【皇室】百点お妃を演じる紀子さまの過剰適応【秋篠宮】
週刊新潮 2012.5.31号
お魚にもご挨拶する「悠仁親王」−未来のお世継ぎ候補!
女王の即位60年を祝う昼食会に招かれた世界各国の王族のうち、59年前の戴冠式にも列席していたのは、
天皇陛下とベルギー国王の2人だけである。
それだけに陛下は、今回の訪英には格別な感慨をお持ちだったという。
「到着された日の陛下は、時差もあって幾分お疲れの様子でしたが、随行員がご体調を気遣って
移動の折々でお声掛けすると『ありがとう、大丈夫です』と仰り、きびきびと動かれていました。
18日の午餐会ではシャンパンを飲まれ、円卓では女王の隣の席で、羊肉やアスパラガスのお料理、
デザートにチーズをお召し上がりました。会では、大震災のため皇太子さまが結婚式への参列を見送った、
ウィリアム王子とキャサリン妃が陛下に近づいて、歓談する場面もあったようです」(同行した記者)
両陛下は20日昼、羽田空港に到着。お留守の間、国事行為を代行された皇太子さまをはじめ雅子妃、
そして秋篠宮ご夫妻らが出迎えられた。
本誌は先週号で、雅子妃と紀子妃との間に横たわる深い”溝”、すなわち2月に入院された陛下の
お見舞いの「順序」をめぐる小さな衝突が、その後、確執へと転じていった経緯について報じた。
訪英を果たされ、健康面の不安は払拭されたものの、両陛下にとっては新たなご心痛の芽が生じて
しまった格好である。
そして実は、その“火種”となった雅子妃が、両陛下ご出発時、従来の「問題」を再認識せざるを得ない
状況に陥っていたというのだ。宮内庁担当記者が言う。
「ご出発の16日午前、最後に滑走路でお見送りされた際には、皇太子ご夫妻と秋篠宮ご夫妻は並んで
手を振られていました。この時は雅子さまも柔和な表情で、満面に笑みを湛えられていたのですが…」
問題は、この少し前に空港で催されていた「出発行事」であった。
「専用機が出発する滑走路の前には、戸建ての貴賓室が設えられています。こちらのホールでは、
皇族方や衆参両院議長ら列席の中、君が代の演奏に続いて野田総理がお見送りの言葉を述べ、
陛下が出発のご挨拶をなさるセレモニーが行われていました。ですが、およそ30人が臨んだこの行事に、
雅子さまのお姿はありませんでした。
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お魚にもご挨拶する「悠仁親王」−未来のお世継ぎ候補!
行事には、あらかじめ出席の意向を示されていたのですが、前日の夕刻になって宮内庁記者会に
『予定変更』との発表文が配られたのです」(同)
これまで行事の際に度々みられた“ドタキャン”が、今回もまた繰り返されたというのだ。
さる宮内庁関係者によれば、
「妃殿下はその行事の間、ホールの横にある控室で待機なさっており、ご搭乗の直前に皇族方と合流され、
離陸を見守ったのです」
その2日後、18日には来日したオックスフォード大学の総長夫妻と懇談。雅子妃の対外的な公務での懇談は、
昨年11月のベトナム駐日大使夫妻との面会以来、実に半年振りのことである。
「これを受け、妃殿下のご体調に好転の兆しと捉える向きもありますが、早計に過ぎます。過去のケースに
照らしても一目瞭然で、07年に両陛下が欧州を歴訪された際、また09年にカナダと米国を訪問された際も、
妃殿下は最後のお見送りはなさったものの、貴賓室での行事にはいずれも欠席されています」(同)
皇室ジャーナリストの山下晋司氏も、こう言うのだ、
「歌会始の儀のように、大勢に対面され、また限られた空間でカメラを正面から向けられるような形は、
いまだ妃殿下におかれてはご負担の度合いが強過ぎるのでしょう」
その雅子妃との間で、今回思わぬ軋轢が明るみに出たのが秋篠宮紀子妃である。
皇室ジャーナリストの神田秀一氏は、
「現在、陛下を中心にして22人の皇族全体が協力して皇室を成立させています。その中で陛下のご公務を軽減し、
他の皇族に分担して頂こうというのが宮内庁の考え方です」
と前置きしながら、秋篠宮家のご負担について、こう指摘する。
「公務を分けるといっても、高齢や病気などの事情もあり、各宮家には限度がある。特に東宮の場合、皇太子さまは
国事行為を代行せねばならず、また現状ではご夫妻が揃って海外のお客様をお迎えするなどは難しい状況です。
ご夫妻で日本を訪れた公賓や国賓をお一人で迎えるのは、公平を旨とする接遇という観点からも具合が悪い。
