>>329 > 言っておくが、科学という「社会的価値」は、人権とほぼ同じぐらいか、あるいはそれよりも短い程度の歴史しかない。
歴史の長い短いは、その信頼性に何ら意味を持たない。
人類の歴史はアウストラロピテクスから200万年もあるのです。
そのたかだか1000年か10年かとか十分誤差の範囲内。
君も私もその存在なんか、人類200万年の歴史から見たら、ごく小さな物でしかないのですよ。
> 君が言うように「リアル」が社会的価値なのであれば、それ以前の社会においては、非科学的信念こそがリアルでなければならない。
非科学的信念を持とうがなんだろうが、どうやっても人は死ぬ。
それこそがリアル。
“死“という現実の前に、共同幻想なんか介在しようがない。
死は全くその個人の物だからだ。
> そうしたとき、一方の非科学的価値のみを「幻想」と断定する、その根拠はなんだろうか?
上記の通り"死"は紛れもなく、その人個人のリアルな現実だからだ。
> 正直、この場合は内心の自由はどうでもいい。
どうでもよくはないだろ。
内面的自由が確認されてないのに、外面的自由だけがあるという変な主張は成立しないから。
> 表現の自由は言語能力という人間固有の自然本性に基づいている以上、
ゴリラやチンパンジーが(甚だ未熟とは言え)言葉を使った事例が確認された以上、言語能力を人間固有の自然本性とは言えませんよね。
もしさらにこの主張をくり返したいなら、「言語能力を失った人間」も、自然権としての表現の自由を失うことを認めなければならない。
> それはあくまでロックの主張であって(正確には小野紀明の解説)、「確実な根拠」とはとうてい認められない。
いや、十分確実な根拠と思われます。