マスコミ・政党と歴史議論

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40リッキー○ ◆PZHuhNBLO6
日露戦争後の日比谷焼き討ちに関し、反日左翼達の見解は
「日清戦争で『戦争は儲かるもの』と思った国民はその賠償に不満で暴れた」
というものだが、大笑いしてしまった。
どうやら日露戦争開戦当時「よし!儲けようぜ!」と言って戦争を始めたらしい。
だが実際は本当に国運を賭して戦った。
当時のロシアは世界最強の陸軍(第1位で日本の10倍)を保有しており、海軍は世界第2位(1位イギリス)
鉄鋼生産量は日本の30倍
ちなみに第二次大戦の開戦前の米英合わせても日本の12倍だった。

臥薪嘗胆で重税に耐えながら軍備を増強、官吏などは棒給の10パーセントを返納してまで協力していた。
そして大国ロシアとの一戦、非常な緊張状態が続いた中での勝利
日本国民は講和によって暫しの安泰、もちろんそれは賠償金という形で国庫に入り、
さらなる国力増強をもっての安泰、というものもあったかもしれない。
しかし講和が日本国民にとってあまり満足いくものではなかった。
つまり大国ロシアとの戦争という緊張状態から、勝利でそれが解放されそうになって
講和で再び緊張状態になり爆発したというのが日比谷焼き討ちなどになって現れたのだ。
この「再び緊張状態」とは「未だ終わらない弱肉強食の世界の現実感」と言う意味
そしてここが大事な事だが

>日露戦争以後になると,ほとんどの憲法学者が統帥権
>の独立を説くようになったとのことです(穂積八束のみが否定説という)。

当時の憲法学者は慣習法を以て「統帥権の独立」を認めた。
「慣習法」
>これによると、公の秩序又は善良の風俗(公序良俗)に反しない慣習については、
>法令の規定により認められたもの及び法令に規定のない事項につき、
>成文による法令(形式的意義における法律)と同一の効力(法源たる慣習法としての効力)が認められることになる。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%85%A3%E7%BF%92%E6%B3%95

日露戦争に勝利し国体(秩序)を守った軍、その軍の慣習を「公の秩序に反しないもの」として憲法学者は判断した。
いや実際は秩序に反しないどころか、それがあったからこそ、つまり「直接天皇と軍が繋がっていた」からこそ奇跡は起こったと
当時の日本人は思った事だろう。