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朝まで名無しさん:
過去数世紀の間、人間は皮膚の色だけで差別されてきた。皮膚の白い人々に対して、
他の人々に優越する権利を与えるように思われた。・・・・・・人種の観念が侮蔑と嫌悪をきめた。
しかし、皮膚の色の相違は純粋に生物学的なものであり、人種差別主義は、まさに排斥されるべきものである。
このことについては、人類は若干の進歩を遂げた。われわれは、頭や鼻の形よりも、道徳的、精神的価値を、
より重要視し始めている。人種差別は、少なくとも原則的には非難されている。
全ての人は、その出身が何であろうとも、平等となり、自由を得つつある。
この「自由」は、18世紀の我々の祖先が、まず自分たちのために主張したものである。
山の中に住む農民たちは、特権を独占し弱者を抑圧する封建制に脅かされていると考えた。
ウリ、シュヴァイツ、ウンテルワルドなど各地方の人々は、【自らの腕力で】自由人の権利を守った。
我々の連邦制度は、連邦を構成する【各人の相互尊重の考えから生まれた】ものである。
1848年のわが憲法は、この基本原則を認めている。
全ての国民の【共通の幸福をはかるために、国家に強い力を与え】て、
【それを共同のものとしつつ】、一方では、国民各自は、思想、言語、精神的伝統については、自由である。
今日、このように我々が理解する連邦制は、各個人の独立を保ちつつ現に生き続けている。
連邦制は、【すべての国民の幸福、連帯、相互支援のために】、【共同体の団結を求め】ている。
【共同体全体の自由があって、初めて各個人の自由がある】。
我々が守るべきは、このことである。