>>589 馬鹿か?
個人で言えばアイデンティティということになるが、
「 >価値観が多種多様 」だから、一本通った筋として一つの価値観が
(― 一つという言い方が気に食わなければ基準としての・軸足としての価値観が)必要なんじゃないかw
人の成育とか、心理とか、共生して生きる・共同体として生きる(→社会的存在として生きる)ということが解ってないだろ?
それは、大海を漂流するようなもんだ。浮き輪無し、流木無し、ただひたすら一人で彷徨うならそれでもいいさ。
だが、そんな風来坊で要られる者なぞ極々僅かだ。環境が許さないケースもあるし、
孤高に漂流することに耐え得るだけの強さが無ければならない。そう、比丘や遊行者、古の行者達のように・・・。
しかし、彼らとて、何の価値観も無く、ただ、多様な価値基準の間をふらふらしていたわけではない。
彼らには彼らなりの「聖なる、俗世とは異なった」価値基準があり、それに則って生きているわけだ。
そうした、個におけるアイデンティティの共同体版が、県民意識だったり、国家意識だったりするんだよ。
だから、バーネット事件でもそこは踏まえられているわけだ。 解るか?