【皇室】百点お妃を演じる紀子さまの過剰適応【秋篠宮】
週刊文春 2012年6月7日号
秋篠宮家「5つの謎」
■紀子さまと雅子さまは本当に仲が悪い?
「いま、紀子さまと雅子さまが直接、連絡を取り合うようなことはありません。
それは皇室として嘆かわしいことで、両親のお立場として、天皇皇后両陛下もお悩みだと思います。
東宮ご一家と秋篠宮ご一家には、ぜひ協力して次世代の皇室を担っていってほしいという思いがあるのです。
でも空港でのお見送りには雅子さまが出られてよかった。短い時間でもタラップの下で、
皇太子ご夫妻と秋篠宮ご夫妻が四人並んで笑顔でお話しされていたのは素晴らしい光景だと思いました」(千代田関係者)
二月の心臓手術など心配のタネが尽きない平成皇室にあって、天皇を支え、存在感を増している秋篠宮家。
注目されるのは東宮家とのご交流であり、二人の妃殿下の仲だ。
「皇太子同妃両殿下のところとの交流については、残念ながらそれほど多くはありません」
昨年の誕生日会見で、秋篠宮はこう述べられたが、その状態は今でもあまり変わりないようだ。
それには雅子さまのご病状が深く関係している。
「今年三月、眞子さまの成人を祝う夕食会が開かれ、天皇皇后両陛下、常陸宮ご夫妻らが
出席されましたが、雅子さまは欠席されました。雅子さまご自身の“ご体調の波”もあり、
なかなか積極的にご親交の場に顔を出すのも難しいようなのです」(宮内庁関係者)
心臓手術を受けられた天皇を真っ先に出迎えられたのも秋篠宮ご夫妻と悠仁さま、黒田清子さんご夫妻だった。
皇太子ご夫妻は合流されなかった。
「皇太子ご夫妻が参内される予定もあったのですが、その頃の雅子さまのご体調は“最悪”でした。
リズムを崩され、昼夜逆転の生活をなさっていた中で断念されたのかもしれません」(東宮職関係者)
そんな中で起きたのが、三月二十六日の「三の丸尚蔵館ニアミス事件」だった。
「皇太子ご夫妻はその日、リハビリ中の両陛下をお見舞いされ、両陛下とご昼餐をご一緒されました。
退院後の陛下を雅子さまがお見舞いされたのは、それが初めてです。その中でお話が出たのでしょうか、
ご昼餐後にご夫妻は皇居内の三の丸尚蔵館にいらしたのです」(宮内庁担当記者)
週刊文春 2012年6月7日号
秋篠宮家「5つの謎」
当時、三の丸尚蔵館では『皇后陛下喜寿記念特別展』という、皇后の「ご養蚕」に関する展覧会が開催されていた。
しかし、その日はもともと、秋篠宮ご一家がこの展覧会にいらっしゃる予定だったのだ。
「ひょっとして両家が合流され、特別展を鑑賞することもあるのでは、とも囁かれましたが、結局、
秋篠宮家がいらっしゃる二十分前に皇太子ご夫妻は帰ってしまわれた。
やはり雅子さまにとっては、そういったご交流もおご負担なのかもしれません」(同前)
その後も、四月の天皇皇后の葉山ご静養に、秋篠宮ご夫妻と悠仁さまは合流されたが、
皇太子ご一家はその間、東京に残られた。
別の宮内庁関係者はこう解説する。
「紀子さまと雅子さまの仲は決して悪いということではありません。
紀子さまは兄宮を立てないといけないという強い思いをお持ちです。ただ、ご病気の雅子さまとの接し方は
なかなか難しいものがあるようです。
一方で、手術を終えたばかりの陛下と皇后さまを自分がお支えしなければならないという思いも一層強くされている。
陛下のお見舞いも目立たぬようにされています」
そのご努力には並々ならぬものがあるという。
■悠仁さまはなぜ学習院に通わない?
