のみ。すなわち諸仏・諸経はことごとく久遠元初の本仏・本法より生じ、そしてこれに帰趣する。たとえば百千の枝葉が一根より生じ一根に帰するのと同じである。
さて印度の釈尊は、久遠元初以来の長きにわたる三益の化導の最後に出現した熟脱の仏である。この釈尊の説法により、久遠元初に下種を受けた衆生はすべて得脱し、また釈尊在世に洩れた衆生もその後正像二千年の間に生まれ、釈迦仏法によってことごとく脱し終ったのである。
末法は即久遠元初
かくて末法に入ると、過去に下種を受けている者は一人もなくなり、本未有善の荒凡夫で充満の久遠元初と全く同じ状態が再現する。遥かなる長遠の種・熟・脱の三益はここに一巡して、歴史は最初下種の時に戻ったのだ。ゆえに時は隔てるとも、末法は即久遠元初、久遠元初は即末法なのである。
この時、久遠元初の自受用身は末法の全人類をお救い下さるために御出現になる。その御方こそ、まさしく日蓮大聖人その人であられる。
ゆえに大聖人の御振舞いは、久遠元初の自受用身の修行を、そのまま末法に移されたものである。
本因妙抄に云く
「釈尊久遠名字即の位の御身の修行を、末法今時日蓮が名字即の身に移せり」と。
「釈尊久遠名字即の位の御身」とは、久遠元初の自受用身の意である。この久遠元初の自受用身も三十二相をつけぬ名字凡身、大聖人も名字凡身。またその御修行はともに三大秘法の修行。まさに久遠元初の自受用身と大聖人とは位も修行も全同、大聖人こそ久遠元初の自受用身の再誕であられる。
ゆえに印度の釈尊は前に出現しても熟脱の仏であり、大聖人は後に御出現になっても下種の御本仏であられる。ゆえに本因妙抄に
「仏は熟脱の教主、某は下種の法主なり」と。
また諌暁八幡抄には、印度出現の熟脱の仏と、日本出現の本仏の化導の勝劣を対比されて
「天竺国をば月氏国と申す、仏の出現し給うべき名なり。扶桑国をば日本国と申す、あに聖人出で給わざらむ。月は西より東に向へり、月氏の仏法東へ流るべき相なり。日は東より出づ、日本の仏法月氏へかへるべき瑞相なり。月は光りあきらかならず、在世は但八年なり。日は光明月に勝れり、五々百歳の長き闇を照らすべき瑞相なり。仏は法華経謗法の者を治し給わず、在世には無きゆへに。末法には一乗の強敵充満すべし、不軽菩薩の利益此れなり。各々我が弟子等はげませ給へ、はげませ給へ」
と仰せられている。
303 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/06/01(金) 21:00
2、釈迦仏の説法の目的
熟脱の化導の最後に出現した釈迦仏は、一代五十年の間種々の法を説かれたが、その説法の目的は二つある。一には、釈尊在世および正像二千年の衆生を成仏せしむること。二には、末法に日蓮大聖人が御出現されることを予言証明することである。
それでは、まず釈尊一代五十年の説法を概観してみよう。
方便と真実
五十年の説法のうち、前四十二年は未だ真実を顕わしていない方便・権経(仮の教え)で、後八年の法華経は真実の教えである。ゆえに法華経の開経たる無量義経には「四十余年には未だ真実を顕わさず」といい、法華経の方便品には「世尊は法久しくして後、要ず当に真実を説くべし」さらに「正直に方便を捨てて、但だ無上道を説く」というのである。
すなわち釈尊は法華経を出世の本懐として直ちに説かんとされたが、衆生の機根が未熟であったので、まず四十余年の間権経たる方便を説き、後に真実たる法華経を説かれた。ゆえに法華経が説かれたのちは、四十余年の経々は捨てなければならないのである。
たとえば蔵を建てるには足場を組む、しかし蔵が建ったのちには足場を取り除くのと同じ。法華経は蔵であり、それ以前の経々(爾前経)は足場のごときものである。しかるに念仏・真言・禅宗等は、足場たる爾前経にこだわり、蔵たる法華経を誹謗するから、邪教というのである。
304 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/06/01(金) 21:01
文底に三大秘法
さて、蔵が大事なのは、その中に宝があるがらだ。では法華経という蔵にはどのような宝が蔵されているかといえば、それは三大秘法である。法華経の本門寿量品の文底には、成仏の根源の法たる三大秘法が秘沈されている。このゆえに釈尊は法華経を出世の本懐とされたのである。
このことを大聖人は三大秘法抄に
「法華経を諸仏出世の一大事と説かせ給いて候は、此の三大秘法を含みたる経にて渡らせ給えばなり。秘すべし、秘すべし」と仰せられている。
法華経は二十八品から成り立っている。そして序品より始まる前半十四品を迹門といい、湧出品から始まる後半十四品を本門という。迹門の肝要は方便品、本門の肝要は寿量品である。
三大秘法は、この寿量品の文底に秘し沈められている。文底秘沈であるから、経文の面に顕わには説かれていない。しかし過去の仏種純熟せる舎利弗・目連等の在世の衆生は、この寿量品の文上の説法を聞いて、よくその文底に在る根源の種子を覚知し、成仏することができたのである。これが脱益の究極である。
しかしこの法華経本門寿量品も、文上は釈尊在世の脱益であって末法の衆生には何らの利益もない。末法はただ文底下種の南無妙法蓮華経によってのみ成仏が叶うのである。
ゆえに観心本尊抄には
「在世の本門と末法の初は一同に純円なり。但し彼は脱、此れは種なり。彼は一品二半、此れは但だ題目の五字なり」
また
「今末法に入りぬれば、余経も法華経も詮なし、但南無妙法蓮華経なるべし」(上野殿御返事)
と仰せられる。
305 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/06/01(金) 21:03
2)日蓮大聖人御出現の予言証明
釈尊の説法の最大目的は、"久遠元初の御本仏が末法に出現し三大秘法を以て全人類を救済される"ということを、予言証明することにある。すなわち末法の一切衆生に日蓮大聖人と三大秘法を信ぜしめることがその目的、そしてこの重大事を説かれたのが法華経である。
もちろん法華経の現文には「日蓮大聖人」という名称はない。経文には、釈尊の久遠の弟子たる上行菩薩が末法救済の大任に当る旨が、くわしく説かれている。
なぜ下種の化導をされる上行菩薩が釈尊の弟子なのかといえば、釈迦仏法中においては釈尊が化導の中心であり、ニ仏の同時出現はかえって化導の混乱を招くので、一応釈尊は師、上行菩薩は弟子という立場において、末法弘通の予言証明がなされたのである。
306 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/06/01(金) 21:04
それでは、法華経における予言証明を具体的に見てみよう。
釈尊はまず宝塔品において、居並ぶ弟子大衆に対し、滅後末法の弘通を三たびにわたって強く勧奨される。
「大音声を以て普く四衆に告げ給わく、誰か能く此の娑婆国土に於て広く妙法華経を説かん。今正しく是れ時なり、如来久しからずして当に涅槃に入るべし、仏此の妙法華経を以て付嘱して在ること有らしめんと欲す」
「諸の大衆に告ぐ、我が滅度の後に、誰か能く斯の経を護持し読誦せん。今仏前に於て自ら誓言を説け」等と。
この仏勅を「三箇の勅宣」という。そしてさらに、末法悪世の弘通がどれほど大難事であるかを
「諸余の経典数の恒沙の如し、此等を説くと雖も未だ難し為すに足らず。若し須弥を接って他方の無数の仏土に擲げ置かんも亦未だ難しと為ず。若し仏の滅後に悪世の中に於いて能く此の経を説かん、是れ則ち難しとす。仮使劫焼に乾ける草を担い負うて中に入って焼けざらんも亦未だ難しと為ず、我が滅度の後に若し此の経を持ちて一人の為にも説かん、是れ則ち難しとす」
等と説かれる。これがいわゆる「六難九易」である。
また提婆品においては、悪人成仏と女人成仏を示して、滅後末法に弘通すべきことをさらに諌暁される。これが「二箇の諌暁」である。
以上宝塔品の三箇の勅宣と提婆品の二箇の諌暁に驚き、釈尊の弟子たちは仏意に叶わんと、一斉に末法の弘通を願い出て、「我れ身命を愛せず」の熱烈なる誓言を発する。これが有名な勧持品二十行の偈である。
しかるに釈尊は
「止みね、善男子、汝等が此の経を護持せんことを須いじ」(湧出品)
と云って、弟子等の末法弘通の熱誠を制止される。そして六万恒河沙というおびただしい数の地涌の大菩薩を大地の底より召し出され
「是の諸人等能く我が滅後に於いて、護持し、読誦し、広く此の経を説かん」(涌出品)
と云って、末法の弘通の任に当るのは地涌の菩薩であることをまず示される。この六万恒河沙の地涌の菩薩の上首が、上行菩薩なのである。このように釈尊が、迹化・他方の菩薩の末法弘通の願い出を制止して、本化地涌の大菩薩を召し出したのは、熟脱仏法中における弟子である迹化・他方の菩薩、下種の大法に縁薄く、末法の弘通に堪えられないからである。
次いで釈尊は寿量品を説いてその文底に下種の御本尊を説き顕わし、神力品において厳粛な大儀式の中にこの御本尊を上行菩薩に付嘱される。すなわち
「要を以て之を云わば、如来の一切の所有の法、如来の一切の自在の神力、如来の一切の秘要の蔵、如来の一切の甚深の事、皆此の経に於いて宣示顕説す」と。
この神力品の付嘱の儀式こそ、末法に三大秘法を弘めて全人類を救う人は、上行菩薩ただ一人という重大事を、釈尊が明確に予言証明したものである。ゆえに釈尊は上行菩薩のこの徳を讃歎して
「日月の光明の能く諸の幽冥を除くが如く、斯の人世間に行じて能く衆生の闇を滅せん」(神力品)と述べている。
307 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/06/01(金) 21:05
さらに薬王品には、三大秘法の流布の時を予言して
「我が滅度の後、後の五百歳の中に閻浮提に広宣流布して断絶せしむること無けん」
と述べている。すなわち上行菩薩の出現の時を、釈迦滅後第五の五百歳(末法の始めの五百年)と定めているのである。
では、出現された方を上行菩薩とは、何を以て知ることができるのかといえば、釈尊は上行菩薩が三大秘法を弘めて身に受けるべき大難を、克明に勧持品に写し出している。
すなわちその人は必ず三類の強敵の怨嫉を受け、国中の大衆から「悪口罵詈」され、また「及加刀杖」とて刀で切られ杖で打たれ、さらに「数数見擯出」とてたびたび流罪にあうであろうと。
もし、末法にこのような大難を受けて法華経の極理たる南無妙法蓮華経を弘める人あれば、まさに上行菩薩その人と知るべしという予言である。
釈尊滅後、全世界でこのような大難を受けた御方はどなたであろうか。日蓮大聖人ただ御一人であられる。
ゆえに開目抄に云く
「抑、たれやの人か衆俗に悪口罵詈せらるる、誰の僧か刀杖を加へらるる、誰の僧をか法華経のゆへに公家武家に奏する。誰の僧か数数見擯出と度度ながさるる。日蓮より外に日本国に取り出さんとするに人なし」と。
まさに釈尊の説法の最大目的は、日蓮大聖人の御出現を予言証明するためにあった。ゆえに、もし大聖人が末法に御出現ならなければ、釈尊の一代説法はすべて泡沫に同じてしまうのである。
このことを聖人御難事には
「日蓮末法に出でずば、仏は大妄語の人、多宝・十方の諸仏は大虚妄の證明なり。仏滅後二千二百三十余年が間、一閻浮提の内に仏の御言を助けたる人、但だ日蓮一人なり」
と仰せられている。
308 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/06/01(金) 21:05
1、日蓮大聖人一代御化導の大綱
御誕生と出家
日蓮大聖人は釈尊滅後二千百七十一年に当る貞応元年(一二二二)二月十六日、安房国(千葉県)長狭郡東条の郷小湊に御誕生あそばされた。父を三国の太夫、母を梅菊女と申し上げる。
十二歳にして仏法を学ぶ志を立てられ、ほど近くの清澄寺に登られた。この頃、御幼少の大聖人の御胸中には、仏法上の大きな疑問が胚胎していた。
それは、当時日本国に十宗・八宗といわれる仏教の諸宗があり、そのいずれもが“我が宗こそ勝れたり、我が経こそ第一なり”と自讃していることであった。たとえば国に国主が二人いれば必ず国は乱れる、国主は一人でなければならない。これと同じように、一切経の中で王ともいうべき経は一つしかあり得ない、釈尊の本懐とする経はただ一つであるべきである。その最勝の経とは何かという疑問。
また、仏法を行ずれば幸福になるべきなのに、承久の乱において、天台・真言の秘法を尽くして祈祷をした後鳥羽上皇等の三上皇が、何の祈りもせぬ臣下の北条義時に敗れて島流しになった現証。さらに“念仏往生”などといいながら、念仏宗の指導者たちが、ことごとくその臨終に悪相を現じていること。これらの現証が何によってもたらされたかという疑問であった。
これらの大疑を解き、成仏の唯一の法を見出さんと、大聖人は御年十八歳、四方に経典・論釈を探るべく、諸国遊学の途につかれた。まず鎌倉に上り、ついで比叡山・京都・奈良等をめぐって一切経を閲読し、また諸宗の義を一々に確認された。
かくて血の滲むような御修学二十年。一切経における勝劣・浅深、また諸宗の誤りは、一点の曇りもなく明白となった。
そして末法の一切衆生の成仏の大法は、法華経本門寿量品の文底に秘沈された南無妙法蓮華経、すなわち久遠元初の自受用身の御証得、とりも直さず末法御出現の日蓮大聖人がお覚りになられた生命の極理であることを、深く深く知り給うた。
309 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/06/01(金) 21:06
立宗宣言
ここに大聖人は建長五年四月二十八日、故郷の清澄山の山頂に立ち、おりから太平洋上にゆらゆらとのぼる旭日に向い
「南無妙法蓮華経・南無妙法蓮華経・南無妙法蓮華経」
と、始めて本門の題目を唱え出された。これが立宗宣言である。時に御年三十二歳であられた。
これより大聖人は政都・鎌倉に出で給い、“諸宗は無得道・堕地獄の根源、南無妙法蓮華経のみ成仏の法なり”と、声も惜まず折伏をあそばされた。
大聖人の熱誠の御説法と御威徳にふれ、帰依入信する人々は次第に数を増した。しかしそれに伴い、念仏・真言・禅・律等の邪宗からの怨嫉も日ごとに高まり、鎌倉中に大聖人への悪口罵詈が渦まいた。
立正安国論
立宗より四年目の正嘉元年、鎌倉地方に前代未聞の大地震が起きた。そしてこれより年々、激しい異常気象が続き、大飢饉・大流行病は地を覆い、ために鎌倉は屍で満ちあふれるという惨状を呈した。
この打ち続く国土の災難を凝視せられた大聖人は、国主を諌暁して一国を救わんと、文応元年七月十六日立正安国論をしたためられた。その意に云わく
“この災難は三大秘法に背くゆえに起きたものであり、もしこの謗法を止めなければ、必ず将来他国より侵略される大難を受けるであろう”と。
すなわち未だ萌しもない時に、「他国侵逼の大難」を断定あそばされたのである。仏でなくて、どうしてこのような予言をなし得ようか。
法難
しかし国主はこの大慈悲の諌暁を黙殺した。この立正安国論奏上を機に、邪宗の輩の怨嫉はいよいよ燃えさかり、これより大聖人の御身に、身命におよぶ法難が波のごとく襲いかかって来たのであった。
文応元年八月二十七日には、念仏者数千人が夜陰に乗じて松葉ヶ谷草庵を襲撃し、大聖人を殺害せんとした。
また弘長元年五月十二日には伊豆の国へ流罪。さらに文永元年十一月十一日には、念仏者として大聖人を憎んでいた地頭・東条景信が、小松原で軍勢を引きつれて大聖人を襲撃し、大聖人の右の御額に四寸(十二センチ)の傷を負わせ奉った。
310 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/06/01(金) 21:09
十一通申状
このように、一国あげて大聖人を憎み迫害するうちに、文永五年正月、蒙古国より、我が国を襲うべき旨の国書が到来した。九ヶ年前の立正安国論の御予言がここに事実となって来たのである。幕府はただ周章狼狽するのみであった。
もしこのまま過ぎゆくならば、謗法の失により
「此の国の人々、今生には一同に修羅道に堕し、後生には皆阿鼻大城に入らん事疑い無き者なり」(曽谷二郎入道殿御返事)
ということになる。大聖人が最も憂え、そして不憫とおぼされていたのはこの事であった。
ここに大聖人は、北条時宗・平左衛門等の幕府の首脳、および良観・道隆等の諸宗代表に書状を送り、仏法の邪正を一気に決すべく、公場対決を迫られた。これが十一通申状である。
良観(律宗)・道隆(禅宗)等は、仏法に無智な民衆をたぶらかし、当時一国に生き仏のごとく崇められていた邪僧である。もとより彼等に、大聖人との法義上の対決などできるわけがない。追いつめられた彼等は、讒言を構えて、大聖人を殺害することを幕府の権力者に密かに訴え出た。
この讒言を聞き入れたのが、当時幕府の実力者・平左衛門であった。
発迹顕本
文永八年九月十二日、平左衛門は数百人の武装兵士を率いて、怒涛のごとく大聖人の草庵に押し寄せた。
泰然自若として坐し給う大聖人のそばに、平左衛門の郎従・少輔房という者が走りより、大聖人が懐中されていた法華経第五の巻を取り出し、これを杖として、恐れ多くも大聖人の御顔を三たび打ち奉った。その他の兵士も庵室の中で法華経の巻物を打ち散らし、あるいは足にふみ、あるいは身にまとう等の狼藉を働いた。
この狂態をじっと御覧になっておられた大聖人は、大音声を以て
「あら面白や、平左衛門尉が物に狂うを見よ。とのばら、但今ぞ日本の柱を倒す」(種々御振舞御書)
と叱咤あそばされた。平左衛門は顔面蒼白になり、棒のごとくその場に立ちすくんだ。兵士共は“逮捕される大聖人こそ臆すべきなのに、これは一体いかなることか”と、一様に顔色を失った。
平左衛門は、逮捕した大聖人を裁判にもかけず、その日のうちに竜の口で斬首しようと決めていた。
この日、十二日の深夜、馬上の人となった大聖人は、多数の警護の兵士に取り囲まれて、竜の口の刑場へと向われた。
途中、急を聞いた四条金吾が駆けつけ、馬の轡をとってお供する。この四条金吾は“大聖人に万一のことあれば、追い腹切って御供せん”と決意していた強信の鎌倉武士である。
やがて一行は刑場に着いた。暗闇の中に大勢の兵士が屯して騒いでいる。これを見て四条金吾は「只今なり」と泣き伏した。
311 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/06/01(金) 21:10
大聖人は
「不覚のとのばらかな、これほどの悦びをば笑へかし、いかに約束をば違へらるるぞ」と仰せられた。
やがて大聖人は頸の座に着き、静かに合掌し給うた。時はまさに丑の刻(午前二時頃)。太刀取り越智の三郎は傍に立ち、大刀を振りかざした。
この時、大奇瑞が起きた。
「江の島のかたより、月のごとく光りたる物、まりのやうにて、辰巳のかたより戌亥のかたへ光りわたる。十二日の夜のあけぐれ、人の面もみへざりしが、物の光り月夜のやうにて、人人の面もみな見ゆ。太刀取目くらみ倒れ臥し、兵共おぢ怖れ、興さめて一町計りはせのき、或は馬よりをりてかしこまり、或は馬の上にてうずくまれるもあり」
―――突如として巨大なる光り物が、江の島の方角から出現したのである。太刀取り越智の三郎は眼がくらんでその場に倒れ伏し、取り囲んでいた兵士どもも恐怖のあまり一斉に逃げ出し、ある者は馬から下りてかしこまり、ある者は馬上にうずくまってしまった。
もう頸を切るどころではない。一人として大聖人のそばに寄る者もない。その中で、ひとり砂浜に坐られた大聖人は厳然と叫ばれた。
「いかにとのばら、かかる大禍ある召人には遠のくぞ、近く打ちよれや、打ちよれや」
しかし誰一人近寄る者とてない。大聖人は再び高声で叫ばれた。
「夜あけば、いかに、いかに。頸切るべくわ急ぎ切るべし、夜明けなば見苦しかりなん」と。
響くは凜々たる大聖人の御声のみ。返事をする者とてない。皆ひれ伏してしまったのである。
――何たる厳粛、何たる不思議、かかる光景が人類史上にあったであろうか。まさに国家権力が、一人の大聖人の御頸を切ることができず、その御威徳の前にひれ伏してしまったのであった。
この竜の口の大法難は、大聖人の一代御化導の上に極めて重大な意義を持っている。それは、この竜の口の大現証こそ、大聖人が久遠元初の自受用身・末法下種の本仏として、成道を遂げられたことを示すものである。
すなわち立宗以来の身命も惜しまぬ御修行ここに成就して、「法界を自身と開く」――宇宙即我が身――という御本仏の大境界を、事実の上に証得あそばしたのである。
大聖人の名字凡夫の御身の当体が、そのまま久遠元初の自受用身と成り給う。これを末法下種仏の「発迹顕本」という。時に聖寿五十歳であられた。
312 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/06/01(金) 21:11
佐渡流罪
この大法難ののち、幕府は大聖人を佐渡へ流罪した。この北海の孤島で大聖人を待ち受けていたのは、邪僧・土民の憎悪のまなざしと、飢えと、寒さであった。しかしこれらも、大聖人の大法悦を妨げることはできなかった。
「我等は流人なれども、心身共にうれしく候なり。大事の法門をば昼夜に沙汰し、成仏の理をば時々刻々にあぢはう」(最蓮房御返事)と。
生きて帰ることの出来ないといわれる流罪の地・佐渡において、このような歓喜法悦を味わっておられるのは、劫初以来大聖人御一人であられよう。誰人も壊すことのできない絶対幸福、御本仏の大境界とは、かくのごときものであろうか。
さて、釈尊は勧持品に上行菩薩の受ける大難を「悪口罵詈」(悪口をいわれ罵られる)、「及加刀杖」(刀で切られ杖で打たれる)、「数数見擯出」(しばしば流罪になる)等と予言証明したが、立宗より佐渡に至るまでの大聖人の御振舞を拝見すれば、この経文に一々符合している。
「悪口罵詈」は説明の要もない。「及加刀杖」のうち「杖」は、少輔房が法華経第五の巻で大聖人の御顔を打ち奉ったこと、また「刀」は小松原と竜の口の大難。「数数見擯出」は伊豆と佐渡の両度の流罪である。
釈尊滅後二千二百余年の間、全世界の中で、この勧持品の経文を身に読まれた御方は他にはない。まさに日蓮大聖人こそ釈尊が予言した上行菩薩その人であられること、疑わんとしてなお信ぜざるを得ないであろう。
ここに佐渡における大聖人は、外用(経文の説相に準じた外面的御立場)は、上行菩薩、そして内証(真実の深い御立場)においては久遠元初の自受用身として、いよいよ三大秘法の御法門をお述べあそばすのである。
「法門の事は、佐渡の国へながされ候いし已前の法門は、ただ仏の爾前の経とをぼしめせ。――去る文永八年九月十二日の夜、竜の口にて頸をはねられんとせし時よりのち、ふびんなり、我につきたりし者どもにまことの事をいわざりけると思うて、佐渡の国より弟子どもに内内申す法門あり」(三沢抄)と。
佐渡において著わされた重要御書は数多い。その中にまず開目抄において大聖人は、末法の全人類を救うご本仏として、その鉄石・不退の御決意を、次のように述べられている。
「詮ずるところは天も捨て給え、諸難にもあえ、身命を期とせん。身子が六十劫の菩薩の行を退せし、乞眼の婆羅門の責めを堪えざるゆへ。久遠・大通の者の三・五の塵を経る、悪知識に値うゆへなり。善に付け悪につけ、法華経をすつるは地獄の業なるべし。本と願を立つ。日本国の位をゆづらむ、法華経をすてて観経等について後生を期せよ、夫母の頸を刎ん念仏申さずば、なんどの種種の大難出来すとも、智者に我が義やぶられずば用いじとなり。其の外の大難風の前の塵なるべし。我れ日本の柱とならむ、我れ日本の眼目とならむ、我れ日本の大船とならむ等とちかいし願やぶるべからず」と。
313 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/06/01(金) 21:11
まだ続くのかよ。
314 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/06/01(金) 21:11
まことに、全人類を救済せんとのこの三大誓願を拝せば、御本仏の鉄石のごとき御決意と無限の大慈悲が身にせまり、ただ身震いをおぼえるのみである。そして巻末に至り
「日蓮は日本国の諸人に主・師・父母なり」
と結ばれている。まさしく大聖人こそ末法下種の主・師・親すなわち全人類救済の御本仏なることが、ここに明示されている。
次いで観心本尊抄においては
「一念三千を識らざる者には仏・大慈悲を起こし、五字の内に此の珠を裹み、末代幼稚の頸に懸けさしめ給う」
と仰せられ、御本尊の深き御内容について、御説明されている。
そして佐渡以後、御本尊を書き顕わされ、強信の弟子等に授与し給うておられるのである。
315 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/06/01(金) 21:12
立正安国論の予言適中
大聖人を流罪に処し奉っているうちに、蒙古の動きは不穏さを増してきた。これに怯えた幕府、ことに執権の北条時宗は一分の改悔を生じ、大聖人の流罪を許した。まさに諸天の働きである。
鎌倉に帰られた大聖人は、文永十一年四月八日、殿中において平左衛門と対面された。国家権力者に対する第三度の諌暁である。
権威を恐れず、いささかも諂わず、ただ国を救わんと直諌あそばす大聖人に、平左衛門は以前とは打って変った態度で、蒙古襲来の時期について尋ねた。
「いつごろか寄せ候べき」(撰時抄)
大聖人は答えられた。
「経文にはいつとは見へ候はねども、天の御気色いかり少なからず、急に見へて候。よも今年は過ごし候はじ」(撰時抄)と。
三度諌めてなお正法を用いぬ幕府を見て、大聖人は鎌倉を去り、身延へ入山された。
十四年前の立正安国論に経文を引いて云く
「聖人去らん時は七難必ず起らん」と。
果たせるかな、その年の秋十月、大蒙古の軍船は海を蔽って襲来した。立正安国論の御予言は、寸分も違わず適中したのである。御本仏にあらずして、どうしてこのような符合があり得ようか。
この兼知未萌、また大難を忍受し給う忍難慈勝、さらに竜の口における絶大威力、凡夫のおよぶべからざる御本仏の御徳を、深く拝し奉らなくてはならない。
316 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/06/01(金) 21:13
それからどしたの?
