【内閣府調査】「漫画イラストも児童ポルノ規制対象に」約9割★53
もうひとつ。どうでもいいことかもしれないけど。
>牛にも自分の子供を育てる権利、つまり仔牛のために乳を出す権利は認められますよね。
家畜にそんな権利認められるかな?
繋がれて人が飲むために搾乳され、仔牛は別の場所で育てられる。
そして乳が出なければ肉にされる。つまり、一番大切な「生命」を奪われる。
権利なんてないに等しいと思うけど。
もちろん、酪農家を否定したいわけじゃないよ。
牛乳も牛肉も美味しいし、感謝してる。
でも、あんたが言うような権利は本当にあるのかな?
>>4 現状、作者不明のコンテンツに対しては、暴力装置は
裁くことができないはずなんです。
製造責任を問えないので。
作者が明記されてるコンテンツと作者不明なコンテンツが
いっしょに混在してる場合、暴力装置が裁くのは高い確率で
作者が明記されてるコンテンツです。
ニライム案はそれに対して、作者が分かってるコンテンツ=合法
作者が不明なコンテンツ=非合法、と分けているので
それだと暴力装置は作者不明のコンテンツを新たに非合法として裁くことになる。
論点はその部分なんです。
表現の自由の観点では、匿名のコンテンツを非合法とするなんて許せない
という理屈は正しい。
しかし、暴力装置が裁くのは常に作者が明記されてるコンテンツだけ
というのもまた、法の下に平等の原則に反していて問題なんですよね。
>>558は
>>532の方の説明になっちゃうかな。
ごめん。ちょっとずれてた。
ただ、人間の持つ精神と動物のそれははっきり違うといえる。
思想や言語は、国家を形成してきたものでもあるし、
これも動物は真似できないこと。
だからここについても説明が必要だよ。
あと、「社会契約」は自然権を確実に守るために契約して国家をつくることで、
暴力装置はあくまでその傘下に収まる。
価値の裏付けとして暴力を行使するというよりも、
その価値がなければ暴力を行使するのは不当なものなんだよ。
「自然権」のもとではね。
「上位概念」によって暴力が使役されるってのはそのことで、
序列的には 権利>国家>暴力 だ。
>>275の序列とは逆になる。
>>552 > 僕がコレステロールによる死の危険を受け入れて、唐揚げの美味を優先したとして、それが高く評価されるとはとても思えない。
つまり唐揚げという料理を、自己の損得を超えた価値として高く尊重しているわけですよね。
> 少なくとも、君の説明ではなんの論証もされていない。
聖ペテロが師の教えに背いて抜刀し斬りつけた時、イエスの教えよりも剣を選んだわけですよね。
> でも、バーリトゥードで殴り倒して奪い取ったわけじゃないよね。
> もしそうすれば、「蛮族の奇習」と言われただろう。
取引での失敗、つまり金のリアリズムでの敗北は、殴り合いの戦いでの敗北と同じ意味を持ちます。
何せ金(食糧&エネルギー)は、自分の死に直結するリアルな力ですから。
実際赤毛のアンのマシューのように、投資に失敗してショック死したり自殺したりした人は、これまでたくさんいましたよね。
> いや、社会契約は個人の自由や所有権を保障するために結ぶのだが。
個人の自由や所有権を保障するために、契約者が我慢しなければならないことが確認されますよね。
社会契約の契約者には、我慢しなければならない自由の損失があり、それは当然精神的自由にも及ぶ。
> 自然状態でも尊重されていたであろう概念を、確実に安定して守るために社会契約を締結するのであって、
> 社会契約以前以後で尊重されたりされなかったりするようなものではない。
自然状態で、誰が他人の何を尊重するというのでしょうか。
自然状態で尊重されるのは、自分自身の生命と、それを保証する自らの実力だけです。
しかし世界チャンピオンもいずれは引退するのだ。
自らの実力が衰える未来を予想できる知能こそが、有力者が(弱者がいくら集まって何を契約しようが無駄だ)、社会契約に臨む最大の動機なのではないですかね。
>>553 > 努力があったとしても、自己の死から演繹されるのは自らの時間のみじゃないの?
自らの時間を代償に得た物には、正当な所有権が認められますよね。
> いやだから、所有権は自らの時間のみにしか及ばないのに、なぜ他者の時間を利用して、
> 他者の時間を搾取するような構造が肯定されうるのかを問題にしているんだけど。
自らの時間を代償に得た物には、正当な所有権が認められますよね。
他人がそれでどれだけ損しようが、自らの生存が第一ですから、それは二の次の話ですよね。
> 老朽化した製造設備を更新したり、新しい特許権を取得するのは、まさにその資本の運動だと思うんだが。
資本を運動させているのは、リアルな人の力ですよね。
もしその運動を資本が停止するなら、その資本は死ぬ。
資本も死ぬのだ。
資本は不老ではあるが不死ではない。
> 問題は、その企業で働く人々の手にその剰余価値があるのではなく、
> 過去の死んだ人々の労働から構成される資本が、その剰余価値の全てを取得することにあるんではないだろうか。
いや、その資本をどう処分するかは、その企業で働く人々の勝手ですよね。
>>554 > 問題は非合法な創作物や、反政府的な内容の創作物や
> 合法か非合法か分からない作者不明な創作物が扱いに困ってしまうのだと思う。
> 著作権システムは作者がはっきり分かることが前提のシステムだから
ここは確かに問題で、疑わしきは被告人の利益にとか言っちゃうと、匿名でやりたい放題の2ちゃんねるみたいな状態になってしまいますから。
>>555 ここで社会に対する影響での規制を認めてしまうと、なし崩しに社会法益での規制を認めることになってしまい、二次規制不可避に陥ってしまいますからね。
>>557 > 全く別の社会契約でも構築するか?
