61 :
朝まで名無しさん:
今日のこの世界は、【何人(なんびと)の安全をも保障していない】。
戦争は数多く発生しているし、暴力行為は後を絶たない。
【我々には危険がないと、敢えて断言できる人がいるだろうか】。
ここで仮想敵国を名指しはしない。名指すべき理由はない。
【我が国の中立は守られている。にもかかわらず、それによって我々が【盲人であってよい】ということにはならない】。
絶えず変動しているとしか思えない国際情勢を、殊更に劇的に描いてみるのはやめよう。
しかし、最小限度言い得る事は、世界は我々の望むようには少しも上手くいっていない、ということである。
【危険は潜在している】。恐怖の上に保たれている均衡は、十分に安全を保障してはいない。
とかく恒久平和を信じたいものだが、それに向かって進んでいると示してくれるものはない。
こうしてでてくる結論は、
我が国の【安全保障】は、我々軍民の国防努力如何によって左右される、ということである。
昨日考えたことと別のことを、今日考えるわけにはどうしてもいかないのだ。
我々が、個人的に集団的に今日決意したことによって、明日が左右されるのである。
【親たちが我々のことを心配してくれたように、子供たちのことを】考えよう。
自由と独立は、我々の財産の中で最も尊いものである。
自由と独立は、断じて、【与えられるものではない】。
自由と独立は、【絶えず守らねばならない】権利であり、【言葉や抗議だけでは決して守り得ない】ものである。
手に武器を持って要求して、初めて得られるものである。
62 :
朝まで名無しさん:2012/01/29(日) 20:38:03.97 ID:iKS1NILN
紛争の時代と言われる今日の時代に於いては、或る種の言葉は、その価値を失ったようである。
「祖国」という言葉も、その一つである。
今日は旅行の時代でもあり、それぞれの国に特有の美しい景色が見出されている。
我が国は美しいが、そうは言っても、その山々や湖に基づく祖国愛を説いただけでは、
もはやその説得力はなくなった。
人間というものは、自分たちの幼い時代のことを深く心に刻みつけているものである。
生まれた頃に住んでいた場所は、その人にとっていつまでも価値を失わない。
その当時の家庭環境や社会環境によって、その人の好みは左右される。
人は、自分が通った小学校やその仲間、当時の遊び、そして愛の目覚めを決して忘れない。
【自分の国に対する愛情は、人々が、それぞれの幼時に、その当時の世間に対してどのように対応したか、
どのように世間から影響を受けたかによって、その基盤がつくられる】のである。
しかし大人になると、【もっと深く、もっと広い立場から】、ものを考えるようになる。
大人は、自分の生活条件を他の国民の生活条件と比較する。正義、信頼、安全、自由を求める。
常識あるスイス国民は、我が国の諸制度が、
人間の作るあらゆるものと同様に、【完全ではないが安定しており】、人間を尊重していることを認めざるを得ない。
社会福祉の面では大きな進歩が見られる。貧しい人々、身体障害者、老人は、国家の援助を受け、
この援助も常に改善されつつある。【連邦制度は全国民を【守っている】】。
民主主義は正常にその機能を発揮している。【公の義務】は公平に分担されている。
全ての人々は一般教育を受けられる。このように基本的権利がよく保障されている国が、他に数多く見られるだろうか。
【故に、我が祖国は、我が国民が、肉体的にも、知的にも、道徳的にも、
十分に愛情を注ぎ奉仕する価値がある。】