317 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/06/01(金) 21:13
熱原の法難
大聖人が身延に入山されてより、若き日興上人の猛然たる折伏が、富士南麓にくりひろげられた。
この弘教により、弘安元年熱原地方に、神四郎・弥五郎・弥六郎という農民の三兄弟が入信した。この三人は宿縁のもよおすところ、日興上人の説法を聴聞するや、直ちに熱烈な信心に立ち、次々と入信する農民と共に「法華講衆」と名乗った。
法華講衆の折伏弘通が進むにつれ、地元滝泉寺の邪僧・行智を中心とした激しい怨嫉が巻きおこった。彼等は幕府の権力者・平左衛門と連絡を取りつつ、法華講衆の潰滅を策した。
ここに門下の信徒が受けた法難としては今までにない「熱原の大法難」が起きた。弘安二年九月、官憲と結託した謗法者らは、日秀(日興上人の弟子)の田の稲刈りを手伝っていた法華講衆の一同を、あろうことか“他人の稲を盗んだ”として捕縛し、直ちに鎌倉へ押送したのであった。
この法華講衆を鎌倉で待ち構えていたのは、平左衛門であった。彼は大聖人の御威徳にはとうてい歯の立たぬことを知っていたが、その無念を、いま己の権威で法華講衆を退転せしめ、晴らそうとしていたのである。
神四郎ら二十人は、平左衛門の私邸の庭に引き据えられた。平左衛門は法華講衆を睨めまわし、居丈高に申し渡した。
「汝等、法華経を捨てて念仏を唱えよ。そして謝罪状を書け。さすれば郷里に帰さん、さもなければ頸を刎ねるであろう」と。
一も二もなく農民らは恐れ畏み、命乞いをするとばかり彼は思った。――だが平左衛門の卑しき想像は完全に覆った。
神四郎・弥五郎・弥六郎を中心とする二十人は、自若として臆することなく、一死を賭して「南無妙法蓮華経」と唱え、以て答えに替えたのであった。
法華講衆の死をも恐れぬ気魄に、平左衛門は顔色を失った。この時彼の脳裏に浮んだのは、文永八年九月十二日、自ら兵を率いて大聖人を逮捕せんと庵室を襲った時の、大聖人の師子王のごとき御気魄であったに違いない。
気圧された思いはやがて憤怒に変った。彼はかたわらに控えていた次男の飯沼判官に命じ、蟇目の矢を射させた。蟇目の矢とは、くりぬいた桐材をやじりとした鏑矢である。射ると「ヒュー、ヒュー」と音がする。彼は権威を恐れぬ農民をこの蟇目で威し、退転させようと試みたのである。
飯沼判官の放つ矢は容赦なく、一人一人を嘖む。そのたびに平左衛門は「念仏を唱えよ」と威し責めた。
しかし、一人として退する者はなかった。かえって一矢当るごとに唱題の声は庭内に高まった。法華講衆はただ「一心に仏を見たてまつらんと欲して、自ら身命を惜まず」の大信心に住していたのであった。
あまりのことに平左衛門は驚き、蟇目を中止させた。そしてのち、神四郎・弥五郎・弥六郎の三人を引き出し、――ついにその頸を刎ねたのであった。
318 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/06/01(金) 21:13
出世の本懐
法華講衆の身を案じ、幕府を直諌せんと鎌倉まで出向いていた日興上人は、直ちにこのことを身延の大聖人に急報申し上げた。
大聖人は深く深く御感あそばされ、神四郎等法華講衆を「願主」として、御一代の最大事・出世の本懐たる「本門戒壇の大御本尊」を建立あそばされた。時に弘安二年十月十二日、聖寿五十八歳であられた。
思うに、法華講衆の振舞は、とうてい凡夫のなせるわざではない。名もなき農民が天下の権威も恐れず、仏法のためには身命も惜しまなかったのは、ただ大聖人師子王心によく同心し奉ったがゆえである。「師子王は百獣に怖ぢず、師子の子又かくのごとし」(聖人御難事)とはこれである。
名もなき農民が、それも一人・二人ではない、集団として大聖人の師子王心に同心し奉る。この異体同心こそ、未来事の広宣流布の瑞相、国立戒壇建立の先序でなくて何であろうか。
ここにおいて大聖人は、神四郎等法華講衆を「本門戒壇の大御本尊」の願主とし給うたのである。
この熱原の法華講衆は弘安元年の入信、この大法難までわずか一年であった。しかも未だ大聖人にお値いする機会も得ていない。しかるに大聖人の御意に叶う御奉公を貫き通したこと、その宿縁の深厚さに、ただ驚かざるを得ない。
御本仏がいよいよ出世の本懐を遂げんとおぼされた弘安年中に至って、血脈付法の人日興上人の弘通により、しかも戒壇建立の地の富士南麓において、かかる不惜身命の集団が忽然と出現したことは、まさに御本仏の仏力の然らしむるところと、嘆ずるのみである。
さて、弘安二年の「本門戒壇の大御本尊」は、大聖人の出世の本懐であられる。ゆえに聖人御難事には
「去ぬる建長五年四月二十八日――午の時に此の法門申しはじめて今に二十七年弘安二年なり。仏は四十余年、天台大師は三十余年、伝教大師は二十余年に出世の本懐を遂げ給う、其の中の大難申す計りなし、先々に申すが如し。余は二十七年なり、其の間の大難は各々かつしろしめせり」と。
――釈尊・天台・伝教等三聖が出世の本懐を遂げられた年数と対比しつつ、「余は二十七年なり」と仰せられている。すなわち末法の御本仏日蓮大聖人は、立宗より二十七年目の弘安二年に「本門戒壇の大御本尊」を建立せられ、ここに出世の本懐を遂げ給うたのである。
佐渡以後、大聖人は強信・有縁の弟子に御本尊を授与されているが、これらの御本尊は「一機一縁」といって、個人に授与されたものである。
弘安二年の「本門戒壇の大御本尊」は、末法の全人類に総じて授与し給うた大御本尊で、広宣流布の暁には本門戒壇に奉安さるべき御本尊なるゆえ、「本門戒壇の大御本尊」と申し上げるのである。この大御本尊こそ、久遠元初の自受用身・日蓮大聖人の御当体であられる。
三大秘法のうち、本門の題目は立宗の時唱え出されたが、その本門の題目の実体こそこの「本門戒壇の大御本尊」であられる。そして、この大御本尊を一国一同に信じ奉る時、本門戒壇が建立されるのである。
319 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/06/01(金) 21:14
付嘱
弘安五年九月、御入滅近きをおぼされた大聖人は、師弟不二・一体の境界の日興上人に、この戒壇の大御本尊を付嘱され滅後の大導師に任じ給うと共に、仏国実現のため本門戒壇の建立を御遺命あそばした。その御付嘱状が次の「一期弘法付嘱書」である。
日蓮一期の弘法、白蓮阿闍梨日興に之を付嘱す。本門弘通の大導師たるべきなり。
国主此の法を立てらるれば、富士山に本門寺の戒壇を建立せらるべきなり。時を待つべきのみ。
事の戒法と謂うは是なり。就中我が門弟等此の状を守るべきなり。
弘安五年壬午九月 日 日蓮 在御判
血脈の次第 日蓮 日興
この御付嘱状に、付嘱の法体たる戒壇の大御本尊と、血脈と、国立戒壇の御遺命は赫々明々である。
320 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/06/01(金) 21:14
御入滅
ここに一切の化導を終えられた大聖人は、御入滅の地を武州池上の衛門大夫宗仲の邸に選ばれ、同年九月八日、九ヶ年御在住の身延を出山され、同十八日池上邸に御到着された。
御逗留を伝え聞いて遠近より参集した門下一同に対し、大聖人は最後の御説法として立正安国論を講じ給うた。この御説法こそ、仏国実現すなわち広宣流布・国立戒壇建立を、総じて門下一同に御遺命あそばしたものである。
そして弘安五年十月十三日辰の刻、日興上人以下の僧俗はべり奉るなか、大聖人は安詳として御入滅あそばされた。時に聖寿六十一歳。
この時、大地は震動し、庭には時ならぬ桜の花が咲き乱れたという。天地法界も、御本仏の入滅を悲しみ奉ったのである。
ここに一代の御化導を拝し、その大慈大悲の御振舞を偲びまいらせれば、誰か紅涙頬に伝わらざる。この深恩は、御遺命達成への捨身の御奉公によってのみ、その万が一をも報ずることができるのである。
321 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/06/01(金) 21:16
色んな宗教の中で、最も堕落しているのが仏教。
なんで世界に乗り出さないの?
なんで葬式産業に成り下がったの?
322 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/06/01(金) 21:39
2、三大秘法
日蓮大聖人が弘通あそばした仏法は三大秘法である。ゆえに法華取要抄には
「問うて云く、如来滅後二千余年、竜樹・天親・天台・伝教の残したもう所の秘法何物ぞや。答えて云く、本門の本尊と戒壇と題目の五字となり」と。
この仰せのごとく、三大秘法とは、本門の本尊と、本門の戒壇と、本門の題目である。
三大秘法のそれぞれに「本門」の二字が冠せられている意は、この三大秘法は本門寿量品文底の秘法であり、また久遠元初の独一本門の大法なるがゆえである。
では、三大秘法のそれぞれについて、要を撮って説明する。
まず本門の本尊とは、日蓮大聖人が末法の一切衆生の成仏修行の対境として、御自身が証得された生命の極理を、一幅に図顕し給うた妙法五字の大曼荼羅である。
大聖人はこの本門の本尊を、佐渡御流罪以後書き顕わし給い、その数は現存するものだけで百数十幅に及んでいる。しかし文永・建治年間に顕わされた御本尊は、上行菩薩としての御立場から図顕された趣きがその御相貌に拝され、未究竟(未だ究極の意を尽くしてない)の御本尊と申し上げるべきである。
まさしく弘安元年以後の御本尊こそ、久遠元初の自受用身・末法下種の御本仏としての御内証を、余すところなく顕わし給うた究竟の御本尊である。その中でも弘安二年の「本門戒壇の大御本尊」は究竟の中の究竟、本懐の中の本懐であり、日本を始めとして世界の全人類に授与せられた総体の大御本尊である。ゆえに日寛上人は
「なかんずく弘安二年の本門戒壇の御本尊は、究竟中の究竟、本懐中の本懐なり。すでにこれ三大秘法の随一なり。況や一閻浮提総体の本尊なる故なり」(観心本尊抄文段)
と御指南されている。
この戒壇の大御本尊と他の御真筆御本尊との関係を拝するならば、まさに根本と枝葉。また同じく戒壇の大御本尊と日興上人以下御歴代書写の御本尊との関係は、本体と分身の関係と拝し奉るべきであろう。まさしく「本門戒壇の大御本尊」こそ三大秘法の随一、本門の本尊の根源であられる。
323 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/06/01(金) 21:40
次に本門の戒壇とは、三大秘法抄・一期弘法付嘱書に示されるように、広宣流布の暁に一国の総意を以て、この「本門戒壇の大御本尊」を安置し奉るべく建立される大霊場である。この本門戒壇の建立こそ仏国実現の秘術であり、大聖人が滅後の門下に託された唯一の御遺命である。
三に本門の題目とは、御本尊を信じ南無妙法蓮華経と唱える修行をいう。
三大秘法開合の相
三大秘法は本尊と戒壇と題目の三つに分れていても、合すればただ本門の本尊の一大秘法となる。そのわけは、本門の本尊のおわします所が本門の戒壇であり、またこの御本尊を信じて南無妙法蓮華経と唱えるのが本門の題目である。すなわち戒壇も題目もすべて本門の本尊より発するゆえである。ゆえに「本門戒壇の大御本尊」を、三大秘法総在の本尊と申し上げる。
また三大秘法を開けば六大秘法となる。すなわち本尊に人と法があり、戒壇に事と義があり、題目に信と行がある。
本尊の人と法とは
もし御本尊を人の面より拝すれば、御本尊は日蓮大聖人の御当体を文字を以て顕わされたものである。ゆえに
「日蓮が魂を墨にそめ流して書きて候ぞ、信じさせ給へ。仏の御意は法華経なり、日蓮が魂は南無妙法蓮華経に過ぎたるはなし」(経王殿御返事)
「本尊とは法華経の行者の一身の当体なり」(御義口伝)
「日蓮が影、今の大曼荼羅なり」(御本尊七箇之相承)
との仰せを拝する。
また御本尊を法の面より拝すれば、御本尊は生命の極理たる一念三千を顕わされたものである。ゆえに
「一念三千を識らざる者には仏大慈悲を起こし、五字の内に此の珠を裹み、末代幼稚の頸に懸けさしめ給う」(観心本尊抄)
「一念三千の法門ふりすすぎたてたるは大曼荼羅なり」(草木成仏口決)
と仰せられている。
このように御本尊は人と法との両面より拝することが出来るが、人の全体はそのまま法、法の全体はそのまま人、人と法はその体つねに一である。ゆえに人法一箇の大御本尊と申し上げるのである。
また義の戒壇とは、広布以前に戒壇の大御本尊のまします所である。さらに日興上人以下御歴代書写の御本尊まします所も、枝葉として義の戒壇の意義を持っている。
次に題目の信と行とは、本門の題目には必ず信と行が具っていなくてはならない。たとえ心の中で信じていても、口に唱える行がなくては成仏には至らない。また口に唱えたとしても、もし信心がなければ少しも功徳にはならない。ゆえに信行具足を以て本門の題目というのである。
324 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/06/01(金) 21:41
あっと驚くため五郎
325 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/06/01(金) 21:41
本門戒壇の事と義について
近年、創価学会が正本堂を御遺命の戒壇と偽ったことから、日蓮正宗の中で本門戒壇の事と義について法義上の混乱が見られるので、重ねてここに附言する。
まず戒壇の事と義とはどういう意味かといえば、事とは事相(事実の姿)、義とは義理(道理としてその意義がある)の意である。
すなわち、大聖人が三大秘法抄等に御遺命された本門戒壇は、広宣流布の時が至って始めて“事実の姿”として建立される。ゆえにこの御遺命の戒壇を事(事相)の戒壇というのである。
では、広宣流布以前において本門戒壇の意義はないのかといえば、そうではない。たとえ広布の時至らず未だ事の戒壇の建立はなくとも、事の戒壇に安置し奉るべき「本門戒壇の大御本尊」まします上は、その所は義として本門戒壇に当る。ゆえに日寛上人は「未だ時至らざる故に直ちに事の戒壇これ無しといえども、すでに本門戒壇の御本尊存する上は其の住処は戒壇なり」(寿量品談義)と仰せられている。これが義の戒壇である。また日興上人以下嫡々歴代書写の御本尊安置の道場も、遠くは枝葉として義の戒壇の意味を持つ。――以上が日蓮正宗伝統の、本門戒壇の事と義についての定義である。
次に、その文証を引く。
日寛上人は法華取要抄文段に、まず義の戒壇を説明されて
「義理(義)の戒壇とは、本門の本尊所住の処、即ちこれ義理・事の戒壇に当るなり。経に云く『当に知るべし、この処は即ちこれ道場』とはこれなり。天台云く『仏其の中に住す、即ちこれ塔の義』等云々。故に当山は本門戒壇の霊地なり」と。
すなわち、広宣流布以前といえども、戒壇の大御本尊まします所は「義理・事の戒壇に当る」として、「故に当山は本門戒壇の霊地なり」と仰せられている。これが義の戒壇である。
さらに枝葉としての義の戒壇については
「またまた当に知るべし、広宣流布の時至れば、一閻浮提の山寺等、皆嫡々書写の本尊を安置す。その処は皆これ義理の戒壇なり。然りといえども仍これ枝流にしてこれ根源にあらず。まさに本門戒壇の本尊所住の処すなわちこれ根源なり」と。
すなわち広宣流布の時になれば、諸宗の本山・寺々に至るまでみな大石寺の末寺となって、嫡々の御法主が書写された本尊を安置するようになる。この処も枝葉として義の戒壇に当ると仰せられている。もちろん広布以前に嫡々書写の本尊を安置している本宗の末寺・在家の道場がその義に当ることは論をまたない。
次に事の戒壇を明かされて
「正しく事の戒壇とは、秘法抄に云く『王法仏法に冥じ仏法王法に合して、王臣一同に本門の三大秘密の法を持ちて有徳王・覚徳比丘の其の乃往を末法濁悪の未来に移さん時、勅宣並びに御教書を申し下して、霊山浄土に似たらん最勝の地を尋ねて戒壇を建立すべき者か。時を待つべきのみ。事の戒法と申すは是れなり』等云々」と。
まさに三大秘法抄に御遺命の、広布の暁の国立戒壇を、事の戒壇と定められている。以上が日寛上人の御指南である。
また日亨上人は
「この戒壇について、事相にあらわるる戒壇堂と、義理の上で戒壇とも思えるの二つがある。事相の堂は将来一天広布の時に、勅命で富士山下に建ち、上は皇帝より下は万民にいたるまで授戒すべき所であるが、それまでは、本山の戒壇本尊安置の宝蔵がまずその義に当るのである。末寺の道場も信徒の仏間も、軽くは各々その義をもっていると云える」(正宗綱要)と。
また日淳上人は
「御文(三大秘法抄・一期弘法付書)に、王法と仏法と冥合して国主が此の法を御用いの時は此の戒壇が建立せられる、それを事の戒法と申すと仰せられるのでありますから、その時の戒壇を事の戒壇と申し上げるのであります。従って、それ以前は御本尊のましますところは義理の上の戒壇と申し上げるべきであります。仍って此のところを義の戒壇と申し上げるのであります」(日蓮大聖人の教義)と。
以上、本門戒壇の事と義についての文証、まことに明らかである。
近年に至って細井管長が
“戒壇の大御本尊まします処は、いつでもどこでも事の戒壇である。したがって正本堂は事の戒壇である”
などと云い出したのは、正本堂を御遺命の戒壇と偽った学会の誑惑を庇うための詭弁にすぎない。このことは、同管長が御登座直後に述べられた正論との自語相違を見れば、あえて説明の要もない。
その正論に云く
「事の戒壇とは、富士山に戒壇の本尊を安置する本門寺の戒壇を建立することでございます。勿論この戒壇は、広宣流布の時の国立の戒壇であります」(昭和三十二年四月六日御説法)と。
326 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/06/01(金) 21:42
事の戒壇建立の時期・手続・場所について
さて、事の戒壇とは、いつ、どのような手続で、どこに立てられるべきものか。このことを明確に御教示下されたのが三大秘法である。すなわち
「戒壇とは、王法仏法に冥じ仏法王法に合して、王臣一同に本門の三大秘密の法を持ちて有徳王・覚徳比丘の其の乃往を末法濁悪の未来に移さん時、勅宣並びに御教書を申し下して、霊山浄土に似たらん最勝の地を尋ねて戒壇を建立す可き者か。時を待つ可きのみ。事の戒法と申すは是れなり」と。
文々句々の解釈はここには省略するが、いま文意をとってこの御文に示された時期と手続と場所を説明すれば
まず時期は、広宣流布達成の時である。すなわち、上は天皇陛下より下全国民に至るまで三大秘法を信じ、戒壇の大御本尊を守護するにおいては身命も惜しまぬという大護法心が日本国上下にみなぎった時、これが戒壇建立の時である。
次に手続については「勅宣並びに御教書を申し下して」と御遺命されている。「勅宣」とは天皇の詔勅、また「御教書」とは当時幕府の令書である。この「御教書」は、今日でいえば国権の最高議決機関たる国会の議決、またこの議決に基ずく内閣の決定がそれに当ろう。すなわち「勅宣並びに御教書」とは、まさしく国家意志の表明ということである。
なぜに戒壇建立の手続に国家意志の表明が必要なのかといえば、一個人・一団体の護持ではなく、日本国家としての正法護持でなければ、仏国は実現しないからである。正法の流布が個人から民衆へと広まり、一国の総意がついに国家意志にまで凝集されて戒壇建立に至った時、始めて日本国は仏国と化するのである。このゆえに国家意志の表明たる「勅宣並びに御教書を申し下して」という手続は、必要欠くべからざるものなのである。
御遺命の事の戒壇は、この手続のゆえに、冨士大石寺において従来「国立戒壇」と端的に呼称されてきたのである。
次に場所については、三大秘法抄には「霊山浄土に似たらん最勝の地」と仰せられているが、日興上人への一期弘法付嘱書には「富士山に」と地名が特定されている。さらに広漠たる富士山麓の中にはいずれの地かといえば、南麓の絶景の地「天生原」と日興上人は定められている。すなわち大坊棟札に
「国主此の法を立てらるる時は、当国天母原に於て、三堂並びに六万坊を造営すべきものなり」と。
「当国」とは駿河の国(静岡県)、「天母原」は天生原に同じ、また「三堂」とは本門戒壇堂と御影堂と垂迹堂のことである。
また日寛上人は
「事の戒壇とは、即ち富士山天生原に戒壇堂を建立するなり」(報恩抄文段)と。
以上、事の戒壇建立の時期と手続と場所について説明したが、最後に、七百年来の伝承に基づくといわれる御宝蔵説法本を拝見してみよう。この説法本は、戒壇の大御本尊内拝に際して、歴代御法主が御宝蔵において読み上げられたものである。ここには明治から大正にかけて猊座に在った五十六代日応上人の御説法本を拝見する。
「後五百歳中広宣流布の金言虚しからずんば、上一人より下萬民に至るまで此の大法を持ち奉る時節あり。此れを事の広宣流布と云う。其の時、天皇陛下より勅宣を賜わり、富士山の麓に天母ヶ原と申す曠々たる勝地あり、茲に本門戒壇堂建立あって――」と。
この説法の中に、戒壇建立の時期・手続・場所は赫々明々ではないか。これが御本仏の御遺命を、そのまま清らかに伝えた本宗伝統の法義である。
まさしく御遺命の事の戒壇とは、広宣流布の暁に、国家意志の表明を以て、富士山天生原に建立される国立戒壇である。
この国立戒壇の建立こそ、仏国を実現すべき「立正」の具体的内容であり、冨士大石寺七百年の悲願なのである。
327 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/06/01(金) 21:42
ゲバゲバ
328 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/06/01(金) 21:43
てめえのガキがエイズだと国会議員になれるのか。ほうほう、なるほど。
329 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/06/01(金) 21:44
1、日興上人と富士の法礎
第二祖・白蓮阿闍梨日興上人は、御本仏日蓮大聖人の仏法を、末法万年に清く正しくお伝え下さるために出現せられた御方である。
その入門は正嘉二年の十三歳、岩本実相寺で修学中の時であった。この年、大聖人は立正安国論御述作のため、岩本実相寺の経蔵にこもり一切経を閲覧されていた。たまたまお給仕に出て大聖人の謦咳に接した上人は、たちまちに久遠の宿縁薫発し、自ら願い出て大聖人の弟子となり、以来寸時もおそばを離れることなく、お仕え申し上げたのである。
常随給仕と大法弘通
入門より三年目に、伊豆流罪の法難が起きた。十六歳の上人は大聖人の御共をして給仕の赤誠をつくし、そのかたわら附近を折伏され、熱海の真言僧・金剛院行満を帰伏せしめている。
また佐渡御流罪のおりには、門下の中でただ一人大聖人の御共を申し上げて佐渡にわたり、飢えと寒さと殺害の危険うずまく中、身命を賭して大聖人を御守護申し上げた。そして御給仕のいとまを見ては、佐渡中を折伏せられた。
大聖人の身延御入山後における日興上人の大法弘通はめざましく、その結果ついに、門下が受けた最大の法難といわれる熱原の大法難が、富士南麓で巻き起こった。このような大法難を起こすほどの弘通は、他の門弟には全く見られない。
そしてこの法難の総大将として、日興上人の執られた不惜身命の指揮ぶりは、すべて大聖人の御意に叶うものであった。
このように、常随給仕といい大法弘通といい、日興上人の徳は門下の中で抜きん出ておられた。ゆえに日寛上人は
「智は先師に等しく、徳は諸弟に超えたり」
と仰せられている。
330 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/06/01(金) 21:44