文書化されていない、その契約の内実はなんだったんだろう?という素朴な疑問について議論中であります。
> 問答無用で殺されたら所有権もへったくれもないだろうに。
問答無用で殺されて所有権を失うのは哀れですよね。
しかしなぜそんな不幸な人を私たちは哀れに思うのでしょうか。
それはただ単なる感傷などではなく、何らかの確実な理由、つまり真理があるはずで、それを確認しようとしていますよ。
>>558 > 動物に文法が操れる?人間ほどの論理的な思考ができる?
> 無理だよ。脳の構造が違いすぎる。
> これほど高度な精神的な営みができる能力は人間固有のものだろう。
高度な精神的営みが出来なければ、何の権利もないと言うのであれば、知的障害者や痴呆症の人には何の権利もないという事になってしまう。
それはちょっと現代の私たちの考える人権概念とは違うのではないですかね。
やはり人権は実定法に属するとしたほうが、論理上無理がないのですよ。
> ロック的に言えば、そんな制限はありえない。
社会契約によって自由が制限されたのに、精神的自由だけはある!と強弁するほうが、無理があると思うのですが、どうでしょうね。
>>559 > でも、あんたが言うような権利は本当にあるのかな?
人間も動物の一種でしかなく、他の動物と自然本性にたいした違いはない。
よって自然本性を理由とする自然権は、動物にも同じように認めなければなりませんよね。
神様が地上を支配させるために造った特別な動物が人間だ!と言うなら話は別ですが。
>>560 > しかし、暴力装置が裁くのは常に作者が明記されてるコンテンツだけ
> というのもまた、法の下に平等の原則に反していて問題なんですよね。
いや、そこは不平等でいいと思う。
現状日本で著作権は親告罪なんだ。
駐車違反で罰金を宣告されたDQNがよく言いますね。
『おれ以外にもたくさん駐車違反しているじゃないか!全部取り締まってから、おれを罰しろ!』と。
駐車違反取り締まりに割ける予算や人員が限られているため、同じように駐車違反しても、処罰される人と処罰を免れる人とに格差が生じてしまう。
それは全く申し訳ないことで、憲法に定められた法の下の平等に反することではありますが、駐車違反取り締まりに割ける予算と人員に限界があることをよくご理解いただき、納得して貰うほかありませんね。
しかし著作権法違反は違いますよね。
親告罪ですから、10000人著作権を侵害した人がいる中で、気に入らないひとりだけを差別的に訴える権利が権利者に認められる。
私はそういう不平等な特権こそが、著作権利者の権利なのだと思っていますよ。
匿名のコンテンツはその権利を放棄したと考えられるので、普通に無主の著作物として対応していいと思います。
しかし無主の著作物として扱うのはいいのですが、その著作者が名乗り出た場合はどうするのかとか、
その無主の著作物を二次的に利用したい場合、誰に許可を得たらいいのか、みたいな問題が残っていますね。
権利者が確認できないから一切二次利用は禁止!と言うのもおかしいですし、権利者を無視して勝手にいくらくらいの供託金を出せば利用OK!と言うのも、上記の『親告罪としての著作権の特権』と相容れない考えですし。
>>563 単刀直入に伺いますが
「ニライム案は作者が不明のコンテンツは合法になるのですか?それとも非合法ですか?」
もしも作者不明のコンテンツは非合法と定義した場合、日本国内のネット上からは
すごい数のコンテンツが消える可能性が有りますね。
>>565 あ、そこは説明不足ですみません。
「ワイセツ物陳列罪」などの場合です。
作者が明確なコンテンツは罰することができるけど
不明なコンテンツは罰することができないということです。
有名なレイプレイ事件の場合、問題になったのは「違法コピーの海賊版で英訳で改造もされてる」なんですね。
それで国会議員が「作者は誰だ?」と聞いた時に
「作者は分かりません」
「作者はいません」
となったわけです。
しかしそれでは、国会議員や一部の人達の怒りは収まらない。
それで結果的に、合法的に販売しているエロゲメーカーが会議で呼ばれて
叱られました、となりました。
作者が不明なコンテンツの尻拭いは誰かがやらなければならない。
でもそれについてはみんな回答できず、逃げてしまう。
日本の現状。
>>566 > 「ニライム案は作者が不明のコンテンツは合法になるのですか?それとも非合法ですか?」
これは社会法益の規制を認める結果となりかねないので言いたくないのですが、
現実的には作者不明の制作物で、その製造過程に違法性が疑われる物は、
その作者が名乗り出て製造過程の適法性を証明するまで、違法記録物として規制の対象になるでしょうね。
> もしも作者不明のコンテンツは非合法と定義した場合、日本国内のネット上からは
> すごい数のコンテンツが消える可能性が有りますね。
"合理的に考えて違法性が疑われるような記録物"以外は大丈夫だと思うのですが、
そういった疑いがかけられた場合、その嫌疑を晴らせるのは、"特権的に"その制作者だけで、一般ユーザーには抵抗しようがないという問題は大変な被害をもたらすかもしれませんね。
やはりここは『疑わしきは被告人の利益に』で、匿名で好き勝手やる権利を認めて突っ張るらかうしかないかもしれませんね。
>>568 ご回答ありがとうございます。
著作権の場合も同じく、違法に非常に近くなります。
なぜなら、作者を見つけ出してOKをもらえるまでは危なくて扱えないからです。
下手すると、後で本当の作者が現われて訴えられて、著作権違反の賠償金を民事で取られてしまいます。
例えば、コンテンツやライセンス関係の業界では「文字の有料フォント」や
「登録商標」などが特にうるさくて有名です。
だからテレビなどでも文字や看板にモザイクがよく貼られますね。
お金をフォント販売会社などに払いたくないからです。
これが一般人だと「ニコニコからYoutubeに転載しますよ〜www」
と気軽にコピペしてますけど、本当は非常に危険な行為なんですよね。
一般人の感覚にしてみれば「文字の形にお金を払う?バカじゃないの?守銭奴がw
カスラックの手先がw」となると思うんですよね。
本当はどっちが正しいのか?日本の著作権やライセンスの商法の法律はどうあるべきなのか?
