【雅子妃】皇室における東宮問題を語りつくす【小和田家】★54
日の本というサイトから
・週刊女性2006年4月4日号
「結婚直後から、母親の優美子さんが御所に出入りしすぎと非難されていた。
あげくに、御所に届く贈り物をおみやげに持ち帰るなんて騒ぎもあったんです」(旧宮家関係者)
・嫁入り道具
雅エンペラーというけばけばしい家具
小和田家は名前に「雅」を使わせる広告料として家具は格安
田崎真珠は指摘されてあわてて返却
・恒氏は天下りで広島の平和研究所の所長に就任したが広島へは一度も足を運ばなかった。
・お手振り
国連を天皇皇后両陛下が訪ねられたとき、案内役は恒氏
集まった人に天皇皇后両陛下が手を振るとなぜか恒氏まで一緒に手を振った。
優美子さんは青い、派手な帽子をつけ、周囲の失笑をかっていた。
・お見送り
皇太子様の海外訪問(2004年5月) 御所で皇族方がお見送りそこには
なぜか優美子さんの姿があった(とニュースで報道された)このとき雅子さまは欠席
・駆けつけ
恒氏は香淳皇后ご危篤時に駆けつけた。皇族でない恒氏は病床へは入れない。
宮内庁は大変傲慢な無礼な振る舞いという見解 宮内庁から追い返された恒氏は激怒した
・ブラックリスト
某航空会社要注意リストに恒氏が載っている。注文が多く、理不尽な文句が多くうるさい。
それなのに自分が他の客に迷惑をかけてもなんとも思わない
ショコラを機内に無理矢理持ち込み、放し飼い。注意しても聞き入れず、逆切れ。
搭乗拒否の後、ほどなくして海外航空会社のブラックリストにも載った。
・食べ歩き
大使時代にフランス中のミシュラン1つ星以上のレストランを全て公費で試食。
飛行機のチケットとホテルが一流でないと外務省部下をすごい勢いで怒る。
・別荘
雅子さんが一時期立て篭もった別荘は当初、小和田家の親戚所有のものという報道だったが
後の報道により成婚後新しく買ったものと判明。
・目黒小和田邸
機密費御殿と言われている。二世帯住宅をたてたのは、雅子さまが外交官試験に
受かった後。またロシア大使館の裏金疑惑あり。目黒小和田邸はロシア大使館が
改築するときに立ててもらったという噂もある。
・オランダの日本大使館
小和田夫妻はどこに行くにも大使館の車を使用
住んでいるアパートの修理代まで大使館に付けようとしている。
・三顧の礼発言
雅子さまが軽井沢立て篭もり事件を起こした際、江頭豊氏が
「雅子は三顧の礼を持って皇室に迎えられたのに…」(雅子の思い通りにならない)と発言。
皇室側が雅子さまに「是非に」とお願いした事実はない。実際にはリストにないのに入り込んだ。
軽井沢立て篭もりと時を同じくして、恒氏は当時の首相小泉純一郎と面会。(2004年4月15日)
愛子さまを天皇にしようと画策した。
・スペインエレナ王女の歓迎パーティーの招待名簿では雅子さまは追加だったので
既に印刷された名簿の一番下に手書きで名前が書いてあった。
参加を強く勧めたのは優美子さんだったと、当時のお手伝いさんが証言。
・「小和田家の関係者が"皇太子から正式にプロポーズがあれば結婚を承諾しても良い"と話していた」
という情報がマスコミに入ったのは内定の大分前。その話を聞いたのは皇太子が再度
雅子さまに接触を始めていた時期ではあったけどまだ正式にプロポーズしてはいなかった頃。
その時点ですでに小和田家は娘の皇室入りさせても良い、と考えていた。
・恒氏は海外でも国内でも、皇太子妃の父、愛子さまの祖父をアピール。
・隠岐島
宮司「おしのびで皇太子妃雅子様のご両親もお見えになりました」
歴代皇族たちの来島写真に並んで小和田夫妻の写真が貼ってある。
・結婚が決まっての会見
優美子さん 「子どもは親の背中を見て育つと申します。そのため緊張感を持って育ててきました」
その後の新聞記事で、優美子さん「天皇陛下も皇后様もとてもイイ方なので安心です」
・優美子さんのマスコミ対応
懐妊中の雅子さんの近況についてインタビューをうけ散歩されたりしているのですか?