一体不二の御境界
また不思議な事蹟がある。日興上人は水に映る大聖人の御影に「南無妙法蓮華経 日蓮在御判」の御本尊を見奉り、それをそのまま文永五年十月十三日に書き顕わしておられる。この御本尊は現在仙台の仏眼寺に所蔵されているが、御判形だけが大聖人の御直筆で、あとはすべて日興上人の御筆という不思議な御本尊である。
大聖人はこのことを「本尊七箇之相承」に
「日興は浪の上に婆れて見われ給いつる処の本尊の御形なりしをば、能く能く似せ奉るなり」
と仰せられているが、文永五年といえば日興上人わずか二十三歳、しかしこの時すでに上人は、大聖人の御内証を深く知り奉っておられたのである。まさに大聖人と一体不二の御境界と拝し奉るほかはない。
本門弘通の大導師
弘安五年九月、大聖人は滅後の大導師として日興上人を選び、三大秘法を付嘱し給うた。その証が次の「一期弘法付嘱書」である。
日蓮一期の弘法、白蓮阿闍梨日興に之を付嘱す。本門弘通の大導師たるべきなり。
国主此の法を立てらるれば、富士山に本門寺の戒壇を建立せらるべきなり。時を待つべきのみ。
事の戒法と謂うは是なり。就中我が門弟等此の状を守るべきなり。
弘安五年壬午九月 日 日蓮 在御判
血脈の次第 日蓮 日興
また重ねて十月十三日、大聖人は日興上人に身延山久遠寺の貫主職を付嘱された。いわゆる「身延山付嘱書」である。
釈尊五十年の説法、白蓮阿闍梨日興に相承す。身延山久遠寺の別当たるべきなり。
背く在家出家どもの輩は非法の衆たるべきなり。
弘安五年壬午十月十三日
武州池上
日蓮 在御判
前の「一期弘法付嘱書」と、この「身延山付嘱書」を二箇の相承という。
弘安五年十月十三日、大聖人は安祥として非滅の滅を現じ給うた。
葬送の一切をおえられた日興上人は、大聖人の御灰骨を奉持して身延山に帰山せられ、本門弘通の大導師として一山の経営に、広布の推進に、日夜脳をくだき給うた。
331 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/06/01(金) 21:45
怒っちゃあいけねえよ
332 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/06/01(金) 21:45
仏教は、葬式の他集票マシーンになっている。
イスラムはまだ宗教としての純粋性を維持している。
仏教は日本の寄生虫。
333 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/06/01(金) 21:47
五老僧の師敵対
大聖人は御入滅にさきだち、日興上人への唯授一人の血脈相承とは別に、日興上人を含む門下の法将六人を本弟子(直接の弟子)と定められている。すなわち日昭・日朗・日興・日向・日頂・日持の六人、いわゆる六老僧である。
日興上人は門下の高弟の義務として、大聖人の墓所を守るべき輪番の制度を、この五人の老僧と相計って制定された。しかし五老僧は身延で奉修された百ヶ日法要以後は、遠国のためもあってか登山せず、すべてを日興上人に託し輪番を怠けるようになった。
日興上人と疎遠になるに随い、五老僧の信心は次第に逸脱していった。五老僧はもともと日興上人のごとく常随給仕の功もなく、不惜身命の決意も甘く、未だ大聖人の仏法の奥底に達していなかったのである。
したがって時がたつにつれ、日興上人の富士門流と、鎌倉方と呼ばれる五老僧の間には、天地のごとき法義上の差異が生じてきた。その主なものを挙げれば
一、 日興上人は大聖人御図顕の妙法五字の大曼荼羅を本尊とせられたのに対し、五人は釈迦の仏像を本尊と崇めた。
二、 日興上人は「日蓮大聖人の弟子」と名乗って本門の三大秘法を弘通せられたのに対し、五人は「天台沙門・日昭」等と名乗り、大聖人の仏法を「天台の余流」といった。
三、 日興上人は立正安国論の御趣旨に基づいて神社参詣を禁じられたが、五人は神社参詣を許した。
四、 日興上人は大聖人の御書を御本仏の直接の御教えとして尊重せられたが、五人は御書を軽んじ、すきかえしたり、あるいは焼くなどした。
五、 日興上人は勤行において、大聖人のあそばしたごとく方便・寿量の両品を助行とし唱題を正行とせられたが、五人は如法経・一日経といって、法華経二十八品を書写したり読誦するなど、摂受の行をおこなった。
――等々である。まさに五老僧は法難を恐れる臆病のゆえに、また大聖人の仏法の奥底を知らぬゆえに、日興上人と疎遠になるに及んで、たちまちに本師・大聖人に背いてしまったのである。
334 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/06/01(金) 21:48
身延離山
さて、大聖人御滅後三年目の弘安八年三月、五老の一人民部日向が突然身延に登山してきた。それまで、鎌倉方の諸老僧が大聖人の御墓を守らぬ不知恩を嘆き再三登山を促がされたいた日興上人は、これを見て大いに悦ばれた。
日向は日興上人に伏し、身延に住することになった。大聖人の直弟である五老の一人が、ともかく正信に立ち還ったことは、一門の喜びである。この年の秋、日興上人は一分の不審を胸に懐かれつつも、日向を学頭に任命された。
だが、一年・二年と経つうちに、民部日向は身延の地頭・波木井実長(日円入道)に取り入るようになったのである。日向は世才家で名利の心が深かった。ゆえに席の暖まるにつれ、地頭にへつらい、その心をたぶらかしていったのであった。
実長は日興上人の教化によって入信している。したがって大聖人・日興上人には情の面で信伏していたが、性来が我が儘で傲慢のふうがあり、法義には全く暗かった。
日向の甘言により、地頭の信心は次第に狂っていった。厳格な日興上人を敬遠し、数々の謗法を犯すようになった。その謗法とは、次のようなものである。
一、 釈迦仏の立像を造立して、本尊としようとした。
二、 大聖人が身延御在住九ヶ年の間禁止されていた神社参詣を始めた。
三、 領内に念仏の塔、また念仏の道場を建立するなど、謗法への施を行った。
335 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/06/01(金) 21:49
これらの謗法は、すべて民部日向が許し、あるいは教唆したものである。日興上人はこの不法の学頭の擯出を決意されると共に、地頭の謗法を再三再四厳しく誡め給うた。しかし日向と心を合わせた実長は、ついに
「我は民部阿闍梨を師匠にしたるなり」(原殿御返事)
とまで放言するに至った。ここに、清浄の地であった身延山は、謗法汚濁の地となったのである。
かかる汚濁の地に、大聖人の御法魂たる「本門戒壇の大御本尊」を居しまいらせることは、聖意に背くことになる。
大聖人も兼ねて波木井実長の信心を見抜かれ
「地頭の不法ならん時は我も住むまじき由」(美作房御返事)
の御遺言を日興上人に下されていた。ここに日興上人は、身延山離山の重大決意を堅め給うたのである。
しかし、波木井一族の中にも、実長の子息等は清信に住し、日興上人への絶対帰依を誓っていた。これら清信の士の懇望を斥け、かつ大聖人より付嘱を受けた身延山久遠寺を退出することが、日興上人にとっていかに情の面から忍び難いことであったか。しかしまた、御大法を正しく立て広宣流布を進めることこそ本門弘通の大導師としての責務である。日興上人はこの万感の御心情を、波木井の子息への御手紙の中で、次のように吐露あそばされている。
「身延沢を罷り出で候事、面目なさ、本意なさ、申し尽し難く候へども、打ち還し案じ候へば、いずくにても聖人の御義を相継ぎ進らせて、世に立て候わん事こそ詮にて候へ。さりともと思い奉るに、御弟子悉く師敵対せられ候ぬ。日興一人本師の正義を存じて本懐を遂げ奉り候べき仁に相当って覚へ候へば、本意忘るること無く候」(原殿御返事)と。
まことに情理を尽くしたこの御心情、この御決意、とうてい涙なくしては拝し得ない。
かくて正応二年の春、日興上人は戒壇の大御本尊を始め、一切の重宝を奉持し、一門を率いて身延の山を下られたのである。
336 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/06/01(金) 21:50
大石寺建立
身延を後にされた日興上人の御一行は、まず富士川添いの河合にある、上人の祖父・由比入道の邸に入られた。
この事を知った富士上野の地頭・南条時光(上野殿)は、自領内に移住せられんことを懇に願い出た。この懇請を容れて、日興上人は南条家の持仏堂(下之坊)に移り給うたのである。
南条家の北東半里のところに「大石が原」という雄大なる地域がある。この地は東一里(四キロ)に戒壇建立の地「天生原」をのぞみ、南には駿河湾を一望するという勝地である。ここに日興上人は広宣流布の根本道場を建立せんとせられた。
かくて南条時光の外護のもと、新田信綱(日目上人の兄)が与力して正応二年秋よりその工が始められ、翌正応三年十月十二日に落成した。
日興上人はこの寺を地名を以て「大石寺」と号され、ここに「本門戒壇の大御本尊」および大聖人の御霊骨を奉安し、「広布の気発するまで異地に移すべからず」(家中抄)と仰せられ、この大石寺を広布の根本道場と定め給うたのである。
大石寺落成の翌日の十月十三日、日興上人は日目上人に内々に血脈を相承し、その証として「御座替わりの御本尊」を書写し日目上人に授与された。この時日興上人四十五歳、日目上人三十一歳であられた。まさに令法久住の深きおぼしめしをここに拝する。
さらに八年後、日興上人は大石寺の東に隣接する重須(北山)に談所(学問所)を開き、自らそこに移り、学徒の養成に務められた。
富士に一門の本寺・大石寺が建立されてより、大法弘通は日興上人の総指揮のもと、日目上人・日華・日仙・日尊等の死身弘法により全国におよんだ。その教域はなんと、東北は奥羽より、西南は近畿・山陰・四国・九州にまで及んでいる。当時の交通不便の状況に思いを至せば、この弘通は驚嘆のほかはない。以て富士門流の広布の熱情を推知すべきである。
また国家諌暁も、大聖人の御聖意を継ぎ、「日蓮聖人の弟子・日興」と名乗られ、武家あるいは公家に、日目上人等を代奏として幾度も申状を奏呈されている。
337 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/06/01(金) 21:51
日目上人への御付嘱状
正慶元年十一月十日、八十七歳の日興上人は、後々のために「日興跡条条事」と題する日目上人への御付嘱状を書き置かれた。
日興跡条条事
一、 本門寺建立の時は新田卿阿闍梨日目を座主と為し、日本乃至一閻浮提の内・山寺等に於いて、
半分は日目嫡子分として管領せしむべし。残る所の半分は自余の大衆等之れを領掌すべし。
一、 日興が身に宛て給わる所の弘安二年の大御本尊は日目に之を相伝す、本門寺に懸け奉るべし。
一、 大石寺は御堂と云い墓所と云い日目之を管領し、修理を加へ勤行を致し、広宣流布を待つべきなり。
右日目は十五の歳日興に値い法華を信じて以来、七十三歳の老体に至るまで、敢えて遺失の儀なし。
十七の歳日蓮聖人の所(甲州身延山)に詣で御在生七年の間常随給仕し、御遷化の後弘安八年より
元徳二年に至る五十年の間奏聞の功他に異なるに依って、此くの如く書き置く所なり。
仍って後の為、証状件の如し。
十一月十日 日興 判
御文の中の「本門寺」とは、大聖人が「富士山に本門寺の戒壇を」と御遺命された、広宣流布の暁の国立戒壇である。
第二条の「日興が身に宛て給わる所の弘安二年の大御本尊」とは、本門戒壇の大御本尊の御事であり、この大御本尊を広宣流布の日「本門寺の戒壇」に安置すべしとのことである。まさにこの条目の意は、大聖人から日興上人への「一期弘法付嘱書」と全く同じである。
338 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/06/01(金) 21:52
二十六箇条の御遺誡
御遷化の一ヶ月前、日興上人は広宣流布達成・仏法久住のための指針として、二十六箇条にわたる「遺誡置文」を門下一同に遺し給うた。
その主な条目を挙げれば、まず冒頭に
「一、富士の立義、聊も先師の御弘通に違せざる事」
「一、五人の立義、一一に戦死の御弘通に違する事」
の二箇条が示されている。これこそ、日蓮大聖人の仏法を清く正しく伝えている唯一の正系門家は、日興上人の富士門流すなわち日蓮正宗以外にはないことを、末代に示し給うたものである。
源濁れば流れ清からずという、五老僧の流れを汲む現在の身延・中山・池上等の不相伝日蓮宗が、師敵対の謗法の宗であることはこれでよくわかる。いわんや立正佼成会・霊友会等の新興邪宗においておやである。
また中ごろに次の一条が示されている。
「未だ広宣流布せざる間は、身命を捨てて随力弘通をすべき事」と。
大聖人の御遺命たる広宣流布・国立戒壇を実現せんとの日興上人の烈々たる御情熱が、この一条にこめられている。この御情熱が、交通不便の当時において、北は奥羽より南は四国・九州に至るまでの富士門流大折伏となってあらわれたのである。交通至便の今日、もし広布達成が叶わなければ、末弟たる私達はまさに懶惰懈怠のお叱りを受けるであろう。
次の二条も時に当って重要である。
「一、時の貫首たりと雖も仏法に相違して己義を構えば、之を用うべからざる事」
本宗においては貫首(法主・管長)の権威は絶対である。ただしその貫首であっても、もし大聖人の仰せに違う己義を構えたら、その貫首の云うことを用いてはいけない、と仰せられる。日興上人が仏法を守るにいかに厳格であられたか、深く拝し奉らねばならない。
また
「一、衆議たりと雖も仏法に相違あらば、貫首之を摧くべき事」と。
たとえ大勢の意見であっても、それが仏法に相違する時は、貫首はそれを摧くべきであると仰せられている。
この二箇条は常には起こり得ぬ非常事態である。ただし広布の途上には、稀にこのようなことも起こるのであろう。
今日、日蓮正宗の中で創価学会が数を頼み、己れの政治野心を遂げんがために時の貫首を籠絡し、御遺命の国立戒壇を否定するごときは、まさにこの非常事態に当るであろう。日興上人の将来を慮っての万々の御教誡、伏して拝し奉るべきである。
「遺誡置文」の末文には
「万年救護の為に二十六箇条を置く。――此の内一箇条に於ても犯す者は日興が末流に有るべからず」と。
まさにこの「遺誡置文」は、広布の嶮しき道の安全を期するための、万代の亀鏡なのである。
バカじゃないのか
こいつ・・・
340 :
名無し:2001/06/01(金) 21:54
御遷化
かくて、大聖人滅期五十三年にわたり、広宣流布・国立戒壇の礎を固め給うた日興上人は、正慶二年(元弘三年)二月七日、重須の郷において御寿八十八、薪尽きて滅するがごとく、安祥として入滅あそばされた。
家中抄には
「およそ御臨終に至るまで曾て以て老耄の義なく、亦病痛ある事なし」と。
またその御臨終のさまは、近侍した三位日順の記録に云く
「駿州富士重須の郷に坐まし、臨終正念にして説法時を移し、面貌端厳にして終に以て遷化す」(日順阿闍梨血脈)と。
まさに第二祖日興上人の御一生は、御本仏日蓮大聖人の御化導を、唯仏与仏の御境界において助けまいらせた、末法下種の僧宝の御振舞であられた。
341 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/06/01(金) 21:56
2、日目上人の死身弘法
第三祖・新田卿阿闍梨日目上人は、文永十一年十五歳の時、たまたま伊豆の走湯山を訪れた日興上人の凛々たる御説法にふれ、宿縁一時に薫発して日興上人の弟子になられた。
行体堅固
二年後の建治二年、日興上人に伴われて身延山の大聖人のもとに詣で、それより御在住の七年間、大聖人に常随給仕の赤誠を尽くされた。
その行体がいかに堅固であられたか、日亨上人は
「目師はいちじるしく行体堅固で、大聖人への薪水の労をとられるときは、毎日幾度か身延の谷河に下りて水を汲んでは頭にその桶をいただきて運ばれたので、自然に頭顱(頭の骨)が凹んだので、御影像にもそれを顕わしてある」(日興上人詳伝)
と述べられている。
このような常随給仕の中で、日目上人は大聖人の御説法を一言も聞きのがすことなく、また自ら御書を心肝に染められた。その真剣なる教学研鑽は、まさに砂地が水を吸うごとくであられた。
問答第一
行体堅固の日目上人はまた弁論に勝れ、問答対論の名手でもあった。次のような逸話がある。
弘安五年九月、御入滅近きをおぼしめされた大聖人は池上宗仲の館へ向うべく、身延を出山された。この道中の途中、幕府要人の子息で叡山の学僧であった二階堂伊勢法印が、親の権威をかさに、仲間十余人と若侍三十余人を率いて「聖人と問答すべし」と乗りこんできた。この威勢を見て、誰が問答すべきかと、門弟一同身構えたが、これを聞かれた大聖人はすぐさま
「卿公(日目上人)問答せよ」
と仰せられた。問答は十番にわたって行われたが、日目上人はその一々に法印を屈伏せしめられた。法印は口を閉じ面目を失い、早々に逃げ帰った。
このさまを富木常忍より聞かれた大聖人は
「さればこそ、日蓮が見知りてこそ卿公を出したれ」(御伝土代)
と仰せられ、莞爾と笑みをたたえて満足あそばされたという。この時日目上人わずか二十三歳。大聖人は日ごろ寡黙な日目上人の力量を、前々から見抜いておられたのである。
因みに、日興上人の「遺誡置文二十六箇条」に
「巧於難問答の行者に於ては、先師の如く賞翫すべき事」
とあるのは、大聖人が問答第一の日目上人を賞でられたごとくに、“難問答に巧みな行者”を広布の人材として重んぜよとの教誡である。
342 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/06/01(金) 21:57
東北弘通
大聖人御入滅の翌年(弘安六年)、二十四歳の日目上人は東北弘通の決意に立ち、日興上人のお許しを得て陸奥へ下られた。奥州の三迫新田(宮城県登米郡)は、日目上人の兄の新田次郎頼綱を始め多くの親類・縁者が住む新田家の本領である。日目上人はこの縁故をたどり、大法を弘通せんと決意されたのである。
当時、身延から奥州までは徒歩で二十余日といわれる。山を越え河を渡る難道中、山には狼も山賊もいたであろう。その難儀は今日の想像を絶する。
その中を日目上人は幾たびか奥州に下り、東北弘通の拠点として、新田家の領内に「上新田坊」(本源寺)を、さらに森村の領主を教化して柏木法華堂(上行寺)を建立されたのである。
東北地方に三大秘法の光がさしたのは、実に日目上人の弘通を以て始めとする。
国家諌暁
「日興跡条条事」において日興上人は日目上人を讃嘆して
「御遷化の後、弘安八年より元徳二年に至る五十年の間、奏聞の功他に異なるに依って、此くの如く書き置く所なり」
と記しておられるが、日目上人の身命も惜しまぬ国家諌暁の大功は門下に肩を並べる者なく、公家武家への諌奏実に四十二度の多きに及んだといわれる。
ことに弘安四年、大聖人は最後の御諌暁として朝廷に申状(園城寺申状)を奏上されたが、この時、大聖人・日興上人の代官として京都へ赴かれたのが、日目上人である。翌弘安五年、大聖人はさらに日目上人に命じて、天意を奉伺せしめられた。
この時後宇多天皇は大いに大聖人の誠忠を嘉みし、「朕、他日法華を持たば必ず富士山麓に求めん」との「下し文」を下賜された。これが「弘安五年五月二十九日の御下文」である。
日興上人は日目上人のこの大功を賞せられ、正慶元年十一月三日御本尊を授与し、その脇書に
「最初上奏の仁、新田阿日目に之を授与す、一が中の一弟子なり」
と記されている。
343 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/06/01(金) 21:58
最後の国諌
正慶二年二月七日、日興上人御遷化。――これより日目上人はただ御一人で、富士一門の大導師としての重責を負う立場に立たれた。
そしてその年、長きにわたって謗法を続けてきた北条幕府が滅亡し、京都の朝廷が政権を掌握した。いわゆる「建武の中興」である。
それまで、数十度の国諌に成果が得られぬことを悩みとしておられた日目上人は、今こそ無二の国諌の好機と御決意された。
この時、日目上人すでに七十四歳であられた。しかもこの御老齢に加え、たびたびの奥州下向と国諌の長旅に、いつしか足の踝をも痛めておられた。当時の日目上人の御手紙には
「是も左つぶふしを十余日病みて、右のそばはらを労候なり」
とある。このような御身体で、もし京都への天奏を企てるならば、無事帰山のかなわぬことはすでに御覚悟の上であられた。
しかし日目上人は“弘安四年の「園城寺の申状」と「御下し文」を明確にし、大聖人の宿願を天子の耳に入れる好機はこの時を逸してはない、黙視しては大聖人に申しわけなし”と、捨身の御決意に立ち給うたのである。
その年の十月、日目上人は後顧の憂いなきよう、日道上人に内々に血脈相承をあそばされた。
翌十一月、寒風の中、日尊・日郷の二人の弟子を杖と頼み、老弱の足をふみしめて大石寺を出発、京都へと向われた。
御一行は蒲原から東海道に入り、難所の宇津の山を越え、大井川を渡り、三河を経て美濃の国(岐阜県)に入った。すでに大石寺をあとにして十余日、日目上人の歩みは次第に遅くなられた。
そして雪深き美濃の垂井にさしかかった時、折から伊吹山から吹き下ろすみぞれまじりの寒風に、手足凍え、老脚ついに進まず。――
日尊・日郷の二人は、上人を垂井の宿に御案内申し上げた。
旅の宿に身を臥せ給うた上人は再び立つ能わざるを知り、真心の看護をつくす二人に臨終の近きを告げると共に、日尊には京都へ登り天奏を遂げること、日郷には大石寺へ戻り日道上人に報告すべきことを御遺言された。
そして十一月十五日、枕辺に御本尊を奉掲し、静かにお題目を唱え始められた。弟子二人は直ちに唱和する。その中に日目上人は安祥として息絶え給うた。そのさまは
「臨終の御勤めましまして、両眼眠るが如く、口唇誦するが如くに、息止みたもう」(家中抄)と。
この時、御所持の申状に云く
「日蓮聖人の弟子日目、誠惶誠恐謹んで言す。――仏滅後二千余年の間、正像末の三時流通の程、迦葉・竜樹・天台・伝教の残したもうところの秘法三あり。所謂、法華本門の本尊と戒壇と妙法蓮華経の五字となり。――法華本門の正法を立てらるれば、人も栄え、国も栄えん。――日目、先師の地望を遂げんがために、後日の天奏に達せしむ」と。
「先師の地望」とは何か。大聖人の御本願たる広宣流布・国立戒壇建立以外にはない。いま日目上人は、日蓮大聖人の弟子・日興上人の遺弟として、御遺命実現にその尊き一身を抛たれたのである。
大聖人は
「仏法を得べき便あらば身命を捨てて仏法を学すべし。とても此の身は徒に山野の土と成るべし。――迹門には『我身命を愛せず、但だ無上道を惜しむ』ととき、本門には『自ら身命を惜しまず』ととき、涅槃経には『身は軽く法は重し、身を死して法を弘む』と見えたり。本迹両門・涅槃経共に、身命を捨てて法を弘むべしと見えたり」(松野殿御返事)と。
また日興上人は
「未だ広宣流布せざる間は身命を捨てて随力弘通を致すべき事」(二十六箇条)と御遺誡せされた。
この宗開両祖の御金言を、いま身を以て実践し後代に示し給うた聖者が、まさに第三祖日目上人であられた。
この死身弘法の御徳、そして日興上人が「本門寺建立の時は新田卿阿闍梨日目を座主と為し」(日興跡条条事)と仰せられたことから、“広宣流布の時には日目上人が御出現になる”との伝承が、今に伝えられている。時はすでに広布前夜、目師御出現の近きを確信せずにはいられない。
344 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/06/01(金) 21:59
あんたかてあほやろ?うちかてあほや!