ネット時代が始まってから試練の時が来てる感じはしますね。
>>565 せっかくなのでおっしゃっていただいた
暴力装置の不平等について私も意見を申し上げると
国民の行動すべてに監視装置が付いていて罰が与えられるわけではないというのは
有りますね。
駐車違反したら監視装置の腕時計で電撃ショック1回とか。
監視装置から市役所に駐車違反のデータが送られて、駐車場の建設の
申請が議会に自動的に発議されて、コンピューターが即座に電子投票による
賛否を行なうとか。
未来の市役所はそうなったりするかもしれないですね。
著作権に関しては作者が訴えたり、訴えなかったりで差別的なケースが多いですね。
Googleでゲームを商品名で検索したら違法コピーが星の数ほど表示されるのも
普通の光景になっています。
守られない法律は無くなってもいいんじゃないか?というくらい
ネット上の著作権の法律は意味が無くなってしまってるようにも見えます。
最近よく聞くのが、著作権者はもう違法コピーに注意するのは面倒くさくて
あきらめていたら、今度は正規購入したユーザーが怒って
「じゃあ金を出して商品を買った俺はいったい何なんだ?馬鹿にしてるのか?」
と著作権者に怒りをぶつけることがある。
法律は必ず守るべきルールなのか
それとも単純な基準なのか
ネット上の著作権に関してはあいまいに揺れ動いて感じがしますね。
>>562 >つまり唐揚げという料理を、自己の損得を超えた価値として高く尊重しているわけですよね。
いや、唐揚げを食べること自体が僕にとって得なのだが。それは美味という一つの価値。
>聖ペテロが師の教えに背いて抜刀し斬りつけた時、イエスの教えよりも剣を選んだわけですよね。
そのような例もあるだろうし、「悪魔よ、試すなかれ」と退けた例もあるだろう。
いずれにせよ、君の例えでは価値の序列は論証され得ない。
>実際赤毛のアンのマシューのように、投資に失敗してショック死したり自殺したりした人は、これまでたくさんいましたよね。
自ら望んで殉教した人もいるし、宗教論争で敗れて憤死した人もいる。
問題はそこじゃない。
取引が現実の殴り合いと同じぐらい重要なものだとしても、それは「バーリトゥード」ではない。
所有権という法を前提とした争いであって、これを絶対視するのであれば、
君は暴力が所有権を侵しても良いという「リアリズム」を退けるべきだった。
取引で損害を与えられた人が、与えた相手を殺して財を奪い取るのは正当だろうか? それともリアリズムだろうか?
>>562 >人の自由や所有権を保障するために、契約者が我慢しなければならないことが確認されますよね。
そうではなく、ロック的な社会契約は所有権の範囲を明確化するんだよ。
もちろん、これは他者の所有権(=人権)を侵犯するような自由の行使は処罰されるが、
そうでないもの、つまり私的所有の範囲内で行うことは、自由が認められなければならないというものだ。
私的所有の範囲というのは、ロックの時点では家庭、後にアダム・スミスは交換によって形成される市場を付け加えた。
(これに反発したのが、ルソーであり、さんざん論じてきたマルクスの議論だった。)
だから、たとえば自分や、あるいは家族としてどんな信仰を持とうと自由なのであって、
他者の信仰を妨害したり、それを理由に危害を加えたり、あるいは国家権力がとやかく口出しするべきではない。
というのも、その信仰は自らの時間を代償にして(つまり労働によって)形成・維持する「家庭」という私的空間の中で行われることだからだ。
もっと言えば、表現の自由はこの私的空間によって形成された精神活動を、
出版・販売という自らの労働を通じて、それを読むことを望む他者に対して送り届ける活動なのであるから、
当然、ロック的な社会契約の論理では認められなければならないものだった。
(とはいえ、ロックの時点ではまだ明確にこれを論じた著作はない。アダム・スミスの交換概念の登場を待たねばならない。)
>自然状態で、誰が他人の何を尊重するというのでしょうか。
君が社会契約についてそのレベルの理解にとどまっているというのは、僕としては非常に悲しい。
この問題については、ロック的社会契約とは何かを説明した
>>281の時点で論じて終わっている。
再度、引用する。
ガルシラソ・ド・ラ・ヴェガの『ペルー史』に述べられているように、
無人島で二人の人が交易などの約束や取引をしても、またはアメリカの森林で一人のスイス人と一人のインディアンとがそのようなことをしても、
それらのことは彼らを拘束しはするが、彼らは相互の間では完全に自然の状態にあるのである。
というのは、信義と誓約を守ることは、社会[=国家]の成員としてではなく人間としての人間の義務だからである。
――ロック『統治論』
ここでロックが言わんとすることは、自然状態においても人間は自然権として所有権を尊重するであろう、ということだ。
スイス人とインディアンの間には、法は共有されておらず、社会契約以前の段階であるといえる。
しかしそうであっても、相互に所有権は尊重され、交換は正常に行われる。
ここで、白人はインディアンのものを略奪したではないか、などという馬鹿な反論をしないでほしい。
それはロック的社会契約の立場に立てば、所有権の侵犯という許されざる蛮行であり、
であるからこそ、人はそれを防ぐために社会契約を結ぶ。
暴力が先立つのではなく、あくまで所有権概念が神聖なものとして存在して、暴力を抑止している。
その神聖さを「さらに確実に」守るために社会契約を結ぶのであって、逆ではないのだ。
>>563 >自らの時間を代償に得た物には、正当な所有権が認められますよね。
自らの時間を割いて略奪したものに、「正当な所有権」を認めるべきだろうか。
僕は一歩高度な次元の議論としてマルクスを持ち出したんだが、
そもそも論として君が所有権概念をどう捉えているのか、ちょっと確認する必要がありそうだね。
>資本を運動させているのは、リアルな人の力ですよね。
>いや、その資本をどう処分するかは、その企業で働く人々の勝手ですよね。
本来はそうなんだけど、資本主義段階にまで至った社会では、資本は自らの論理で自らを動かす。
だから、労働者個人がどう思おうと、資本は個人の思いなど無視して走り出すわけだ。
