雅子妃】皇室における東宮問題を語りつくす【小和田家】★44

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437朝まで名無しさん
レポ。詳細は各自ご確認ください。
歴史通(2011/05)5月号/天皇−最高の危機管理機構1/4
・佐々敦行氏による13頁の記事。
・今上のビデオレターは、パフォーマンスのため現地視察をしたがる政治家達は及びもつかない帝王学の発露である。
・日本民族は一世紀に一回ぐらいの割合で起こる国難に直面するたびに、救国の危機管理機構=天皇によって危機を乗り越えてきた。
平時「権威」である天皇に「権力」を持っていただき、事態収拾後は権威に戻っていただく形を繰り返してきた。
・代々天皇は神道において天と国民を結ぶ仲保者・祭祀長という立場を占めてこられた。
・天皇と他国国王との違いは何か。国王は近衛兵などの軍隊を持っているが、天皇を守るのは警護目的の衛士(警察)。
国王は司法権を持つ国が多く、反逆者を投獄・斬首する権限まで握っている。
・我が国では政権が入れ替わったとしても天皇が処刑されることはなかった。
殿上人とそれ以外、地下人(じげにん)の区別は峻厳で、天皇の叙位叙勲の権威が武家社会の権力者への盾となって天皇を守ってきた。
・昭和天皇がマッカーサー元帥との会見の砌、自身の命乞いではなく全皇室財産目録を差し出して
国民に食べ物を、と申し出たことに驚嘆したマッカーサーは、スターリンが強硬主張していた「天皇を戦犯として処刑」を退け天皇制は護持された。
・昭和天皇の副葬品は、動植物図鑑・大相撲番付表・ご愛用の銀縁眼鏡・ルーペなので、
もしも墓荒らしが大不敬を犯したら、その質素さにさぞ仰天するだろう。
438朝まで名無しさん:2011/04/15(金) 13:19:25.45 ID:Vo1PZlkH
歴史通(2011/05)5月号/天皇−最高の危機管理機構2/4

・天皇陛下は祭主であると同時に農耕文化や自然の保護者であり、
皇室は歌会始や伊勢神宮の式年遷宮に見られる建築から衣装に至るまでの伝統の保持・伝達の担い手である。
さらに皇后陛下は養蚕の担い手であり、赤十字社総裁として国民の健康と福祉の守り手であり、
天皇陛下を支えられながら国民に対しては慈母(国母)として臨んでいらっしゃる。
権威は御簾の奥にいらっしゃる要がある。この世の垢にまみれてはならない存在といえよう。
・ところが昨今の政治状況を眺めれば、この天皇の統治機関としての
権威の位置づけが脅かされる危機的状況を呈している、として、H4年の訪中、H21年の会見強要のなぞり。
・明治維新では、天皇の権威をいただいた薩長土肥の土豪劣紳たちが「錦の御旗」の官軍となり権力者になったのであるが、
当時その意識が国民に十分認識されたとは言い難い。天皇陛下の重みを実感したのは昭和20年8月15日だった。
「巨大な罠」(a gigantigc trap)ではと疑うぐらい静寂な日本に驚嘆するGHQが、「承詔必謹」を鉄則とする日本を
「潜在的な敵」と位置づけ、日本人のバックボーンたる「皇統と教育と靖国」をつぶさなければ解体できない、と考えるに至った。
・GHQの予想と計算が裏目に出た昭和天皇の全国ご巡幸が契機となって日本全国が復興に向けて立ち上がっていくが、これと同様のことがH5年7月に起こる。
・北海道南西沖地震で打ちのめされた(奥尻島)島民が、今上行幸の知らせに活気を取り戻していくさまに、
日本人のDNAに受け継がれる「皇(すべらぎ)との絆」に深い感銘を受けた。(落合o(たおさ)氏)
439朝まで名無しさん:2011/04/15(金) 13:22:01.15 ID:Vo1PZlkH
歴史通(2011/05)5月号/天皇−最高の危機管理機構3/4

・警察の警備・危機管理畑を歩んできた私にとって忘れられない年が昭和50年。
両殿下沖縄訪問にあたって警備責任者として、ひめゆりの塔前の岩穴の事前調査を求めたが
「県民感情を逆撫でする」と却下される。また健児の塔のご訪問も、
炎天下に100段近い階段を上っていただくのは酷なため車を使うルートを提案したが「これは贖罪である」と拒否される。
・折々の記者会見などにおいては抑制のきいた表現や発言を心がけていらっしゃる皇后陛下だが、
H14年10月20日、拉致被害者5人の帰国に際して異例とも言える談話を発表された。
ご自身の至らなさを叱責されるような厳しさが滲み出るような談話に接し粛然とする思い。
皇后陛下は国民に対しては慈母として臨まれているが、ご自身に対してはきわめて厳格に対されていらっしゃることが浮き彫りになってくる感じ。
・昭和天皇の全国ご巡幸に発揮された日本的「ヴ・ナロード」(人民の中へ)の帝王学は明らかに今上に受け継がれた。
・日本文化の継承者・伝達者であられた両陛下の御不例は誠に痛ましい。
昭和天皇の大喪の礼の警備を司った私としては生涯に二度も大喪の礼を見たくない。両陛下には休養して長生きしていただきたい。
440朝まで名無しさん:2011/04/15(金) 13:24:24.94 ID:Vo1PZlkH
歴史通(2011/05)5月号/天皇−最高の危機管理機構4/4

・そのためには可及的速やかに必要な法改正を行って「立太子礼」を行い、秋篠宮殿下を「摂政宮」秋篠宮妃紀子殿下を「摂政妃」とし、
悠仁親王には当代最高の傅役をつけ幼いうちから「帝王学」をお教えして男系の将来の天皇を傅育しなければならない。
・両陛下のご静養と共に皇太子妃殿下の病気療養を本格化し、その早期治療を祈り、
ご養生中に美智子皇后が築き上げてこられた「皇后学」を継承できる女性皇族として徹底した傅育をすることが大切。
・皇室行事は宗教的行事としてきわめて重要な公務であり義務。
被災民激励のための行幸も国母陛下の公務。皇后は国母でなければいけない。
・国民は沈黙しているが、現状では秋篠宮妃紀子殿下はその重責に耐えられる女性は皇族と見ているのではないか。
・国家危機管理の機関でもある天皇制を護持することは、日米安保堅持と共に、日本民族生存のために不可欠な国体ではないだろうか。
皇位継承の問題は内閣総理大臣がその政治生命を賭けて決断すべき義務である。
・必要があれば摂政制を採用するのかしないのか「国民投票法」を改正して国民投票に附しても可及的速やかになすべき一大政治課題。
〆は菅直人総理、果たしてその覚悟、ありや?
以上です。