>>302 > しかもおまえ、二次元は絶対回避出来る!と言ってるよな?なんで絶対回避出来んの?
個人法益で規制されるなら、被害者のいない二次規制は回避されるでしょう。
しかし社会法益で規制される場合はその限りではない。
社会に対する影響力では、二次三次を分ける意味がないから。
そのかわり社会法益での規制であれば、単純所持規制には抵抗できる。
ある個人がただ持っているだけでは、社会的影響はないから。
このあたりのリスクを考えずに、単純所持規制に反対!と言っていると、二次規制を招く結果となる。
イイトコ取りは出来ない。
どちらかを選んで、どちらかを捨てるしかないんだ。
>>304 > 銅や鉄、あるいは真鍮のように生産の道具や、生活用品に加工されて使われることは稀だったと言っていい。
加工が容易という事は、リサイクルも簡単だという事ですよ。
そのため多くの金属製の歴史的遺物は、再加工されて失われてしまったと考えられる。
金や銀も、代用品が開発された時点で、再加工され装飾品のような形で保存されることになったのでしょう。
しかしそれは金や銀に価値がないことにはなりませんよね。
そしてその具体的価値は、君の認める個人の所有権を根拠とする、自由な取引によって決定されますよね。
> 社会的価値観=社会的コンセンサスを得ている価値観、というわけではないよね。
いや、そういう意味です。
> しかし、君の言うリアリズムにおいて宗教的幻想が上位の階梯にあるとは言えないだろう(少なくとも、君は認めないだろう)。
“死“を克服しようという試みは、大昔から行われていて、たとえば死んでも復活する!とか、死んでも転生する!とか、死後地獄に行く!とか、いろいろ言われてきました。
そうした宗教的幻想を廃して、死を完全にリアルな現実と捉えることが、リアリズムの第一歩です。
死後のことは知らん。
とりあえずおれらがいずれ死ぬことだけは事実なんだ。