ブラック企業なんかその典型だよね。ワンマン経営のワタミみたいな企業は、まだ資本と経営が一致しているから、わかりやすいけども。
>やはり人権は実定法に属するとしたほうが、論理上無理がないのですよ。
ちなみに、当たり前の話なので書かなかったが、ロックの言う所有権は実定法ではなく自然法だ。
というか、ケルゼン以前の法学なので、法実証主義自体がそもそも明確な理論として存在していないだろう。
作者不明のポルノコンテンツに怒った人に対する責任は
問わない、あきらめて忘れようとなるなら、何も問題は起きない。
ところが、作者不明なら別人の合法の作者を呼び出して代わりに叱ったり
罰を与える、というのは筋が悪いと思う。
もしもコンテンツ業界が怒って対抗処置として今後すべて作者名は書きません、作者は名無しです
と言い出したら困るだろうし、そういう間違った方向に商人を追い詰めるのは
国内の商法が歪んでしまうと思う。
これはコンテンツ業界に限らず、ネットに関わるIT業界すべてにも言えることですが。
作者不明ならしょうがなく許すでも良いのではないかと思う。
>>571 > いや、唐揚げを食べること自体が僕にとって得なのだが。それは美味という一つの価値。
あなたが自分の死の危険を高めてでも唐揚げを食べるように、タバコやお酒や麻薬や暴走行為をくり返す人もいますね。
ある個人が自分の生命より何かを優先するのは自由ですが、それは自己の生存が第一という主張の反論にはなっていません。
死んだらもう唐揚げは食べられないから。
しかし可愛そうなので、あなたが死んだら唐揚げを墓前にお供えしたいと思います。
食べられないのだけど。
> そのような例もあるだろうし、「悪魔よ、試すなかれ」と退けた例もあるだろう。
> いずれにせよ、君の例えでは価値の序列は論証され得ない。
宗教は直接現実に影響を与えない。
信者を騙して、それで金と暴力を確保し、ようやく現実に影響を与えられるのだ。
しかし金と暴力のリアリズムは違う。
金と暴力を確保すれば、即現実に影響が与えられるのだ。
以上の通り、序列は明白。
> 君は暴力が所有権を侵しても良いという「リアリズム」を退けるべきだった。
良いとは言わない。
おそらく社会契約時に真っ先に禁じられることであろう。
何しろ所有権は、自然権に属し、人間固有の権利なのだから。
しかし力がなければ権利が守られないのも事実なのだ。
現実に作用する力として、リアリズムの優位は明白。
> 取引で損害を与えられた人が、与えた相手を殺して財を奪い取るのは正当だろうか? それともリアリズムだろうか?
その人が所属する社会の法にもよりますが、基本取引終了後の抗議は無意味。
取引は契約であり、これを反故にするような行為は社会契約下で基本認められない。
>>572 > 他者の信仰を妨害したり、それを理由に危害を加えたり、あるいは国家権力がとやかく口出しするべきではない。
> というのも、その信仰は自らの時間を代償にして(つまり労働によって)形成・維持する「家庭」という私的空間の中で行われることだからだ。
> もっと言えば、表現の自由はこの私的空間によって形成された精神活動を、
> 出版・販売という自らの労働を通じて、それを読むことを望む他者に対して送り届ける活動なのであるから、
つまりまず自らの時間を代償に『家庭・私的空間』が作られ、その『家庭・私的空間』で『精神活動』の自由が確保され、
その次にようやく『表現の自由』が認められるわけですよね。
表現の自由の前に、内心の自由が認められなければならず、その内心の自由を確保するために、自らの生存を守るための領域(テリトリー)をまず確保しなければならないと。
そして自らの生存を守るための領域(テリトリー)を確保するためにはそのテリトリーに応じた、金か暴力を確保しなければなりませんよね。
序列は明白。
>>573 > ここでロックが言わんとすることは、自然状態においても人間は自然権として所有権を尊重するであろう、ということだ。
> スイス人とインディアンの間には、法は共有されておらず、社会契約以前の段階であるといえる。
> しかしそうであっても、相互に所有権は尊重され、交換は正常に行われる。
自然状態で個人間に契約が成立するのは、それはそのほうが個人の生存にとって有利だからでしかありません。
魚の干物を売ろうと旅をする、偉大な商人の先駆者がいたとして、交換するに値する農作物を持つ人などは、交換に応じるでしょう。
海に出て魚を捕るのは大変だし、自分は畑の世話で毎日大変なのだ。
しかしこの商人と正当に取引すれば、また魚を持ってきてくれるだろうという、自らの生存に有利な予想が社会契約以前に正常な取引が行われる理由。
つまり他人の権利を尊重しているわけではなく、自らの生存が第一にあるのです。
これがもし商人が出会った相手が、交換するに値する物を持たない人なら、その人が略奪者となる可能性が高いですよね。
>>574 > 自らの時間を割いて略奪したものに、「正当な所有権」を認めるべきだろうか。
他者の所有権の侵害は、おそらく社会契約で真っ先に禁じられるだろうが、所有権には限界がある。
誰でも死ぬのだから。
そして誰かの所有を離れて無主物となった物の所有権は早い者勝ちだ。
> だから、労働者個人がどう思おうと、資本は個人の思いなど無視して走り出すわけだ。
> ブラック企業なんかその典型だよね。
ブラック企業がブラックなのは、その資本がブラックだからではなく、雇用者がブラックなだけだと思いますがどうでしょうね。
> ちなみに、当たり前の話なので書かなかったが、ロックの言う所有権は実定法ではなく自然法だ。
自然法に属する概念が一部、現代言われている人権と被ることは確かですが、
だからと言って自然権を人権の根拠とするような主張には無理があります。
なぜなら人間も動物の一種でしかなく、その自然本性にたいした違いはないため、動物にも人間と同じような権利を認めなければならなくなってしまい、
トンカツを食べるのにも豚の権利に配慮しなくてはならなくなってしまい、思想的に無理が生じるからです。
>>576 >それは自己の生存が第一という主張の反論にはなっていません。
うーん。
そもそも、自己の生存が第一というのは、どういう意味だろうか。
その人にとって第一なのか、社会にとって第一なのか?
