>>518 > だから、その評価する基準となる真理は何かと問うているのだが。
とりあえず上の数学の天才児の例え話に、ちゃんと答えてみようか。
個人的価値観は尊重される。
しかし個人的価値観の集合を、社会的価値観とは認められない。
社会的価値観とは、様々な価値観を持つ個々人が衝突しながら確認してきた価値観のことで、その現実性有効性が確認された物であるのだから。
自らの生の価値を判定するのは個人的価値観で一向に構わない。
その人の生はまさにその人自身の物だからだ。
しかし個人的価値観の判定とは別に、社会的価値観からも評価されることを免れない。
この地上にひとつも真理が確認されていなければ、あらゆる個人的価値観は"平等に"幻想にすぎないと言えただろうが、
残念ながら我々は、いくつも人為を超越した真理と言える物を確認してしまっている。
> んん。自分の財産を自分で守れる強者が、なぜ強者と契約を結ぶんだ?
何も持たない乞食と取引しようとする人はいませんよね。
あなたが何を差し出そうが、彼は何もあなたに提供できる物はないのだから。
> 生と真摯に格闘してエヴェレストを上った末の知見なのに、幻覚とは言えなぜ有効性を否定されるのだろうか?
幻覚と現実を混同するのは、"真摯に"現実と格闘する態度とは言えませんね。
そんなバカな主張が通じるのなら、麻薬でもやってその幻覚体験を言いふらしたらいい。
そしてその後は精神病院に監禁されて一生を過ごせ。