ほなさいなら〜
345 :
痔漏:2001/06/01(金) 21:59
sage
346 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/06/01(金) 22:00
3、日寛上人の講学
第二十六世日寛上人は、大聖人滅後約四百年に出現された。十九歳で出家し、日永上人(第二十四世)の弟子となられている。以来上人は天性の聡敏に加え、血のにじむような御研鑽をされ、非凡絶倫の大学匠になられた。
邪義が出尽くした時代
上人御出現の時代背景としては、奇しくもこの頃までに、不相伝家の日蓮宗諸派の学者が四方に出て、邪義が出尽くしている。すなわち顕本の日什、八品の日隆・日忠、身延の日朝、要法寺の日辰・日饒、妙本寺の日我、不受不施の日講等である。
実に日寛上人は、これら大聖人滅後に出尽くした邪義を粉砕し、正系門家相伝の三大秘法の正義を顕わし、以て後世の広宣流布に備えるために出現せられた御方であられる。
師の日永上人は日寛上人の非凡の智解を見抜き、正徳元年四十七歳の上人を大学頭に任じ、日目上人の旧跡蓮蔵坊において御書を講ぜしめた。これより日寛上人は大弐阿闍梨と号されている。
享保三年、日寛上人は日宥上人より譲りを受け、大石寺二十六代の法主となられたが、三年後に日養上人に譲り、もっぱら後代のために御書文段等の著述に取りかかれた。しかし享保八年に日養上人が遷化され、一山大衆の請いにより再び猊座に登られた。
御書文段と六巻抄
上人の著述の主たるものは、御書文段と六巻抄である。
御書文段は、観心本尊抄・開目抄・撰時抄・報恩抄・法華取要抄・当体義抄等の重要御書を科段を設け、その文意を詳細に説き明かされたもので、まさに読む者をして明鏡に向うの感を懐かしめる。
また六巻抄は、上人一代の智解を六巻にまとめられたもので、畢生の大著というべきである。この中に大聖人の三大秘法の秘奥はすべて尽くされ、その明静なることはまさに古今独歩である。
六巻の書目は三重秘伝抄・文底秘沈抄・依義判文抄・末法相応抄・当流行事抄・当家三衣抄で、前々から用意されていた草案を、御遷化の前年に添削を加え、一気呵成に清書されたものである。
この六巻抄と観心本尊文段抄は特に門外不出、貫主直伝の秘書とされて来た。
日寛上人の御著述は、すべて広宣流布に戦う後代の弟子のために著わされたものである。ゆえに観心本尊抄文段には
「これを後代の君子に贈る。苦に三仏の顔貌を拝せんことを期するのみ」と。
また六巻抄には
「謹んで三大秘法の明文を考えて文底秘沈の誠証に擬し、以て後世の弟子に贈る。此れは是れ、偏えに広宣流布の為なり。必ずその近を以て之を忽せにすべからず」(依義判文抄)と。
また六巻抄を後嗣の日詳上人に伏せられた時
「此の書六巻の師子王ある時は、国中の諸宗・諸門の狐兎、一党して当山に襲来すといえども敢えて驚怖するに足らず。尤も秘蔵すべし、尤も秘蔵すべし」
とも仰せられている。以て日寛上人の御意が偏えに広宣流布のため、後代の弟子のためということがよくわかるであろう。いま顕正会が御遺命守護に一分の御奉公をなし得ているのも、ただ日寛上人の御指南あればこそとの思いを深くする。
かくのごとき大学匠の日寛上人は、また決して学問一点ばりではなく、信行兼備の御方であられた。上人の時代には大石寺一門の弘通も大いに進み、また上人は唱題の大事をことに強調せられ、大石寺境内に「常唱堂」という堂を建てられ、弟子をして一日不断、交替で題目を唱えしめられたという。
「ふじのねに、常にとなふる堂たてて
雲井にたへぬ法の声かな 」
とは、その時詠まれた上人の一句である。また今日に伝えられる上人の数々の逸話は、みな珠玉のごとく美しきもので、これまた上人の天性の徳を物語るものである。
347 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/06/01(金) 22:01
臨終を以て証拠に
上人は、六巻抄等の所述が大聖人の御意に叶うものであることを後世に信ぜしめるため、御自身の臨終を以てその証拠とせられた。
すなわち御遷化の年の二月、江戸常在寺において観心本尊抄を講じ終えられた上人は、一座の大衆にたわむれのごとく仰せられた。
「法華経を漢訳したかの羅什三蔵は、自身の訳経の誤りなきことの証拠として、生前大衆に“我が身死して火葬に付する時、身は灰となるとも清浄の舌ばかりは焼けず”と語っていたが、果してその通りになったので羅什の訳経は後世に信じられたのである。いま日寛、たとえ富楼那の弁を得、目連の通を現ずるとも、云うところ当らなければ誰人が信じよう。ゆえに羅什の故事にちなみ、日寛も一つ云い残すことがある。すなわち臨終の時、日頃好むところのソバを食し、唱題のうちに臨終すべし。もし臨終思うようにならずこのこと叶わなければ信ずるに足らざるも、もしこの通りになったら、日寛の所説は大聖人の御意に寸分も違わずと、堅く信ずべきである」と。
かくて上人は大石寺に帰山され、まもなく日詳上人に血脈相承をされた。この頃より、上人の御身体は急に衰弱された。御身を案じてしきりに医薬をすすめる周囲に対し、上人は
「生死はただ仏意に任すべし」
と仰せられ、全く薬餌を用いられなかった。すでに“為すべき事は為しおえた”との、深き御心境からのお言葉であろう。
八月、一切の後事を細々と日詳上人に遺言された上人は、衰弱の身をカゴに託し、大石寺の諸堂を廻って御暇ごいをされ、八月十八日の深夜にいたり
「我まもなく死すべし」
と侍者に告げ、辞世の一偈一句をお書きになられた。
「本有の水風 凡聖常に同じ 境智互に薫じ 朗然として終に臨む」と。
そののち直ちにソバを打つことを命じ、七箸これを召し上がられると、笑みを含んで
「ああ面白きかな寂光の都は」
と仰せられた。そして手口を水で清められたのち、御本尊に向い一心に唱題されるなか、半口半眼にして安詳として遷化あそばされた。時に享保十一年八月十九日、御歳六十二歳。
このような臨終の御振舞は、とうてい凡夫のなせるところではない。かくて日寛上人の御指南は、堅く後世に信じられたのである。
348 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/06/01(金) 22:02
逝け わかものたち
349 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/06/01(金) 22:03
4、冨士大石寺の宿願
冨士大石寺が正しい理由は三つある。一には戒壇の大御本尊がましますこと、二には血脈相承、三には国立戒壇の御遺命を使命としていること、である。この三つは、大聖人から日興上人への「一期弘法付嘱書」に、はっきりと示されている。
しかし近年、広布前夜の魔障のゆえか、国立戒壇の御遺命が正系門家において抹殺されんとしているので、改めて冨士体石寺七百年の宿願が国立戒壇にあることを述べておく。
大聖人の御遺命が、広宣流布の暁に国家意志の表明を以て富士山天生原に建立される国立戒壇であることは、すでに第七章で説明した。
この御遺命を奉じて、二祖日興上人以来七百年、歴代御法主が異口同音に国立戒壇を唯一の宿願として叫び続けられて来たその文証を、ここに挙げてみよう。
350 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/06/01(金) 22:03
そーなんす!
351 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/06/01(金) 22:04
歴代御法主は異口同音
まず二祖日興上人は
「広宣流布の時至り、国主此の法門を用いらるるの時、必ず富士山に立てらるべきなり」(門徒存知事)
「国主此の法を立てらるる時は、当国天母原に於て、三堂並びに六万坊を造営すべきものなり」(大坊棟札)
二十六代日寛上人は
「事の戒壇とは、すなわち富士山天生原に戒壇堂を建立するなり。御相承を引いて云く『日蓮一期の弘法、乃至国主此の法を立てらるれば富士山に本門寺の戒壇を建立せらるべきなり』と云々」(報恩抄文段)
三十一代日因上人は
「国主此の法を持ち、広宣流布御願成就の時、戒壇堂を建立して本門の御本尊を安置する事、御遺状の面に分明なり」
三十七代日棒上人は
「仏の金言空しからずんば、時至り天子・将軍も御帰依これ有り。此の時においては、富士山の麓天生原に戒壇堂造立あって――」(御宝蔵説法本)
四十八代日量上人は
「事の戒壇とは、正しく広宣流布の時至って、勅宣・御教書を申し下して戒壇建立の時を、事の戒壇というなり」
五十六代日応上人は
「上一人より下万民に至るまで此の三大秘法を持ち奉る時節あり、これを事の広宣流布という。その時、天皇陛下より勅宣を賜わり、富士山の麓に天生ヶ原と申す曠々たる勝地あり、ここに本門戒壇堂建立あって――」(御宝蔵説法本) 五十九代日亨上人は
「宗祖・開山出世の大事たる政仏冥合・一天広布・国立戒壇の完成を待たんのみ」(大白蓮華十一号)
「唯一の国立戒壇すなわち大本門寺の本門戒壇の一ヶ所だけが事の戒壇でありて、その事は将来に属する」(富士日興上人詳伝)
六十四代日昇上人は
「国立戒壇の建立を待ちて六百七十余年今日に至れり。国立戒壇こそ本宗の宿願なり」(奉安殿慶讃文)
六十五代日淳上人は
「蓮祖は国立戒壇を本願とせされ、これを事の戒壇と称せられた」(日淳上人全集)
「この元朝勤行とても、宗勢が発展した今日、思いつきで執行されたというものでは勿論なく、二祖日興上人が宗祖大聖人の御遺命を奉じて国立戒壇を念願されての広宣流布祈願の勤行を、伝えたものであります」(大日蓮三十四年一月号)
以上は、歴代法主上人が国立戒壇の御遺命を叫ばれた文証の中の九牛の一毛である。およそ本宗の御法主として、国立戒壇を叫ばれなかった上人は、七百年間一人としておられない。
352 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/06/01(金) 22:04
細井管長も曽ては国立戒壇
後に創価学会に迎合して国立戒壇を否定した六十六代日達上人(細井管長)すら、御登座直後には
「富士山に国立戒壇を建設せんとするのが日蓮正宗の使命」(大白蓮華三十五年一月号)
「事の戒壇とは、富士山に戒壇の本尊を安置する本門寺の戒壇を建立することでございます。勿論この戒壇は広宣流布の時の国立の戒壇であります」(大日蓮三十六年五月号)
と正義を述べられている。
創価学会も曽ては国立戒壇
創価学会も日蓮正宗の信徒団体であるから、曽ては当然国立戒壇を目的としていた。
ゆえに同会第二代戸田会長は
「化儀の広宣流布とは国立戒壇の建立である」(大白蓮華五十八号)
「我等が政治に関心を持つゆえんは、三大秘法の南無妙法蓮華経の広宣流布にある。すなわち、国立戒壇の建立だけが目的なのである」(大白蓮華)
そして三大秘法抄を講義しては
「『戒壇を建立すべきものか』とは、未来の日蓮門下に対して、国立戒壇の建立を命ぜられたものであろう」(大白蓮華六十六号)等と述べている。
また御遺命破壊の元凶たる同会第三代会長・池田大作も曽ては
「仏命たる富士山に本門寺の戒壇の建立は未だならず、『時を待つべきのみ、事の戒法と云うは是なり』の御予言こそ、残された唯一の大偉業であり、事の戒壇の建立につきる。これを化儀の広宣流布と称し、国立戒壇の建立というのである」(大白蓮華五十六号)
「国立戒壇の建立こそ、悠遠六百七十余年来の日蓮正宗の宿願であり、また創価学会の唯一の大目的なのであります」(大白蓮華五十九号)と。
以上、冨士大石寺七百年の唯一の宿願が国立戒壇の建立にあること、天日のごとく明らかであろう。
353 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/06/01(金) 22:05
広布前夜の摩障
しかるに、この大事な御遺命、宗門七百年来の宿願が、いままさに破壊されんとしている。これこそ正系門家を襲う広布前夜の魔障なのであろう。
すなわち池田大作は、国立戒壇の主張が選挙に不利なことと、自己の名利から、大石寺の境内のはずれに俄に「正本堂」という建物を立て、これを“御遺命の戒壇”と偽り、宗門内外を誑した。
悲しいかな時の法主たる細井管長は学会の強大な権力に迎合して、この誑惑に与同された。ここに法主の権威を以て「国立戒壇」は否定され、「正本堂が御遺命の戒壇」と喧伝されたのであった。
当時の物狂わしい誑惑の文証を示そう。まず池田大作は
「本門戒壇を建立せよとの御遺命も、目前にひかえた正本堂の建立によって事実上達成される段階となった。七百年来の宿願であり、久遠元初以来の壮挙であることを確信してやまない」(立正安国論講義)と。
細井管長は
「国立戒壇は本宗の教義ではない」(大日蓮三〇五号)
「の正本堂が完成した時は、大聖人の御本意も、教化の儀式も定まり、王仏冥合して南無妙法蓮華経の広宣流布であります」(大白蓮華二〇一号)と。
また学会発行の辞典には
「正本堂の建立により、日蓮大聖人が三大秘法抄に予言されたとおりの相貌を具えた戒壇が建てられる。これこそ化儀の広宣流布実現であり、世界にいまだ曽てない大殿堂である」(仏教哲学大辞典)と。
また宗門役僧たちも
「正本堂建立は即ち事の戒壇であり、広宣流布を意味するものであります。この偉業こそ、宗門有史以来の念願であり、大聖人の御遺命であり、二祖日興上人より代々の御法主上人の御祈願せられて来た重大なる念願であります」(大日蓮二六一号)と。
まことに、天を地といい、白を黒というほどの無慚な誑惑ではないか。御本仏の一期の御遺命はここに破壊されんとした。まさに広布前夜の魔障が正系門家を襲ったのである。
354 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/06/01(金) 22:06
顕正会の使命
大事の御遺命が破壊されるのを眼前にして、黙止しているのは無道心、そして不忠の者である。
大聖人は
「寧ろ身命を喪うとも教を匿さざれ」と誡め給い
また二祖日興上人は
「時の貫首たりと雖も仏法に相違して己義を構えば、之を用うべからざる事」と御遺誡されている。
この宗開両祖の御誡めのまま、顕正会は敢然と御遺命守護の御奉公に立ち上がった。昭和四十五年三月からの連々たる顕正会の諌めにより、池田大作は昭和四十七年十月の正本堂落成式に行うことを予定していた「広宣流布達成・御遺命の戒壇成就」の公式宣言だけは見送った。
しかし、近き将来この誑惑を完結せんものと、まず池田は細井管長を動かして、邪魔になる顕正会(当時妙信講)に解散処分を下さしめた。昭和四十九年八月十二日であった。
解散処分とは日蓮正宗の信徒団体にとって死罪に等しい処分である。宗門七百年の歴史において、御遺命の国立戒壇を主張して解散処分を受けた講中がどこにあろう。また、かかる処分を受けてなお存続し得た講中がどこにあったであろうか。
しかるに顕正会は処分当時の一万二千より、現在五十万に達せんとしている。この死身弘法の叶ったことは、偏えに大聖人が顕正会をして御遺命を守護せしむるために、御守護下されたこと以外には全く考えられない。
御書に云く
「大事には小瑞なし、大悪をこれば大善きたる」(大悪大善御書)と。
7百年来曽てなかった御遺命破壊の大悪こそ、まさに広宣流布・国立戒壇建立が、いよいよ事実となる大瑞ではないか。かかる時に生れ合わせた顕正会はその宿縁に歓喜し、捨身の御奉公を貫き御本仏日蓮大聖人に応え奉らなければならない。
355 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/06/01(金) 22:07
そうだそうだ
356 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/06/01(金) 22:08
、成仏という無上幸福を得る実践法
仏法とは、生命の真実の相を知ることにより、「成仏」という永遠に崩れぬ幸福境界を得る実践法である。
“生命の真実の相を知る”とはどういうことか。今日、科学の分野においても、生命に対するさまざまな解明が行われているが、これらは未だ部分の解明にすぎない。仏法でいう生命の実相を知るとは、空間的には我らの生命を生み出した大宇宙との関係より我が生命の本質を見究め、また時間的には、三世永遠の時間より我が生命を見つめることである。
かくて、大宇宙と一体にして無始無終なる我が生命の実相を把握した時、「成仏」という無上の幸福境界を得るのである。このことを日蓮大聖人は
「およそ成仏とは、我が身を知って仏に成るとは申すなり」(十二因縁御書)
と仰せられている。
しかし、智恵浅き我ら凡夫がいかに力むとも、このように三世と法界を尽くして生命の真実の相を見究めるなどということは、できるわけがない。それでは、「成仏」という幸福境界は凡夫には得られないのであろうか。
ここに仏様の大慈悲の御化導がある。仏とは、キリスト教における神のような、想像上の仮空の存在ではない、歴史上に実在する覚者である。仏と我ら凡夫との違いは、智恵と慈悲の深さ・広さにある。
仏とは、大智恵を以て生命の極理を覚り、まず御自身が唯一人成仏の境界を証得された。この仏様の思いは、“何としても一切大衆をこの幸福境界に導き入れたい”との念願だけである。かくて大慈悲を以て一切大衆に教えられた成仏への実践法が、すなわち仏法なのである。
357 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/06/01(金) 22:09
仏とは日蓮大聖人
では、末法(釈迦仏滅後二千年以降の時代)の今日、世界の人類を「成仏」へと導いて下さる仏様とは何方かといえば、日蓮大聖人こそ末法唯一人の仏であられる。
ここで、日蓮大聖人が仏であられることを少々説明すれば、大聖人は御年三十二歳の時、透徹した御智恵を以て自信の生命を観ぜられ、我が生命には大宇宙のあらゆる存在(十界三千の諸法)が本来具っており、我が身は即大宇宙(法界)であることを知り給うた。この生命の極理が「一念三千」であり、大聖人はこれを(南無妙法蓮華経)と名づけられた。
これより大聖人は自ら「南無妙法蓮華経」と唱えられ、他人にもこれを勧め給うた。当時の日本では、国中に念仏・真言・禅・律等の邪法がはびこり、国主を始めとして全民衆がこれを信じていた。その中にあって大聖人は“諸宗は成仏の法ではなく、かえって人を不幸にする邪法である。成仏の法は南無妙法蓮華経以外にはない”と、声も惜しまず大慈悲を以て教えられた。
邪法の輩は大聖人を憎み、その命を奪わんとして国主に讒言した。ここに大聖人御年五十歳の時、ついに国家権力による死刑が執行されることになった。
文永八年九月十二日の深夜、数百人の武装兵士が取り囲む刑場・竜の口の砂浜に、大聖人は静かにお坐りになった。首切りの役人が太刀を持って後ろに立つ、そして大聖人の御頸を刎ねんとした刹那、思議を絶することが起きた。
突如として、満月のような光り物が海のかなたより現われ、光りわたったのである。その強烈な光に、太刀取りは目がくらんでその場に倒れ伏し、警護の兵士たちもあるいは逃げ出し、あるいはうずくまってしまった。
その中でただ大聖人だけが
「頸切るべくわ急ぎ切るべし、夜明けなば見苦しかりなん」(種々御振舞御書)
と凜然と叫ばれた。しかし誰一人として近寄る者とてない。すべての者が怖じ恐れ、大地にうずくまってしまったのである。まさに国家権力が、大聖人の御威徳の前にひれ伏したのであった。
このような不思議な光景が、果して人類の史上にあったであろうか。誰人も壊すことのできない境界とは、このようなものである。
キリストは磔になって横死しているが、「聖人は横死せず」(神国王御書)といって、仏に横死はない。凡夫の悪に押し切られて殺されるような境界で、一切衆生が救えるわけがない。国家権力が大聖人を殺さんとして、かえってその御威徳の前にひれ伏した厳然たる事実こそ、日蓮大聖人が仏であられることの確証である。
大聖人の一代の御化導において、この竜の口の大現象こそ、大聖人が“法界を自身と開く”すなわち我が身即大宇宙という成仏の大境界を、事実の上に証得されたことを示すものである。
ゆえに大聖人はその後、流罪の地佐渡において、この大法悦を
「我等は流人なれども身心共にうれしく候なり。大事の法門をば昼夜に沙汰し、成仏の理をば時々刻々にあぢはう」(最蓮房御返事)
「無作三身の仏果を成就」(義浄房御書)
「夫れ一身に十法界を具す」 「故に成道の時、この本理に称うて、一身一念法界に遍し」(観心本尊抄)
等と仰せられている。すなわち御年三十二歳からの身命も惜しまぬ御修行ここに成就して、御自身の生命が宇宙大の生命に広がり達する悠々たる成仏の大境界、誰人も壊すことのできない無上の幸福境界を、ここに証得し給うたのである。
358 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/06/01(金) 22:10
これ、誰か読んでいるのか?
ムスリムの話はどーなったんだ
勝手に乗っ取るな
360 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/06/01(金) 22:14
361 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/06/01(金) 22:16
362 :
満州:2001/06/01(金) 22:20
恫喝じゃすまねーぞやつらわ!!
らしゅでぃ死刑宣告!!
ホメイニ死すともシスプリしせず
363 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/06/01(金) 22:22
日蓮宗よりもイスラム教の方がまだましだろ?