まずここをはっきりさせよう。
食べ物やタバコのような肉体的快楽もそうだし、美術品や宗教のような美的価値もそうなのだが、
生命が少し短くなる可能性と、そのほかの価値を天秤にかけるということはよくあることだ。
>宗教は直接現実に影響を与えない。
それは単に君の価値観だ。宗教者にとっては、神が現実を作っているのであって、
金や暴力もその所産にすぎない。
>良いとは言わない。
うーん? 君は略奪について、
>>460で「勝者の特権」と表現しているのだが、これは是認しているのではないのか?
また、リアリズムが「優位」であるということは、たとえば「偉大な農業者」に腕力がない場合、
農業をできない不器用な略奪者がこれを奪い去ることは肯定されうるということだろうか?
>取引は契約であり、これを反故にするような行為は社会契約下で基本認められない。
社会契約以前では正当であると言うことか?
言っておくが、社会契約というのは、正当な人間の権利を守るための手段であって、
社会契約の以前に正当であったことが、その以後に不当になると言うことはありえない。
>>577 >つまりまず自らの時間を代償に『家庭・私的空間』が作られ、その『家庭・私的空間』で『精神活動』の自由が確保され、
>その次にようやく『表現の自由』が認められるわけですよね。
そうではなくて、ロックの社会契約ではそれらは同時に立ち現れる。
自らの時間を代償に行うのは、経済活動も精神活動も同じで、これらに序列などは存在しない。
>そして自らの生存を守るための領域(テリトリー)を確保するためにはそのテリトリーに応じた、金か暴力を確保しなければなりませんよね。
これも論理が転倒している。
まず経済活動や精神活動を行う「私的領域」が存在して、それを守るために暴力装置である国家が観念される。
自然状態では、人は他者の財産権を自然権として尊重し、私的領域は神聖なものとして尊重されるが、
市場経済が発展するにつれて暴力によって私的領域を侵犯しようとする力が発生するため、これを退けるために社会契約が生まれる。
ロックの社会契約ではまず私的領域があり、その後に暴力が現れて、最後に社会契約による国家が観念される。
>しかしこの商人と正当に取引すれば、また魚を持ってきてくれるだろうという、自らの生存に有利な予想が社会契約以前に正常な取引が行われる理由。
正当に取引すれば、相手も正常に取引をしてくれるだろうという予想自体が、
すでに「信義と誓約を守ることは、社会[=国家]の成員としてではなく人間としての人間の義務」と相互に了解しているからにほかならない。
ここが重要な点で、所有権については、社会契約以前でも「自然権」として人々が相互に尊重しあうものだという前提がある。
少なくとも、ロックの社会契約の物語では、ね。
>>578 >他者の所有権の侵害は、おそらく社会契約で真っ先に禁じられるだろうが、所有権には限界がある。
そういう話をしているのではなく、略奪の話をしているのだが。
他者の所有の下に明確にある物を略奪することは、正当であるか否か、と問うている。
>ブラック企業がブラックなのは、その資本がブラックだからではなく、雇用者がブラックなだけだと思いますがどうでしょうね。
資本と経営が分離している、現代の多くの企業では、経営者もまた、資本の論理によって動いている。
彼らの倫理観ではなく、資本からの要請によって、労働強化を行っているわけだ。
>自然法に属する概念が一部、現代言われている人権と被ることは確かですが、
>だからと言って自然権を人権の根拠とするような主張には無理があります。
うん、だから、ロックが言う所有権は「自然法」に属するという理解でいいんだよね?
>>570 監視システムの発達は、法執行の不平等をかなり埋めてくれるでしょうね。
>>575 制作者の責任と、流通公開者の責任は、分けて考えられるべきですよね。
だから有害図書規制でも、製作流通販売者に求められうのは、それが成人向けであることを明示して販売する事まで、だと思うのですが、
現状成人向けであることを明示して販売していても、未成年者が有害図書を購入した場合、処罰される危険がありますよね。
それは制作者や販売者が悪いのではなく、成人向けであることを明示されながら購入したその未成年者自身の責任だと思うのですが、なかなかそうは認めて貰えないようで残念です。
バイクや自動車の無免許運転とかは、バイクメーカーや自動車メーカーに抗議する人はいないのに、そこはおかしいですよね。
>>579 > そもそも、自己の生存が第一というのは、どういう意味だろうか。
> その人にとって第一なのか、社会にとって第一なのか?