四月のある土曜日、千葉県の鴨川シーワールドに秋篠宮ご夫妻といらっしゃった悠仁さま。
「目の前まで水しぶきがかかる迫力あるシャチのショーに少し驚いた様子を見せていたのが、
とてもかわいらしかったです」(その場に居合わせた客)
悠仁さまは現在、東京都文京区のお茶ノ水女子大学付属幼稚園の年長さん。砂場遊びがお好きで
他の園児からは「ひさひとくん」と呼ばれているという。
来年には小学校に進学される悠仁さまだが、愛子さまが通われている学習院初等科という選択もあるのだろうか。
宮内庁担当記者が話す。
「皇族といえば学習院、という周囲の予想を裏切って、お茶の水へ入園されたので、現在でも
初等科関係者は『なぜお茶の水なのか』と思っているようです」
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秋篠宮家「5つの謎」
初等科では来年の入学試験の準備が始まったところだが、
「お茶の水女子大付属小学校でほぼ決定のようです。内部試験を経て進学される。
ただ、どのみちお茶ノ水は高校からは女子高ですから、その時点で学習院を選ばれる可能性が
高いのではないでしょうか。
そもそも秋篠宮ご夫妻がお茶の水幼稚園をお選びになったのは、早い時期から同年代の子どもたちとの
社会生活を体験させるために三年保育を希望されたから。また、殿下ご自身が大学に進学された際、
学びたいと考えていた生物の研究をする学部が当時はなかったということもあって、悠仁さまの選択の幅を
狭めないという配慮をされたのかもしれません」(同前)
子供たちの教育方針について、かつて秋篠宮はこう述べられたことがある。
〈自分の今いる立場の認識をしていってもらいたい。それ以外については自分の関心のあることを深めていってもらえればよい〉
そして将来、天皇になられる悠仁さまには、帝王教育の問題が付いて回る。
所功氏(モラロジー研究所教授)が解説する。
「悠仁さまも中学ご入学前後になられたら、皇位を担う立場と役割のお心得を学ばれることが必要でしょう。
それは、皇室が国家・国民のために公的な存在としてあることを自覚し、常に私よりも公を優先される心構えです」
皇太子は初等科一年生から「論語」の修養を積まれたが、何より帝王教育の“生きた教科書”は、
天皇の日常的な言動。秋篠宮はそれを実践されている。
「秋篠宮殿下は、図書館で学べる知識より実際に両陛下のお姿を見せることが大事だとお考えです。
そのため機会を見つけては参内し、両陛下とご一緒に食事など召し上がるのです」(前出・宮内庁関係者)
■美智子さまが目を細める紀子さまの気配り術
「最近の秋篠宮妃殿下を見ていると、美智子皇后が力を入れてらっしゃるお仕事について、
よく勉強されているなと感じることが増えました」(宮内庁関係者)
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秋篠宮家「5つの謎」
ベテラン皇室ンジャーナリストは、その原点についてこんな指摘をする。
「紀子さまは、ご婚約当初から皇室になじもうと懸命に努力されていました。
例えば、婚約後に宮内庁を通じて『皇室アルバム』のビデオを取寄せてご覧になっていたそうです。
そのビデオから、美智子さまのひと言ずつを大事にゆっくり話されるお話しの仕方や、
国民との対話のご様子を学ばれていったのでしょう」
美智子さまを範として歩まれる紀子さまの思いは、娘の眞子さま、佳子さまにも受け継がれている。
その一つが養蚕である。
千代田関係者が明かす。
「養蚕は、皇后さまが熱心に取り組まれている重要な行事の一つで、昭憲皇太后以来、
歴代の皇后に継承されています。皇后さまもお忙しいご公務の間を縫って皇居内の紅葉山御養蚕所にお通いになって、
日本古来の『小石丸』という品種をお育てになっています。秋篠宮家のお子さまは、給桑という桑を蚕に与える作業を
お手伝いになるなど、養蚕の技術を熱心に学ばれています」
その様子が、初等科時代の眞子さまに美智子さまが送られた手紙から窺える。
「手紙の中で美智子さまは『おととし眞子ちゃんは、このまゆかきの仕事をずいぶん長い時間てつだって下さり、
ばあばは眞子ちゃんはたいそうはたらき者だと思いました』、『また、今年もできましたらお母様と佳子ちゃんと
おてつだいにいらして下さい』と書かれています。養蚕のお手伝いをされる眞子さまを見て、目を細めてらっしゃる
美智子さまの様子が伝わってきます」(同前)
紀子さまは、美智子さまのご公務も支えている。
「日本赤十字社の役職として、美智子さまは名誉総裁、紀子さまは名誉副総裁でいらっしゃいます。
つい先日も紀子さまは、美智子さま、常陸宮妃華子さま、高円宮妃久子さまと共に全国赤十字大会に出席されました。