そうした場では、ご夫妻がともに若くて健康な秋篠宮家の比重が、どうしても増していくのです」
ご家庭でもまた、然りである。
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「日常のご公務をこなしつつ、皇位継承順位が高いとはいえまだ5歳の悠仁さまを抱えて
おられるわけです。現在の仕事量から察するに、紀子さまにとっては心理的な面からも、
さぞ大変であろうことは容易に想像できます」
そのお暮しについて、皇室ジャーナリストの高清水有子氏は、次のように明かすのだ。
「ご多忙を極める中、紀子さまは近頃、手話のほか点字の勉強もなさっています。また、
ご公務に差し障りのない限り、悠仁さまの幼稚園の送り迎えや行事にも参加されているのです」
寸暇を惜しむ母を、時には眞子さまと佳子さまが手助けされることもあるという。
「お二人とも幼い頃から、忙しいご両親の姿を見ておられます。成長された今、例えば
紀子さまがお疲れの様子の時に、肩を揉んで気遣われることもあります。
また両殿下のご不在時には、ご両親に代わって悠仁さまの面倒を見たりなさっています」
さらに続けて、
「こうした眞子さまと佳子さまの内親王としての心構えは、実は黒田清子さんから色々と
学ばれたことなのです。お二人が幼い頃、両殿下がお留守の時に寂しい思いをしないようにと、
“叔母様”として清子さんが宮邸にいらっしゃって一緒に過ごされたことが度々あったといいます。
かつて受けた心配りを、今度はお二人が、弟君に対してなさっているわけなのです」
秋篠宮家の創設以来、取材を重ねている高清水氏は、そうした環境で育まれた悠仁さまの
ご成長を目の当たりにしてきたという。
「秋篠宮家では、人に会ったり何かして貰ったりした時には、きちんと『ごきげんよう』
『ありがとう』とご挨拶することが、日頃からごく当たり前になっているので、
悠仁さまは家の外の人にも、屈託なくご挨拶なさいます」
また周りのご家族と同じく、悠仁さまもまた、生き物が大層お好きであり、こうしたことから、
おのずと慈しみの心が涵養されていったという。
「宮邸の水槽では珍しい魚や、アズマニシキやオランダシシガシラといった
立派な金魚まで飼育されていて、それらの魚や庭の草花にまで、3人のお子様方が小さい頃には
『おはよう』『おやすみなさい』と話しかけてらしたのです。
悠仁さまは動物園や水族館でも、生き物を見れば『こんにちは』と挨拶されているくらいです」
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お魚にもご挨拶する「悠仁親王」−未来のお世継ぎ候補!
実際に4月7日、ご両親とともに鴨川シーワールドを訪問された悠仁さまは、
ウミガメを前に「どのくらいの大きさですか」などとご質問。秋篠宮さまが「ゆうゆう(ご家庭での愛称)
より大きいよ」とお応えになる一幕もあり、この時もやはり手渡された子ガメに「こんにちは」と
話しかけられたという。
魚や草花にまでとなれば、ご挨拶がいささか丁寧に過ぎる感がなきにしもあらずだが、
ともかくも妃の長期療養という“宿題”を10年近くも抱えている東宮家に比して、来年は小学校に
入学される「お世継ぎ候補」を擁する筆頭宮家は、目下のところ順風満帆のようである。
そんな折も折、羽毛田信吾長官と金澤一郎皇室医務主管という、いずれも70歳の宮内庁最高幹部が
揃って退任することになった。
前出の山下氏が言う。
「特別職には正式な定年がありわけではありませんが、職務遂行の継続性という観点から、
70歳で職を退くというのがこれまでの慣例とされてきました。退任が6月1日付であるのは、
陛下の心臓バイパス手術後の経過を見届け、訪英も無事終えられたからだと考えられます」
また、先の神田氏は、
「7年前の就任直後から、羽毛田長官は官公庁を回って、陛下に対するお出ましの要望を
減らしてほしいと働きかけるなど『ご公務軽減』に積極的に取り組んできましたが、
実際には外国関連のものを含め、その数自体は増加するばかりでした。されに、懸案となっている
女性宮家の問題も、自ら旗振り役を担いながら道半ばで退任するわけですから、その胸中には
さまざまな思いが去来していることでしょう」
仕える側は古希をもってお役御免になるというのに、78歳の陛下と1歳下の皇后さまには、
依然ご公務が目白押しである。
ともに次世代を担いつつも対照的に映るご兄弟の一家は、将来の皇室にどのような模様を
織りなしていくのだろうか。