個人にとって。
ある個人の“死“はあくまでその人の物だ。
そして人は可能な限り死を避けようとする。
今自らの健康を害したり死の可能性を高めながら、タバコを吸ったり唐揚げを食べたりしている人も、
健康を害さずタバコを吸ったり唐揚げを食べる方法があるのなら、喜んでそれを選択するであろうから。
> それは単に君の価値観だ。宗教者にとっては、神が現実を作っているのであって、
> 金や暴力もその所産にすぎない。
バカげた考えですね。
> また、リアリズムが「優位」であるということは、たとえば「偉大な農業者」に腕力がない場合、
> 農業をできない不器用な略奪者がこれを奪い去ることは肯定されうるということだろうか?
肯定はしないが、否定もしない。
権利がただあると言うだけでは無意味なんだ。
権利を守る力が必要で、その力こそがリアリズムの根源。
> 社会契約以前では正当であると言うことか?
正当とも不当とも言えない。
権利がただあると言うだけでは無意味だから。
>>583 >今自らの健康を害したり死の可能性を高めながら、タバコを吸ったり唐揚げを食べたりしている人も、
>健康を害さずタバコを吸ったり唐揚げを食べる方法があるのなら、喜んでそれを選択するであろうから。
いや、そりゃそうだろ。全く同じ条件で、健康を害さないということであれば、そちらを選択するに決まっている。
それは美味という価値でも同じで、カロリー等の条件が同一であれば、
美味しい唐揚げとまずい唐揚げなら、美味しい唐揚げを選択するに決まっている。
生存がそのほかの価値に優越することの論証にはなっていない。
>バカげた考えですね。
君がそう思うのならそうだろう。君の中ではね。
>肯定はしないが、否定もしない。
>正当とも不当とも言えない。
そこはちゃんと答えてくれないと先に進めないと思うんだが。
そろそろ500kbだな。かかったら立ててくるから。
>>580 > そうではなくて、ロックの社会契約ではそれらは同時に立ち現れる。
> 自らの時間を代償に行うのは、経済活動も精神活動も同じで、これらに序列などは存在しない。
いや、"自らの時間を代償に行う"のだから、順序はごまかせない。
種を撒いたからと言って、収穫をすぐに出来るわけではないんだ。
これを同時とは言えない。
よって明白な序列が存在する。
> ロックの社会契約ではまず私的領域があり、その後に暴力が現れて、最後に社会契約による国家が観念される。
私的領域を確保するのにも、その人の実力が及ばなければ無理ですよね。
> ここが重要な点で、所有権については、社会契約以前でも「自然権」として人々が相互に尊重しあうものだという前提がある。
> 少なくとも、ロックの社会契約の物語では、ね。
自己の生存に有利な取引相手を尊重する、自己の生存が第一という考えからであれ、他者を尊重する事が信義と誓約であるというのなら、それはそうでしょうね。
>>581 > 他者の所有の下に明確にある物を略奪することは、正当であるか否か、と問うている。
自らの生存に必要で、他に自らの生存を確保する手段がない場合に限って、略奪も正当である。
それは自然権として認められますよね。
> 資本と経営が分離している、現代の多くの企業では、経営者もまた、資本の論理によって動いている。
> 彼らの倫理観ではなく、資本からの要請によって、労働強化を行っているわけだ。
それはおかしい。
経営者が資本に使われる奴隷なら、まず自分が労働強化のために現場で働くはず。
取締役に残業代を払う必要は法律上ないのだから。
>>584 > いや、そりゃそうだろ。全く同じ条件で、健康を害さないということであれば、そちらを選択するに決まっている。
それなら自らの生存が第一、という結論になりますよね。
> 生存がそのほかの価値に優越することの論証にはなっていない。
という結論はおかしい。
> 君がそう思うのならそうだろう。君の中ではね。
いやこれはバカげていると言われてしょうがないでしょ。
> 宗教者にとっては、神が現実を作っているのであって、
> 金や暴力もその所産にすぎない。
> そこはちゃんと答えてくれないと先に進めないと思うんだが。
答えてますよ。
権利がただあると言うだけでは無意味なんだ。
権利を守る力が必要で、その力こそがリアリズムの根源。
>>586 >いや、"自らの時間を代償に行う"のだから、順序はごまかせない。
実際に行為する順序はあるかもしれないけど、概念としての序列は存在しない。
それとも、順序が即序列に直結することがなんらかの方法で論証できるだろうか。
>私的領域を確保するのにも、その人の実力が及ばなければ無理ですよね。
私的領域の確保のために、実力で武装するのであって、逆ではない。
>自己の生存に有利な取引相手を尊重する、自己の生存が第一という考えからであれ、他者を尊重する事が信義と誓約であるというのなら、それはそうでしょうね。
自己の生存に有利だから尊重するのではなくて、ロックの場合は、自然権だから尊重するんだよ。
そこはロックの自然権の肝だから、はっきりさせておく必要がある。
>自らの生存に必要で、他に自らの生存を確保する手段がない場合に限って、略奪も正当である。
じゃあ、緊急回避的状況でない場合はどうなの?