必死の抵抗だね・・・・・・。
365 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/06/01(金) 22:25
日本の仏教は堕落しきっている。
イスラムの方が宗教としての純粋性を維持している。
366 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/06/01(金) 22:26
仏教国がムスリム批判すんじゃねいよ
367 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/06/01(金) 22:27
ムスリムの方がいいよ
368 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/06/01(金) 22:28
ムスリムこそ純粋な宗教だや
369 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/06/01(金) 22:29
日本人はムスリムに謝れ皆
370 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/06/01(金) 22:29
仏教は集票マシンと葬式産業。
あと、税金を払わないで贅沢している。
そんな仏教はイスラムを非難する資格はな〜い。
371 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/06/01(金) 22:37
で、このへんに出没してるイスラム支持者は全員狂信者かい?(・∀・)
>>365 草加を除けばイスラムよかまし。
372 :
>362:2001/06/01(金) 22:42
シスプリいいね。
373 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/06/01(金) 22:45
成仏への実践法
さて、仏様の大慈悲は、御自身が得られたこの成仏の境界に、なんとかして一切衆生を導き入れんとするところにある。
その方法とはどのようなものか。哲学的な思索によって悟りを得ることであろうか。智恵は浅く三毒は強い末法の大衆が、観念思惟の力で悟りなど得られるわけもない。
ここに日蓮大聖人は大慈悲を起こし、御自身が覚られた生命の極理・一念三千を、文字を以って一幅の御本尊に顕わし、一切衆生に授与し給うたのである。
「一念三千を識らざる者には仏・大慈悲を起こし、五字の内に此の珠を裹み、末代幼稚の頸に懸けさしめ給う」(観心本尊抄)
との仰せはこのことである。
末法の我ら凡夫は、ただこの御本尊を信じ「南無妙法蓮華経」と唱えれば、たとえ智恵はなくとも、その意味合いはわからなくても、御本尊の仏力・法力により自ずと生命の極理を知るに当り、自然と成仏の幸福境界を得ることができるのである。
たとえば、赤児が母乳の栄養を知らなくとも飲めば自然と成長し、病人が名医の薬の成分を知らずとも服せば病を治するのと同じである。
実に、御本尊こそ日蓮大聖人の大慈悲の結晶である。まさに有智・無智をえらばず、御本尊を信じ南無妙法蓮華経と唱えることなら、誰人にもできる。この信心口唱の法術こそ、末法の御本仏が全人類に教えて下さった成仏への実践法である。
ゆえに報恩抄には
「日本乃至漢土・月氏・一閻浮提に、人ごとに有智・無智をきらはず、一同に他事をすてて南無妙法蓮華経と唱うべし」
と仰せられている。
374 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/06/01(金) 22:46
2、御本尊を信じ唱えるとなぜ幸せになるか
仏界が湧現
御本尊を信じ南無妙法蓮華経と唱えると、どうして幸せになるのであろうか。一言にして云えば、我ら凡夫の生命に仏界が湧現するからにほかならない。
私たちの生命には「十界互具」といって、地獄界から仏界に至るまでの十界が、素質として誰にも具っている。そしてこの十界は、外界の縁にふれて、その中のどれか一つが現われる。たとえば脅迫状を見て恐怖を感ずるのは、地獄の縁にふれて地獄界が現われるのである。同じように、餓鬼の縁にふれれば餓鬼界が現われる。
では、仏界を現ずる縁とは何かといえば、それが御本尊である。御本尊は文字を以て顕わされた仏様の御生命である。決して単なる文字ではない、文字の全体がそのまま日蓮大聖人の御生命なのである。
ゆえに大聖人は
「日蓮が魂を墨にそめながして書きて候ぞ、信じさせ給へ。――日蓮が魂は南無妙法蓮華経にすぎたるはなし」(経王殿御返事)
と仰せられている。
また日寛上人は
「御本尊の全体、本有無作の一念三千の生身の御仏なり。謹んで文字および木画と謂うことなかれ」(観心本尊抄文段)
と御指南されている。まさに御本尊は御本仏大聖人の生命そのものなのである。
いま、この御本尊を信じ南無妙法蓮華経と唱えるならば、仏界たる御本尊を縁として、我ら凡夫の生命にも仏界が湧現する。仏界が湧現すれば生命力は強くなり、また諸天善神はその人を守護するようになる。
もし生命力が強くなれば、いかなる人生の苦難も自ら乗り越えることができ、また諸天善神が守護すれば、環境がその人を守る働きに変わってくる。よって幸せになるのである。
375 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/06/01(金) 22:46
仏界湧現の文証
信心口唱によって仏界が湧現するということを、大聖人の御指南に拝してみよう。
「但一向に南無妙法蓮華経と唱へさすべし、名は必ず体にいたる徳あり」(十章抄)
私たちの唱え奉る題目は、御本尊の名前である。名を唱え奉ることにより、体である御本尊に通じ、我が生命に仏界が湧現するのである。
また
「口に妙法をよび奉れば、我が身の仏性もよばれて必ず顕われ給う」(法華初心成仏抄)と。
また
「南無妙法蓮華経と心に信じぬれば、心を宿として釈迦仏懐まれ給う。始めはしらねども、漸く月重なれば心の仏夢に見え、悦ばしき心漸く出来し候べし」(松野殿女房御返事)
――南無妙法蓮華経と、御本尊を信じ唱えれば、凡夫の心に釈迦仏(本因妙の釈迦仏すなわち日蓮大聖人)が宿る。始めはそのことがよくわからないが、自覚できるにつれ、歓喜の心が湧いてくる――と。
さらに日女御前御返事には
「此の御本尊全く余所に求むる事なかれ、只我等衆生、法華経を持ちて南無妙法蓮華経と唱うる胸中の肉団におはしますなり」
――この御本尊を、自分を離れたよそにあると思ってはいけない。ただ我ら御本尊を信じ南無妙法蓮華経と唱える者の、胸の中の肉団に、御本尊はおわしますのである――と。すなわち信心口唱により、御本尊が我が身に住する、我が身が御本尊と一体になると仰せられる。なんと有難いことではないか。即身成仏とはこれである。
376 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/06/01(金) 22:47
現当二世の大利益
この信心をする者は必ず成仏する。
成仏する証拠として、まず現世において宿命が変わって幸せになる。そして臨終には成仏の相(第四章参照)を顕わし、死後の生命も守られ、さらに少々世々三大秘法と離れることなく大福徳の人と生れる。
このように現世の幸せだけでなく、死後の未来も救われることを「現世安穏・後生善処」という。“成仏という永遠に崩れぬ幸福境界”とは、この現当二世(現世と来世)にわたる大利益をいうのである。
仏法を中途半端に理解している者が、よくしたり顔して現世の利益を否定するのを耳にするが、とんでもないことである。現世に功徳がない仏法が、どうして後生の救いとなるだろうか。力ある日蓮大聖人の仏法は、現当二世の利益を必ず頂くのである。
まず、“現世に幸せになる”ということについて、大聖人は上野殿に次のように仰せられている。
「『亦、現世に於いて其の福報を得ん』の勅宣、『当に今世に於いて現の果報を得べし』の鳳詔、南条の七郎殿にかぎりてむなしかるべしや。――現世に大果報をまねかん事疑いあるべからず」(南条殿御返事)と。
また撰時抄には
「 亦於現世得其福報の八字、当於今世得現果報の八字、已上十六字の文むなしくして日蓮今生に大果報なくば、如来の金言は提婆が虚言に同じく、多宝の証明は倶伽梨が妄語に異ならじ、――されば我が弟子等、心みに法華経のごとく身命もおしまず修行して、此の度仏法を心みよ」
とまで仰せられている。さらに
「法華経の行者は、信心に退転なく身に詐りの親み無く、一切法華経に其の身を任せて金言の如く修行せば、慥に後生は申すに及ばず、今生も息災延命にして勝妙の大果報を得、広宣流布の大願をも成就すべきなり」(祈祷経送状)と。
大聖人の仰せのままに強き信心に立つ者には、後生だけではなく、今生にも宿命転換し必ず大果報を得るのである。
また日女御前御返事には、現世の幸福、死後の守護について
「かかる御本尊を供養し奉り給ふ女人、現在には幸をまねき、後生には此の御本尊左右前後に立ちそひて、闇に燈の如く、険難の処に強力を得たるが如く、彼こへまはり、此へより、日女御前をかこみまほり給うべきなり」と。
以て、現当二世にわたる大利益を確信すべきである。
377 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/06/01(金) 22:48
3、仏法に背くものに大罰あり
「罰」というと、人の悪行に対して仏が下す懲らしめや制裁のようにとられがちだが、そうではない。
罰とは、法に背くことにより自ら招く不幸あるいは不利益のことである。
ゆえに法があれば、背けば必ず罰がある。そして、法には大小・浅深があるから、罰もそれに応じて大小・浅深がある。たとえば、国家の法律などは人為的な浅い法であるが、背けばそれなりの報いがあり、また自然の摂理に反して不摂生をしたり、栄養が偏れば、病気を招く。また殺人・強盗等を犯せば、たとえ国法の網をのがれることはできても、必ずその報いを得る。
これらの罰は誰が与えたものでもなく、すべて自ら招いたものである。そして背く法が深くなるにしたがって、その反動たる罰も大きくなる。この道理を兄弟抄には
「くぶしをもて虚空を打つはくぶし痛からず、石を打つはくぶし痛し。悪人を殺すは罪あさし、善人を殺すは罪ふかし。或は他人を殺すはくぶしをもって泥を打つがごとし、夫母を殺すはくぶしもて石を打つがごとし。鹿をほうる犬は頭われず、師子を吠る犬は腸くさる。日月をのむ修羅は頭七分にわれ、仏を打ちし提婆は大地われて入りにき。所対によりて罪の軽重はありけるなり」と。
仏法はあらゆる法の中で最も深く根底の法であるすなわち生命・生活の根本の法則、三世にわたる根底の生活法である。よって仏法に背けば、他のいかなる法に背くよりも大きな罰を受ける。
そして“法は不知を許さず”という。意識するとしないとにかかわらず、知るとしらないとにかかわらず、仏法に背けば大罰を招くのである。
謗法の罰
では、仏法に背く罰はいかなるものか。仏法の利益が現当二世であるように、罰も現世と来世にわたる。聖人御難事に
「始めは事なきやうにて、終にほろびざるは候はず」
とお示しのように、たとえ始めは罰がないように見えても、ついには身を亡ぼし、死後には地獄の大苦を味うのである。
これらの罰について大聖人は「総罰・別罰・顕罰・冥罰」の四種を挙げておられる。すなわち総罰とは、一国全体が総じて受ける罰、たとえば大聖人御在世の他国侵逼がこれである。別罰とは、各個々人が別して受ける罰。顕罰とは、誰の目にもはっきりとわかる罰、たとえば熱原法難において大進房・三位房が落馬して悶死し、平左衛門が一族ともに誅戮されたようなものである。また冥罰とは、いつとはなしにじりじりと身を亡ぼす罰である。
さらに死後の罰としては法華経譬喩品に
「若し人信ぜずして此の経を毀謗せば、則ち一切世間の仏種を断ぜん。乃至、其の人命終して阿鼻獄に入らん」
と説かれている。このように謗法の罰は現身に身を亡ぼし、後生には無間地獄に堕ちるのである。
謹んで御本尊を拝見すれば、右の肩には
「若悩乱者頭破七分」(若し悩乱する者は頭七分に破る)
とあり、また左の肩には
「有供養者福過十号」(供養すること有らん者は福十号に過ぐ)
と書されている。この御文こそ、御本尊を誹謗する者には大罰があり、讃嘆する者には大利益のあることを、厳然と示し給うたものである。
378 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/06/01(金) 22:49
1、人生の目的とは何か
人生の目的を知らずに生きているのは、行き先のわからぬバスに乗っているのと同じである。しかし実際には、多くの人がこの大事を知らない。
ゆえに目的もないままただ宿命に流され、欲と瞋りと愚痴に引きずられ、空しく一生を過ごして死を迎えるというのが一般となっている。
さて、「人生の目的とは」と問われれば、多くの人は返答に窮する。そして一考ののち、自分が将来なりたいものを挙げて、あるいは「実業家」「政治家」「スポーツ選手」あるいは「デザイナー」「音楽家」「タレント」あるいは「学者」「弁護士」「医師」などと云うかも知れない。
しかしこれらの回答は、目的と手段を混同している。「音楽家になりたい」等の志望は、人生の目的を達するための手段あるいは条件にしか過ぎない。
では、人生の目的とは何かといえば、それは「幸福」ということである。
人は幸福になりたいからこそ、その手段として「音楽家になりたい」等の志望を懐くのである。そこには、意識・無意識を問わず、「実業家になったら幸せになれる」「音楽家になれたら自分は幸福だ」という期待が、大前提として存在している。
かく見れば、まさに幸福こそ、万人共通・普遍的な人生の目的である。
さて、人生の目的が幸福であることがわかっても、すぐ崩れてしまう一時的な幸福は真の幸福ではない。
真の幸福とは、永遠に崩れぬものでなければならない。この無上最大の幸福を成仏の境界という。されば人生の究極の目的は、まさに成仏の境界を得ることにある。
379 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/06/01(金) 22:50
地位や財産等と幸福の関係
人は幸福への手段・条件として、地位や財産や名誉その他もろもろの欲するものを手に入れようと努力する。だが、これらの“欲しいもの”が手に入ったら、果して幸福になれるであろうか。
結論から先に云えば、もしその人の生命が濁っていれば、求めて得たものは、かえって不幸の因となる。
濁った生命とは、貧欲・瞋恚・愚痴・慢心などに覆われた、地獄・餓鬼・畜生・修羅等の四悪道の生命をいう。
家を建てるのに、傾いた土台の上に建てればすべてが傾くように、四悪道の生命においては、求めて得た幸福の条件が、かえって苦報をもたらすのである。
たとえば世間を見るに、欲しくてたまらぬマイカーを手に入れて、その結果取り返しのつかぬ事故を起こした例は数多い。また憧れのマイホームを建てたが、ローンの返済に追われて家庭崩壊に至った例も多い。あるいは子宝に恵まれた若い母親が、育児ノイローゼになって自殺したという悲劇もある。
また日本の総理大臣として最高の地位と権力を手中にした田中角栄は、その権力が仇となって身を亡ぼしている。また韓国の大統領として最大の権力と名誉を一身に集めた全斗煥は、いまや落魄の身となっているではないか。地位や財産などが即幸福ではないことがよくわかろう。
所詮、主体たる生命が濁っていれば、幸福の条件と思われるものがかえって不幸の因となり、また福運が尽きれば、その人の才能さえ幸福をもたらさないのである。
この理を大聖人は
「夫れ運きはまりぬれば兵法もいらず、果報つきぬれば所従もしたがはず」(四条金吾殿御返事)
と端的に御指南下されている。
幸福になるには、外の条件を追い求めるのではなく、内なる生命を見つめなければいけない。すなわち正しい仏法を実践して我が身に具った福運だけが、崩れぬ幸福を築くのである。
380 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/06/01(金) 22:50
2、幸福論
幸福とは何か
ここで「幸福とは何か」ということを明確にしておかねばならない。
世間には幸福について論じた書物は無数にある。しかし幸福の普遍的本質を解明したものは、一つとしてない。
ある学者は「幸福」について次のように定義している。
「人間は生きていくなかでさまざまな欲求をもち、それが満たされることを願うが、幸福とはそうした欲求が満たされている状態、もしくはその際生ずる満足感である。」と。
この説明は世間一般における最大公約数的な定義と思われる。要するに“幸福とは欲求の満足にある”というにある。
だがこの説明では、欲求は人によってさまざまだから、幸福内容も人によって異なるという結論にならざるを得ない。それでは「幸福とは何か」ということの本質は、少しも解明されていないことになる。
この論の誤りは、欲求満足を即幸福と短絡しているところにある。欲求は十界によってさまざまである。ことに地獄界・餓鬼界・畜生界・修羅界の四悪道においては、欲求そのものがゆがんでいるから、それを満足をすることはかえって自他の不幸を招くことに気づかねばならぬ。
たとえば、盗みに成功した泥棒は餓鬼界の欲求を満足したわけであるが、これを幸福といえようか。また麻薬の常習者が禁断症状を脱れるためにさらに麻薬をのむ、この一時的欲求の満足が幸福だろうか、これは畜生界である。また虚栄を満足させることは、やがて身の破滅につながる。あるいはヒットラーのような男が征服欲を満足させることは、自他の不幸を招くではないか。これらは修羅界の欲求満足である。
あるいは舎利弗・目連等の二乗は、煩悩を断滅して灰身滅智を希求したが、かえって「永不成仏」といわれて成仏の障害となっている。これ声聞・縁覚界の欲求満足である。
このように、ゆがんだ欲求の満足はかえって不幸の因となる。“幸福とは欲求の満足である”とする論の誤りは明白であろう。
では幸福とは何か。“人によってさまざまである”などという曖昧なものではなく、万人に共通する普遍的な幸福とはいったい何であろうか。
これを解く鍵は、人間にとって最も大事なもの、貴重なものは何かということにある。
いうまでもない。人間にとって最も大事なものは、我が生命である。大聖人の御指南を拝してみよう。
「命と申す物は一身第一の珍宝なり。一日なりともこれを延るならば千万両の黄金にもすぎたり」(可延定業書)
「有情の第一の財は命にすぎず、此れを奪う者は必ず三途に堕つ」(主君耳入此法門免与同罪事)
「いのちと申す物は一切の財の中に第一の財なり、『遍満三千界無有直身命』と説かれて、三千大千世界に満てて候財も、いのちにはかへぬ事に候なり」(白米一俵御書)
人間にとって生命ほど大切なものはないとの仰せである。ゆえに人はこの生命を失うことを、何よりも恐れる。
「世間に人の恐るる者は、火炎の中と、刀剣の影と、此の身の死するとなるべし。牛馬猶身を惜む、況や人身をや、癩人猶命を惜しむ、何に況や壮人をや」(佐渡御書)と。
以上の御指南を拝するならば、幸・不幸の本質が明確になるであろう。
すなわち、生命の維持・発展が妨げられない状態を「幸福」といい、妨げられている状態を「不幸」というのである。
ゆえに死は最大の不幸であり、またこの死をもたらすもの、すなわち生命の維持・発展を妨げるものを、人は不幸として本能的に恐れそして忌みきらう。大地震・戦争等が恐れられ、また病気・貧乏・家庭不和・仲間はずれ・軽侮されるなどが忌みきらわれるのも、これらが直接・間接あるいは肉体上・精神上の差はあっても、生命の維持・発展を妨げる要因になるからにほかならない。
このように幸・不幸の本質がわかれば、これを基準として「価値・反価値」「善・悪」等の概念もはっきりとしてくる。これらの概念もまた古来より多くの哲学者が難解の言葉を用いながらも、一向に要領を得なかった事柄である。
いま一言にして云えば、事物における、生命の維持発展に寄与する度合を「価値」といい、同じく害を与える度合を「反価値」というのである。
されば、人々に永遠に崩れぬ幸福をもたらす日蓮大聖人の三大秘法こそ、個人にとって、国家にとって、人類にとって、最高最大の価値を有する教法といわねばならない。ちなみに、国家がこの価値に気づいた時、本門戒壇は立てられるのである。
また「善」とは利他すなわち他を幸福にする行為であり、「悪」とは害他すなわち他を不幸にする行為である。ゆえに善の中の大善は人に三大秘法を勧める折伏行であり、悪の中の大悪は邪法を以て人を誑すことである
381 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/06/01(金) 22:51
永遠に崩れぬ幸福
さて前項で、人間にとって最も大切なものは身命であり、これを失うことが最大の不幸と述べたが、では人は誰でも死を迎えるから、永遠に崩れぬ幸福とはいったい何かという問題が浮かび上がってこよう。
死を最大の不幸とするのは、一応現世に限った立場からみた所論である。再応深く見れば、生命は永遠であり、死によって消滅するものではない。くわしくは後述するが、生死という現象は生命が常住していく上での存在形態の変化にすぎない。換言すれば、生命は生死・生死をくり返しながら、宇宙と共に常住しているのである。
そして三世にわたって幸・不幸の因果は鎖のごとくつながっている。ゆえに、もし現世において悪業を積むならば、その生命は死後に大苦を受け、もし正しい仏法を行じて成仏するならば、死後の未来は大安楽を受ける。しかも現世はわずか七十年、未来は永遠である。
このことがわかれば、現世の寿命の長短などは小さな問題となる。最も重大なことは、一生にうちに成仏が叶うか否かということである。
したがって、成仏・不成仏が証拠として現われる臨終こそ人生の大事ということになる。もしよき臨終を遂げるならば、永遠の生命の上からみてこれほどの喜びはないし、またもし堕獄の相を現ずるならば、これほどの不幸はないのである。
ゆえに大聖人は
「日蓮幼少の時より仏法を学し候しが念願すらく、人の寿命は無常なり。出る気は入る気を待つ事なし、風の前の露尚譬えにあらず、かしこきもはかなきも、老いたるも若きも、定めなき習いなり。されば先ず臨終の事を習うて後に他事を習うべし」(妙法尼御前御返事)と。
人の一生はまことに短く儚い。しかし三世のつながりからこの一生を見た時、永遠の未来をはらんだ限りなく大事な人生ということがわかってくる。ゆえに「されば先ず臨終の事を習うて後に他事を習うべし」と仰せられるのである。
まことに仏法は、現世の安穏だけでなく、死を乗り越えてさらに未来永遠の幸福をもたらす、まさに現世安穏・後生善処の生活法なのである。
今生に日蓮大聖人の仏法により成仏した者は、生々世々三大秘法と離れることはない。
「過去の生死・現在の生死・未来の生死、三世の生死に法華経を離れ切れざるを、法華の血脈相承と云うなり」(生死一大事血脈抄)
「在々諸の仏土に、常に師と倶に生ぜん」(同前)と。
まことに御本尊の功徳により、現世には宿命転換して幸せになり、臨終には成仏の相を現じ、そして生々世々に大聖人の仏法に離れることなく自利々他の楽しく崇高なる人生を永劫にくり返すことが出来たならば、なんと素晴らしいことか。
これが成仏の境界であり、永遠に崩れぬ幸福というのである。
382 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/06/01(金) 22:54
マジで読んでたら泣けてきた
383 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/06/01(金) 23:10
このスレももう終わったな
384 :
合掌:2001/06/01(金) 23:12
極楽往生決定じゃ!
