【皇室】百点お妃を演じる紀子さまの過剰適応【秋篠宮】
紀子さま秋篠宮家「過酷すぎる職場」−10年間で職員10人以上が交代
■女子職員を強い口調でお説教
いまだ“途絶状態”の皇太子ご夫妻に比して、秋篠宮ご夫妻は天皇皇后とも非常に密にコミュニケーション
を取られている。
「陛下は今月中旬に検査を受けられました。心臓手術の経過が非常に良い、という診断結果に皆ホッと
しています。しょっちゅう参内されて両陛下を支えられている秋篠宮ご夫妻は、結婚記念日の直前の
週末にも、悠仁さまを連れて参内され、ご昼餐をご一緒されました」(千代田関係者)
だが、順風満帆に見える秋篠宮家にあって“心配のタネ”は、職員の不安定人事である。
秋篠宮家の職員の定員は、現在十六名。それに加えて他部署との兼任職員が三名いるが、この小さな
所帯にも拘らず、十年の間に十人以上の職員が交代しているのである。
かつて宮家に務めたある職員が、当時を振り返る。
「宮内庁の中でも、特に大変な職場だと思います。もう勘弁ですね。半ばノイローゼのようになって
退かせて頂いた職員もいましたよ。
秋篠宮家では、両殿下と職員の距離が近く、直接お叱りを受けることも多い。以前、妃殿下が
女子職員に向かって『あなた、自己中ね!』と強い口調でお説教されたことがあり、庁内でも
話題になった。ある人は『ご会見では、あんなに優雅に微笑みを浮かべてゆったり振る舞われて
いるけど、ところがどっこい家の中ではニコニコなんてない』と洩らしていました」
また、かつて秋篠宮家に事務職として仕えていた職員の一人はこう言う。
「秋篠宮家は職員の間では“ご難場”とも言われています。できることなら避けたい職場だというのが
正直なところ。辞める職員が多いのは、仕事量が多くて大変だからでしょう。
同じ宮家でも、例えば陛下の弟宮であられる常陸宮家は、お子様がいらっしゃらないため人数も少なく、
両殿下のお人柄も含めて、お務めしやすいと評判です」
実は、つい最近も、あるベテラン職員が秋篠宮家を去った。秋篠宮家の事情に詳しい関係者が語る。
「四月末に、秋篠宮家に十年ほど仕えていた料理人が退職してしまったのです。定年までしばらく
間があって、中学生くらいのお子さんもいらっしゃたはずです。もともと殿下のご友人の紹介で、
務めるようになったそうですが…」
ご結婚22周年
紀子さま 秋篠宮家「過酷すぎる職場」
10年間で職員10人以上が交代
秋篠宮家の料理人は宮内庁大膳課の職員ではなく、宮家の技官として雇われているスタッフである。
「大膳課は両陛下と皇太子ご夫妻のためのお料理を担当する部署ですが、秋篠宮家の担当の大膳課職員
というのはいません」(別の宮内庁関係者)
大膳課は五つに分かれている。一係が和食、二係が洋食、三係が和菓子、四係がパンと洋菓子。
ここまでが天皇皇后のお食事を担当し、五係が東宮の担当だ。
「秋篠宮家の場合、一人の料理人が和洋中に限らず、何でもできなければいけないのです」(同前)
かつてはこんな事もあった。子供たちの食事に気を遣う紀子さまは、食材に関しても吟味なさるというが、
「ある日、『(普段の業者から)安くて新年な魚が手に入らないのであれば、築地で買えばよいのでは
ないですか』と仰り、実際に当番の料理人が築地市場まで出向いたそうです。こうして毎日、五人家族の
三食分を用意するわけですから、かなりのハードワークであったことは想像に難くありません」(同前)
小誌では、退職した料理人に取材を試みたが、頑なに口を閉ざすばかりだった。
庁内でも、”過酷すぎる職場”と囁かれる秋篠宮家。「それは昔からのこと」だと千代田関係者は話す。
「紀子さまは一生懸命になさりすぎ…なんて言ったらいけないが、そういtった妃殿下の熱意が、
職員にとって負担になっている部分はあるでしょう。紀子さまは『人使いが荒い』という話も聞こえてきます。
ただ、環境が整っていないという側面も大きいのです。例えば、本庁で両陛下のための急な買い物の
必要があったら、官車がすぐに手配されて、職員がそれに乗って皇居近くのデパートにサッと行くことが
できますが、秋篠さまのところは、女性職員が自転車をこいで買い物に行く。紀子さまのご所望ならば、
夜の真っ暗な中でも行かなければいけませんが、赤坂御用地の周辺にはちょっとした買い物を済ませられる
スーパーもありませんから」
ご結婚22周年
紀子さま 秋篠宮家「過酷すぎる職場」
10年間で職員10人以上が交代
■「もう精神的に限界だ」
そして、この千代田関係者はこう続けるのだ。
「ただ…紀子さまが少しお厳しいということもあるのでしょうが、飯島さんのこともあった。あっちもこっちも
ぐちゃぐちゃだった」
飯島さんとは、〇八年頃まで宮家の切り盛りを長いこと任された飯島蘭子元侍女長のこと。
侍女長は“オク”と呼ばれるプライベートを一手に取り仕切る。飯島氏は秋篠宮ご夫妻からの信任も厚く、