という質問に対して 「ふんっ そりゃあ歩くでしょう?!」
週刊誌(主に週刊女性)を使っての両陛下に対する不敬不遜の言葉の数々
雅子さまのための皇室改革を叫んでいる。
・講演会
雅子さんが皇室入りした後、「娘の育て方」という題目で講演をしようとしたが
宮内庁から厳重注意され未遂に終わった
・たかり
実家は税金で警備。警察の警備を要求。自身の警護も要求するが却下される。
警備がついているはずの実家には留守中責任能力のない青年が上がりこんでいる
という事件発生。それまで音信不通だった友人の宝石屋に成婚決定後、買ってあげるから
まけろ!と押しかけた(宝石屋談)
・「先日ある週刊誌で、某真珠会社が納采の儀前の雅子さまに数百万円相当の
真珠のネックレスを贈ったことが報道されプレゼントにかこつけた宣伝行為ではないか」
と話題になりました。私は美智子皇后の父上・正田英三郎さんが、お祝いの品はすべて
丁重な手紙を添えて辞退していたことを思い出しました。受け取ったのは、
近所の幼稚園児が贈った折り鶴と絵くらいだったと聞いています。このような見識が、
今後は雅子妃や小和田家にも必要とされるのではないかと思われます」
・たびたび東宮御所を訪れている優美子さんは愛子さまの学校、雅子さまの処遇について
たびたび宮内庁や東宮職員、果ては皇太子にまで意見を言う。
・ユニセフ
優美子さん(財)日本ユニセフ協会役員 日本ユニセフ本部の新築落成式に
雅子さまも出席。日本ユニセフ(アグネスチャンの方)は本当のユニセフ
(黒柳徹子さんがやってる方)とは別組織。日本ユニセフは募金の1/4は自分達で使える。
本部の建設費25億円も皆様の募金で建てられ、疑惑も多い組織。
・恒氏の弟
あるパーティーで滔々と雅子さんの血縁であることを自慢し、尊大に振る舞っていた。
自慢していた相手は、他ならぬ旧皇族に繋がる人物と皇后様の実家の親戚。
他の出席者は皆それを知っていた。
・池田礼子さん(雅子さまの妹)
ディズニーランドに同行(自腹か税金か宮内庁でははっきりと言わない)
またオープンカーから報道陣を撮影。「皇太子妃の妹」という肩書きで雑誌にも
寄稿している。スキーや食べ歩き等、雅子さまのお出かけの時には礼子さんも一家で
お供することが多い
・10年以上前の話
とある有名インポートブティックで、他人が内金を入れて予約していた洋服を
礼子さんがダダこねて、あとから横取りしようとした。
低姿勢ならまだしも、「雅子様の妹さんがどうしても欲しいと言っている」と
譲れと言わんばかりに高飛車に申し入れてきた。
・陛下の誕生会でも、歓談の時間に正田家と川嶋家の面々がいつものようにじっと
後ろに控えているのに、小和田夫妻は 前に出てあちこちに話しかけようとして
「娘が欠席しているのによくもまあ申し訳なさや遠慮の欠片もなく」と顰蹙。
陛下の誕生日をお祝いする言葉で自省もせずに朗々と「新潟県中部地震の折には
日帰りで現地を慰問され…」とやって 皇太子共々場の失笑をかっていた。
・月刊テーミス2005年7月号より
「外務官僚を支配する外交官夫人の会」
「小和田恒氏は外務省でも指折りの野心家。柳井氏を次官にするための根回しに奔走し、
その義兄弟に当たる柳谷氏に働きかけ、殿下と雅子氏との縁を取り持ってもらったことは
省内では有名だ。もちろん、雅子氏の入省にあたっては、恒氏があの手この手で
後押ししている。 昨年、皇太子の人格否定発言が物議を醸したが、問題の発言内容に
ついてのサゼッションを行ったのも恒氏だったと言われている。」