雅子妃】皇室における東宮問題を語りつくす【小和田家】★44

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438朝まで名無しさん
歴史通(2011/05)5月号/天皇−最高の危機管理機構2/4

・天皇陛下は祭主であると同時に農耕文化や自然の保護者であり、
皇室は歌会始や伊勢神宮の式年遷宮に見られる建築から衣装に至るまでの伝統の保持・伝達の担い手である。
さらに皇后陛下は養蚕の担い手であり、赤十字社総裁として国民の健康と福祉の守り手であり、
天皇陛下を支えられながら国民に対しては慈母(国母)として臨んでいらっしゃる。
権威は御簾の奥にいらっしゃる要がある。この世の垢にまみれてはならない存在といえよう。
・ところが昨今の政治状況を眺めれば、この天皇の統治機関としての
権威の位置づけが脅かされる危機的状況を呈している、として、H4年の訪中、H21年の会見強要のなぞり。
・明治維新では、天皇の権威をいただいた薩長土肥の土豪劣紳たちが「錦の御旗」の官軍となり権力者になったのであるが、
当時その意識が国民に十分認識されたとは言い難い。天皇陛下の重みを実感したのは昭和20年8月15日だった。
「巨大な罠」(a gigantigc trap)ではと疑うぐらい静寂な日本に驚嘆するGHQが、「承詔必謹」を鉄則とする日本を
「潜在的な敵」と位置づけ、日本人のバックボーンたる「皇統と教育と靖国」をつぶさなければ解体できない、と考えるに至った。
・GHQの予想と計算が裏目に出た昭和天皇の全国ご巡幸が契機となって日本全国が復興に向けて立ち上がっていくが、これと同様のことがH5年7月に起こる。
・北海道南西沖地震で打ちのめされた(奥尻島)島民が、今上行幸の知らせに活気を取り戻していくさまに、
日本人のDNAに受け継がれる「皇(すべらぎ)との絆」に深い感銘を受けた。(落合o(たおさ)氏)