>>277 >国家成立以前にあるのは、自然権レベルの、動物と同レベルの権利、自由だけですよね。
>人間も動物の一種でしかないので、自然本性を根拠とした権利は、人間と動物の権利を分けられない。
残念ながら、これはロックを理解できていない。
「人間の」自然本性は、動物と異なるものだ。思想史家・小野紀明の言葉から引く。
ロックは公共圏としての市民社会を経済的に基礎付ける作業にいち早く着手していた。
彼によれば、労働生産物は、単に欲求を充足させ便宜をもたらすだけの物質的財ではない。
労働(labour)とは、人格(person)の固有性(property)を本来は神の所有物である外的自然に刻印する営みであり、
それ故にこそ自らの労働生産物に対して自然権としての所有権(property)を主張しうるのである。
犬も自分の縄張りを守るためにマーキングをするだろうし、
道ばたで拾った骨を巣に持ち帰ることぐらいはするかもしれない。
しかし、犬はそうした土地や物を所有権として認識したり、尊重することはない。
(他の犬のおしっこの上にマーキングをすることに対して、倫理的戸惑いを覚える犬はまあいないだろう)
ロックは以下のように言っている。
ガルシラソ・ド・ラ・ヴェガの『ペルー史』に述べられているように、
無人島で二人の人が交易などの約束や取引をしても、またはアメリカの森林で一人のスイス人と一人のインディアンとがそのようなことをしても、
それらのことは彼らを拘束しはするが、彼らは相互の間では完全に自然の状態にあるのである。
というのは、信義と誓約を守ることは、社会[=国家]の成員としてではなく人間としての人間の義務だからである。
――ロック『統治論』
そして所有権を基礎にして、自然法的秩序が生まれる。
つまり、所有物同士の交換であり、経済学的な言葉で言えば、市場均衡だ。
人間とは取引をする動物である。犬は骨を交換しない。
――アダム・スミス『国富論』
まあ、脇道だけど、気になったのでいちおう。