【雅子妃】皇室における東宮問題を語りつくす【小和田家】★46

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906朝まで名無しさん
週刊誌レポ。詳細は各自ご確認ください。
週刊新潮(2011/08/18)秋篠宮家「紀子妃殿下」氷のごときミーティング−侍女長がノイローゼ3/4
・東宮家の職員は50人だが秋篠宮家は15人。絶対的な人手不足の中3人のお子様を育て、
二人の皇位継承者がいるとあっては妃殿下の背負われる重圧は計り知れない。
筆頭宮家を支えていくという強固な責任感がスタッフ指示への「ハードル」を上げていく形になっているのでは。
・侍女は御用地内の宿舎から宮家に通う、いわば24時間勤務のようなもの。
両陛下との関係や他宮家とのつきあいがある上、お子様の教育付いては前例がほとんどない、
両陛下の意向を伺いながらなので過酷だと思う、と述べた皇室ジャーナリストはこう指摘する。
妃殿下はご自分の考えをはっきり仰るようだし、何よりお子様が多いので宮邸の仕事がきつくなるのは道理。
「こうしてください」という指示も細かくならざるを得ないのだろう。
酷暑の熱気にむせかえったとたん、体感温度が一気に零下へ。あたかも氷のごとき峻厳で鋭利なお言葉が連日発せられるわけである。
・菊池さんについて改めて宮内庁に問い合わせると「明確な理由について本人から聞いていない」。
彼女の前任者が1年数ヶ月で退任しているのは「家庭の介護のこともあり退職を願い出た」
・しかし11年間秋篠宮家侍女長を務めた人もやはり最後は身体をこわし、仕事は年度末までとする診断書を出すに至る。
彼女は傍から見ていても"今にも逃げ出してしまうのではないか"と思えるほどに憔悴しきっていた。(宮内庁古参職員)
・かつてある側近は紅殻をうっかり誤読したところ即座に妃殿下が訂正された、
いわば男性のネクタイの結び目が曲がっていると気になってしまう、という類の話。
また、旧秩父宮邸を増改築中の98年頃、妃殿下は用度課職員をたびたび呼んで応接セットの配置やカーテンの色への指示を適宜出していた。(宮内庁幹部)
907朝まで名無しさん:2011/08/03(水) 11:06:16.65 ID:6tjxXv5I
週刊誌レポ。詳細は各自ご確認ください。
週刊新潮(2011/08/18)秋篠宮家「紀子妃殿下」氷のごときミーティング−侍女長がノイローゼ4/4
・お立場を全うしたいとの使命感からもたらされる行動であることは疑う余地もなく、
有形無形に発露されるご心情は、時に"外部"へ向けられることも、として
08年1月26日に悠仁様が庭で転倒した件が2週間後にTBSで報じられ(情報漏洩)たことを、妃殿下が警備担当者らに強い懸念を直接表明。
・菊池さんの体調不良で宮家の重要ポストが1年半近く「空位」だったわけで、後任の侍女長も昭和天皇、皇太后に仕えた経験から抜擢されたが、
比類無き激務であるため当初は固辞。2年で戻すと必死の説得で宮邸に。
・先の大震災で真っ先に動いたのが秋篠宮家。3400枚のタオル詰めや続けての被災地慰問。
単なる視察ではなく避難所見舞いをされているわけで、男子のお子様を育てながら次々と公務をこなされる紀子様は相当のストレスをお感じになっていることと思う。(神田秀一氏)
・侍女というのは宮家の生活に合わせて動く仕事。規則はあっても細則はほとんど無く、日々の判断が重要。
公務員といえども役所仕事とは180度異なり、「書類に判子がないから動けない」ではつとまらない。
どんなに優秀でも能力を発揮できない方もいるかもしれない。(同氏)
〆は、菊池さんは官報未記載についてノーコメントで足早に立ち去っていった。
以上です