日の丸・君が代 総合スレ Part57

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77(宗教関連)
 我が連邦憲法は、「全能なる神の御名によって・・・」という言葉で始まる。
スイスの州の大部分は正式にキリスト教会を認めている。
これは単なる伝統だろうか。伝統以上のものだろうか。
――信仰と宗教的な思想は、もはや18世紀における信仰や宗教的思想と同じではない。
現代的な合理主義は信心を必要としない。自分の宗教上の立場を明確にするよう迫られたとき、
それを躊躇するスイス人は沢山いる。
 その国民に完全な良心の自由を与えないようになったら、スイスは、もはやスイスではなくなるだろう。
また、完全な良心の自由は、各自が他人の信念を尊重することを求める。
 その上、我が国には、新教にも旧教にも仕える教会が幾つかある。
カトリックの司祭と新教の牧師との関係も良くなった。これはキリスト教における好ましい発展のしるしである。
 伝統的な寛容の精神を乗り越えて、本当の友愛関係の到来を期待することができる。
今日、我々は、宗教上の紛争などは、どんなものでも真っ平である。文化闘争は消え去った。
 反ユダヤ主義も過去のものとなった。【キリスト教上の異説も、良心の自由の証拠として大目に見る必要】がある。
この自由主義が、ときには宗教に対する無関心から来るものであることは否定できない。
しかし、これはまた、往々にして、【【隣人愛】と【公民としての義務】の考えを十分考慮した結果】でもある。
このような場合、これは、我々が政治的に円熟していることを証明している。
もし、我々が寛容であってはならない場合があるとすれば、それは、
【他人の良心の自由を侵害する不寛容】な連中に対してである。
 我々は、過去において宗教戦争によって大変な被害を受けたので、
宗教と宗教との間の平和のありがたさを知っている。これは、人間の最も深遠な課題にかかわるものであるだけに、
これこそ何より必要なものである。
 我々は、あらゆる宗教上の信念に対して、
【単なる寛容にとどまることなく、心から尊敬の念を払う義務がある】。