「たいへんな貫禄の女性で、アメリカ初の女性国務長官だったマデレーン・オルブライト氏と雰囲気がそっくり。
予算管理が厳しく、職員たちは再三再四、『あるもので済ませて下さい』とお説教されていた」(前出・元宮家職員)
なんでも頭ごなしに命じる飯島氏には、話しかけるのも憚られるようなオーラが漂っていたという。
「本庁の優秀な女性職員が、秋篠宮家に引き抜かれたことがありましたが、周囲はよく分っているから、
『本当に良いのか』と慎重に確認したそうです。それでもご本人が『是非あの可愛らしい眞子さまと佳子さまの
お側でお仕えしたい』という強い意向で、結局、秋篠宮家の侍女長補というポストに収まった。
ただ、宮家では飯島さんにだいぶ厳しくやられたらしい。結局、『もう精神的に限界だ』ということで、
やめてしまわれたそうです。
ところがその飯島さんも心身のバランスを崩して、十年以上務めた侍女長を辞められたのです」(前出・千代田関係者)
その後の侍女長人事は混迷を極めた。〇九年に就任した前侍女長は、首相官邸の古川貞二郎官房副長官(当時)のもとで
働いた経験もあり、「参事官室に長くいらっしゃり、非常に真面目な方だった」(古川氏)が、体調を崩し
就任直後から勤務ができず、秋篠宮家を去った。その後、しばらく侍女長のポストは実質的に空席だったという。
「誰もやりたがりませんよ。現在の侍女長の山崎敦子さんも、就任に際しては『二年間なら』という異例の期限付きでの
人事だったそうです。今年の年末には約束の二年が経つ。後任の人選は難航するかもしれません」(宮内庁担当記者)
ご結婚22周年
紀子さま 秋篠宮家「過酷すぎる職場」
10年間で職員10人以上が交代
秋篠宮家の不安定な人事について、元宮内庁職員の山下晋司氏が解説する。
「秋篠宮家は、法律上は一宮家ですが、“事実上の内廷皇族”と言えます。三方をお支えする東宮職に五十名以上の職員が
いるのに対し、ご家族が五方いらっしゃる秋篠宮家に二十人弱では、職員一人あたりの仕事量は膨大になる。さらに、
秋篠宮家に支払われる皇族費は年間六千万円。ここから私的使用人の人件費や食費に加えて、洋服や教育費も捻出される
わけですから、予算的にも厳しい状況にあります」
職員たちが低予算と激務に身を粉にする一方、まったく異なる肩書きで宮家に出入りする“キャリア官僚組”もいる。
その一人が宮内庁御用掛である近藤茂夫氏だ。
近藤氏は旧建設省出身。国土庁事務次官、初代内閣広報官、フィンランド大使などを歴任し、〇七年から御用掛に
就任している。先日も、秋篠宮ご夫妻のウガンダご訪問(六月十一日〜十七日)に随行した。
「近藤氏は、中曽根康弘政権時代の副総理だった金丸信氏の秘書官。金丸氏の懐刀のような存在でした。
ただ、上司に忠義を尽くし過ぎるきらいがあり、記者連中からは“白ゴマ”というあだ名をつけられていました。
理由は、白髪で“ゴマすり”がうまいから。内閣広報官当時は森政権の末期で、官邸サイドとメディアの関係が
険悪になっていましたが、官房長官の会見場に陣取って、報道陣に『そんな質問はおかしい!』と野次っていたことも
あり、唖然としました」(政治部記者)
また、旧自治省で官僚人生をスタートして、消防庁長官、長野県副知事などの華々しい経歴をもつ板倉敏和氏も昨年末、
宮内庁御用掛に就任している。入省同期だった元官僚が語る。
「板倉さんは、もともと福島藩主だった板倉家に婿入りしたんだ。真面目な人ですよ。昨年の暮れあたりから御用掛として
秋篠宮家に出入りしていると本人から聞きました」
ご結婚22周年
紀子さま 秋篠宮家「過酷すぎる職場」
10年間で職員10人以上が交代
さらには、小誌が「秋篠宮家に雇われた東大卒経産省スーパーキャリアウーマン」(二月二日号)と報じた谷みどり氏も、
経産省に籍を置きながら〇九年から内閣府事務官(宮家主管付)として、秋篠宮家に仕えている。昨年は秋篠宮ご夫妻の
被災地訪問に随行し、眞子さまの伊勢神宮参拝の随行員も務めた。
官僚として超一流のキャリアを積んだ彼らが、なぜ揃いも揃って秋篠宮家に集まっているのだろうか。
皇室ジャーナリストが解説する。
「実務上の必要性というより、両殿下は筆頭宮家としての“格”に見合った陣容を求めておられるのではないでしょうか。
たとえば、秋篠宮家には宮務官と侍女長という二人の特別職の国家公務員が置かれていますが、東宮職には東宮大夫を
筆頭に十名以上の特別職がいます。しかも、宮務官が課長補佐から課長クラスであるのに対して、東宮大夫は在外公館の
大使経験者などが就く、事務次官に近い役職。どうしても重みが違ってくる」
ただ、そうした優秀な“ブレーン”が多く集まっても、日常の実務を任されるのは宮家の職員たちである。兼任などの
“裏ワザ”で人員を増やすのにも限界がある。将来の天皇である悠仁さまをお育てになる宮家として、相応の組織作りが
必要なのではないだろうか。