週刊文春の悪質な秋篠宮紀子妃殿下叩きを許さない

このエントリーをはてなブックマークに追加
45朝まで名無しさん
週刊女性増刊『礼宮さま紀子さま青春華燭』

  紀子さまのルーツとその人々 3

 紀子さまの祖父・川嶋孝彦さんも和歌山市の出身。旧制一高から東京帝大法学部に進み、
旧内務省入りしたエリート官僚であった。
 内閣統計局長、参議院人事委員会専門員などを歴任したが、昭和33年、国会図書館
専門調査員の仕事についていたとき亡くなった。61歳であったという。
 妻の紀子(いとこ)さん(83歳)とは見合い結婚。紀子さんは大正2年から10年間、
大阪市長を務めた池上四郎さんが父であり、9人きょうだいのいちばん末娘(六女)だった。
池上家は元会津藩士というお家柄だという。
 孝彦さんとの間には3男2女が誕生。だが長男の啓一さんは1歳で亡くなった。
長女が小菅宮子さん(61歳)、次女が佐藤豊子さん(58歳)、次男が紀子さまの父・辰彦さん、
三男が川嶋行彦さんである。

 紀子さまの母方の祖父・杉本嘉助さん(75歳)は、脊椎矯正器具の開発で特許を持ち、
昨年まで整体治療院を開いていたが、もともとは旧南満州鉄道の技術者であった。
 静岡で家具製造業を営んでいた杉本吉太郎さんは、嘉助さんを木工職人にし、家業を
継いでほしいと考えていたといわれるが、
「成績が優秀で、学校の先生のすすめもあり、地元の工業高校から、横浜工業専門学校
(現在の横浜国立大学工学部)へ進んだんですよ」
 と、嘉助さん宅の近所の人は話す。
 紀子さまの祖母・栄子さん(74歳)の父・服部俊太郎さんは旧満鉄の副参事で、嘉助さんの
上司であった人であるという。嘉助さんとの間には2女が誕生。長女が紀子さんの母・和代さん
(48歳)だった。
「ご両親が物静かでとても礼儀正しい方なんです。そのせいか和代さんもおとなしい人で、
道で会うといつも会釈してくれました」
 と小さいころの和代さんを知る地元の人は話す。また、杉本家は教育熱心な一家としても
評判であり、和代さんと、3歳違いの妹・育代さん(45歳)もともに静岡の名門女子高・
静岡英和女学院で中学・高校を過ごした。