なんまんだぶ
385 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/06/02(土) 00:29
十界論
この大宇宙は大きく分ければ有情と非情で構成されている。有情とは人間や動物などのように心・感情・意識を持つ生物のことで、衆生ともいう。非情とは草木・国土など心の働きを持たないものをいう。しかし委細に観察すれば、草木・国土等の非情にも色(物質)・心(精神活動)の二法が具わっているといわれる。
十界とは、この宇宙に存在するすべての有情を、その境界にしたがって十種に分類したものである。そして非情はこの有情の所依となる国土であるから、宇宙法界は広漠といっても、すべてはこの十界に収まる。
十界の名を挙げれば、地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上・声聞・縁覚・菩薩・仏である。
地獄はこの閻浮提の地の下・一千由旬にあるといわれる等活地獄から二万由旬にある無間地獄までの八大地獄等で、殺人・五逆罪・謗法などの悪行を犯した者がこの界に生ずる。餓鬼は正法念経に三十六種が明かされ、畜生は魚・鳥・獣などの動物、そして人間界は我々人類、天上界は大梵天王・帝釈天王等である。経文にはくわしく十界のそれぞれが明かされているが、これら大宇宙における十界はここには省略する。
386 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/06/02(土) 00:31
人間界に具わる十界
十界論で大切なことは、我々人間界にまた十界が具わり、御本尊を信ずることにより、所具の仏界が湧現するということである。
観心本尊抄には
「観心とは、我が己心を観じて十法界を見る、是れを観心と云うなり」
と仰せられ、人界に具する十界を次のように御指南下されている。
「数ば他面を見るに、或時は喜び、或時は瞋り、或時は平かに、或時は貪り現じ、或時は癡現じ、或時は諂曲なり。瞋るは地獄、貪るは餓鬼、癡は畜生、諂曲は修羅、喜ぶは天、平かなるは人なり。他面の色法に於ては六道共に之有り、四聖は冥伏して現われざれども委細に之を尋ねば之有る可し。――所以世間の無常眼前に有り、あに人界に二乗界無からんや、無顧の悪人も猶妻子を慈愛す、菩薩界の一分なり、但だ仏界計りは現じ難し、九界を具するを以て強いて之を信じ疑惑せしむること勿れ。――末代の凡夫出生して法華経を信ずるは人界に仏界を具する故なり」と。
人間生活の種々相はすべてこの十界に収まっている。以下、人界所具の十界を簡単に説明しよう。
387 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/06/02(土) 00:32
地獄界
苦悩に沈み、しかも束縛されてその苦から逃げられないという境界。
戦場に駆り出されて恐れおののいたり、病気で苦痛と死の恐怖におびえたり、サラ金などの取り立てにおびえたり、あるいは家庭不和で心身ともに苛なまれる状態がこれに当ろう。要するに生命の維持発展が妨げられ切った境界である。「瞋るは地獄」との仰せは、瞋りが殺人・謗法などを起こし地獄の因となるからである。
餓鬼界
貧欲にとらわれ常に不満不足の念に満ちている境界。
食物・金銭・地位等において、一を得れば十を望み、十を得れば百を望んで飽くことを知らぬ者、あるいは自分はありあまる財を持ちながらも人には惜しみ、あるいは自分は美食しても親には惜しむなどという者はこれに当る。
この慳貪の報いとして、こんどは欲しくても得られぬ飢渇の苦を得る。「盂蘭盆御書」には目連尊者の母が慳貪により餓鬼道に堕ちた姿が示されている。
「其の中に餓鬼道と申すところに我が母あり、飲む事なし、食うことなし。皮は金鳥をむしれるがごとく、骨は丸き石を並べたるが如し、頭は毬の如く、頸は糸の如し、腹は大海の如し。口をはり、手を合わせて物を乞える形は餓えたる蛭の人の香を嗅るが如し」と。
貪りは因、飢えは果、これ餓鬼の因果である。
畜生界
目先のことにとらわれて物事の道理をわきまえぬ癡かな境界、また強い者を恐れ弱い者をあなどる卑怯な境界。
この界の特徴は癡かしさと卑怯にある。たとえば、将来のことも考えず目先の快楽を得るために麻薬・覚醒剤等におぼれる者、あるいは徒党を組んで放埓な行動にふける暴走族、最近おきた事件では、四児を置きざりにして餓死させ愛人のもとに走った母親があったが、これなどは癡かの典型である。
また「畜生の心は弱気をおどし、強きをおそる」(佐渡御書)と。会社などで上役にはへつらい、部下には威張りちらすような者も畜生界である。
修羅界
常に他人より勝ろうとする異常な嫉妬・競争心に満ちた境界。
したがってこの修羅界には争いがつきものである。御書にはこの境界を説いて次のように仰せられている。
「其の心念念に常に彼に勝らんことを欲し、耐えざれば人を下し他を軽しめ、己を珍ぶこと鵄の高く飛びて下視が如し。而も外には仁・義・礼・智・信を掲げて下品の善心を起こし、阿修羅の道を行ずるなり」(十法界明因果抄)と。
また「諂曲なるは修羅」とのごとく、修羅は心がひねくれ曲っているから、人から正しいことを云われても素直に受け取れず、すぐにカッとなって腹を立てる。
388 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/06/02(土) 00:32
人間界
「平かなるは人なり」 との仰せのように、穏かで平和を愛し、道義をわきまえ、親・兄弟・妻子・友人を思いやるなど、人間らしい平らかな境界である。
天上界
「喜ぶは天」とのように、願いがかなって喜びに満ちている境界、また先天的な福運により恵まれた生活が送れるような境界。
ただし天上界の喜びは 「天人の五衰」といって永続しない。先天的な福運などはバケツに汲んだ水と同じで、もし今生に仏法に背けば、たちまちに消滅してみじめな境界となる。
声聞界
真理の探究に生きがいを感ずる境界。
学問・研究などに一筋に打ちこむ学者・知識人などはこれに当ろう。ただしこの境界の者は自分の知り得た小さな智識に固執して独善的となり、他を利益する心がないのが特徴である。経文には舎利弗・目連等の名が挙げられている。
縁覚界
世間の無常や飛花落葉などを見て、一種の諦観を持つ境界。
一道一芸に秀で、ある種の安らぎを得ている者などはこの一分であろう。ただしこの縁覚もまた独善的さとりにこだわり、利他の心がない。
菩薩界
他を救わんとする慈悲の境界。
「六道の凡夫の中に於て、自身を軽んじ他人を重んじ、悪を以て己れに向け善を以て他に与えんと念う者有り」(十法界明因果抄)と。このように、自らのことを顧みず他を救わんとする境界がこれに当る。
ただし末法における真の菩薩界とは、日蓮大聖人の眷族として自ら三大秘法を受持し、御本仏の願業たる広宣流布に勇み立つ者である。ゆえに「日蓮と同意ならば地涌の菩薩たらんか」(諸法実相抄)と。
別しては日興上人・日目上人の御姿こそ、末法における菩薩そのものである。
仏界
御本仏日蓮大聖人の御境界こそ仏界であられる。生命の極理を証得された大智恵、竜の口で示された絶大威力、大難を忍んで一切大衆に三大秘法を授与せられた大慈悲、まさに全人類にとって主君であり、師匠であり、親であられる。このような三徳を兼ね備えられた大境界を仏界と申し上げるのである。
以上、十界を簡単に説明したが、この十界のうち地獄・餓鬼・畜生を三悪道、それに修羅を加えて四悪道という。さらにこの四悪道に人間・天上を加えて六道といい、声聞より仏界までを四聖という。また四聖のなかでは声聞・縁覚を二乗といい、経文の中では、小さな悟りに固執するその独善と利己が強く破折されている。
389 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/06/02(土) 00:33
宿命転換
さて、以上の十界は、素質として誰人の生命にも具わっている。ただし人は過去世の宿業により、十界のうちのいずれかがその人の生命の中に強く現われて生れてくる。この先天的な生命の傾向を宿命という。
たとえば、先天的に地獄界の傾向が強ければ常にいじめられ、あるいは修羅の傾向が強ければ常に争いを起こすということになる。
しかし、たとえ生涯苦しめられる地獄界の宿命を持っていたとしても、もし御本尊を信じ南無妙法蓮華経と唱えれば、御本尊の縁にふれて仏界が湧現し、必ず守られる幸福な境界に変ってくる。これが宿命転換である。
依正不二
依報とは環境世界、正報とはその中心たる我が生命をいう。この依報と正報との関係は二つであってしかも一体、これを依正不二という。
信心をすれば環境が変わり、友人・眷族が変ってくるというのもこの原理である。すなわち、もし自分の生命が地獄界ならば、環境も地獄界となって自分をいじめる働きに変わる。もし自分が修羅界ならば、自分の周囲には修羅界の仲間が集まる。これが依正不二である。
ゆえにもし御本尊を信ずれば、三悪道・四悪道の友人・眷族はいつのまにか去り、共に三大秘法を持ち信心を励ましあう清らかな菩薩界の同志が友となるのである。
依正不二をさらに大きく見るならば、国土とそこに住む衆生との一体不二の関係となる。衆生は主体の生命であるから正報、国土は正報の依りどころとなるから依報である。
「夫れ十方は依報なり、衆生は正報なり、依報は影のごとし、正報は体のごとし、身なくば影なし、正報なくば依報なし、又正報をば依報をもって此れをつくる」(瑞相御書)と。
この大宇宙は一大生命体であり、その中のすべての存在は相互に関連しあっている。一つの変化は他に変化を与えずにはおかない。よって、もし衆生の心が地獄界になれば、国土もまた地獄の相を現ずる。この原理により、謗法の国土には三災七難が競い起こるのである。
「人の悪心盛なれば、天に凶変・地に凶夭出来す。瞋恚の大小に随って天変の大小あり、地夭も又かくのごとし」(瑞相御書)と。
もし広宣流布し一国一同に南無妙法蓮華経と唱え国立戒壇が立てられるならば、日本は仏国となる。その時国土はまた寂光土の相を現ずるのである。その姿を大聖人は
「天下萬民諸乗一仏乗と成りて妙法一人繁昌せん時、萬民一同に南無妙法蓮華経と唱え奉らば、吹く風枝をならさず、雨土くれをくだかず、代は羲農の世となりて、今生には不祥の災難を払い、長生の術を得、人法共に不老不死の理顕れん時を各々御覧ぜよ、現世安穏の證文疑い有る可からざる者なり」(如説修行抄)
と仰せられている。広宣流布・国立戒壇建立の意義の重大さがよくわかろう。
390 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/06/02(土) 01:36
すげー嫌がらせだなぁ。。。
391 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/06/02(土) 01:46
392 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/06/02(土) 01:49
393 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/06/02(土) 02:14
ユダヤ、キリスト、イスラムは、他宗教に対して非寛容です。
同じ地域に生まれた宗教です。
バーミヤーンの石窟摩崖仏の破壊映像をテレビで夜に映していた。
イスラム教徒以外は人間ではない、という感じだ。
イスムラ教徒は数が多いが、どの様な付合い方をすればよいのか、
難しい。
日本はアッラーの元祖だ、ということで、伊勢を元祖メッカにするか。
394 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/06/02(土) 06:03
>>393 ああいう連中とは、相互不干渉を守る以外に付き合う手だてはないと思うな。
キリスト教は現在は比較的それが可能な宗教なんだが、残り2つはねぇ・・・
とりあえずこの2つの宗教の日本への侵入には注意を払うべき。でももう今回
の1件で、公安がマークしてんじゃないのかね?
395 :
名無しさん:2001/06/02(土) 06:43
396 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/06/02(土) 07:22
>>395、違うよ!
日蓮に詳しい点からみて、おそらく「学会さん」
でも、創価の人は日蓮を馬鹿にしたりしないから
「転び学会さん」だよ。
NHKの大河ドラマでも見て触発されたんだろ。
397 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/06/02(土) 07:51
>>396 層化もムスリムも両方とも人の話聞きそうもねーな。面倒だから、
両方まとめて叩き出してほしいね。ついでにオウムの面々も。
それだけで、どれだけ日本は平和になることやら。
398 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/06/02(土) 09:10
煽税 幡凪戚走 "始稽荊 何原原橿税 君崎軒
因娃" 精鰍杉析拭歯罫惟 添持廃
3含舛亀 鉱拭照菊革推..
姥帖幻 始稽荊 何原原橿研
紫櫛馬獣澗 歳級 幾歳拭 煽税 幡戚
10000 誤聖 宜督拝 呪 赤醸柔艦陥.焼爽 弦精
呪澗 焼艦走幻 煽税 幡聖 級君爽重 歳級臆
遭宿生稽 姶紫税 源掌聖 球軒畏柔艦陥.
益軒壱 戚腎 神重歳級 惟獣毒拭 越岨
害移爽獣壱 亜写生檎 疏畏澗汽....
399 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/06/02(土) 10:49
創価学会の人がいたら教えて欲しい。
イスラムという宗教が日本人を殺すと言っているのは、
一種の国難ではないのでしょうか?
これを救うのは法華経しかないのではないでしょうか?
ムスリムに対して皆でお題目を唱えて行進するとかはしないのですか?
401 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/06/02(土) 12:12
1、死は終りではない
仏法を知らぬ者が懐く、生命に対する最大の偏見は、「生命はこの世限り」「死ねばすべては終り」と思っていることである。その結果、自己を消滅させる死に対して限りない恐怖を懐いたり、あるいは死後の因果を無視して放縦に走る。
だが、死は決して終りではない。生も死も、永遠の生命が常住していく上での存在形態の変化にすぎない。生命そのものは新たに生ずるものでもなければ消滅するものでもない。これを「本有常住」という。
「本有」とは、我らの生命は、神が作ったとか誰が作ったなどというものではなく、大宇宙と共に本から有るということ、また「常住」とは、一瞬の断絶もなく存在し続けているということである。
この生命の本質について大聖人は総勘文抄に
「生と死と二つの理は、生死の夢の理なり、妄想なり、顛倒なり。本覚の寤を以て我が心性を糺せば、生ずべき始めも無きが故に死すべき終りも無し、既に生死を離れたる心法に非ずや。劫火にも焼けず、水災にも朽ちず、剣刀にも切られず、弓箭にも射られず、芥子の中に入るれども芥子も広からず心法も縮まらず、虚空の中に満つれども虚空も広からず心法も狭からず」と。
――生と死の二つの現象を、生命そのものの新たな発生とか消滅と思うのは夢の理であり、妄想である。もし本有常住の覚を以て我が生命の本質を見れば、生ずべき始めも無いのであるから死すべき終りもない。まさに生死を離れた無始無終の存在なのである。したがってこの生命は、劫火にも焼けることなく、水災にも朽ちることなく、刀にも切られず、弓矢にも射られるものではない。 また芥子粒のような小さなものの中に入れても、芥子粒が広がったり心法が縮まったりすることもない。逆に虚空の中に遍満させても、虚空が広すぎたり、心法が狭いということもない――と。
これすなわち、大宇宙と共に常住する我々の生命の、不可思議な本質を御指南下されたものである。
402 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/06/02(土) 12:13
なぜ生死があるか
では、この本有常住の生命になぜ生死があるのかといえば、生死は生命が常住する上での妙理なのである。換言すれば、生命は一瞬たりとも静止しているものではなく、絶えず変化し、生死・生死を繰り返しながら常住しているのである。
このことは我らの生命だけではない。およそ宇宙にある万物はみな因縁によって生じ、因縁によって滅している。しかし形の上に生滅はあっても、その質量は不変であり、エネルギーは不滅である。さらに大きく見れば、宇宙そのものも成・住・壊・空という生滅のリズムを繰り返しつつ存在しているのである。
人間の生命もまた然り、生死・生死を繰り返しながら、大宇宙と共に常住しているのが実相である。
ゆえに大聖人は
「我等が厭い悲しめる生死は、法身常住の妙理にて有けるなり」(色心二法抄)と。
ここにいう「法身」とは生命のことである。また
「生死の二法は一心の妙用、有無の二道は本覚の真徳」(生死一大事血脈抄) とも仰せられている。――生死という現象は、生命そのものに具わる不可思議な作用であり、また「有無」すなわち「生」は形づくられるから「有」、「死」は目に見えぬ無相の状態になるから「無」、この有相・無相の変化も、永遠の生命を覚知した目で見れば、本有の生死・本有の有無となる――と。
ところで凡夫が「死は生滅、すべての終り」と思うのは、死によって生命が無相の状態になることを、即「無」と錯覚するところから起きる。しかし無相とは、姿・形はないがそのものは存在しているという状態である。
たとえば空中に存在する紫外線・赤外線・電波などは、肉眼では姿・形をとらえることはできない。しかしその存在を疑う者はないであろう。無相を「無い」と即断してはいけない。
仏法では死後の生命を「中有」という。中有の生命は無相である。涅槃経には
「中有の五陰(生命本源の五要素たる色・受・想・行・識)は肉眼の所見に非ず、天眼の所見なり」
と説いている。この無相の生命が、夫母を縁として肉体を形づくり相を現わすのが「生」であり、組織した色法(肉体)を大宇宙に還元して再び無相の心法に帰するのが「死」である。このことを色心二法抄には
「天地冥合して有情・非情の五色とあらはるる処を生と云い、五色の色還って本有無相の理に帰する処を死とは云うなり」と説かれている。「天地」とはここでは父母の意である。
以て、生死という現象が、永遠の生命における有相から無相、無相から有相へという存在形態の変化に過ぎないことがわかるであろう。
そして大事なことは、我々の生命はこの生死をくり返しながら、過去世・現世・未来世と、三世にわたって連続し、これに伴い幸・不幸の因果も鎖の輪のごとく三世につながっているということである。
403 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/06/02(土) 12:14
2、生命の連続
では、三世にわたる生命の連続を、さらにくわしく見てみよう。このことを説かれたのが「十二因縁」である。
十二因縁
十二因縁とは、生命が因果をともなって三世を流転していく実相を説き明かしたものである。
その十二とは、@無明、A行、B識、C名色、D六入、E触、F受、G愛、H取、I有、J生、K老死である。
それぞれを簡単に説明すれば
まず@とAとは過去世の因を二つに要約したものであり、@の無明とは、過去世における煩悩。Aの行とは、過去世に造った業である。
次にBとCとDとEとFは現世に受けた五つの果で、Bの識とは、過去世の業力により、母の胎内に宿った心法。Cの名色とは、身心が胎内で発育し始めるが、未だ眼・耳・鼻・舌の四根が具わらない状態。Dの六入とは、胎内にあって眼・耳・鼻・舌・身・意の六根が具足した状態。Eの触とは、母体から生まれ出てさまざまな物に触れるが、未だ苦とか楽とかの分別ができない状態。Fの受とは、次第に身心が発達し、好きなこと嫌いなことの分別はつくが、未だ愛欲は起こさない幼児期をいう。Gの愛とは、事物や異性に愛欲を感ずる思春期の状態。Hの取とは、成人して盛んに事物を貪る状態。Iの有とは、来世の果を決するもろもろの業を造ること。
JとKは来世の二果で、Jの生とは、現世の因(愛・取・有)により未来世の生を受け、母の胎内に入ることをいう。Kの老死とは、来世に老いそして死することをいう。
このように十二因縁は、三世にわたる生命の連続を、因果のうえから説き明かしたものであり、過去の因と現在の果と、二重の因果が説かれていることから「三世両重の因果」(十二因縁御書)といわれる。
また十二因縁は「煩悩・業・苦の三道」でもある。煩悩とは凡夫の欲望・迷い、業とは煩悩に引かれて行う身・口・意の所作、苦とは業の結果として我が身に受ける苦果である。たとえばこの三道を餓鬼界の立場から見れば、「お金が欲しい、ほしい」と貪る心は煩悩、この煩悩に引きずられて盗みを働けばそれが業、その結果餓鬼界の苦報を受けることが苦である。
いま十二因縁をこの煩悩・業・苦に当てはめれば、@無明・G愛・H取の三つは煩悩であり、A行・I有の二つは業、そしてB識・C名色・D六入・E触・F受・J生・K老死は苦である。
当体義抄には「煩悩・業・苦の三道、法身・般若・解脱の三徳と転じ」と仰せられているが、強き信心に立つ者は、煩悩は般若(仏の智恵)に、業は解脱(自在・利他の境界)に、苦は法身(仏の清浄な生命)に転じ、現当二世にわたって大幸福の境界を得るのである。
さて、以上説明してきた十二因縁をわかり易く図示すれば、次のごとくなる。
来世 現世 過去世
| | |
━━━ ━━━━━━━━━━━━━━ ━━━
| | | | | |
老 生・・・・・・・・有 取 愛 受 触 六 名 識・・・・・・・・行 無
死 | : | | | 入 色 | : | 明
| | 中 | | | | 中 | |
━━━ 有 ━━━━ ━━━━━━━━- 有 ━━━
| | | |
果 因 果 因
(未来の二果) (現在の三因) (現在の五果) (過去の二因)
404 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/06/02(土) 12:14
中有から再び生へ
生命の三世にわたる連続の中で最も難解なのは、死後の生命が再び生まれ出るということだろう。
このことを十二因縁の上から見れば、「行」から「識」、また「有」から「生」に至る過程である。
これについて説明すれば、死んでから再び来世の生を受けるまでの中間の生命を「中有」という。前述のごとく中有の生命は姿・形もなく、肉眼で見ることはできない。いわゆる無相の状態である。
生命が中有にある期間については、あるいは七日、乃至四十九日、あるいはさらに長期と、長短不定であるが、「極悪・極善には中有なし、極善の人は直ちに成仏す、極悪の者は直ちに悪趣に堕つ」(十王讃歎抄)とあるように、死後直ちに成仏する極善の人と、直ちに地獄に生ずる極悪の者の中有は限りなく短く、無いに等しい。ゆえに中有は極善・極悪を除いた一般について論じられるところである。
本尊問答抄には、臆病のゆえに信心を貫けなかった道善房の死去に際し、大聖人が浄顕房に仰せられた次の御文がある。 「故道善御房は師匠にておはしまししかども、法華経の故に地頭におそれ給いて、心中には不便とおぼしつらめども、外にはかたきのやうににくみ給いぬ。後にはすこし信じ給いたるやうにきこへしかども、臨終にはいかにやおはしけむ、おぼつかなし、地獄まではよもおはせじ、又生死をはなるる事はあるべしともおぼへず、中有にやただよひましますらむ、と歎かし」と。
極善でも極悪でもない道善房のゆえに、直ちに地獄とも思えない、さりとて成仏するとも思えない、ゆえに「中有にや、ただよひましますらむ」と仰せられるのである。
405 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/06/02(土) 12:15
また大聖人は、一般凡夫の死から中有に至るまでの状態を、譬えを以てわかり易く次のように説かれている。
「人、一期の命盡きて死門に趣んとする時、断末魔の苦とて、八万四千の塵労門より色々の病起って競い責むる事、百千の鉾・剣を以て其の身を切り割くが如し。之に依って眼闇く成って見たき者をも見得ず、舌の根すくんで云いたき事をも云い得ざるなり。――魂の去る時は目に黒闇を見て、高き処より底へ落ち入るが如くして終る。さて死してゆく時、唯独り渺々たる広き野原に迷う、此を中有の旅と名くるなり。されば路にゆかんとすれども求むべき資糧なく、――又闇き事闇夜の星の如し」(十王讃歎抄)と。
406 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/06/02(土) 12:16
識
さて、このような中有にある無相の生命が、生前の業力によって、生まれるべき父母を定めて胎内に宿るのである。この母胎に入った極微の生命を「識」という。すなわち識とは、父母の精血・赤白の二滯(受精卵)に宿った心法であり、「識神」ともいわれる。
「我等其の根本を尋ね究むれば、父母の精血・赤白二滯和合して一身と為る」(始聞仏乗義)
「魚鳥を混丸して赤白二滯とせり、其の中に識神をやどす」(佐渡御書)と。
さらに日寛上人は、中有の生命が母胎に宿る過程について
「衆生、全生に善悪の業を作り已って死して中有にある時、其の業力に由り、能く生処の父母の交会を見て愛心を起こし胎内にやどる、これを識と云うなり。識と云うはココロ(心法)なり」と。
また天親菩薩の倶舎論には、“中有が業力により一定の生処に趣かんと決まった時には、いかなる力もこれを転ずることができないこと、中有の行動は金剛を以ても遮ることができないこと、そして母胎に入って生を結するに至ること”等が、くわしく説かれている。
かく見れば、親と子の生命は本来別々のものであることがわかろう。親が子を作るのでもなければ、子は親の延長でもない。それぞれ独自の生命が、宿習によって親子の縁を持つにすぎない。ゆえに大聖人は
「父母となり、其の子となるも、必ず宿習なり」(寂日房御書)
と仰せられる。
したがって邪見の親を持つのも、あるいは我が子に苦しめられるのも、お互いに親となり、子となる宿習によるのである。ゆえにもし親が信心して自分の宿習を変えれば子が変化し、また子が信心して境界を変えれば親も変わってくるのである。
また、遺伝ということを仏法ではどう見るかという問題について、一言ふれておく。
親の形質は遺伝子によって親から子、子から孫へと引き継がれる。この限りにおいては子は親の延長のごとくに見えるが、仏法はさらに深く親子の関係を見つめる。
すなわち遺伝しにより子が親の形質を受け継ぐことは事実であるが、そのような遺伝子を持つ親のところに生ずるということ自体が、過去世の業力による宿習なのである。あくまでも親子の生命は別々であって、親は縁にすぎない。ゆえに同じ親から生れた兄弟でも、性格・果報はそれぞれ異なる。縁は同一でも、過去世からのそれぞれの生命が異なるからにほかならない。
407 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/06/02(土) 12:16
3、三世の因果
さて、三世にわたる生命の連続を十二因縁により見つめてきたが、因果の実態をさらにくわしく見てみよう。
(一)幸・不幸はなぜ生ずるか
人の果報はさまざまである。生まれついて恵まれた福徳を持った人もいれば、一生病気・貧乏で苦しんだり、人に軽んじられたりする者もいる。これらの幸・不幸は偶然生ずるものではない。因なくして果はなく、果のあるところ必ず因がある。仏法はこの因果を、現世だけでなく三世にわたって説き切っている。
大聖人は開目抄に
「過去の因を知らんと欲せば、其の現在の果を見よ。未来の果を知らんと欲せば、其の現在の因を見よ」
と御指南下されている。――自分が過去にどんな事をしてきたかを知りたかったならば、現在受けている結果を見よ。また自分が将来どんな果報を得るかを知りたかったら、いま為しつつある所行を見よ――ということである。まことに因果は鎖の輪のごとくで、誰人もこの因果の理の外にあることはできない。
さらに開目抄には般泥おん経を引いて
「善男子、過去に曾て無量の諸罪・種々の悪業を作る。是の諸の罪報は、或は軽易せられ、或は形状醜陋、衣服足らず、飲食そ疎、財を求むるに利あらず、貧賤の家・邪見の家に生れ、或は王難に遭い、及び余の種々の人間の苦報あらん。現世に軽く受くるはこれ護法の功徳力に由るが故なり」と。
――善男子よ、過去世に無量の罪業・悪業を作れば、その罪の報いとして今生に、あるいは人に軽んじられたり、あるいは顔かたちが醜く生まれたり、着るものも着られなかったり、食べ物も思うようにならなかったり、お金を儲けようと思っても損ばかりしたり、貧賤の家や邪見の家に生れたり、あるいは権力によっていじめられたり、そのほかさまざまな人間としての苦しみを味うであろう。しかしそのような受くべき苦報を転じて現世に軽く受けるのは、実に正しい仏法を護持する功徳によるのである――と。