有功章を授与される美智子さまのお隣で、紀子さまは終始にこやかにされていました。雅子さまも名誉副総裁なのですが、
ご病気になられてからは赤十字の活動から遠ざかっています」(宮内庁担当記者)
紀子さまはその他にも児童書への関心や、手話への取組み、戦争被害を受けた沖縄への思いなど、
多くの分野で美智子さまに学ぼうとされている。
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■殿下の「こだわりファッション」の秘密
「秋篠宮殿下のスーツのスタイルは独特なんです。十年前からそのスタイルにお変りはありません」
こう話すのは、スーツを仕立てて二十五年余りになるという萬里小路和久氏。主に秋篠宮が
公務でお召しになるスーツのオーダーメイドをしている。萬里小路和久氏によると、
秋篠宮のお好みのスタイルは、
「お召しになっていてストレスのないもの。体にぴったりしたものや窮屈なもの、重い素材は避けられます。
一日中公務で座っていらしても、しわになりにくいものをお求めになります」
たまに流行のデザインやファッション誌に載るような仕立てを提案しても、
「これは僕のスタイルではないから」
とお断りになるという。悠門の内容も、あるスーツが一着傷むと、同じような素材・色のスーツをオーダーなさるという。
独身時代は黄色いフォルクスワーゲンにサングラス、口ひげにブレスレットといった派手なファッションが
話題にもなったが、最近は筆頭宮家の当主として、華美に見えないファッションを心掛けていらっしゃるようだ。
質素なスタイルは紀子さまも同じ。
「宮邸の中では、Gパンで悠仁さまを追っかけまわしています」(宮内庁関係者)
ある皇室関係者もこう補足する。
「妃殿下は特別な日でも自分でお化粧をなさいます。マスカラなどほとんど使わないナチュラルメイクなのですが、
それは秋篠宮殿下が『なるべく自然のままで』というお考えだからだそうです」
ファッションと言えば、髪型も気になるところ。秋篠宮は一昨年から白髪を黒く染められている。
自然体がお好みの秋篠宮からすると、意外にも思えるが、
「悠仁さまが『どうしてお父様の髪だけ白いの』とおっしゃったのがきっかけだという話もあります」(宮内庁担当記者)
紀子さまのショートヘアについても、秋篠宮家の関係者が話す。
「ご結婚の頃のロングヘアもとてもお似合いでしたが、ご公務と三人のお子さまの子育てを両立なさるという
多忙な日々ですので、ショートになさったのでしょう。お手入れもしやすいですし、お着物をお召しになる際にも
セットが楽なのがよいのでしょう」
秋篠宮ご夫妻のファッションやヘアスタイルには、公務や子育てに対するご姿勢が表れているのだ。
週刊文春 2012年6月7日号
秋篠宮家「5つの謎」
■紀子さまのご実家「川嶋家の人々」はいま?
1990年のご結婚当時、「3LDKのプリンセス」として世間の話題をさらった紀子さま。世間の関心は
紀子さまの家族にも及んだが、最近はどのように過ごされているのだろうか。
紀子さまの父親である川嶋辰彦氏は当時、学習院大学経済学部だった。
「経済学部の教授としては、昨年三月に七十歳の定年を迎えて退職されています。今は同大学の名誉教授です」(学習院大学関係者)
辰彦氏はGONGOVA(草の根国際協力研修プログラム)の責任者でもある。
「日本とタイの大学生を中心にした、ボランティアの教育と実践をするプログラムで、川嶋氏は何度もタイの僻地を訪問し、
学生からタツと呼ばれて親しまれています。教授退陣後、大学内の団体から任意団体のNGOになりましたが、
お変わりなく活動は続けていらっしゃいます」(同前)
日本タイクラブ関係者が語る。
「今年の二月、日本タイクラブのフォーラムで基調講演をされました。非常にお元気そうで、
タイのことをにこにこしながら語ってらした。音がテーマのフォーラムだったのですが、パネリストとして
お話しいただいた際も、タイの村の中で聞こえてくる音や、動物の鳴き声について独特の表現で話されていました」
紀子さまの弟の川嶋舟さんは現在、東京農業大学バイオセラピー学科の講師を務めており、
2006年に福島県相馬市出身の女性と結婚している。
「東日本大震災の発生時には、常磐線に乗って相馬市に向かっていて、津波から間一髪で逃げられたそうです。
震災後は物資を運ぶボランティアに取り組まれ、奥さんの実家でもある相馬中村神社にも協力を仰いだと聞いています。
被災者の心のケアにも取り組まれていて、被災した子供たちをキャンプに連れていき野外活動をしています。
そこでは、専門の動物介在療法を活用されているそうです」(相馬市関係者)
母の和代さんは、陰で紀子さまを支えている。
「紀子さまにご公務があるときなど、悠仁さまの幼稚園の送り迎えをなさっているようです」(知人)