雅子妃】皇室における東宮問題を語りつくす【小和田家】★44

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269朝まで名無しさん
週刊誌レポ。詳細は各自ご確認ください。1/2
女性セブン(2011/04/21)秋篠宮紀子さま−娘に伝える「袋詰め」の心
・見開き2頁の記事。主人は震災以来4回ボランティアで相馬市に来ている。
「こんなにも大変な時期で多くの人が苦しんでおられるのだから少しでも役立つことをしたい、と」
そう話すのは紀子様の弟、川嶋舟さんの妻麻紗美さん。
・舟さんは東京農業大学の講師を務めているため単身赴任。3/11は電車内で被災。相馬の惨状に被災者支援を思う。
・3/13支援物資調達のため相馬を出発翌朝東京着。「川嶋君の顔は疲労困憊で、生きててよかったと思わず涙が出るほど。
顔色は悪かったが一切無駄口も叩かず、黙々と救援物資を積み、そのままとんぼ返りで相馬へ。(学習院時代からの友人・関谷ふたば氏)
・途中2カ所で物資を受け取り翌朝、相馬市役所の担当者へ届ける。
その後も何度も相馬と東京を行き来して支援活動を続け、Facebookで報告している。
・舟くんは救援物資の調達だけではなく長期的な視野に立った支援もしてくれている。そのひとつが"子ども文庫"。
東京から持ってきた子供用の本を相馬中村神社内に設置。また被災者のために動物介在療法を提案。
その必要性に仮設住宅ではペットを飼うことを許可。(かねてより親交のある立谷英清・相馬市長)
・紀子様は舟さんと数日連絡が取れず、また被災地の状況に心を痛められた。(川嶋家知人)
270朝まで名無しさん:2011/04/07(木) 09:14:13.72 ID:OlXvgCia
レポ2/2
・紀子様は'95年3月、7月、'96年10月に阪神淡路大震災の被災地を訪問、被災者を激励。そんな紀子様の思いは美智子様の思いに通じている。
・皇室に嫁がれて以来の紀子様は美智子様を敬愛し何事にもお手本とされてきた。
公務に対する姿勢もそうだし、"皇室は祈りでありたい"の思いをしっかり受け継ぎたいと願われている。(宮内庁関係者)
・3/30両陛下は東京武道館を訪問。4/2、徳仁氏一家、秋篠宮ご一家が参内。今回の大震災のことで話し合われたらしい。
両陛下から東京武道館の様子を聞き被災地への思いをことのほか強くされていたそう。
一刻も早く被災地へ行き励ましたい思いでいっぱいだが両陛下より先へ行くわけにはいかないので"今は東京でやれることを"という(前出・宮内庁関係者)
・那須御用邸の職員用浴室が解放された際、被災者に渡されたタオルセットは紀子様が袋詰め作業を申し出られ、眞子様・佳子様も手伝われた。
これは美智子様から受け継がれた皇族としての心を伝えていかなければならないという紀子様の思いが詰まった行動だったのではないか。(前出・宮内庁関係者)
・両殿下が災害に関するご進講を受けた際には紀子様の取り計らいで両内親王も同席し専門家のレクチャーに耳を傾けられた。
・両殿下は4/7に都内の避難所を訪問されるが、実際に被災地を慰問するときは両内親王も同行するプランも上がっているという。
〆は美智子様のお心は確実に若い世代にも受け継がれている。
同誌同号/板の間にひざをつかれて−天皇皇后両陛下20日目に実現したお見舞い
・巻末カラーグラビア1頁。

以下はメモとして
週刊文春(2010/04/14)
・東宮御所は窓際の蛍光灯を抜くなどしており、夜は非常用の電灯のみで真っ暗。
・愛子ちゃんは節電に積極的。10人前後の友人を頻繁に招き、おやつから夕方まで遊ぶ。
週刊新潮(2011/04/14)
・両陛下が訪問された際、あぐらをかいていた若者がいたことに
疑問のコメントを寄せる松崎敏哉氏としつけ教室(?)の某氏(名前失念)

以上で