408 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/06/02(土) 12:17
謗法の罪報
では、謗法による罪報とはどのようなものであろうか。法華経譬喩品には、法華経(末法においては三大秘法)を誹謗する者の三世にわたる因果を、次のように説いている。
「若し人信ぜずして此の経を毀謗せば、即ち一切世間の仏種を断ぜん。――此の人の罪報を汝今復聴け。其の人命終して阿鼻獄に入らん。一劫を具足して、劫尽きなば更生まれん。是の如く展転して無数劫に至らん。地獄より出でては当に畜生に堕つべし。若し狗野干しては其の形こつ痩し、りたん疥癩にして人に触にょうせられ、又復人に悪み賤しまれん。常に飢渇に苦しんで、骨肉枯竭せん。生きては楚毒を受け、死して瓦石を被らん。仏種を断ずるが故に、斯の罪報を受けん。――若し人と為ることを得ては、諸根暗鈍にしてざ陋れん躄、盲聾背傴ならん。言説する所有らんに、人信受せじ。口の気常に臭く、鬼魅に著せられん。貧窮下賤にして人に使われ、多病しょう痩にして依怙する所無く、人に親附すと雖も人意に在かじ。若し所得有らば、尋いで復忘失せん。若し医道を修め方に順じて病を治せば、更に他の疾を増し、或は復死を致さん。若し自ら病有らば人の救療すること無く、設い良薬を服すとも、而も復増劇せん。若しは他の返逆し、抄劫し窃盗せん。是の如き等の罪、横まに其の殃に羅らん」と。
悪業・罪業にもいろいろある。人を殺す、盗む、騙すなども悪業ではあるが、悪の中の大悪、罪の中の大罪は謗法、すなわち末法においては日蓮大聖人を憎み、御本尊を誹謗することである。この謗法により、死して後、阿鼻獄(無間地獄)に堕ち、地獄の寿命終ってのちには畜生に生じ、また人間と生れてはさまざまな苦悩を味うことが、以上のごとくこの法華経譬喩品には説かれている。
409 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/06/02(土) 12:18
(二)恐るべきは死後の堕獄
もし生命の永遠を知り三世の因果を知れば、人として最も恐るべきは死後の堕獄である。地獄に堕ちることを恐れない者は、あたかも赤児が火の熱いことを知らず、水の冷たいことを知らぬのと同じ、ただ無智にすぎない。
八大地獄
大聖人は、顕謗法抄等に「八大地獄」のさまを、具体的な譬えを以てお説き下されている。これを単なる比喩と思ってはいけない。この比喩は、死後の生命が堕獄した時に味う堪えがたき大苦を理解せしめるための直喩であれば、比喩即真実である。以下簡単に説明する。
@等活地獄とは、大地の下一千由旬の所にある。この地獄の罪人は互いに害心をいだき、鉄の爪で相手をつかみ裂き、骨だけを残すまで争う。あるいは獄卒に鉄杖で頭から足にいたるまで打ちくだかれ、身体が沙のようになる。しかし死んではまたよみがえり、くり返しこの苦を受ける。
A黒縄地獄とは、等活地獄の下にある。獄卒が罪人をとらえて熱鉄の地に押し伏せ、熱鉄の縄で身体に墨縄をうち、その線のとおりに熱した鉄の斧で切りさいたり削ったりする。あるいは山の上に鉄の縄をはり、その上を鉄山を背負って渡らせ、落ちれば身体が粉ごなになる。この苦しみは等活地獄の十倍といわれる。
B衆合地獄とは、黒縄地獄の下にある。獄卒が罪人をかり立て、山の間に入らせる。この時、両方の山が迫ってきて押しつぶし、身体は砕け血が大地に河のごとくに流れる。あるいは鉄の山が罪人の上に落ち、沙のように罪人を砕いたり、あるいは鉄の臼に罪人を入れて鉄の杵でつくといわれる。
C叫喚地獄とは、衆合地獄の下にある。罪人たちが苦しみにたえかねて喚き叫ぶ声を発するので叫喚地獄といわれる。獄卒が鉄棒で頭を打ち、熱鉄の大地を走らせたり、熱鉄のあぶり台の上で罪人の身体を裏返しながらあぶる。あるいは煮えたぎった銅の湯を口を割って流しこむ。ために五臓が焼けただれて下に出るという。
さらに、D大叫喚地獄、E焦熱地獄、F大焦熱地獄と段々苦を増し、八大地獄の最下が無間地獄(阿鼻地獄)である。
G無間地獄は大焦熱地獄の下にあり、縦横八万由旬である。この地獄の大苦悩は、前の七大地獄の一千倍といわれる。無間とは「ひまなし」ということで、堪えがたい苦痛が昼夜ひまなく襲うので、無間地獄という。しかし経文にはこの地獄の大苦はつぶさには説かれていない。そのわけについては
「若し仏、此の地獄の苦を具に説かせ給はば、人聴いて血をはいて死すべき故に、くわしく仏説き給はず」(顕謗法抄)
とまで仰せられている。
この地獄に堕ちる業因は五逆と謗法に限られる。五逆罪とは、父を殺し、母を殺し、仏弟子を殺し、仏の身から血を出し、正しい仏道修行をしている団体の和合を破る、の五つである。同じ殺人でも、他人を殺す罪では無間地獄には堕ちない。
無間地獄の寿命は一中劫とされている。一中劫とは約三億二千万年に相当する。このような長い年月の間この地獄にあって出られないとは、その大苦悩まさに想像を絶しよう。ただし、一中劫というのは五逆罪を原因とした者に限る。もし三大秘法を誹謗して無間に堕した者は、譬喩品に説かれるごとく「展転して無数劫に至らん」となる。恐るべきは謗法の罪科ではないか。
以上、八大地獄について簡単に説明したが、この地獄の大苦にくらぶれば、現世におけるあらゆる苦などは物の数ではない。
410 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/06/02(土) 12:19
鳥竜等の御返事
法華抄には、中国の書家の鳥流が道教に執着して法華経を誹謗し、この謗法のゆえに臨終に悪相を現じて無間地獄に堕ちたのち、この轍を息子だけには踏ませまいと、夢枕に立って息子にその大苦を告げたという故事が説かれている。
「我は是れ汝の父の鳥竜なり。仏法を謗ぜし故に舌八つにさけ、五根より血を出し、頭七分に破れて無間地獄に堕ちぬ。彼の臨終の大苦をこそ堪忍すべしともおぼへざりしに、無間の苦は尚百千億倍なり。人間にして鈍刀をもて爪をはなち、鋸をもて頸をきられ、炭火の上を歩ばせ、棘にこめられなんどせし人の苦を、此の苦にたとへば数ならず」と。
現世におけるいかなる残酷な拷問も、無間地獄の大苦に比べれば物の数ではないと仰せられる。
また八大地獄抄には毛血法師の故事が説かれている。
「むかし毛血法師という人は、一日に一度必ず衣を自ら洗っていた。これを見た弟子が怪しんで、“なぜそのようなことを”とその理由を問うたところ、毛血法師は云った、“私は宿命通(過去の事を知り得る超能力)を得ているが、この宿命通を以て過去のことを思うに、地獄に堕ちて大苦を受けたことを思い出すたびに、紅の血が身より滲み出て衣を染めるのである。あまりに汚らわしいのでこうして洗っている”と答えたという。思い出すだけでもこのようになる。仏が“聞かん者は血を吐いて死なん”と説かれるのも、道理である」(取意)と。
まことに三世の生命を知れば、恐るべきは死後の堕獄である。
411 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/06/02(土) 12:20
4、臨終の証拠
では、死後の堕獄とか成仏は、何によって知ることができるのであろうか。現世にその証拠がなければ、死後のことは誰人も信じられない。仏法は空理空論ではない。すべて証拠を以て論ずる。――その証拠とは、すなわち臨終の相である。
臨終は現世の終り、そして未来への出発の一刹那である。この臨終の相に、その人が死後の未来に受けるべき果報が、前以てあらわれる。この法則性を説き切った教えは、仏法以外には断じてない。仏が三世を見通す智恵をお持ちであることは、この事からもはっきりとわかる。
堕獄の相・成仏の相
この法則性について大聖人は
「先づ臨終の事を習うて後に他事を習うべしと思いて、一代聖教の論師・人師の書釈あらあら勘へあつめて、此を明鏡として一切の諸人の死する時と並びに臨終の後とに引き向へてみ候へば、少しもくもりなし。此の人は地獄に堕ち給う、乃至人・天とは見へて候」(妙法尼御前御返事)
と仰せられている。それでは具体的に地獄の相、あるいは成仏の相とはどのようなものか。
神国王御書には、邪法・真言宗の元祖の善無畏三蔵が地獄に堕ちた証拠として
「善無畏三蔵は――死する時は『黒皮隠々として骨甚だ露焉』と申して、無間地獄の前相を其の死骨に顕わし給いぬ。人死して後ち色の黒きは地獄に堕つとは、一代聖教に定むる所なり」と。
さらに千日尼御前御返事には
「人は臨終の時、地獄に堕つる者は黒色となる上、其の身重き事千引の石の如し。善人は設い七尺八尺の女人なれども、色黒き者なれども、臨終に色変じて白色となる、又軽き事鵞毛の如し、やわらかなる事兜羅綿の如し」と。
御指南は克明である。地獄に堕ちる者は臨終ののちに、身体全体の皮膚の色が黒くなるうえ、不思議に遺体が重くなる。いっぽう成仏する者は、死してのち色が白くなり、その遺体は軽く、かつ柔かであると仰せられる。
およそ臨終だけは、人の意志のおよぶところではない。しかるに、この臨終の法則性をかくのごとく説き切る仏法の凄さ、仏智の偉大さには、驚嘆のほかはない。もし仏法で説く三世の生命が空論であるならば、どうして臨終にこのような現証、法則性があらわれようか。
私事にわたって恐縮であるが、私の父(妙信講初代講頭)は昭和五九年四月、八十歳で亡くなった。信心強盛の父の臨終はみごとであった。臨終正念に、死後の相は色白く、半口半眼にして柔かく、御書の通りであった。その三年前に亡くなった母も、また良き相であった。――御金言は絶対であった。私は父母と別れた悲しさよりも、成仏の有難さ、大聖人の大慈悲に感泣したことを、今でも憶えている。
412 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/06/02(土) 12:21
臨終の善悪は仏法の邪正による
さて、臨終の善悪を決する最大の要因は、仏法の邪正である。大聖人は邪法・謗法が悪臨終を招くことについて、次のように仰せられている。
「一切は現証には如かず。善無畏・一行が横難・横死、弘法・慈覚が死去の有様、実に正法の行者是の如くに有るべく候や」(教行証御書)
「法然が一類八十余人、一人も臨終よきものとてなし」(断簡)
また清澄山において大聖人に敵対した円智房等の臨終について
「眼前の現証あり。――日蓮こそ、念仏者よりも道義房と円智房とは無間地獄の底にをつべしと申したりしが、此の人々の御臨終はよく候いけるか、いかに」(種々御振舞御書)と。
いっぽう、三大秘法を清らかに持つ者は、御本尊の守護により、本来人間にとって何よりも恐ろしく苦しい臨終も安らかに、そして死後の生命は仏界へと導かれる。
「所詮、臨終只今にありと解りて信心を致して南無妙法蓮華経と唱うる人を、『是の人命終せば、千仏手を授けて、恐怖せず悪趣に堕ちざらしむ』と説かれて候」(生死一大事血脈抄)と。
臨終の時「千仏」が手をさしのべて、死を恐怖させず、また悪道に堕とさしめない、とある。「千仏手を授けて」とは、末法救護の御本仏・日蓮大聖人が御守護下さるということである。ゆえに
「中有の道にいかなる事もいできたり候はば、日蓮が弟子なりとなのらせ給へ」(妙心尼御前御返事)
また
「御臨終のきざみ生死の中間に、日蓮かならずむかいにまいり候べし」(上野殿御返事)と。
死より中有に入らんとする時、大聖人が仏界へと導いて下さるとの仰せである。なんと有難いことではないか。
「退転なく修行して最後臨終の時を待って御覧ぜよ。妙覚の山に走り登りて四方をきっと見るならば、あら面白や、法界寂光土にして瑠璃を以て地とし、金の縄を以て八の道を界へり、天より四種の花ふり、虚空に音楽聞えて、諸仏・菩薩は常楽我浄の風にそよめき娯楽快楽し給うぞや。我等も其の数に列なりて遊戯し楽むべき事は近づけり。信心弱くしてはかかる目出たき所に行くべからず、行くべからず」(松野殿御返事)と。
人間にとって最も恐ろしく、そして悲しい死が、かえって仏界の自受法楽の大境界を得る契機となる。ゆえに「あら面白や」と仰せられる。仏法による現当二世の大願は、ここに成就するのである。
ただし、たとえ大聖人の弟子であっても、信心薄くして大聖人の御意に背くならば、成仏は叶わない。
「我弟子等の中にも信心薄淡者は、臨終の時阿鼻獄の相を現ずべし。其の時我を恨むべからず等云々」(顕立正意抄)と。
この御文、肝に銘じて忘れてはならない。
413 :
ゾロアスター:2001/06/02(土) 12:23
コーランで豚のケツを拭いとけよ。
414 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/06/02(土) 12:28
日本からの帰国者同胞を豚の足と差別してるチョン人のほうが
よっぽどタチが悪い。
415 :
·[LiオRカ :2001/06/02(土) 12:37
g][オyェォsLji ヌチヘリフチヘワ[ ェォsW ェyノリ ェォsWロノチ[ュsVノモチ?: NRPLSチNRP ェyオRカゥォs
(ALiオウRカxmsヒウマチ xmsシスャsオウjカ) ゥォsWウTカヨd�チ, ヌチレゥアs 1:g][オyェォsLji Fsシス。サRスフチ xmsエRカNRPLi NTPLiオRカ サRスェォsVNRPV ツソチLiオyヨチ=ゥォs 22 ノモチ.FsLi.zqs.フチ ヌチヘリフチ ェyノリ xqsLigRiセサス[ュsVネチャs NRPLSチNRP xmsヒウマチVサRス*Li xmsbP。iオjカ. g][オyェォsLji Fsシス
416 :
·[LiオRカ :2001/06/02(土) 12:42
セサスフチVgRiVョオカ[aRPLi FyLi @オウRカRPVャsgS GNRPgkiェォsLigS FsャsZNPゥォs
@ゥォsLiサRスLRiLi xmsシスヌ・ ツソチ[xqsVォs・ソRチLiオRカヒリハチV ゥyクRカVVイRカV.
417 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/06/02(土) 12:44
豚とヤッたあとはコーラで精子をちゃんと洗い流してやれよ。
418 :
·[LiオRカ :2001/06/02(土) 12:47
カ。ツメ猩エハ・ヌユ 1 ツリオヤヒ鰓チ筥ノウメ、リツ簔・
ヘツ靨キミ倏メミ。ムコハムァ、チ犒ラヘケササェ.
コリ。テヌコ、メ。リョヤヌムエセテミケムコハヤコチム霽萸簀コメァテルサ猝セツメコ鰓
ナエハヤキクヤコヘテ・テムーヌヤハメヒ。ヤィ
、エユ、ケ罨鯊ム。エヤセテ罍ナ鯡テリサ
テル魴ムヌ眷鯢ヌメツテ鰓ツナム。犇遑
419 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/06/02(土) 12:48
末法の仏道修行は勤行と折伏に尽きる。勤行とは、御本尊を信じ南無妙法蓮華経と唱える三大秘法の修行であり、そしてこの三大秘法を人に勧めるのが折伏である。
勤行は自分自身の修行であるから「自行」といい、折伏は他人を教化し救う修行であるから「化他」という。末法、ことに広宣流布以前の謗法充満の世においては、自行と化他が車の両輪のごとく相俟って、始めて完璧なる仏法の実践となる。すなわち自分が御本尊を信じ南無妙法蓮華経と唱えるだけでなく、人にも御本尊の功徳を教え信心を勧めていくことが、大聖人の仰せのままの正しい仏道修行である。
大聖人は自行化他にわたる仏法の実践について
「南無妙法蓮華経と我も唱へ、他をも勧めんのみこそ、今生人界の思出なるべき」(持妙法華問答抄)
「我もいたし、人をも教化候へ」(諸法実相抄)
「唯我れ信ずるのみに非ず、また他の誤りを誡めんのみ」(立正安国論)
「末法に入って今日蓮が唱うる所の題目は前代に異なり、自行化他に亘りて南無妙法蓮華経なり」(三大秘法抄)等と御指南下されている。
420 :
·[LiオRカ :2001/06/02(土) 12:51
タフクァタコ シシチ羔マカ・ヌリソー.. ソテヌリ チ゚ 2タフチョ..(2001ウ・
シコウイソゥチ゚ソ。 エルエマエツ チ゚タフアクソ・ テ・フエツ ヌヌセニウ・ト。ア筝・アラクイ アラクョア・
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421 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/06/02(土) 12:57
422 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/06/02(土) 13:04
1、勤行
朝夕の勤行は、仏道修行の基本である。御本尊を信じ南無妙法蓮華経と唱えれば、御本尊の仏力・法力により、必ず一生の中に即身成仏を遂げさせて頂くことができる。
日寛上人は御本尊の力用と唱題の功徳について
「此の本尊の功徳、無量無辺にして広大深遠の妙用あり。故に暫くも此の本尊を信じて南無妙法蓮華経と唱うれば、即ち祈りとして叶わざるは無く、罪として滅せざるは無く、福として来らざるは無く、理として顕れざるは無きなり」(観心本尊抄文段)と仰せられている。
対境の御本尊について
さて、日寛上人が「此の本尊」と仰せられた御本尊とは、別して、大聖人が弘安二年十月十二日に御図顕あそばされた「本門戒壇の大御本尊」の御事である。
この大御本尊は、日本および世界の全人類に総じて授与された御本尊で、広宣流布の暁には本門戒壇に安置さるべき御本尊なるゆえに、「本門戒壇の大御本尊」と申し上げる。
大聖人が御在世に書き顕わされた御本尊は数多にのぼるが、それらの悉くは「一機一縁」といって、信心強盛の個人に授与された御本尊である。ここに、全世界の人々に総じて授与された御本尊は、ただこの弘安二年の戒壇の大御本尊一幅である。この大御本尊こそ三大秘法の随一、大聖人出世の本懐であられる。
ゆえに大聖人滅後においては、この戒壇の大御本尊を御本仏日蓮大聖人の御当体、唯一の帰命依止の法体と仰ぎまいらせねばならない。
この戒壇の大御本尊は弘安五年に大聖人より日興上人に御付嘱され、以来日目上人・日道上人・日行上人と次第に相伝護持され、いま広宣流布の時を待って冨士大石寺にまします。
私達が勤行の時、信じ唱えまいらせるところの対境・法体とは、実にこの戒壇の大御本尊にてましますのである。
冨士大石寺門流においては、入信者の信行が進んで不退の金剛信が確認された時、日興上人以来嫡々付法の大石寺歴代上人が、この戒壇の大御本尊を書写して授与して下さる。授与された弟子・信徒は、その書写された本尊を即戒壇の大御本尊と拝して、日夜勤行に励むのである。
ただし、本宗における御本尊の授与は極めて厳格で、入信早々に授与されるということは絶対になく、身命も惜しまぬ信心が確立してのち、始めて授与されるのである。したがって、御本尊を頂戴するまでは、すべての人が、我が家より遠く戒壇の大御本尊を遥拝し奉って勤行申し上げる、いわゆる「遥拝勤行」がまず信心の出発となる。これが本宗伝統の厳格なる風儀である。
宗門上代において、御本尊授与がいかに厳格であったかを、二祖日興上人の御指南に拝してみよう。
「富士一跡門徒存知事」に
「御筆の本尊を以て形木に彫み、不信の輩に授与して軽賤する由、諸法に其の聞えあり、いわゆる日向・日頂・日春等なり。日興の弟子分においては、在家・出家の中に、或いは身命を捨て、或いは疵を被り、若しはまた在所を追放たれて、一分の信心の有る輩に、忝くも書写し奉り、之を授与する者なり」
と。
423 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/06/02(土) 13:05
日興上人と日向・日頂等の五老僧と、御本尊に対する姿勢が全く違っていたことがよくわかろう。日向・日頂等は御本尊の尊厳がわからなかったために、大聖人御直筆の御本尊を「形木に彫む」すなわち版木におこして印刷し、それを信心もない輩に軽々しく授与していたのである。まことに不敬の至りである。この不敬に対して日興上人は
“日興の弟子分においては、信心のゆえにあるいは身命を捨て、あるいは傷を受け、あるいは追放されるなど、信心の色あらわれた不惜身命の者に対してのみ、恐れ多くも戒壇の大御本尊を書写し奉り、これを授与する”と仰せられている。
日興上人の門流(冨士大石寺)においては、御本尊の授与がいかに厳格であったかが、この御文でよくわかる。まさに御本尊は、入信時に軽々しく授与されるものではなく、信心決定の結果として授与されたのである。
ゆえに、あの熱原の法華講衆にしても、入信未だ日も浅く、したがって未だ御本尊を頂戴せぬまま、遥拝勤行に徹してあの不惜身命の大仏事を成しとげられたのである。
近年本宗において、信徒の増加にともなって、止むなく信心決定までの暫定の仮本尊として、形木御本尊(印刷された御本尊)が下附されるようになった。もちろん本宗における形木御本尊は、日興上人が日向・日頂等を誡められた御制誡に該当するものではなく正しき暫定の仮本尊であるが、これとても、よく創価学会員の入信勧誘に見られるような軽々しい下附、あるいは不信の輩に無理に押しつけるごときは、「軽賤」の罪に当たろう。
いま顕正会は、正系門家の中で創価学会が御遺命を破壊せんとするのを見て諌め、ために不当の解散処分を受けたが、この迫害により、計らずも御在世の信心に立ち還ることができた。すなわち御在世の信徒の方々が厳格なる風儀のもと信行に励まれたごとく、いま顕正会員もまず遥拝勤行に徹し、広宣流布に立ち上がっているのである。
御遺命を守護せんとして不当の解散処分を受けたことが、「或いは疵を被り、若しはまた在所を追放たれて」に当たれば、これほどの喜びはない。
やがて御遺命守護完結のその日には、顕正会員こそこの捨身の御奉公によって、時の御法主上人より、晴れて御本尊の授与を賜る資格を得るのである。顕正会員は、いま御在世のごとき厳格なる信心修行が貫けることを、誇りとしなくてはならない。
424 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/06/02(土) 13:06
遥拝勤行の心構え
遥拝勤行と、御本尊の御前で行う勤行とは、功徳において全く同じである。
遥拝勤行において大切なことは、我が家と冨士大石寺にまします戒壇の大御本尊と、いかに距離があろうとも、信心でその隔たりを乗りこえ、眼前に御本尊ましますとも通ずることはなく、もし信心があれば、千万里を隔てるとも直ちに御本尊と感応道交して、我が生命に仏界が湧現するのである。
ゆえに大聖人は、身延より千里を隔てた佐渡に住する千日尼に対し
「譬えば、天月は四万由旬なれども大地の池には須臾に影浮かび、雷門の鼓は千万里遠けれども打ちては須臾にきこゆ。御身は佐渡の国にをはせども、心は此の国に来れり。――御面を見てはなにかせん、心こそ大切に候へ」(千日尼御前御返事)
と御指南下されている。まことに大聖人の御心に通じ通ぜぬは、その人の信心による。距離は全く関係ないのである。
遥拝勤行の仕方
それでは遥拝勤行の仕方を具体的に説明しよう。
冨士大石寺の方に向って正座し、数珠を手に掛け至心に合掌する。二人以上が一緒に勤行する時は、一人が前に出て唱導し、他はこれに和する。
題目を三唱する。
方便品を読誦する。
「妙法蓮華経、方便品第二」から読み進み、最後の「所謂諸法、如是相……如是本末究竟等」のところは三回繰り返す。
寿量品を読誦する。
「妙法蓮華経、如来寿量品第十六、爾時仏告」から読み進み、「自我得仏来」以下の自我偈も通して読む。
題目を繰り返し唱える。
唱え奉る題目の数は定められてないが、通常百遍(五分)が一応の基準とされている。唱え終ってのち、改めて題目を三唱する。
御観念文
二座 本門戒壇の大御本尊御報恩
「南無本門寿量品の肝心……」と、二座の御観念文を黙読・観念し奉ったのち、題目を三唱する。
三座 御本仏・日蓮大聖人御報恩
「南無久遠元初の自受用法身……」の御観念文を黙読・観念し奉ったのち、題目を三唱する。
第二祖・日興上人御報恩
「南無法水瀉瓶……」の御観念文を黙読・観念し奉ったのち、題目を三唱する。
第三祖・日目上人および総本山歴代上人御報恩
「南無一閻浮提の御座主……」の御観念文を黙読・観念し奉り、引き続き
「日道上人・日行上人・日時上人……」の御観念文を黙読・観念し奉ったのち、題目を三唱する。
四座 広宣流布の祈念(晩の勤行では省略する)
「祈念し奉る、爾前迹門の謗法退治……」と四座の御観念文を黙読・観念し奉ったのち、題目を三唱する。さらに個人として祈念がある場合は、このあと観念し題目を三唱する。
五座 回向
「○○家先祖代々の諸精霊、追善供養証大菩提の為に」と念じ、さらに亡くなった親族などを回向したい時は、その戒名または俗名を呼んで「追善供養証大菩提の為に」と念じて、題目を三唱する。
最後に「乃至法界平等利益……」の御観念文を黙読・観念したのち、題目を三唱して勤行を終わる。
425 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/06/02(土) 13:06
勤行の内容
以上のごとく、勤行の内容は、方便品・寿量品の読誦と、題目を唱えることと、三宝への御報恩がその骨子となっている。このことについてその意義を簡単に説明する。
まず方便・寿量の両品読誦と唱題との関係であるが、両品読誦は助行、唱題は正行である。これを食事に譬えれば、唱題は主食、両品読誦はその主食の味を助ける調味料に当る。日寛上人は「塩・酢の米・麺の味を助くるが如し」(当流行事抄)と仰せられている。
すなわち方便・寿量の両品を日蓮大聖人の仏法の立場より見れば、両品はともに三大秘法の甚深の功徳を説明している経文となる。ゆえに勤行においては、釈尊の法華経としてではなく、大御本尊の功徳を讃嘆している経文として、両品を読誦するのである。ゆえにこれを助行という。
そしてこの助行の中にも傍と正がある。方便品を傍、寿量品を正とする。これは、三大秘法の甚深の功徳を助け顕わすにおいて、方便品は遠く、寿量品は近くこれを顕わしているゆえである。
次に正行たる唱題こそ勤行の肝要である。御本尊を信じ南無妙法蓮華経と唱える修行により、我等凡夫がそのまま即身成仏させて頂ける。
このことを大聖人は本因妙抄に
「信心強盛にして唯余念無く南無妙法蓮華経と唱え奉れば、凡身即仏身なり」と仰せられ
また日寛上人は当流行事抄に
「夫れ唱題の立行は余事を雑えず、これ乃ち久遠実成の名字の妙法を余行に渡さず直達正観する事行の一念三千の南無妙法蓮華経是れなり」と指南されている。
かかる有難い唱題の修行であれば、歓喜でぞくぞくするような心を以て、少なくとも五分以上は唱え奉るようにしたい。
426 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/06/02(土) 13:07
次に御観念文における三宝の御報恩であるが、三宝とは仏・法・僧である。
末法下種の仏宝とは、御本仏・日蓮大聖人であられる。流罪・死罪の大難を忍び給うて我等一切衆生に三大秘法を授与して下さった大慈大悲の御報恩は、たとえ香城に骨を摧くとも報ずることはできない。
末法下種の法宝とは、本門戒壇の大御本尊であられる。「我等此の五字を受持すれば自然に彼の因果の功徳を譲り与え給う」(観心本尊抄)とのごとく、信じ唱える我等に自然と成仏の大功徳を与えて下さる大御本尊の大恩は、たとえ雪嶺に身を投げるとも報ずることはできない。
末法下種の僧宝とは、第二祖・日興上人であられる。仏恩・法恩がいかに甚深であっても、もしこれを伝えて下さる方がおられなかったら、どうして末代の我等、三大秘法を受持することが出来たであろうか。まさに日興上人こそ末法万年に三大秘法を清く正しくお伝え下さった下種の僧宝であられる。さらに総じては、日目上人以下嫡々付法の歴代正師も僧宝である。
かくのごとく三宝の御恩徳を念じて、御報恩し奉るのである。
以上の勤行を朝晩怠けずに行うことにより、過去背からの謗法等の罪業で覆われた汚れた生命が、仏界を湧現する清らかな生命へと磨かれていくのである。ゆえに大聖人は
「深く信心を発して日夜朝暮に又懈らず磨くべし。何様にしてか磨くべき、只南無妙法蓮華経と唱へたてまつるを、是をみがくとは云うなり」(一生成仏抄)と仰せられている。
私達凡夫は、生活の苦しい時には苦しさに流されて勤行を忘れ、また楽になればなったで勤行にゆるみを生ずることがあるが、大聖人は次のごとく御指南下されている。
「苦をば苦とさとり、楽をば楽とひらき、苦楽ともに思い合せて南無妙法蓮華経とうち唱へ居させ給へ、これあに自受法楽にあらずや」(四条金吾殿御返事)
また
「世の中憂からん時も、今生の苦さへ悲しし、況や来世の苦をやと思し食しても南無妙法蓮華経と唱へ、悦ばしからん時も、今生の悦びは夢の中の夢、霊山浄土の悦びこそ実の悦びなれと思し食し合せて又南無妙法蓮華経と唱ヘ、退転なく修行して最後臨終の時を待って御覧ぜよ」(松野殿御返事)と。
この御指南のごとく、苦しい時も、楽しい時も、苦楽を乗り越えて勤行に励むところに一生成仏がある。
顕正会員は、折にふれ機にふれ本部会館に詣でて大御本尊を拝しつつ、さらに日夜朝暮に遥拝勤行に励み、以て現当二世の大利益を頂こうではないか。
427 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/06/02(土) 13:12
こうらぁーん
パズー!!