>経営者が資本に使われる奴隷なら、まず自分が労働強化のために現場で働くはず。
日本の会社の場合、一番働いているのは経営者や管理職だったりするよ。
人間が、本当に自己の生存だけを考える利己的生物であって、かつ資本が経営者のものなのであれば、
そんな状況は非常におかしいんだけどね。そうならないから、資本主義は難しい。
>>587 >それなら自らの生存が第一、という結論になりますよね。
いやいや、なんでそうなるんだ。
生存や危険の回避は一つの価値であることは認めるが、全てに優越する価値ではない。
美味という価値と生存という価値を秤にかけて、前者が優越する場合だってありうる。
君の論理を置き換えれば、
「その他の条件が同じで、美味しい唐揚げとまずい唐揚げがあればどちらを選択するか?」
という問いに対して、
「美味しい唐揚げを選択するに決まっている」
と答えたら、
「じゃあ美味という価値観は全てに優越しますね?」
と言っているのと同じで、全く論理になっていない。
>いやこれはバカげていると言われてしょうがないでしょ。
僕は宗教者じゃないから、神が全てを作っているとは思わないが、
そのような価値観の人はいるし、それが「バカだ」と決めつけるのは君の価値観だ。
>権利がただあると言うだけでは無意味なんだ。
僕は正当かどうか、肯定するべきかどうかを問うている。
権利を認めた上で、その権利を侵犯する行為は不当であるとしなければ、
ロック的自然権は無意味だし、社会契約を観念することもできない。
権利を侵犯する力があった場合に、その力を不当であるとするかどうか、
ここが一つの分水嶺であって、議論を有意味にするためにはどちらの立場に立つかはっきりさせる必要がある。
>>588 > それとも、順序が即序列に直結することがなんらかの方法で論証できるだろうか。
種を撒いたからと言ってすぐに収穫できるわけではありませんよね。
何しろ代価は自分の時間なのだから。
> 私的領域の確保のために、実力で武装するのであって、逆ではない。
武装の話はしていません。
まず私的領域の確保のために、現実に作用する力がなければいけませんよね。
神に祈ったら家とパンが現れた!なんて言うのはおとぎ話でもあまり確認できない話ですよね。
> 自己の生存に有利だから尊重するのではなくて、ロックの場合は、自然権だから尊重するんだよ。
> そこはロックの自然権の肝だから、はっきりさせておく必要がある。
自然権は後で確認される概念でしかない。
自然状態の個人が他者を尊重するのは、そのほうが自分自身の生存にとって、安全安価有利だと判断するからだ。
この段階で個人に自然権という概念に到達しろと言うほうが無茶。
> じゃあ、緊急回避的状況でない場合はどうなの?
直接的暴力による略奪は緊急回避的状況でない限り認められない。
> 日本の会社の場合、一番働いているのは経営者や管理職だったりするよ。
> 人間が、本当に自己の生存だけを考える利己的生物であって、かつ資本が経営者のものなのであれば、
> そんな状況は非常におかしいんだけどね。そうならないから、資本主義は難しい。
どう働いているかにもよりますよね。
>>589 > 生存や危険の回避は一つの価値であることは認めるが、全てに優越する価値ではない。
> 美味という価値と生存という価値を秤にかけて、前者が優越する場合だってありうる。
いや、唐揚げは個人的価値観にすぎないのに対して、自らの生存は普遍性がある。
唐揚げを禁じられても人は生きていけるが、生存を禁じられたら死ぬのだ。
優先順位は明白。
> そのような価値観の人はいるし、それが「バカだ」と決めつけるのは君の価値観だ。
現実に作用しない力に意味はない。
そんな物を信じるバカは、バカと言われてしょうがない。
> 権利を認めた上で、その権利を侵犯する行為は不当であるとしなければ、
> ロック的自然権は無意味だし、社会契約を観念することもできない。
君が不当な侵犯が成功した場合とか持ち出すから、議論が混乱しただけの話。
>>590 >まず私的領域の確保のために、現実に作用する力がなければいけませんよね。
ああ、なるほど、そういう話をしていたのか。
私的領域というのは、まず「ある」ものだ。
たとえば僕らが生まれ落ちたそのときから、僕らは肉体という私的領域を有している。
そこから、君が言うような労働や結婚を経て、私的領域を「拡大」していく。
この拡大する私的領域同士が他者のものと重なりあう場合、人はお互いの領域を尊重し、譲りあうであろう、と。
これがロックの言う自然状態であり、自らの私的領域内に及ぼしうる権利を所有権と言う。
精神的自由や表現の自由もまさにこの中に包含されるものだ。
>自然権は後で確認される概念でしかない。
上述のような「自然状態」を想定しているため、ロックは自明のものとして所有権を観念し、これを自然権と呼ぶ。
ロック的には、いわずもがなでいきなり自然権がまずあって、これを尊重するというのは人間にとってアプリオリなものなんだよ。
>直接的暴力による略奪は緊急回避的状況でない限り認められない。
認められないのか。
しかし、君はなんらの前提を置かず、
>>460で略奪を「勝者の特権」と呼んでいるのだが、これはどう説明するの?
青識氏があらかた言ってくれてるから、俺は余計な口出ししないほうがいいのかなあ?
知識量が違いすぎるし。任せていいかな?
>人間も動物の一種でしかなく、他の動物と自然本性にたいした違いはない。
>よって自然本性を理由とする自然権は、動物にも同じように認めなければなりませんよね。
所有権は自然権じゃないの?動物には認められていないみたいだけど。
あと、あんたが定義するような自然権は、少なくとも家畜には認められないことになるね。
自然本性としての生き方から著しく乖離してるわけだから。
>>559で言ったとおり、この牛は拘束され、我が子とも離れ離れになり、
本来我が子のためにあるはずの乳は人のために搾り取られる。
ここの説明が欲しかったんだけど。
>神様が地上を支配させるために造った特別な動物が人間だ!と言うなら話は別ですが。
神なんてひとことも言ってないし、他の動物をないがしろにしたいわけでもない。
でも、所有権が人間固有のものであると論ずるなら、人間と他の動物の間に差を設ける必要があるよ。
>>591 >いや、唐揚げは個人的価値観にすぎないのに対して、自らの生存は普遍性がある。
しかし、自らの生存を犠牲にしてでも、唐揚げを食べる人は多いよね。
これはなぜだろうか。
>現実に作用しない力に意味はない。
彼らはまさに現実に神の力が作用していると信じている。
そして、それを論理的に否定するのは非常に困難だ。
(だからこそ、現代でも無神論は広まらない)
>君が不当な侵犯が成功した場合とか持ち出すから、議論が混乱しただけの話。
いや、そこは混乱ではなくて、非常に重要な点だよ。
不当な侵犯が成功した場合は、どうなんだ?
