>>26 >ある園では、未婚既婚を問わず女性が生活する大部屋に、結婚相手である男性が枕を持って通う結婚生活が強いられた。
「あんまり公開の場では言いたくないことで、もう惨めな結婚生活でありました。14畳の部屋に12人ぐらいの女の人が生活をしておりまして、そこに通い婚で男性が泊まりに行くという状況で、夜になると布団の上がり下がりとか、息遣いまで隣の者に分かってしまうというような結婚生活でもありました」
(原告A)
夫婦舎ができた時代も、当初は雑居であった。「私たちが結婚した昭和32年当時は夫婦舎がありましたが、夫婦4組が何の仕切りもない21畳の大部屋に押し込めれらていましたので、それぞれの夫婦が4隅に顔を向けてまわりを気遣う形で抑制的に夜の営みをしておりました。今にして思えば私達は人間扱いされていなかったのです。」
(原告B)
「12畳の部屋に4組の8人が生活するというのは本当に窮屈な生活でした。床をとって寝るときに、隣の夫婦との、布団を敷いたとき少ししか隙間がないような状態でした。」「本当に、今口に出していうことはできません。本当に惨めな生活だったと思います。」
(原告C)
これは、訴えてる方で、多くのらい病患者の方々はむしろ奇形乱交、スワップパーティーで
毎日楽しかったそうだ。むしろ、いっぱい子供が出来ても困るからおろしてくれと患者の
方から、頼んでくるほどで、職員もさすがに驚きを隠せなかったと聞く。
「ここは戦争に行かなくてもいい楽園のような場所だった。」
「訴えているのは、療養所の組織にうまく順応できない人たち、他の社会にも
いるでしょ?そういう人。そういう人が特定の政治団体の方と結びつき国にお世話になった
恩も知らずに政治団体の方から教わった、国から金を取る方法を考えただけのものだと思う。」
(療養所で暮らす患者の証言)