429 :
椎太:2001/06/02(土) 13:42
驚異的絶叫
430 :
·[LiオRカ :2001/06/02(土) 13:46
キユ陦テミキテヌァ。メテ、ナムァ 猊ナメ ケ. ヌムケキユ・1 チヤ.ツ.
ケメツサヘァセナ ヘエヤ狹。ハメテ テヘァケメツ。テムーチケオテユ 羯ーメケミサテミクメケ、ウミ。テテチ。
メテケ篦コメツテムーヌヤハメヒ。ヤィ (。ケテ.) 狃ヤエ狆ツヌ 靨 キユ霆テミェリチ。ケテ.チユチオヤ耆
鯏ムーヌヤハメヒ。ヤィキリ。睛 隗 。モヒケエハヤキクヤサテミ篦ェケ ・ユ鞳ヒ 鬘ムコ、ウミ。テテチ。メテオ
鯱ァ狃郢莉オメチヒナム。爍ウア ・ユ陦ケテ.
。モヒケエ 、ラヘ 1.ハヤキクヤセヤ猜ノオ 靨ァ讓ミ耆 鰲ゥセメミ、ウミ。テテチ。メテ犢 靨ケム鮖
菽 霤ヌチカヨァ、テヘコ、テムヌ眷ミシル魴ヤエオメチ 2.。モヒケエ耆 鰲ゥセメミ猊ナメキユ雍モテァヘツル鞳ケオモ睛ケ
隗犢 靨ケム鮖 3.。モヒケエ耆 鰲ゥセメミハヤケ、 鰓ヒテラヘコテヤ。メテキユ霤ムーヌヤハメヒ
。ヤィエモ犹ヤケ。メテヘツル・ヒテラヘ耆 鰲ヒチメミハチ。ムコハカメケ。メテウ ・ムィィリコムケ
431 :
法華経信者:2001/06/02(土) 14:40
こら〜
日蓮上人の御遺文を軽軽しく2chになんか
書き込みするな、このキチガイが!!!
432 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/06/02(土) 14:42
>>431 あっ、これを削除したら層化学界が抗議行動っすか?
433 :
ZENON209:2001/06/02(土) 19:58
なぜ、ここまで執拗な荒らしを受けねばならぬのでしょうか。
私の問に許し難きものを感じたのですか。それとも、レスにですか。
いずれにしても、何を許し難きと思っているのか、返答下さい。これでは議論になりません。
私は、在日ムスリムに、日本にいる以上、日本の価値観を考えて行動してもらいたいのであって、他意はありません。ムスリムに、この神国日本において、ムスリムの、コーランは絶対だ、コーランを破ったものはイスラム法にさらして死刑だ、と云う価値観を、少なくても日本においては、押しつけられたくないのです。
言いたいことがあるのなら、正々堂々と反論して下さい。
434 :
名無しさん@お腹いっぱい:2001/06/02(土) 20:03
学会の怪談
435 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/06/02(土) 21:39
この荒らしはおそらく、イスラム教徒の仕業
そうにきまってる!
こういうことする人たちなんだよ。きっと。
437 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/06/02(土) 22:25
あのキティ掲示板あたりに出没してる輩じゃないの?(ワラ>真犯人
狂信者丸出しのやつ何人かいたし、やりそう
438 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/06/02(土) 22:58
439 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/06/02(土) 23:48
私は富士大石寺顕正会員だ!
イスラムを茶化すだけで日蓮大聖人に帰依しない日本人を
折伏してるのだ!
440 :
ZENON209:2001/06/03(日) 01:26
>>439 ネタですか。マジレスですか。
ネタなら、杓伏という布教方法をとっている創価学会とイスラムの双方を茶化しているのですか。
マジレスなら、よく読んで下さい。小生は、イスラムを茶化しているつもりはありませんよ。
確かに、一神教、そのものに嫌悪感を感じますが、一神教の世界では、イスラームは、他宗教に寛容だった歴史は長いと思っています。その上で、少なくとも日本に住んでいる以上は、日本の価値観に基づいた行動をしてほしいと思っているのです。
そんなことよりも、まともに議論もしないで、一方的に貼り付ける行為を日蓮上人ががお喜びになると思いますか。上人は、あつく、徹底的に死を恐れず、議論して言ったのです。こんな行為は、上人の杓伏行為とは、無縁です。
441 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/06/03(日) 09:02
>>440 >一神教の世界では、イスラームは、他宗教に寛容だった歴史は長いと思って
>います。
まああくまで一神教の世界に限れば、だけどね。でもその教えが激しく変容して
来ているのは、世界各地のイスラム信者によるテロが証明してるよな。今回の事
件でも、信者の痛さがよー出てたし。特に日本人の信者は、何考えてるのか全く
理解できん。そんなに自分達が絶対に正しいと思うなら、とっととイスラム圏に
移住すりゃいいのにさ。結局豊かさが捨てられないくせに偉そうなことばかり言
いやがって。これだから狂信者って嫌い。
>少なくとも日本に住んでいる以上は、日本の価値観に基づいた行動をしてほし
>いと思っているのです。
激しく同意。たったそれだけのことなのにね。ほとんどの人は、問答無用で出て
けとまでは言ってない。「自分たちにも非はあんだろ?そこ直せよ」というのが
主な主張なのに。それを一方的に自分達の正義を主張するから、あんだけ反感買
うんだ。
全く聞く耳持たないなら、本当に出ていってほしいよ。
442 :
:2001/06/03(日) 09:48
それ以前に、
不法滞在、盗難車とわかっていて売りさばくこと自体大問題。
宗教がどうの以前に出ていってほしい。
443 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/06/03(日) 11:10
>>442 激しく同意。この機にまずはそこを徹底的に調べて欲しいね。俺の周りでも
盗まれた奴がいるんだが、このパキ共がその片棒担いでるんだったら許せ
ねぇ。警察はやつらの恫喝なんか真に受けず、がっちり取り締まりすりゃ
いいのにさ。公安だって、大義名分がついてやりやすいんじゃないの?
444 :
衝撃の名無しさん:2001/06/03(日) 11:16
>>440 >>441 確かに一神教だけにですね。同じ神を違う名前であがめていた
という考えですから。仏教も神道も多神教ですから、邪教だと思われてます。
445 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/06/03(日) 11:17
>439
あなた本当に仏教やってんの?
日本の仏教って堕落している、と思わない?
死体に群がるハイエナ産業、集票マシーン。
宗教としての純粋性ならイスラムのほうがはるかに上。
446 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/06/03(日) 11:19
>>445 その純粋性が、当該宗教以外の人間に迷惑なんだけど。
純粋なら自己中でもいいってか?
宗教なら自己中でもいいってか?
447 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/06/03(日) 11:22
>>445 堕落していようともハイエナでも集票マシーンでも、神のためなら
人を殺すことすらも正当化されるようなイスラムよりはるかにマシ。
448 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/06/03(日) 11:26
>445
良いとは思わない。イスラムは嫌い。でもそれ以上に仏教に怒りを
覚える。
生命を賭して日本に来たザビエルに信長が一目置いたのは理解出来る。
比叡山焼き討ちも理解できる。
もはや日本仏教は宗教ではない。
449 :
ZENON209:2001/06/03(日) 19:28
>>448 このスレは、半島人以外の、在日について考えるスレにしたかったのだが、
小生は、仏教についても言いたいことがある。
仏教は、輪廻転生をうたっているではないか。解脱したものだけが、永遠性をえるのではないか。すべてのものには、実体がないのではないか。
墓で手を合わせても、それは単なる物体である。 すでに生まれ変わっている。
墓で手をあわす事、寺で手をあわす事、これは、本来神道の発想である。
よって、石仏を破壊したタリバーンは、本来の仏教からして正しい。
ただし、ムスリムがコーラン破りを死刑にするのなら、間違った仏教観といえども、仏教徒はアフガンムスリムを死刑にする道理がある。
450 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/06/03(日) 19:31
「層化せんべいの癪撫苦に屈するな」でスレ作れば?(藁
このキティガイ文書、顕正会だと思われます。
葬火は大石寺遙拝っていう流儀無かったはず。
珍群はなんも考えてないし。
452 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/06/03(日) 22:20
age
453 :
まただぜ・・・:2001/06/03(日) 22:43
http://www.cnn.co.jp/2001/WORLD/06/03/philippines.kidnap/index.html フィリピン人質、「6人救出2人死亡」 ゲリラは逃走
人質をとったアブサヤフと交戦するフィリピ国軍=フィリピン・バシラン島で
2001.06. 3
Web posted at: 6:57 PM JST (0957 GMT)
フィリピン・ラミタン――5月末にフィリピン・パラワン島で観光客ら20人がイスラム武装組織「アブ・サヤフ」に拉致(らち)された事件で、フィリピン国軍は3日午前、人質とみられるフィリピン人2人の遺体を発見したと発表した。またアロヨ大統領は2日夜、テレビ演説で「人質6人が救出された」と明らかにした。人質が監禁されている南西部バシラン島では2日未明から、人質救出作戦を開始した国軍と抵抗するアブ・サヤフが激しく衝突していた。
フィリピン政府の発表によると、救出された人質6人のうち、リゾート職員や8歳の男児などフィリピン人4人の身元が明らかになっている。
一方で国軍は3日朝、アブ・サヤフ約60人が人質をたてに、バシラン島北部の町ラミタンの病院から逃走したと発表。追走した部隊が、町の外でフィリピン人2人の遺体を発見したという。2人はともに、人質になっていたパラワン島のリゾート職員とみられる。片方の遺体は、首を切り落とされていたという。いずれの遺体も状態が悪いことから、1日ごろに殺害された可能性があると見られている。
国軍幹部によると、アブ・サヤフは残りの人質を連れて、ジャングルに逃げ込んだ。米国人人質もなかに含まれていたという。
アブ・サヤフは5月27日に、パラワン島のリゾートから観光客ら20人を拉致した後、拠点バシラン島へ移動。途中で漁民10人も人質に加え、2日未明には同島北部の町ラミタンに入り、カトリック教会とその教会が運営している病院を襲い、医師、患者、聖職者らを新たな人質にした
454 :
まただぜ・・・:2001/06/03(日) 22:49
>>448 まあねぇ。あくまで仏教とイスラムを比べれば、俺的には仏教の方が
まだましってだけなんだが。そもそも宗教大嫌いだし。
>生命を賭して日本に来たザビエルに信長が一目置いたのは理解出来る。
確かになぁ。
>比叡山焼き討ちも理解できる。
比叡山焼き討ちは、徳川幕府以降の政教分離において、非常に重要な
役割を果たしたのかもしれん。そういう視点で歴史を見てみると面白
いかもな。
455 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/06/03(日) 23:49
>>生命を賭して日本に来たザビエルに信長が一目置いたのは理解出来る。
>確かになぁ。
これはちょっと違うのでは、信長がキリスト教を認めたのはザビエルを
尊敬したからではなく、西欧の先進知識や貿易からもたらされる利益に
注目したからではないでしょうか。
リアリストとしての側面、楽市楽座など既成概念の否定の姿勢から、単に
理想よりも実益を選んだ結果と言う風に思います。
話は変わりますが、すでに出てるかもしれませんが、
コーラン破り捨ての反論材料として、バーミヤンの石仏破壊事件を持ち出し
イスラムの独善性を批判できるのではないかと思います。
456 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/06/04(月) 02:04
>>455 >バーミヤンの石仏破壊事件を持ち出し
激しくガイシュツなんですが、時おり現れる狂信者と思しき連中の耳には届か
ない模様。
457 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/06/04(月) 03:38
イスラムは嫌いです。ここは日本だ。勘違いするな。嫌なら国に帰ればいい
458 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/06/04(月) 03:41
宗教なんて詐欺とおなじさ。
搾取する為のシステムだよ。
459 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/06/04(月) 05:40
なんだかみんなも過剰反応だねぇ。
そりゃ俺だってイスラム教徒とは結婚できないと思ってるけど、
友達にはなれると思う。だって相手のタブーに触れなきゃ
いいだけの話じゃん。べつに豚肉食って怒られる訳でもなし。
だいたいコーランなんか破りゃしないだろーマトモな常識人なら。
460 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/06/04(月) 06:25
>>459 同じくマトモな常識人なら、殺すだの何だのと叫びちらしたり、
非を指摘されても聞く耳持たずなんてことはしませんな。
461 :
ZENON209:2001/06/04(月) 19:30
そのとおり、ムスリムの信仰を否定するつもりはない。
彼らが、イスラム法が、ここ日本でも、当然通用するはずだという態度を示すから、腹が立つのだ。
462 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/06/04(月) 19:38
>455
秀吉がまだ若かった頃、信長に小便を引っかけられた。
秀吉は怒った。
信長はそれを見て、秀吉を認めた。
信長にはそういうところがある。
既得権にあぐらをかく仏教徒と身命を賭して来日したキリスト教徒
を比較したのではないか。それがあの残酷ともいえる焼き討ちに
つながった。
463 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/06/05(火) 00:00
age
464 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/06/06(水) 18:33
定期age
465 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/06/06(水) 19:43
分かろうともしないムスリムに、分かってくれと訴えるのは無駄だよ。
何か事を起こすのを待って、徹底的弾圧を加えるのが良策だよ。
日本人を無差別に殺すとのたまった以上覚悟はあるんだろ?
466 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/06/06(水) 21:55
だめなのはパキだけだろ。バングラディシュもだ!
467 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/06/06(水) 22:17
ODAとか利権があって、たとえムスリムでも尻尾を振る奴がいる。
人権とか仕事があって、たとえムスリムの無差別テロであろうと理解を示せとさとす奴がいる。
誰も主体性がない国。
一人として主権を守ろうと出来ない国。
ブス女がムスリムの女房になる国。
役人がタイで少女を買う国。
誰も自分の考えをいえない国。それで誰もが得している国。
自分の身は自分で守るしかない。
ムスリムがこちらに近づいてくれば俺は殺す。
「何か武器を持っていた」と言えば済む。
468 :
怒:2001/06/06(水) 22:22
神国日本を汚す
パキ野郎の口に
豚足をぶちこめ
469 :
ZENON209:2001/06/07(木) 19:43
やくざが、ああいう態度に出るのは、正当だと思う。
縄張り内で、犯罪を犯しているのだもの。挨拶料をとるのは、当然。払わなかったら、嫌がらせはするよ。
それを、ムスリムは衆を頼んで封殺しようとする。
日本にアサシン団のようなムスリム犯罪組織をつくらせるな。
早期に、ムスリムを追放することを求む。
470 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/06/07(木) 20:07
コンフィデレーション
471 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/06/08(金) 22:58
アフガンムスリムは、国連と対立してるって。
472 :
ZENON209:2001/06/09(土) 04:57
気になる投書があったので、朝日「声」に、メールで投稿したが、載らなかった。文章力のなさのためか。
ムスリムの方にも
日本理解を求む
六月一日付け本欄に、アフガンムスリムの方の投稿が載っていました。富山「コー
ラン」破り捨て事件に対して「相互理解を」ということでした。国際化のなか、他者
の文化、宗教を理解するのは、大切なことだと思います。しかし、今回の事件の反応
については、日本にいるムスリムの方こそ、もっと日本について理解してもらいたい
と感じてなりません。
確かに、イスラム教に対する日本人の理解は、低いかも知れません。でも、それは
ある意味仕方のないことだと思います。神道と仏教が中心の日本で、イスラムに対し
て、充分な理解を求めるのは、無理だと思います。逆に、イスラム圏の方は、日本の
神道についてどれだけ理解をしているのでしょうか。
ということで、日本人にとって、そして、日本の法律にとって、コーランは、一介
の書物にすぎません。本を破って、ばらまいただけでは、そう大きな犯罪にはならな
いでしょう。
小生は、ムスリムが、富山県庁、富山県警、外務省に大挙しておしかけ、逮捕や死
刑を要求したのは、大いに問題があると思います。それは、日本の法運用に大きな変
更を求めることになります。日本の、法運用では、破られたコーランが、たとえ盗ま
れたものであったとしても、とても死刑にならないでしょう。厳罰を警察に要求する
のは、罪刑法定主義を崩す事になり、日本の人権体系を無視した要求だといえます。
法律を変えるのは、国会であって、警察ではありません。
日本には、日本の価値観があります。人権はその一つです。日本にいるムスリムの
方は、イスラムへの理解を求める前に、日本のことをもっと理解してもらいたいと思
います。イスラムの価値観が、世界中どこでも通用するわけではないのです。イスラ
ム法は、日本では適用されません。もし、自国の価値観で、他国に処罰を要求できる
のなら、仏教徒はアフガニスタンに、石仏をを破壊したタリバーンの処罰を要求でき
ることになります。
今回の、コーラン破り捨てに対して、ムスリムの方は、警察に押し掛けるのではな
く、イスラムへの理解深化をはかるような行動をしてもらいたかったと思えてなりま
せん。
473 :
mode2001:2001/06/09(土) 15:56
>>469 公安当局は、なぜ、外国人を逮捕せんのだ。不法滞在者が、犯罪者と化していくのは、見えているではないか。
474 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/06/09(土) 16:23
ここは日本だ。イスラム教徒の国ではない。あいつらがちゃんとした滞在許可・ビザを持ってるのかどうか調べるべきだ。
475 :
ZENON377:2001/06/09(土) 18:55
不法滞在や、犯罪外国人を追放できないのは、法律の不備か? 警察の怠慢か。
476 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/06/09(土) 18:56
人員と予算の問題です(笑)
477 :
ZENON377:2001/06/10(日) 06:52
この問題は、日本社会を分裂させるか、否かの問題だ。風俗の取り締まりなんかに人員を回さず、外国人取り締まりに人員を集中せよ。風俗課を大幅縮小して、国際課の人員を大増員せよ。
野党や公明党に配慮しない小泉内閣ならできるかも。何度もいうが、これは日本社会を守るか、否かの問題だ。
日本を、ムスリムに乗っ取らせるな。
478 :
そう!:2001/06/10(日) 07:05
そのためにも外国人参政権なんてバカげた法案は通過させてはいけないね!
公明党・民主党が推進に熱心です。
479 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/06/10(日) 23:51
>>472 朝日じゃダメでしょ。読売か産経あたりに投書してみれば?
俺はあんたの意見に賛同するけどね。日本人の理解不足もあるが、ムスリムの
理解不足もあるんだってことは主張すべきだよ。
480 :
名無しさん@お腹いっぱい:2001/06/11(月) 00:07
盗難車、中古車の輸出、それに伴う不法駐車などなど。
うまく、宗教迫害問題にすりかえられた。
えせ・ムスリム
481 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/06/11(月) 00:15
>>480 そうなんだよね。彼等が自らの正義を主張するのであれば、まずは彼等の問題
をきっちりチェックすべきだよ。全員じゃないけど、不法滞在者だって少なか
らずいるのは事実でしょう。なんで日本政府と警察、出入国管理局はそこを徹
底的に洗わないのかね?
話し合いのテーブルにつくのは、正規の滞在許可を持って、犯罪行為に荷担せ
ずに生計を立てている人間のみに限定すべきだと思うが?
日本はやり方が甘すぎるんだよ。アメリカとかだったら考えられないね、こん
な甘い方法は。徹底的に白黒つけるべし。
482 :
ZENON377:2001/06/11(月) 06:30
>>479 私の投稿のあと、「やはり日本人がもっと理解を」のような趣旨の投稿が載っていたんだよね。在日ムスリムアフガンの一方的な言い分と思って反論したんだけど、反論は載りにくいのかな。
483 :
479:2001/06/11(月) 07:43
>>482 朝日みたいな左よりの新聞にしてみりゃ、この手の意見はやっぱ載せないでしょ。
「読者の声」とか言いつつも、しっかり検閲が入ってるという良い例でしょうな。
「マスコミはわざと過激なところを写してる」なんて言ってたヴァカムスリム共
が、この検閲もどきについては何てコメントするのか聞いてみたいもんだ。
そう考えると、やっぱ2ちゃんみたいに匿名&ほぼ検閲0に等しいところって
のは、良くも悪くも面白いよな。玉石混合だから、書かれた内容を全部鵜呑み
にしちゃうような思考停止野郎や、議論というものができない(反論に対して
感情的な対処しかできない)ヴァカには向かないところだけど。
マスゴミだって遠慮無しに叩かれるし、連中にしてみりゃ潰したくてしょうが
ないだろうな。何でも「差別だ」とか吠えれば済むと勘違いしてる似非人権
野郎や宗教狂いにしてみても、自分達の意見が必ずしも肯定されないから鬱陶
しくてしょうがないだろうし。
ヴァカムスリム共は「2ちゃんからの書きこみ=荒らし」という風に考えてた
みたいだが、誰が書いたかなんて先入観にとらわれず、正しい指摘かそうでな
いか、それぞれの書きこみを見て考えればいいのにね。それをしないで
「2ちゃんだから」って考えるのは、俺らが「パキ=犯罪者」って考えるのと
何ら本質的な違いはないんだがね。結局彼等がやっていることも、彼等が非難
している日本人達と何ら差はないということに気がついてないのが本当にイタイ。
自分の目で見て考えることを放棄した「思考停止君」らしい言動だなって、例
のイタイ掲示板の騒動を見ててつくづく思ったよ。
484 :
ZENON377:2001/06/12(火) 05:29
一神教信者の思考停止って恐いよね。その教えがあるから、他のことにまで思考停止時様態になってしまうのかな。
僕らはね神道の世界に生まれて、ホントによかった。
485 :
名無しさん@お腹いっぱい。:
age