これは正当なのか? それとも、「リアリズム」なのか?
>>593 僕がフォローできていない論点についても、いろいろ指摘してもらっているので、
続けてもらえればありがたい。一人で延々指摘し続けるのはしんどいのでw
>>582 >制作者の責任と、流通公開者の責任は、分けて考えられるべきですよね。
>バイクや自動車の無免許運転とかは、バイクメーカーや自動車メーカーに抗議する人はいないのに、そこはおかしいですよね。
まったくその通りです!
最近、いろいろな2ch記事コピペのブログが「最近のアニメや漫画のお色気はけしからん!」と言う。
そして「作者だけが悪い」と言う。
作者へのお色気の批判は大いに結構。言論の自由だし。
しかし、流通した人もその2ch記事コピペのブログを書いてる人も作者と
同じようにお色気の画像を不特定多数の人に繰り返し見せている。
ネットの時代では簡単にコピペできて、簡単に情報発信ができる。
だからといって画像を気軽に見せびらかして、作者だけが悪いと言い張るのは無理がある。
「製造責任」と「流通責任」の2つが存在するから。
それを作者だけが悪いと言い張るから、一般人のネットユーザーのそれぞれが
自分自身で公開するのが正しいかを判断する「自戒」から逃げてしまう。
最近、他人のコンビニや飲食店で迷惑行為をして写真で撮って見せびらかして店から民事訴訟される
ケースが有りますが、まさしくネットユーザーの「自戒」の有無の問題。
これは情報リテラシー教育でやらなければいけないところ。
プロの漫画家や、プロのテレビ局だけでなく、みんなが「自戒」をしなければいけない。
「愚行権」はおおいにやって結構だし、私もいろいろな愚行をおこなっている。
ただ、その行為の責任からは逃れられないのもまた事実。
個人的に、宗教を信仰してなくても 暴力>宗教 という序列の付け方がおかしいと思う。
イエスがハンマーを振り回しながら黄金律を唱えていたら、キリスト教は生まれなかっただろうから。
ネット世界では
「製造責任は有るが
流通責任は存在しない。」
と言う人もいるかもしれない。
これだけ情報発信が手軽だと流通責任と言われてもピンと来ないだろうし。
というか、自然権って「自然の本性」じゃなくて、
「人間の本性」から導き出されたものじゃなかったっけ?
601 :
朝まで名無しさん:2013/12/18(水) 22:46:27.71 ID:67uNcGwm
バーか、バーか!
ロリコンどもがほざいてろ!
おまえらが、刑務所に収監される日は近い。
602 :
朝まで名無しさん:2013/12/18(水) 22:47:39.54 ID:67uNcGwm
お前らのような、きもいロリコンが、社会から
1万人単位でいなくなると、ほんとすっきりするわ!
まずはこういうヘイトクレーマーを何とかしないと議論にはならないな
604 :
イモー虫:2013/12/19(木) 08:14:42.76 ID:LcjahRjX
>>513 自分が吐いた日本語理解出来てない?『長年の努力』が『人権とは、人為による創造〜』なわけねーダロwww
>個人法益でやるなら、二次規制は回避出来ます。
>個人法益でやるなら、二次規制は回避出来ます。
>個人法益でやるなら、二次規制は回避出来ます。
>個人法益でやるなら、二次規制は回避出来ます。
>個人法益でやるなら、二次規制は回避出来ます。
↑
ニフラムくん?
二次元安全神話を掲げた根拠はなんですか?
安全神話を掲げた時点で『天賦人権説』を認めている事になるぞ
605 :
イモー虫:2013/12/19(木) 08:37:01.97 ID:LcjahRjX
>>513 >個人法益でやるなら、二次規制は回避出来ます。
↑
『新しい権利はたいていの場合、古い権利と衝突しますわな。』ともキミは言っていたよね
話し合いで『見たくない権利』などが成立した場合どないすんの?BPOみたいな機関がネットに出来たら二次元は終わるよね
明らかに天賦人権説を掲げてるよね
どうやら金と暴力のリアリズムという言葉を誤解して突っかかってきているようだな。
この場合の暴力とは生きていく実力のこと。
しかしこれをあまり実力と言い換えたくないな。
動物の世界が暴力(実力)だけが支配する世界なのに対して、
人間の世界は暴力(実力)+金の力が支配する世界だというのが、リアルな現実なのだから。
人間の自然本性から、自然権、自然法を導くことが出来る。
しかし人間も動物の一種でしかないため、自然本性を同じくする他の動物にも自然権を認めなければならない。
権利の主体者を人間に限定したいのなら、人権は実定法に属すると結論するほか無い。
そして金と暴力のリアリズムも、人間や動物の自然本性から導かれる物である。
よって自然権と同じくこれは真理である。
上記の考えは人間や動物の自然本性から導かれる物で、社会によっての是認を必要としない真理である。
よって共同幻想などが入り込む隙は1ミリもない。
608 :
イモー虫:
人間は他の動物とは違う
知能レベルが圧倒的にな
そんな中で他の生命も一緒に解釈しようだなんて不可能だよ。だから自然法は現実問題人間しか対象に出来ない
それから
>>604-605に“きちんと”答えてほしい
あとマッチポンプ議論バレバレだよ痛いからそろそろやめような
青識人格とニフラム人格な