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故に、矢吹・溝口両氏のこの断定は、自説補強のための強弁と言わざるを得ない。
更に言えば、この時代には、そうした「本歌取り」という意識も手法も無かった頃の作品と見るべきではないのか?
とするならば、単に語句や形式が模倣されただけとしか言いようが無かろう・・。それ以上は、推測の域を出ない。)
以上は、学問的考察での疑義だが、それを別にしても、
『元歌が挽歌であって何の問題があるのか?』とも感じる。
上記考察の如く、語句として、また形式として賀歌として読む可能性が排除されず、
《永代にわたる継続が歌われている》という解釈が成立する以上、
元ネタがどうであるかに縛られるものでもないように思われる。
両氏は、紀貫之が「>この歌の基本的性格を見誤った」と評しているが、
仮に紀貫之が【意図的に賀歌と分類した】のであれば、それは寧ろ卓見とも言い得る。
それこそ、(宗教の教義ではないのだから)、現況「我々はこのように読む」、ということで何の問題もないと思われる。
(勿論、個人的見解であるので、賛同を多く得られるかどうかは定かでないが・・w)
*《「千代に八千代に」が、死後の魂の永続を祈るもの》という考察に関しては、
あり得ることではあるが、主語を『君が代』(貴方の御世、治世)とした時点で、その解釈は薄れる。
なんとなれば、それは【『系譜としての永続、時代としての永続』へと読み替えられ】てしまうから。
(寧ろ、その歌意の転換こそが、主語が「君が代」とされた目的だったとは言えないのか?
主語の「きみがよ」への変更は、結果的に大きな功績であったと見るべきかと個人的には思う。)
*その面でも、日本の国歌としてふさわしいと思うが、どうなのだろう?
主語が「わがきみ」であるものは挽歌として括られるべきものを、
紀貫之が「>見誤って」賀歌と分類したものだとしても、歌自体の構造が有する両義性と相俟って、
【主語が「君が代」に変更され】た時点で、既に歌の性質は変容している。(この辺りは禅語の性格と類似する。)